第136話「異界裁判所、設置検討会」
揉め事が増えると、役所はまず窓口を増やす。
窓口で止まらなくなると、次は相談員を増やす。
相談員で止まらなくなると――最後に出てくる言葉がある。
「裁判で決めろ」
その日、ひまわり市役所に届いた要望書のタイトルが、まさにそれだった。
『異界裁判所(仮)設置に関する要望』
「……仮って付けるな! 重いのに軽くするな!」
勇輝は机に額を当てた。
美月が半笑いで言う。
「課長、ついに来ましたね。法廷回」
「法廷じゃない! 検討会だ! もっと地味だ!」
加奈が心配そうに覗き込む。
「裁判所って……町が作れるの?」
「作れない、とは言い切れないのが今のひまわり市だ。
でも軽く作ったら終わる」
市長が通りかかり、さらっと言った。
「正義の場は必要だ」
「必要だけど、正義の定義が多すぎるんですよ!!」
要望の出どころは、バラバラだった。
商店街:契約トラブルが増えすぎた
異界商人:取引の裁定がほしい
住民:揉め事が“長引く”のがつらい
魔族:誇りを守る裁定がほしい
ドワーフ:数値で決めろ
エルフ:言葉で決めろ
スライム:ぷる(多分、迷子よりはマシって意味)
「全員が“自分に都合のいい裁判”を想像してる」
勇輝はため息をついた。
「そして、裁判は都合のいいものじゃない」
検討会は、市役所の会議室で開かれた。
参加者は、いつもの胃メンバーに加え、関係者が増えている。
異世界経済部(勇輝)
総務(規程・契約)
市民生活課(相談・調停)
消費者相談(トラブル処理)
商工観光(商取引)
警備(治安)
そして異界側代表(魔族・ドワーフ・エルフ)
「……法務担当は?」
勇輝が聞くと、総務が小さく答えた。
「いません」
「知ってる!!」
美月がホワイトボードに書く。
議題:異界裁判所、設置検討会(第1回)
「書くな! 重い!」
「書かないと逃げますよね?」
「逃げたい!!」
まず、勇輝は最初に釘を刺した。
「裁判所“っぽいもの”を作るなら、
目的は二つです」
目的(この場の合意目標)
トラブルを“決着”させる仕組みを作る
決着までの間に、暴力と炎上を防ぐ
「正義を語る前に、現場を止める」
「現場が止まれば、町が続く」
魔族代表が腕を組む。
「決着が必要なのは同意だ。
だが判決を誰が出す?」
「そこが今日の地獄です」
ドワーフが言った。
「数値だ。罰金と補償を規定すればよい」
「すぐ金にするな!」
エルフが静かに言う。
「言葉だ。誓いと解釈で裁くべき」
「抽象が強い!」
加奈が小声で言った。
「ねぇ、裁判所って、いきなり作らなくても、
“仲裁”とか“調停”から始められないの?」
「……天才。加奈、今日は天才だ」
勇輝は、裁判所という言葉を一段階落とした。
「“裁判”の前に、“調停”です。
まずは当事者の合意で終わらせる仕組みを作る。
それでダメなときだけ、裁定に進む」
総務が頷く。
「調停なら、市の枠で作れます。
条例や要綱で“調停委員会”を設置する形」
「よし。現実的」
魔族代表が言う。
「合意できぬ場合は?」
「そのときは“裁定”が必要。
ただし裁判所の形を借りると重すぎる。
だから――仲裁委員会にする」
美月がメモする。
「課長、名称:異界トラブル調停・仲裁委員会(仮)」
「仮が多い!」
次の問題は、誰が委員になるか。
ここで揉めると最初から終わる。
勇輝は、条件を先に出した。
委員の条件(暫定)
中立(利害関係がない)
多種族(偏り防止)
言語対応(翻訳含む)
実務理解(商取引・生活ルール)
暴力・威圧の禁止(場の安全)
ドワーフが言う。
「中立など存在しない」
「存在しない。だから“複数”にする」
エルフが言う。
「言葉は刃だ。翻訳で形が変わる」
「だから“記録”を残す。
議事録と合意文。ここは役所が得意」
魔族代表が言う。
「誇りを守るには、面子が要る」
「面子は守る。
ただし“勝ち負け”じゃなく“納得”に寄せる」
ここで加奈が、ぽつりと言った。
「裁判所って、怖い場所のイメージがあるから、
“相談室”みたいにできないかな。
最初から敵対にならないように」
「それだ」
勇輝は即決した。
「名称は“裁判所”を使わない。
“異界トラブル調整室”にする」
美月が言う。
「地味! でも燃えにくい!」
「燃えにくいが正義だ!」
検討会は、ひとまず“形”だけ決まった。
決まったこと(第1回)
裁判所ではなく、まず「調停・仲裁」の仕組みを作る
名称は「異界トラブル調整室(仮)」
委員は多種族・複数名で構成
手続きは段階制:相談→調停→仲裁(裁定)
記録は必ず残す(合意文・裁定文)
「……結論が出た」
総務が呟いた。
「検討会にしては珍しい」
しかし、当然まだ残っている。
最大の地雷――裁定に従わない人が出たらどうする?
警備が言った。
「強制力がないと、意味がない」
「強制力は難しい。
だから“インセンティブ”で回す」
勇輝は考えた。
「調整室の裁定に従わない場合、
市の許可(出店・イベント)や登録に影響する、という形にする。
つまり、“町の制度の中で不利になる”」
商工観光が頷く。
「出店登録に紐づけるなら効きます」
魔族代表も頷いた。
「誇りを守る場なら、従う価値がある」
ドワーフも言う。
「数値の裁定なら従う」
エルフは静かに言った。
「言葉の裁定なら従う」
「……全部乗せだな」
勇輝は胃を押さえた。
会議が終わる頃、外は夕方だった。
美月が小声で言う。
「課長、次回予告、絶対『住民協定、破棄の危機』ですよね?」
「やめろ、また未来を言うな」
加奈が笑う。
「でも、町はちゃんと“揉め事の出口”を作ろうとしてるね」
「出口がないと、揉め事は住民の心に溜まる。
溜まると分断になる。
だから出口を作る」
市長が満足げに言った。
「町は大人になったな」
「大人になると胃が削れるんですよ!!」
ひまわり市役所は今日も、
裁判所を作らずに“裁判所みたいな仕事”を増やしながら、ちゃんと開庁している。
次回予告
住民協定が、破棄されそうになった。
合意の紙が、燃料になる。
「住民協定、破棄の危機」――今度は町の“約束”が揺れる!




