第132話「異界労災、適用範囲を決めろ」
役所が嫌いなもの。
曖昧な責任。
そして、曖昧な境界。
だが異界に転移してから、境界が増えた。
町と異界。人と魔族。労働と魔法。公務と善意。
境界線だらけだ。胃が足りない。
「主任!! 事故です!!」
消防……ではなく、総務の安全担当が飛び込んできた。
「火事か!?」
「違います! 労災です!」
「労災!? うちの職員が!?」
「……異界住民の臨時職員です」
「よりによって今!」
美月が青い顔で言う。
「課長、要綱(案)で走ってる最中に……」
「走ってる最中に転ぶな!!」
加奈が慌てて立ち上がる。
「けがは? 大丈夫?」
「命に別状はない。
でも、“原因”が面倒です」
市長が通りかかり、さらっと言った。
「安全第一だ」
「その通りです! だから今から地獄です!」
事故が起きたのは、フリマ会場の片付け支援だった。
臨時職員のドワーフ(現場安全担当)が、重い木材を運んでいたとき、
足場が崩れて転倒。腕を捻った。
現場に行くと、ドワーフが腕を押さえつつ怒っていた。
「俺は大丈夫だ。
だが、責任を曖昧にするな」
「それは完全に同意です……!」
周囲には、商店街の人、出店者、異界フリマ同盟(軽い名前のくせに顔が真面目)が集まっている。
そして問題の空気が漂う。
「これ、労災ですか?」
「市が払うの?」
「そもそも“雇用”なの?」
「ボランティアじゃないの?」
「魔法で治せないの?」
「魔法で治すな! 治すなら病院だ!」
勇輝は深呼吸した。
労災は、感情より先に制度の話だ。
そして制度は、決めなきゃ動かない。
市役所に戻り、緊急会議。
参加者はこうだ。
総務(安全衛生/雇用)
財務(補償)
法務担当(いないので総務が兼任)
異世界経済部(現場)
消防(安全基準の助言)
当事者(ドワーフ臨時職員)
「結論からいく」
勇輝はホワイトボードに書いた。
今日決めること:
“異界労災”の適用範囲(暫定)
「暫定?」
財務が顔をしかめる。
「暫定。完璧を待つと現場が止まる」
美月が小声で言う。
「課長、最近“暫定”が多い」
「異界の現実だよ!」
まず確認。
今回のドワーフは、市の臨時職員として雇っている。
勤務指示も出ている。
現場支援として派遣した。
つまり、原則は労災対象だ。
「対象です」
総務が言った。
「よし、そこは早い」
だが問題はここからだ。
異界では“仕事の境界”が溶ける。
仕事中に魔法を使って怪我したら?
勝手に英雄行為して怪我したら?(善意)
仕事のついでに私用をして怪我したら?
異界特有の危険(呪具、召喚陣、ドラゴン空輸)に巻き込まれたら?
そもそも異界側の治療(回復魔法)を使った場合の費用は?
「全部、燃える」
勇輝は胃を押さえた。
「燃える前に線を引く」
勇輝は、労災の考え方を“異界向けに翻訳”した。
労災の基本(ひまわり市・異界版)
業務の指示がある活動中のケガは原則対象
業務に必要な行為(移動・準備含む)は対象
私的行為は対象外
禁止行為(規程違反)の場合は原則対象外
ただし命に関わる救助は例外(別枠で扱う)
「禁止行為って、魔法行使?」
消防が聞く。
「そう。
業務中の魔法は禁止が原則。
だから“魔法で勝手に危険行為”は対象外寄りになる」
ドワーフが腕を組む。
「合理的だ。
だが、現場は“勝手”と“必要”が混ざる」
「そこが難しい。だから二段構えにする」
二段構え。
勇輝は“区分”を作った。
異界労災:区分(暫定)
A) 業務災害(対象)
指示された業務中の事故
指示された現場での移動・準備中の事故
B) 通勤災害(対象)
勤務場所への移動(定義は市内ルート)
C) 準業務(条件付き)
住民救助・迷子保護など、緊急の善意行為
→ 原則は補償するが、労災ではなく“市の救済枠”で扱う
D) 対象外(原則)
私用
禁止行為(呪具使用、無許可召喚、危険区域立入)
酒酔い(異界の酒含む)
「救済枠?」
財務が嫌そうな顔をした。
「嫌でも作る。
“労災じゃないからゼロ”は炎上する。
善意が潰れると町が弱くなる」
加奈が頷く。
「助けた人が損する町は、誰も助けなくなる」
「そう。だから枠を用意する」
次に問題の“治療”だ。
異界には回復魔法がある。
だが乱用すると、医療の境界が崩れる。
総務が言う。
「回復魔法は医療行為とみなすのか?」
「みなすかどうかより、“扱い”を決める」
勇輝は書いた。
治療の扱い(暫定)
原則:市の指定する医療(町の診療所)を優先
緊急時:回復魔法は可(命・重症の回避)
回復魔法を使った場合も、報告義務
その費用(供給物・謝礼)は、A/Bは市が負担、Cは救済枠、Dは自己負担
「報告義務、いいね」
消防が頷く。
「報告がないと、次に同じ事故が起きる」
ドワーフが言った。
「俺は治療より、再発防止が欲しい」
「それもやる。現場の足場点検を強化する」
結論。
今回の事故はA:業務災害で労災対象。
治療費は市負担。
再発防止として、フリマ現場の安全チェック表を作る。
勇輝が言う。
「ドワーフさん、あなたの怪我は市が責任を持ちます。
そして、同じ事故が起きないように手順を作ります」
ドワーフは頷いた。
「よい。
曖昧が嫌いな理由は、怪我が増えるからだ」
「役所も同じだよ」
美月が小声で言う。
「課長、今日、めちゃくちゃ役所してます」
「今日は褒めなくていい。胃が減る」
夕方。
庁内に“暫定通知”が出された。
『異界住民等臨時職員の災害補償の取扱い(暫定)
A/B/C/D区分による運用開始』
加奈が笑う。
「A/B/C/Dって、すごく役所っぽい」
「役所はアルファベットで世界を区切るんだ」
市長が満足げに言った。
「これで安心して働けるな」
「安心は一歩進んだ。
でも次の地雷も見える」
美月が震え声で言った。
「課長……年金課が呼んでます……」
「……来たか」
次回予告
エルフは長寿。人間の年金制度が噛み合わない。
“支給開始が300歳”とか言い出す。
「エルフ長寿問題と年金課」――制度の寿命が先に尽きる!




