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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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1232/1904

第1232話「工事看板が条文だらけで、読めば読むほど息が詰まる」

◆王都・城壁外周(第三区画)夕方


 石を削る音には、隠しごとがない。


 カン、カン、カン。乾いた金属音が夕方の風に混じって跳ね、削れた粉がふわりと舞う。鼻の奥に残るのは石灰の匂いで、火の匂いでも土の匂いでもないのに、妙に「現場だ」と分からせてくる匂いだった。汗と粉と、長く使われてきた石の温度が混ざった空気は、財務局の紙の匂いとは別方向の圧がある。


 王都の城壁。その外周の一角で、修繕工事が進んでいた。


 ひまわり市の一行は、なぜか揃って同じ形の帽子をかぶっている。革の縁、浅い丸み、額のところに小さな紋章。おしゃれというより、きちんと「装備」だ。


「……これ、ヘルメットみたいなやつだよね。形が、完全にそれ」


 美月が自分の頭を軽く叩き、言いかけてから、すぐに口を閉じた。言葉を選び直す時間を、一拍だけ取る。昨日までの美月なら勢いで突っ走っていたが、ここ数日、勢いのまま突っ走ると誰かの札が増えることを学んでいる。


 レフィアが、淡々と、けれど否定ではなく整える調子で答えた。


「安全帽、です。こちらでは、その呼び名が一般的です」


「呼び名っていうか、さっき言いかけた単語……まずかった?」


「“ヘル”の音が不吉だとされる地域があるそうです。現場で縁起を担ぐのは、危険回避の一部なので」


「音の印象で装備の名前まで変えるんだ。徹底してるね……現場が真面目すぎて、逆にちょっと笑いそうになる」


「笑いそうになっても、笑いは止めません。ただし境界線は越えないでください。そこは、止めます」


 レフィアが最後だけ少しだけ強めに言うのが、今日の現場に合わせたやり方だろう。勇輝は、息を整えてから前を見上げた。


 工事区画の入口に、巨大な看板が立っている。


 板というより掲示板というより、法典の表紙だ。立てた人が「ここから先は、説明が必要な場所です」と宣言しているようなサイズで、しかも文字がびっしり、余白がほとんどない。遠目には模様に見えるのに、近づくと一行一行が意味を持って襲ってくる。


 看板の上部には、どんと太い文字。


 城壁修繕工事(第三区画)

 掲示義務:工事規程 第十四条


 続いて、項目がきっちり整理されている。目的、工期、責任者、資材、通行制限、財源、苦情受付――その一つひとつに条文番号が付いて、さらに括弧書きの補足がぶら下がる。読みやすい構造をしているのに、量が容赦ない。


「……読んだだけで、呼吸が浅くなる。これ、看板の仕事量じゃないだろ」


 勇輝が小声で漏らすと、加奈が看板の端を指でなぞった。文字を追っているのではなく、看板そのものの“作り方”を見ている手つきだ。


「でも、何をするかが具体的に書いてあるよ。『ひび割れ補修』『排水溝再整備』『夜間照明の受け皿交換』って、現場の人がやることが見える」


「うちの道路工事の看板、たまに『地域の未来のため』で終わるからな……現場の人は未来を作ってるのに、書き方が未来だけ残していく」


 勇輝が苦笑すると、加奈はすぐに頷いた。


「未来のためって便利なんだよね。便利すぎて、結局、誰にも伝わらない。『どこが通れなくなるのか』とか『いつまでなのか』とか、知りたいのはそこなのに」


 美月も看板を覗き込み、文字の密度に目を細める。


「これ、読む人は少ないかもしれないけど、『書いてある』ってだけで安心する人は絶対いるよね。あと、文句を言う人がいても、『看板に書いてあります』って言えるの、現場の人の防御力が上がりそう」


「防御力って言い方が、今の市場帰りっぽいな」


「だって、ほんとに仕組みが守ってる感じがするんだもん。人が怒鳴らなくても回るやつ」


 その会話の途中で、工事区画から一人、屈強な男が近づいてきた。石灰で白くなった前掛け、腕に組合の腕章。目は鋭いが、声は意外と落ち着いている。焦っている現場の声ではなく、回している現場の声だ。


「研修者か。石工組合、第七班。責任者のグラントだ」


 胸を軽く叩いて名乗る。その動作が、礼儀というより確認だ。名を出して責任を置く。それ自体が契約の入口になっている。


 勇輝も一礼し、名乗り返す。


「ひまわり市、都市運営担当の勇輝です。本日は現場の運用と、掲示の仕組みを学びに来ました。……看板の時点で、すでに勉強量が多いです」


 グラントは看板を一度見上げ、口元だけ少しだけ動かした。笑っているのか、納得しているのか、その両方か。


「息が詰まるなら、読んだ証拠だ。読まずに通る者は、詰まらない。詰まらない者ほど、あとで詰まる」


 美月が横で、小声で加奈の袖を引く。


「この国、呼吸が詰まるほど褒められる文化なのかな。褒め方が独特だよね」


 加奈が困り笑いを返すと、レフィアが落ち着いた声で補足した。


「痛い目を見る前に止める、という価値観です。苦しさを先に感じる方が、安全が保てる、と」


「それ、理屈としてはすごく分かるんだけど、聞いてるだけで背筋が伸びる」


 美月が肩をすくめると、グラントは話を“現場の段取り”へ戻した。


「よし。まず安全帽を確認……合格。紐の締め方も問題ない。次に、掲示板を見たか。見たなら、境界線の意味も分かるな?」


 地面に白い縄が張られている。工事区画と通行区画を分ける境界だ。ひまわり市のイベント導線よりよほど分かりやすく、曖昧さがない。縄の外に立っている限りは安全、縄の中へ入れば自己判断ではなく許可が必要。縄が“怒られないための線”ではなく、“事故を起こさないための線”として置かれているのが伝わってくる。


「分かります。縄の外は見学、縄の内は作業。勝手に跨ぐと、現場が止まる」


「止まるだけならまだいい。人が動いている場所で止まると、別のところが危なくなる」


 グラントが看板の横にある小さな箱を指した。箱の蓋には札。


 帳簿閲覧票(無料)/必要なら一枚

 閲覧は小屋内にて(写し取り禁止)

 要点は朗読係が説明


「この工事の使途帳簿は、ここで閲覧票を取って、あっちの小屋で見る。写し取りは禁止。必要な説明は、朗読係がやる」


「ここにも朗読係がいるんだ……市場だけの仕組みじゃないんだね」


 美月が思わず身を乗り出す。ちょうど小屋の前から、小型ゴーレムが出てきた。胸の札には、相変わらず感情のない、けれど実に頼もしい文字。


 工事要点朗読係(第2型・屋外)


「屋外仕様って、型番があるのが、すごく制度だ」


「雨でも読む。風でも読む。現場は天気を選べないからな」


 グラントの言い方は、妙にまっすぐで、説教ではない。現場の事実を言っているだけだ。


 勇輝は閲覧票を取り、加奈と美月にも渡した。票は薄い木片で、指先で押すとほんのり温かい。魔法印が入っているのだろう。冷たい紙よりも、触った瞬間に「受け取った」と分かる。


「……この『入口』の作り方、ひまわり市でも応用できそうだな」


 勇輝が呟くと、レフィアが頷いた。


「閲覧の入口を作るのは、良い運用です。見せ方が整えば、疑いは減ります。見せる気がある、という形が先に立ちます」


 美月が首を傾げる。


「でも、入口があっても、読む人は増えないよね。正直」


「増えません」


 レフィアの即答が気持ちよく、加奈が思わず笑ってしまった。


「うん、そこは現実だよね。だから要点を読む係が必要で、看板は入口で、小屋が深いところ、っていう階段にしてるんだ」


「そうです。階段があると、人は自分の足で降りたと思えます。勝手に落とされるのと、入り口を選ぶのは、体感が違います」


「体感が違うって、行政の話としては大事だよな。納得の作り方が、段差で変わる」


 勇輝がそう言ったところで、グラントが一歩前へ出て釘を刺した。


「笑ってもいい。現場に余裕があるときはな。ただし縄の内側を、軽い気持ちで跨ぐな。跨いだ瞬間、こちらの責任が増える。責任が増えると、手が止まる」


「分かりました。縄は、守ります」


 勇輝がきっぱり言うと、グラントは頷いた。次に、手で小屋を示す。


「まず中で帳簿を見てから、現場へ出よう。順番を守った方が、見えるものが増える」


◆仮設小屋・帳簿閲覧と朗読係


 小屋の中はひんやりしていた。外の粉塵の匂いが薄れ、代わりに木の匂いと、乾いたインクの匂いがする。財務局の“紙の海”ほどの圧はない。ここは現場で、現場の帳簿は現場の呼吸をしている。


 棚には帳簿。やっぱり本だ。けれど背表紙の色が違う。真新しい綴じもあれば、角が丸くなったものもある。使われている痕跡が、露骨に見える。


 朗読係ゴーレムが、木片の閲覧票を受け取ると、胸の札が淡く光った。承認の仕草が、いちいち静かで正確だ。


「城壁保全契約協力金。今月分の支出。石灰、三十袋。砂、二十袋。補強金具、王都標準第二号、十五組。排水溝の石材、規格第三号、八枚……」


 淡々と読み上げられる言葉は、数字ばかりなのに、なぜか景色になる。袋が運ばれ、砂が積まれ、金具が嵌められ、溝が掘り起こされる。現場の手の動きが、帳簿の行間から透けて見える。


「……すごい。具体的すぎて、逆に気持ちが落ち着く」


 加奈がぽつりと言うと、グラントは机を指で軽く叩いた。


「取るだけなら嫌われる。だから、どこへ行ったかを見せる。見せても文句を言う者はいるが、それは当たり前だ」


「いるんだ」


 美月が素直に言うと、グラントは頷いた。否定しない。現場の現実として受け止めている。


「いる。だが、その文句は材料になる。次の規程を整える材料だ。文句があるなら、どこに穴があるかが分かる。穴が分かれば、埋められる」


 勇輝は思わず息を吸った。これは役所にも欲しい感覚だ。苦情を“厄介”で終わらせず、規程の改善へ繋げる道筋を最初から持っている。


「……うちの役所でも、文句は来ます。来るのは仕方ない。でも、材料にするって言い切れるのは強い」


「言い切れないと、現場は摩耗する。材料にするなら、文句は“燃料”にならない。燃えると、周りが焼ける」


 火の比喩が、妙に現場らしくて、加奈が小さく頷いた。


「燃えると、対応する人が一番苦しくなるもんね。材料にできるなら、負担の種類が変わる」


 朗読係は続けた。帳簿の横には、作業員の人数と日当の欄もある。交代手当の文字も見える。勇輝は昨日までの通行契約を思い出した。門番の交代手当。照明の蝋代。ここにも同じ考え方がある。


(見せ方が違っても、筋は通ってる。王都は“維持するために必要なもの”を、細かく切って見せている)


 美月が手を挙げる。挙げ方が控えめになっているのが、ちょっとだけ面白い。


「質問。これ、掲示板に全部書くと長いじゃないですか。市民、読まないですよね?」


 グラントは、うっすら笑った。現場の笑いだ。嘲る笑いではなく、「そういう質問は分かっている」という笑い。


「読まない。だから掲示板は入口だ。入口で目的と責任者と危険と連絡先を見せる。詳しく知りたい者だけ、ここへ来る。来た者には、ここで見せる」


 レフィアが頷く。


「入口があると、隠していないという形になります。形があると、誤解を止めやすい。誤解が止まると、余計な争点が減ります」


 美月が小さく呟いた。


「隠してないって示すの、地味に強い。派手なPRより、強い場所がある」


 勇輝が頷き返す。


「地味が強いのが、行政だよ。派手なことをするなら、その土台がまず地味でないと崩れる」


 美月が「それ、ちょっとかっこいい」と言いかけて、口を閉じた。軽率な称賛で条文が増える気がするらしい。そういう学び方をしている自分が、たぶん少し悔しくもあるのだろう。悔しそうな顔をするのに、ちゃんと止められるのが今日の美月だ。


 グラントは帳簿を閉じ、外を指した。


「よし。次は現場を見ろ。帳簿が景色になるかどうかは、目で確かめた方がいい」


◆城壁修繕の現場・継ぎ目を埋める手


 外へ出ると、作業がちょうど佳境だった。


 ひび割れた石の隙間に、石灰の泥が詰められ、へらでならされていく。手は早いが、雑ではない。削って、詰めて、ならして、押さえる。ひとつの継ぎ目に対して、手順が決まっている。決まっているから、慌てなくて済む。


 勇輝は、思わず見入ってしまった。


「目地を整えるだけで、こんなに見え方が変わるんだな。ちょっとした隙間が、ここまで印象を変えるとは思わなかった」


 グラントは頷いた。視線は手元ではなく城壁全体へ行っている。部分を見ながら全体を見ている目だ。


「城壁はな、全部新しくするより、継ぎ目を整える方が長持ちする。石は古い方が強い場所もある。新しい石を入れるなら、境目を誤魔化さない。境目が弱いと、そこから割れる」


 その言葉が、ひまわり市に重なる。制度の継ぎ目。部署の継ぎ目。手続きの継ぎ目。現場と庁舎の継ぎ目。全部を作り直すことはできない。けれど継ぎ目は整えられる。


(全部を作り直すんじゃなくて、つなぎ目を補強する。看板が条文だらけなのも、つなぎ目を見せているからか)


 加奈がふっと笑った。


「主任、今、すごく役所の顔してる。『全部は無理だから継ぎ目から』って、顔に書いてある」


「役所の顔って何だよ。そんな顔、鏡で見たくない」


「でも、その顔で考えたテンプレは、だいたい効くんだよね。現場が困らなくなるやつ」


 美月が端末を取り出しかけて、ぐっと止めた。代わりに紙のメモ帳を開く。手元の切り替えが、昨日より早い。


「……撮影の代わりに、描写で残す。石の匂いと、へらの音と、粉の舞い方。あと、作業員さんの手が止まらない感じ」


「それ、いいな。現場の雰囲気は写真より文章の方が残るときがある」


 勇輝が言うと、グラントが不意に尋ねた。


「撮影したいなら、許可区画があるぞ。勝手に撮るなと言っただけだ」


「あるの!?」


 美月の目が思わず輝いた。輝いたまま、すぐに落ち着こうとしているのが分かる。喜びを出し過ぎるとまた札が増えそう、という学びがあるらしい。


 グラントが指した先に、小さな枠が描かれている。地面に四角い白線。横に札。


 撮影許可区画:写し取りは石のみ

 禁止対象:人の顔/帳簿/紋章の細部/工具の刻印


「石だけって、縛りが徹底してるな」


「石は公共物だ。人は個人だ。帳簿は証拠だ。証拠は、扱い方を誤ると別の争いを呼ぶ」


 グラントの言葉は、やたら真っ直ぐだった。現場の人間が、現場の危険を減らすために言っている。それが伝わるから、押し付けに聞こえない。


 美月は恐る恐る白線の中に立ち、端末を構えた。角度を調整し、作業員の顔が入らない距離を探す。すると近くの朗読係が、小さく鳴った。注意喚起が“音”として入る。


「撮影許可区画。禁止対象:顔、帳簿、紋章の細部……規程に従って角度を調整してください」


「分かった、分かったから、今の声で監督されてる感じがすごい……!」


 美月が慌てて角度を変える。結果、画面に映ったのは――城壁の石のアップ。石の肌理と、埋められた目地の色の違いだけ。確かに許可範囲だ。だが、いわゆる“映え”ではない。


「……映えない。思ってた以上に映えない。石って、映えない」


 美月が真顔で言い、加奈が笑いをこらえきれず肩を震わせた。


「でも、今日の研修としては正解だよ。許可の範囲を守って、記録を取る。やってることが、ちゃんと役所だ」


 勇輝が頷く。


「映えなくていい。研修は、残る形が大事だ。残る形が地味なら、あとで効く」


 レフィアが淡々と付け足す。


「生き残る形が先です。記録は、あとから価値が増えます」


「レフィアさん、時々言葉が現場の標語みたいに強い」


「現場は標語で止まることがあります。短い言葉の方が動ける場面があるので」


 美月は端末をしまい、今度はメモ帳に“石だけ撮影可=境界の徹底”と書いた。書いている姿が、少しだけ誇らしげだ。自分で止められた、自分で守れた、という小さな達成がある。


◆魔法通信札・市長からの無茶提案


 そのとき、勇輝のポケットで魔法通信札が淡く光った。合図の仕方が軽くて、だから余計に嫌な予感がする。勇輝が札を開くと、市長の声が軽快に飛び出した。


『おーい! 市場どうだった? 門、しゃべってた? 朗読係、可愛かった?』


「しゃべってました。可愛いかどうかは、評価が難しいです。働き者なのは確実でした」


『働き者は正義! じゃあさ、ひまわり市も門にしゃべらせよう! 温泉通りの入口で“ようこそ”って言わせて、混雑のときは“通路幅二人分”って朗読するの!』


 勇輝は額に手を当てた。言い分が分かるのが余計に困る。やりたいことの方向は正しい。だが、やり方がいつも一足飛びだ。


「市長。発想は分かりますけど、門をしゃべらせるのは、先に仕組みと責任を決めないと危ないです。誰が管理して、どこまで言わせて、誤作動したら誰が止めるか、そこからです」


『そこは主任が整える! 主任、得意でしょ!』


「得意にしないでください。仕事が増えるだけです」


 加奈が横から口を挟む。市長の勢いを現場へ落とす“変換”が速い。


「でも市長、門は難しくても、要点放送ならできるかも。商店街の放送とか、観光案内の放送とか。『短く同じ文言で』ってやつ」


『いいね! 加奈ちゃん採用! 主任、帰ったら“要点朗読テンプレ”作ろう! あと、工事看板も放送で読もう! スライムに読ませたら、声がぷるぷるして――』


「そこは、人にしてください。スライムは可愛いかもしれませんけど、責任の所在が分かりにくくなります」


『責任! 主任、財務局に染まってきた!』


「染まってません。研修です。研修で見たものを、そのまま持ち帰ろうとしてるだけです」


 美月が小声で呟く。


「市長、テンプレが好きすぎる。あと、門にしゃべらせるって言い方が、なんか夢があるのに怖い」


 レフィアが珍しく少しだけ笑った。笑いは短いが、確かに混ざる。


「……良い市長です。面倒でも形に落としやすい方向へ押します。押す力があるのは、実務では助かります」


「面倒なのは確定なんですね」


『確定! じゃ、期待してる! 帰ったら報告会、楽しみにしてるよ!』


 通信が切れた。最後まで軽快で、最後まで仕事を増やしていった。


 勇輝は札をしまい、深く息を吐いてから言った。


「帰ったら門はしゃべらせない。要点放送は検討する。看板の書き方は、絶対に見直す。テンプレは……増える」


「増えるんだ」


 美月がじっと見てくる。


「増える。増えるけど、増え方を間違えない。現場の人が使える形にする。読むだけじゃなく、動ける形にする」


「それなら、私も手伝う。テンプレ作り、最近ちょっと楽しくなってきた。怖いけど」


「怖いと言えるなら、今のうちに一緒に整えよう。怖いまま放置すると、いつか現場が詰まる」


 美月が頷く。頷き方が真面目だ。ふざけたいのに、真面目が先に出る。研修旅行らしい成長だ。


◆差し入れ問題・“贈答”と“補給”の境界


 現場見学の締めに、グラントが言った。


「最後に一つ。工事は見せるだけじゃ足りない。危険がある。だから境界線を守れ。――それと、差し入れは禁止だ」


 加奈が手にしていた紙袋が、ぴくっと揺れた。ひまわり茶。温かいお茶は、現場で喜ばれそうなものだ。加奈は善意のスイッチが早いから、準備も早い。


「えっ……これ、だめ? 作業の合間に飲むと、ちょうどいいかなって思って」


 勇輝は(まずい)と思った。贈答、慰労、差し入れ。分類の刃が鋭い国だ。軽い気持ちが、軽い扱いを呼んでしまう。現場の善意が、制度の穴に落ちるのは避けたい。


 だが、レフィアが動くのは速い。止めるのも、言い換えるのも。


「差し入れではありません」


 加奈が固まる。今日二度目の“言い換えの瞬間”だ。


 レフィアは穏やかに、しかし確実に言葉を整えた。


「労働安全衛生の飲料補給としての提案です。ただし外部の者が持ち込むと贈答扱いになるなら、規定ルートを通す必要があります。こちらの工事規程に、補給の規定はありますか?」


 グラントが一瞬だけ目を丸くした。現場の人間が、現場の条文を思い出す顔になる。


「……ある。作業時間と気温に応じて、水分補給の回数が決まっている。だが外部が持ち込むと“贈答”になる。揉める」


「では、市場管理局の売店で購入し、工事側の会計で処理し、規定ルートで配布してください。こちらは購入費を負担します。領収票を取り、閲覧票の帳簿へ記録されるなら、制度上も説明がつきます」


 加奈の目が輝いた。


「え、じゃあ買えばいいんだ! 持ち込みじゃなくて、購入として。仕組みの中に入れればいいんだ」


「買えばいい。ただし領収票を取れ。領収票がないと、説明が崩れる」


 グラントの即答が、あまりにも現場と制度の中間で、勇輝は思わず笑ってしまった。


「領収票、異世界でも最強だな……いや、最強というより、説明の背骨だ」


「背骨が折れると、立てない。立てないと、現場が揺れる」


 グラントの言葉は、やはり現場の言葉だ。強いが、乱暴ではない。必要なだけの重さがある。


 美月が小声で言う。


「労働安全衛生の飲料補給って、言い方がやたらかっこいい……私、今度からそれ使いたい」


「使うなら、ちゃんと中身も一緒に。言葉だけ借りると、すぐ見抜かれる」


 勇輝が言うと、美月は素直に頷いた。


「うん。中身もセット。今日の私は、言い方と中身をセットで持ち帰る係」


 加奈が笑い、紙袋を抱え直した。


「じゃあ、市場管理局の売店で買おう。ちゃんと領収票もらって、ちゃんと記録に乗せてもらう。……なんか、こういうのが“整える”ってことなんだね」


 レフィアが小さく息を吐いた。


「はい。整えると、善意が善意のまま残ります。形がないと、善意が疑われます」


 加奈が頷き、勇輝も頷いた。ひまわり市でも、善意が疑いに変わる瞬間を何度も見てきた。だからこそ、この国の“形の作り方”は学びになる。


◆夕暮れ・城壁の色と、持ち帰る重さ


 夕方の城壁は、修繕した部分だけ、ほんの少し色が違った。新しい石ではない。古い石に、目地が埋まって、繋ぎ目が整っただけだ。だけどその“だけ”が、確かに強さを増やしているように見える。


 グラントは城壁を軽く叩いた。音は鈍く、深い。


「覚えて帰れ。石は嘘をつかない。だが人は忘れる。忘れるから、掲示を作る。記録を作る。入口を作る」


 勇輝は頷いた。


「だから、記録して、仕組みに落とす。継ぎ目を埋めて、穴を残さない。全部を変えるんじゃなくて、繋ぎ方を整える」


 レフィアが、小さく言った。


「……整えます」


 加奈が笑って頷く。


「ひまわり市の“継ぎ目”、いっぱいあるもんね。庁内だけでも、部署の繋ぎ目で迷子が出る時あるし」


「迷子って言い方が、急に現実的だな」


「現実だよ。迷子が出るって、手続きが迷子になるってことだから」


 美月は端末をしまいながら言った。


「帰ったら、看板がしゃべる前に、私がしゃべる。要点放送で。短く、同じ文言で、何度も。……今日、門と朗読係に鍛えられた気がする」


「門はしゃべらせないぞ」


「門はしゃべらせない!」


 三人の声が揃って、笑いが落ちた。現場の粉塵が舞う中で笑うのは不謹慎かと思ったが、違う。笑いがある方が、ちゃんと帰れる。帰って整えるために来ているのだから。


 勇輝は首元の黄色紐を指でつまみ、肩の重さを確かめた。重い。けれど嫌な重さではない。持ち帰って、使うための重さだ。


「重いな。でも、持って帰る価値がある。看板の書き方、閲覧票の入口、朗読係の配置、境界線の引き方。全部、ひまわり市の現場に刺さる」


 加奈が頷いた。


「刺さるね。特に、入口があるってだけで安心する人がいる、ってところ。ひまわり市でも、やれそう。……読まれなくても、入口を作る」


 美月が笑って、すぐ真面目に戻る。


「読まれなくても入口。入口があると、隠してないって示せる。地味が強い。今日、それ分かった」


 レフィアが小さく頷いた。


「持ち帰るなら、文言だけでなく運用も。誰が読むか、どこで読むか、いつ読むか。責任が置ける形にして初めて、仕組みになります」


「分かりました。市長には……門はしゃべらせないって言い切る」


 勇輝が言うと、加奈と美月が同時に頷いた。


「言い切ろう」

「言い切ろう」


 三人の足音が、城壁沿いの石畳に重なっていく。夕暮れの風は冷え始めていたが、現場で見た“整え方”が、どこか体の奥を温めていた。


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