第133話「エルフ長寿問題と年金課」
年金課――それは、人生の終盤を支えるための窓口だ。
そして役所にとっては、「制度の説明」と「生活の現実」が真正面からぶつかる場所でもある。
その朝、異世界経済部のドアが、静かに――しかし確実に“嫌な予感”を連れて開いた。
「主任……年金課からです」
総務の職員が、机の角にそっと紙を置く。
その手つきが、すでに“火種”だった。
「……何が起きた」
「エルフが来ました」
「エルフはいつも来るだろ」
「“年金”で来ました」
「最悪!」
美月が反射でスマホを構える。
「課長、長寿回! 制度回! 燃えるやつ!」
「実況するな! あと燃やすな!」
加奈が心配そうに言う。
「年金って、将来のお金だよね? エルフも必要なの?」
「必要、というか……エルフは“前提”が違う」
廊下の向こうから市長の声がした。
「長寿はめでたい」
「制度の寿命が先に尽きます!!」
年金課の相談ブースに行くと、そこにいたのは――森のエルフ商会の代表、リーフェだった。
いつも通り涼しい顔。いつも通り綺麗な文字。いつも通り“理屈が刺さる”タイプ。
向かいには、年金課のベテラン職員・中村さんが座っている。
中村さんは強い。だが今日は目の下に影がある。
「主任さん……助けてください」
「中村さんが助けを求める時点で地獄です」
リーフェが静かに言った。
「我らは、この町に住む。
なら、老いに備える制度を知りたい」
「うん。合理的だ」
中村さんが、丁寧に説明する。
「日本の年金制度は、保険料を納めていただき、一定の条件で支給が開始されます」
「支給開始はいつだ?」
「原則、65歳からです」
「……65」
リーフェが、一拍置く。
「それは、幼木の歳だ」
「幼木!!?」
美月が小声で囁く。
「課長、65歳が幼木扱いされました」
「刺さるから言うな!」
リーフェは真顔で続けた。
「我らの“老い”は、ゆっくり来る。
人間の制度をそのまま当てはめると、こうなる」
すっと紙を出した。
そこには、流れるような字で書いてある。
『支給開始:300歳(目安)
納付期間:250年
相談窓口:森』
「目安が重い!!」
勇輝は思わず声を上げた。
中村さんが顔を覆う。
「主任……“300歳”って言われた瞬間、計算が止まりました……」
「止まりますよ! 制度が想定してない!」
勇輝は、まず“何が問題か”を分解した。
「リーフェさん、年金の目的は“老後の生活を支える”ことです。
ただ、人間の制度は寿命のレンジが決まってる。
そこに300歳が来ると、制度設計が崩れます」
リーフェが首を傾げる。
「崩れるのは、制度が弱いからでは?」
「正論パンチやめろ!」
加奈がそっと入る。
「制度は“今の人間社会”を前提に作られてるの。
エルフの暮らし方を否定したいわけじゃないよ」
「否定でないなら、共存の形を示せ」
圧が強い。
でも、筋は通っている。
美月がメモする。
「課長、今日のキーワード:共存の形」
「メモるな、資料にされる!」
勇輝は中村さんと目を合わせ、頷いた。
「よし、年金課と異世界経済部で“暫定の取扱い”を作る。
ポイントは三つ」
争点(年金×長寿種)
年齢の証明(そもそも何歳?)
加入・納付の扱い(払うの? いつまで?)
支給開始の考え方(65歳=幼木問題)
中村さんが小声で言う。
「年齢証明が……一番地獄です。戸籍が……」
「異界には戸籍がない。だから“代替”を作る」
リーフェがさらっと言う。
「年齢は、木の年輪で測れる」
「エルフ本人を輪切りにするな!!」
「冗談だ」
「冗談が怖い!」
加奈が笑ってなだめる。
「輪切りはだめ。ほんとにだめ」
まず、年齢の証明。
勇輝は“住民票”の話を思い出した。異界の人は、制度に乗せるとき“証明の形”が必要になる。
「年齢は、“自己申告+第三者証明+継続記録”でいきましょう」
本人の申告(生年月日相当の“森暦”でも可)
所属団体の証明(森のエルフ商会など)
市の記録(転入時点からの継続記録)
「完璧じゃない。でも“制度として扱える”」
中村さんが頷いた。
「少なくとも窓口が止まりません……」
リーフェは静かに言う。
「我らは嘘を嫌う。証明は出せる」
「助かる。嘘を嫌うの、役所も同じです」
次に、加入・納付。
ここが現実の壁だ。
250年納付なんて、ひまわり市役所が先に朽ちる。
「結論から言うと、年金は“日本の制度”なので、原則は人間と同じ枠に乗せます。
ただし、長寿種は“納付期間と支給”の設計が合わない」
リーフェが即答する。
「なら、別の枠を作れ」
「作ります。暫定で!」
勇輝は“制度の意図”に寄せた。
「老後保障のために必要なのは、
“長く払う”より、“困ったときに支える仕組み”です。
だから――年金だけに頼らず、補完制度を用意します」
年金課が驚く。
「補完制度……?」
「生活困窮のときの支援(福祉)と、
長寿種向けの“積立・互助”の仕組み。
役所が全部払うんじゃなく、町全体で回す形」
加奈が小さく頷いた。
「年金=一本足じゃなくて、支える足を増やすんだね」
「そう。異界は不確定だから、足は多い方がいい」
最後に、最大の爆弾。
支給開始だ。
リーフェが言う。
「我らの“老い”は遅い。65で支給されても困らぬ。
むしろ若者に金が溢れる。森が荒れる」
「森が荒れる!? 年金で!?」
中村さんが震え声で言う。
「主任……“若者に金が溢れる”は制度的にまずいです……」
「まずい。だから“支給開始=年齢”を絶対にしない」
勇輝は、言い切った。
「支給開始を、年齢だけで決めない。
“生活上の支援が必要か”で判断する窓口を作る」
リーフェが目を細める。
「それは施しでは?」
「施しじゃない。セーフティネットです。
年金は仕組み上、人間基準で動く。
でも共存の町として、困ったとき支える道も用意する」
加奈が、優しく言った。
「この町は“長く生きる人”にも、“短くしか生きられない人”にも、
同じように安心を置きたいんだよ」
「……安心」
リーフェはその言葉を、少しだけ噛みしめた。
その日の午後。
“暫定”の紙が一枚できた。
『長寿種の年金相談・取扱い(暫定)』
年齢は申告+証明+市記録で扱う
年金制度への加入は原則同様(説明を丁寧に)
支給開始は制度上の説明を行いつつ、生活状況に応じた相談・支援につなぐ
長寿種向けの互助・積立の検討を開始(別途)
「……検討って書いた」
美月が言う。
「役所は困ったら検討って書くんだよ!」
そして当然のように、美月が余計な一言を添えかけた。
「課長、SNSに『支給開始300歳』って――」
「やめろぉぉ!! また燃える!!」
加奈が美月のスマホをそっと下ろす。
「今日は“安心を置く日”だよ、美月」
「……はい……安心……」
帰り際、リーフェが勇輝に言った。
「人間の制度は短命だ。
だが、短命だからこそ、手入れが必要なのだな」
「そう。手入れが仕事です。
町は続くから」
リーフェは少し笑った。
「よい。なら我らも手伝おう。
言葉の手入れなら、森の仕事だ」
「助かります。ほんとに」
年金課の中村さんは、机に突っ伏していた。
「主任……次はどんな種族が来ますか……」
「来ないでほしいけど、来る。絶対来る」
ひまわり市役所は今日も、
寿命の違いすら“相談窓口”に落とし込みながら、ちゃんと開庁している。
次回予告
夜行性の異界住民が増え、窓口に来る時間が全部“深夜”になる。
開庁時間が合わない、でも困ってる。
「夜行性住民と窓口時間」――役所、いつ寝る?




