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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第1250話「お土産が予算を殴る:象徴はトランクに入らない」

◆夜・天空使節館 宿泊室


 報告会の熱がまだ耳の奥に残っているのに、宿泊室の空気は妙に落ち着かなかった。

 窓の外は王都の灯りが柔らかく揺れている。けれど室内は、床に広げたトランクが陣地みたいに並び、机の上には紙袋が積まれ、椅子の背には外套が重ねられて、どこを見ても「帰る準備」の顔をしている。

 帰る準備は、たいてい静かな戦いだ。音を立てないように、でも手を止めたら終わらない。役所の残業と似ている。


「……ちょっと待て」


 勇輝は床の端に立ったまま、視線を一箇所に留めた。羽根が、ある。

 いや、羽根が「ある」のはいい。天空国だ。羽根の一枚や二枚、文化的な飾りだと思えば飲み込める。

 問題は、さっきより増えていることだった。


「この部屋、羽根が増えてないか?」


 言い方を探している間に、美月が紙袋をそっと机に置き、肩越しに羽根を数えた。


「増えてる。私も気づいた。最初二枚で、いま……四枚」

「増殖する羽根って、だいぶ怖いんだけど」


 加奈が苦笑して、紙袋をずらした拍子に小さな瓶が転がり出た。透明な小瓶で、封は蝋のようなもので固められている。ラベルの文字だけがやけに堂々としていた。


『風(持ち帰り用)/封を切るな』


 美月の目が、好奇心の明かりを点けたまま固まった。


「……封を切るなって言われると、切りたくなるの、人間の性じゃない?」

「性にするな。禁止は禁止だ」

「主任、即答が速い」


 勇輝は瓶を持ち上げ、光に透かす。何も入っていないように見える。なのに、手のひらの上で瓶だけがほんの少し冷たい。冷たい、というより「空気が違う」感触がある。


「これ、なんだ」

「天空国の贈答です」


 レフィアは荷造り用の紐を手にしたまま、淡々と答えた。


「“風を分ける”のは歓迎の象徴。封を切ると、空気の流れが変わります」

「空気の流れが変わるって、生活の全部が変わるやつじゃないか」

「地上の香水も似ています」

「香水は、紙を飛ばさない」

「香水は、飛ばす前に止められます。風は止めにくいです」


 言い切る声が平坦だから、余計に怖い。加奈が瓶のラベルを指でなぞる。


「封を切るな、の“封”って、ここだよね。蝋……?」

「はい。開けたら、喜びます」

「喜ぶな。喜ばれても困る」


 美月が口を開きかけて、すぐに閉じた。代わりに端末を握り直し、画面のメモ帳を開く。口癖が出そうになるのを、最近は自分で止められるようになってきている。成長だ。


 その時、魔法通信札が机の端で光った。点灯の仕方が、あまりにも遠慮がない。まるで「いま忙しいでしょ?」と知った上で割り込んでくる光だ。


『帰り、何買った!? 市長室用のお土産よろしく! できれば“羽ばたく”やつ!』


 勇輝の返事は、深呼吸の前に出た。


「……市長」

『なにその声! 怖い! でも期待してる!』

「羽ばたくのは評価で、お土産じゃない」


 加奈が横から覗き込み、できるだけ柔らかく補足する。


「市長、羽ばたくは“最高に良い”の意味で、物として持ち帰るとだいぶややこしいよ」

『じゃあ“風が笑う”のやつ! チラシに使えるの!』

「それも持ち帰りづらい」

『えー、せっかく異界なんだから軽く……』


 レフィアが、札に向けて視線を落としたまま、静かな声で切り替えた。


「市長。贈答品は個人では受け取れません。自治体として受領する場合でも、記録と用途、公開範囲の整理が必要です」

『旅行だよ!? 研修旅行!』

「研修旅行は、公務です」


 美月が思わず小さく息を吸った。市長の「旅行」という言葉が、どこかで「お財布がゆるくなる合図」になりかけていたのを、レフィアが一文で現実に戻した。勇輝も頷く。


「市長。今から暫定ルール作る。受け取っていいもの、受け取っちゃいけないもの、線を引く」

『おっけー! 暫定って言葉、なんか安心する!』

「言葉に救われるのは分かるけど、好きって言うな」


 通信札の光が、少しだけ弱まった。市長が一旦引いたらしい。引いた瞬間に、また突っ込んでくるのが市長だが、いまはその一拍がありがたい。


◆夜・同 机まわり 臨時お土産会議


 机の上に白紙を一枚置き、勇輝はペンを握った。こういう時、紙があるだけで肩が落ち着く。加奈が「紙があると安心する」派で、美月が「紙は重い」派で、勇輝は「紙は盾」派だ。


 タイトルを書く。太線を引く。書き出しの一行をどうするかで迷ったが、今日は迷っている時間が惜しい。


『異界研修旅行 贈答品・土産品 受領ガイドライン(暫定)』


「……旅行なのに、結局ガイドラインが生まれる」

 美月が半笑いで呟くと、加奈が小さく肩をすくめた。

「困ったら紙を生むの、役所の習性みたいなものだし」

 レフィアが淡々と添える。

「紙があると、誤解が減ります」

「今日それ何回目」

「必要な回数です」


 勇輝は、いちいち突っ込むのをやめた。必要な回数は必要な回数だ。現場が燃えないための回数でもある。


「まず区分。分けないと判断できない」


 ペン先が止まらないように、分類を先に作る。美月が横から端末で同じ内容を打ち始めた。台帳化を視野に入れているらしい。頼もしい。


 勇輝が紙に書く。


(1)区分

A:消えもの(食べ物・飲み物)

B:資料(パンフ・案内票・説明書)

C:物品(雑貨・記念品)

D:機能を持つもの(魔導具・契約に関わる象徴品)

E:生き物(受領不可)


「Eは最初から拒否でいいよね」

 美月が真顔で言う。

「絶対だ」

 勇輝が頷くと、加奈が小さく眉を上げた。

「でも、あの案内妖精……ナビフェア? あの子、ちょっと“ついてきたがる”感じがあったよ」

「ついてくるな、って言える?」

「言えるように言い方を作る。言い方で守る」


 レフィアが瓶を指した。

「この“風”はDです。封を切ると影響が出ます」

「影響って、具体で」

「紙が動きます。会話が聞こえやすくなります。気分が軽くなりすぎる場合があります」

「気分が軽くなりすぎる、って何」

「判断が速くなり、言葉が先に出ます」

「それ、最悪の時に出るやつだ」

 美月が震え声で言い、端末を抱えた。

「私、いまでも言葉が先に出そうなのに……」


 勇輝は頷き、次の段へ移る。


(2)受領の原則

・個人受領は禁止(誤解の火種)

・自治体受領は可(記録し、公開範囲を決める)

・用途を先に決める(展示/研究/返礼/保管)

・説明できないものは持ち帰らない(説明できる形に整えてから)


 加奈がそこに指を置く。

「用途がないと、置きっぱなしに見えるもんね」

「置きっぱなしは、説明の余白になる。余白は誤解の入口だ」


 勇輝が言うと、美月が小さくうなずいた。最近、比喩をそのまま置かずに「運用」に落とすのが癖になってきている。


 さらに書く。


(3)予算・領収の扱い(研修旅費と切り分け)

・公費購入は事前承認(必要性と相手先説明ができるものに限る)

・私費購入は自由(ただし公務中の撮影・投稿は公開区分に従う)

・贈答品は価格不明でも記録(提供元、性質、用途、公開範囲)

・持ち帰りに検疫・申告が必要なものは、原則D扱い(事前相談)


「“価格不明でも記録”って、よく言えるね」

 美月が感心しかけて、すぐに口元を引き締めた。

「……記録は裏切らない、ってやつ?」

「それは言っていい。裏切らないのは実務だ」


 加奈が笑いながら、紙袋の中からレシートを数枚取り出した。細長い紙が、見慣れた形で折りたたまれている。異界だろうが、レシートはレシートだ。紙の主張は国を越える。


「これ、私たちが買った分のレシート。紅茶葉とか、ちょっとした焼き菓子とか」

「それはA。個人の嗜好品で、私費。公費じゃない」

「でも、市長室用って言われると迷うんだよね」

「迷うから、線を引く。市長室用は自治体受領のルートに乗せる。買うなら財務課相談。いま買わない」


 美月が通信札をちらりと見た。

「市長、今の話聞いてるかな」

「聞いてない時ほど元気に返ってくる」


 言ったそばから通信札が光った。やっぱりだ。


『暫定ルールできた? 結論、なにがOK?』


 勇輝は短く返す。短く、でも角を立てない短さ。


「OKは、説明できて、記録できて、用途が決められるもの。NGは、開けたら何が起きるか分からないもの。あと、生き物」

『分かりやすい! じゃあ“風の瓶”は?』

「開けたら紙が飛ぶ可能性がある。保管」

『紙が飛ぶのは困る! 市長室、紙多い!』

「知ってる」


 加奈が笑いをこらえながら札を閉じた。閉じると、室内の静けさが戻る。戻った静けさの中で、ドアが控えめにノックされた。


◆夜・同 来訪


 扉を開けると、風読み官リュネスが立っていた。夜でも爽やかさが崩れないのが、いっそ羨ましい。背後に研修生フィオがいて、腕いっぱいに箱を抱えている。


「お帰りの準備ですね。お土産をお持ちしました!」


 言い方が明るい。だが箱のラベルが、明るさだけで流せない。


『羽根(落ちない)/数は気にするな』

『雲の欠片(軽量)/吸うな』


 美月が箱を見た瞬間、声にならない声を出した。加奈が横で肩に手を置き、ゆっくり深呼吸させる。勇輝は、まず礼を整える。


「ありがとうございます。確認させてください。これは個人宛てではなく、ひまわり市宛ての贈答品、という理解で合っていますか」

「もちろんです。ひまわり市へ。関係が、羽ばたくように」

「羽ばたくは評価で……」

「比喩です!」

 フィオが胸を張った。


 レフィアが一歩前へ出て、丁寧に頭を下げた。外交官の動きだ。相手を立てながら、線を引く。


「自治体として受領します。持ち帰りにあたり記録と申告が必要です。中身の説明をいただけますか」

「はい!」


 リュネスが最初の箱を開けた。ただし開けるのは箱で、瓶ではない。そこはちゃんと区別されている。中には、細い羽根型のしおりが整列していた。色は淡い空色で、触るとわずかに温かい。


「羽根は“落ちないしおり”です。書物が迷子になりません」

「迷子にならないしおり、便利だな」

 加奈が素直に言う。


 その瞬間だった。箱の隙間から、しおりの羽根が一枚、ふわりと浮いた。

 落ちない。落ちる気配がない。むしろ部屋の空気を読んだように、机の上をゆっくり旋回した。


「……飛び出した」

 美月が固まる。

「飛び出したというか、出てきたというか」

 加奈が手を伸ばすと、羽根は指先のすぐ手前でひらりと避けた。避け方が、悪意じゃなく「遊び」みたいで、余計にやりづらい。


 羽根は迷うでもなく、勇輝が書いたガイドラインの紙の上に、すっと降りた。

 降りたのに、紙の上で浮いている。まるで「ここが席」と決めたみたいに、ぷるぷると微妙に揺れている。


「……台帳好きか?」

 勇輝が呟くと、フィオが目を輝かせた。

「羽根が、規則を尊敬している……!」

「尊敬されても困る」


 勇輝がそう言った瞬間、机の端に置いていた“風の瓶”が、ほんの少しだけ「コトン」と音を立てた。

 誰も触っていない。触っていないのに、だ。


「待て、瓶……!」


 勇輝が手を伸ばすより早く、蝋の封がほんのわずか緩んだ。緩んだだけだ。切れてはいない。なのに、空気が一度、撫でられたように動いた。


 次の瞬間、紙が浮いた。

 ガイドラインの紙が机から持ち上がり、台帳用の白紙がふわりと舞い、領収書の封筒が羽ばたいた。羽ばたく、という言葉がこんなに現実的に聞こえる日が来るとは思わなかった。


「うわっ……!」


 美月が声を上げ、加奈が反射で紙を押さえ、レフィアが瓶を両手で掴んで封を締め直す。動きに迷いがない。迷いがないのが、逆に怖い。


「……封は切れていません。ギリギリです」

「ギリギリって、心臓に悪い言い方」

「心臓は悪くしません。紙だけです」


 リュネスが申し訳なさそうに笑った。

「すみません。風が……喜びました」

「喜ぶな」

 勇輝は瓶を机の真ん中に置き直し、周囲の紙を揃えながら、深く息を吐いた。呼吸を整えないと、言葉が先に出る。今日学んだことが、いま役に立つ。


「Dは封印。封印は保管。保管は箱。箱は固定。固定は紐」

 言いながら、加奈が紐を探し、レフィアが箱の底に布を敷き、美月が端末にメモを取る。三人の動きが揃っていくのが、少しだけ頼もしい。


「……風は紙の敵だね」

 美月が小声で言った。言い方が柔らかいのに、内容は正確だ。

「敵って言うな。相性が悪い、で」

「じゃあ、“紙が飛びやすい環境”」

「それでいい」


 勇輝は、さっき作った台帳の欄を紙に書き足していく。ここからは速度が必要だ。速度が、混乱を止める。


◆夜・同 受領台帳(暫定)を作る


 勇輝が紙に見出しを揃える。美月が同じ内容を端末で表にする。加奈は箱と紙袋の位置を整理し、レフィアは受領の説明を聞き漏らさないようにリュネスとフィオの前に立った。


受領台帳(暫定)

・品名

・区分(A〜E)

・提供元(国・団体・個人)

・受領者(自治体/部署)

・用途(展示/研究/返礼/保管)

・公開範囲(白/灰/黒)

・申告(必要/不要)

・注意事項(開封条件/保管条件)


 美月がまず瓶を指さした。

「風(瓶)……区分D。提供元、天空国使節館。受領者、ひまわり市研修団。用途、保管。公開範囲、灰。申告、必要。注意事項……封を切るな、で確定」

 勇輝が頷く。

「注意事項は“封の状態確認”も追加。蝋の緩みがあった」

「書く。書くよ」


 加奈が羽根箱を覗き込む。

「落ちないしおりは、便利だけど、機能があるからDだよね」

 レフィアが即答した。

「Dです。落ちない=運用が変わります。迷子が減るのは利点ですが、紙に触れる範囲が広い」

「運用が変わる、ほんと万能だな……」

「万能ではありません。分類語です」


 勇輝は次の箱を指した。

「雲の欠片。これ、説明を」

 フィオが真面目に答える。

「雲の欠片は、湿度が少し変わります。吸うと……気分が高くなります」

「吸うな、って書くわけだ」

 美月がきっぱり言い、ペンを走らせた。

「用途は展示が良い。個人で持ち歩かない。市役所ロビーに研修展示コーナー作れば、説明もできるし」

 加奈がすぐ乗った。

「展示なら、“見せる用の言葉”を整えればいいしね。象徴は別枠にして、具体はちゃんと書く」


 勇輝がガイドラインの(2)の行を指で叩く。

「用途を先に決める、がここで効く。展示なら公開は白に寄せられる。ただし、機能説明は具体で。象徴的な説明は灰」


 レフィアが頷いた。

「展示文には、“何が起きるか”を先に書く。起きないことも書く。誤解が減ります」

「“起きないことも書く”って発想、役所の精神だな」

「守るための文章です」


 リュネスは、紙に書き込まれていく台帳を見て、目を丸くした。

「……地の国は、贈り物をこんなに丁寧に扱うのですね」

 勇輝は、言い方を選んで返した。

「丁寧というか、後で誰かが困らないようにする。困ると関係が削れるから」

 フィオが小さく頷く。

「関係を削らない。……それ、好きです」


 美月が“好き”に反応しかけて、飲み込んだ。代わりに表を揃える手だけが忙しく動く。変換が身についている。


◆夜・同 固定、封印、そして申告の準備


 瓶は布で包み、箱に入れ、箱を紐で固定した。固定した箱はトランクの底へ入れる。トランクの底は、荷物の中で一番動かない。動かない場所に置く。簡単な理屈だが、理屈が通るだけで安心する。


 紐で固定したところで終わりにしないのが、ひまわり市の悪い癖、いや良い癖だ。

 勇輝は鞄の横ポケットから、折り畳み式の携帯はかりを取り出した。出張や研修のたびに、交通・物流課が「荷物の重量で揉めると空港より先が詰まる」と言って持たせてくるやつだ。異界のゲートにも、だいたい似たような“通す側の都合”がある。


「重量、見るぞ。ゲートの係員に止められるのは今日じゃない」

「今日じゃないけど、明日かもだよね……」

 美月がぼそっと返す。


 トランクの取っ手に引っかけると、数字が跳ねた。軽いものばかりのはずなのに、紙と箱は、積み重なるとちゃんと重い。

 加奈が外套のポケットからレシート束を出して、紙袋ごとひとまとめにした。


「レシートは、ここ。私費分と、研修で配られた資料の受領分、混ざらないように」

「ありがたい。混ざると、説明の文章が長くなる」

「文章が長いのは嫌いじゃないけど、長くなる理由が嫌」


 レフィアが頷き、ペンで小さく番号を振り始めた。

 “受領番号”だ。派手さはないが、これがあると翌月の誰かが助かる。


「風の瓶、受領番号24-D-1。羽根しおり、24-D-2。雲の欠片、24-D-3」

「番号、見た目は地味だけど、心が落ち着く」

 美月が言うと、加奈が笑う。

「落ち着くよね。番号って、安心の形だ」


 勇輝は、白い紙テープを細く切って、箱の外に貼った。そこへ太めの字で「D/未開封/用途:保管」と書く。

 字は綺麗じゃなくてもいい。読めればいい。読めないと、誰かが勝手に想像する。


「色分けは?」

 美月が聞くと、勇輝は首を振った。

「今回は色で遊ばない。天空国の“白と灰と黒”は、うちのラベル色と混線する」

「なるほど、文化衝突を避けるために地味を選ぶ」

「地味は安全、だ」


 そこへ、羽根の箱がふわりと自分で位置を変えようとして、加奈が慌てて押さえた。

「ほら、地味にしても動くものは動く」

「だから固定だよ」

 勇輝は紐を二重にし、結び目を確認してから、結び目の上に小さく紙片を挟んだ。


『開封条件:帰庁後/用途決定後/立会いあり』


「立会い、必要?」

 加奈が聞くと、レフィアが淡々と答える。

「必要です。開封の瞬間に起きたことは、後から説明が難しい。立会いがあると“起きた”が“起きた”のまま残ります」

「起きたが残る、って言い方、役所っぽいな」

「役所は、残すことで守ります」


 美月が端末の表を見せる。

「台帳、電子版もできた。明日の検疫と申告、これを元に説明できる」

「助かる。説明できる形が先にあると、現場で言葉が走らない」

「走らないって、主任の最近のテーマだね」

 加奈が笑うと、勇輝も頷いた。

「走ると契約になる国で、走る言葉は危険だ」


 レフィアが紙袋の山を見て、淡々と分類を確認していく。

「こちらの焼き菓子はA。こちらの紅茶葉もA。こちらのパンフレットはB。こちらの羽根しおりはD。こちらの雲の欠片はD。風の瓶もD」

「D、多いな」

「天空国の贈答は、機能と象徴が結びつきます」

「象徴が強い国だ」


 加奈がふと、机の隅に置いた小さな包みを指した。

「これ、私が買った刺繍の小布。完全に私物。これはCでいい?」

「私費で、個人用途ならC。ただし、魔導機能がないなら」

 勇輝が確認すると、加奈は包みを開けた。可愛い花の刺繍で、香りもしない。普通の布だ。

「大丈夫。普通に可愛いだけ」

 言った瞬間、加奈が“可愛い”を言ってしまったことに気づいて、ちょっと照れた。

「……あ、いまのは個人の次回メモ。報告書には書かない」

「書かなくていい」

「でも、こういうのも旅の醍醐味だよね」

 美月が小さく頷く。

「うん。公務だけど、空気は吸ってる。吸うのは雲じゃなくて、普通の空気ね」


 冗談が出る余裕が戻ってきた。いい傾向だ。勇輝はガイドラインの末尾に、今日の出来事を踏まえて一行を足した。


『象徴は持ち帰れるが、運用は持ち帰るな(開封は帰庁後、用途決定後)』


 美月がその一行を見て、口元が動きかけたが、ちゃんと落ち着いて言葉を選んだ。

「……締めの文章として、意味が通ってる。覚えやすい」

「それなら白でいい」

「白、って言い方がもう馴染んできたの、ちょっと面白い」


 レフィアが小さく頷いた。

「明日は検疫と申告です。最も誤解が生まれやすい場所です」

「比喩じゃなくて、現実だな」

「現実です。だから、準備します」


 その準備の最中に、また通信札が光った。光り方が、さっきより元気だ。市長が復活した。


『市長室に“風(瓶)”置いたら、仕事が早くなる? 台帳も羽ばたく?』


 勇輝は即答した。即答できるのは、台帳があるからだ。


「ならない。用途は保管。封は切らない」

 レフィアが淡々と続ける。

「切ると紙が飛びます」

『紙が飛ぶのは困る! じゃあ羽根しおりは!?』

「保管。展示の可否は帰庁後に判断」

『展示ってなに? 市長室に飾るとか?』

「市長室は公私混同になりやすい。ロビーか展示ケース」

『うーん、ロビーか……じゃあ市長室は普通に頑張る!』


 加奈が笑って札を閉じた。

「市長、普通に頑張るって言えるうちは健全だね」

「健全なら、余計なことを思いつく前に寝てほしい」

「それは市長じゃなくて私たちだよ、主任」


 深夜。荷物はまとまり、箱は固定され、台帳は二重化され、紙袋は分類された。

 部屋の匂いは、さっきまでの「焦り」から、少しだけ「整った」に変わっている。紙が揃うと匂いまで落ち着くのが不思議だ。


 勇輝はトランクの留め具を確認しながら、ふと自分の手元を見る。

 今日一日、何度も紙に助けられてきた。紙を守るために、紙で守った。役所らしいと言えば役所らしい。けれど、こういう“らしさ”は嫌いじゃない。


(帰り道で一番怖いのが、敵じゃなくて贈り物だなんて、予算書の外側にある話だな)


 レフィアが灯りを落とす前に、もう一度瓶の位置を確かめた。紐は緩んでいない。封も割れていない。羽根も箱に収まっている。


「……よし。今日は、ここまで」

 勇輝が小さく言うと、美月がベッドに倒れ込むように腰を下ろした。

「明日、検疫で“詩で申告して”とか言われたら、私、笑ってしまうかも」

「笑う前に言い換える」

「言い換えられるかな」

 加奈が枕を直しながら、穏やかに言った。

「言い換えられるよ。だって私たち、今日一日で“風”を箱に入れたんだよ」

「箱に入れたの、風っていうか、瓶だけど」

「でも、運用は箱に入ってくれた。ほら、安心するでしょ」


 レフィアが珍しく、ほんの少しだけ口元を緩めた。

「……明日も、整えましょう」

「うん。整える。紙が飛ばないように」

 勇輝が頷くと、部屋の灯りが消えた。


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