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第121話「魔法契約と印鑑文化」

 ひまわり市役所・異世界経済部――の隣、市民課の窓口が今日はやけにざわついていた。

 ざわつく日はだいたい、ろくなことがない。


「主任! 来ました! “ろくなことがない”やつです!」

 美月が、いつもの“悪いニュースほど元気”な声で飛び込んでくる。


「来なくていいから帰れ」

「帰れません! 窓口が詰まってます! 理由は――」


 美月が紙を掲げた。

 そこには、黒いインクで美しく書かれた文面。端には赤黒い光が揺れている。


「……魔法契約書?」

「はい! しかも“市役所に提出する契約書”です!」

「提出先を間違えてない?」

「間違えてません! 相手が“市”です!」

「最悪!」


 隣で加奈が、コーヒーを持ったまま固まる。


「市が契約するの……?」

「することもある。協定とか、委託とか、いろいろ……でも、魔法は聞いてない」


 そのとき、廊下の奥から市長の声がした。


「魔法契約? 面白いじゃないか」

「市長、面白がらないでください! 役所の胃が死にます!」


 窓口に着くと、そこには“提出者”がいた。

 魔族の商人――フォルミナ魔導商会の使者らしい。黒い外套に、やたら丁寧な所作。

 机の上には魔法契約書がどん、と置かれている。


「ひまわり市に、供給契約を」

「供給契約?」

 勇輝が眉をひそめる。


「魔石……ではなく、“共鳴石”の定期供給だ。

 ドラゴン停留所の夜間連絡に必要だろう?」

「必要だけど! 必要だけど、なんで契約書が光ってるんだ!」


 使者は、当然のように言う。


「契約とは、魔法だ。

 署名すれば、双方の魂に刻まれ、破れば呪いが発動する」

「やめろぉぉ!! 公共契約に呪いを付けるな!!」


 窓口の職員が小声で言った。


「主任……それで、押印欄がないんです……」

「押印欄がない!? そこ!?」


 使者が首を傾げる。


「押印? 印鑑? それは何だ」

「日本の契約文化の一部だよ。本人確認と意思表示のための“印”」

「意思表示なら署名で足りるだろう」

「足りる足りないはさておき、うちは“印”で回ってるんだよ!」


 美月が横から言う。


「押印文化 vs 魔法契約文化! 文明の衝突!」

「実況するな!」


 異世界経済部の会議室(会議室が潰れて迷子センターになったので、今日は“余ってる机の島”)に関係部署が集められた。


総務(契約・文書)


財務(支出と支払い)


市民課(本人確認まわり)


環境課(なぜか同席)


異世界経済部


「結論から言う」

 勇輝が机を叩く。


「呪い付き契約は無理」

 全員が頷いた。そこだけは一致した。奇跡だ。


 総務が言う。


「契約は、議会の議決や決裁手続きも必要です。

 “魂に刻む”とか、法的根拠が……」

「根拠以前に怖い」


 財務が青い顔で言う。


「支払い遅延で呪いが発動したらどうなるんですか」

「財務が呪われる未来しか見えない!」


 市民課が真顔で言った。


「本人確認はどうします?

 魔族は人間の身分証が……」

「そこも課題だ」


 美月が手を挙げる。


「じゃあ、契約書を“市の様式”に合わせてもらえばいいじゃないですか!」

「それができたら苦労しない。相手の文化もある」


 そこへ、市長が軽く手を叩いた。


「なら“翻訳”すればいい」

「翻訳?」

「契約の目的は同じだろう。

 供給する。支払う。守る。

 その意思表示の方法が違うだけだ」


 加奈が小声で言った。


「いつもみたいに、“制度に落とす”ってことだよね」

「そう。胃が痛いけど、それしかない」


 勇輝は、魔族使者を会議に呼び入れた。

 使者は椅子に座ると同時に、机の上の契約書がまた光る。やめろ。


「まず確認。あなた方の契約は“破ると呪い”」

「当然だ。契約とは縛りだ」

「こっちは、破ったら“損害賠償”とか“解除”とか“裁判”だ。呪いじゃない」

「裁判? 呪いより回りくどいな」

「回りくどいのが文明なんだよ!」


 総務が静かに切り込む。


「“呪い条項”は削除できますか」

「削除? 契約が契約でなくなる」

「なら代替を用意します」

 勇輝が言った。


「市の契約は“公的手続き”と“公印”で担保する。

 あなた方は“魔法紋”で担保する。

 なら――両方を並べる」


 使者が目を細める。


「両方?」

「うちの契約書に、あなた方の魔法紋欄を追加する。

 ただし、魔法紋は“呪い発動”じゃなく、“真正性の証明”に限定する」

「真正性……」

「誰が合意したか、改ざんされてないか。そこだけ魔法で担保してくれ。

 呪いは無し。公共だから」


 財務がすかさず言う。


「支払い遅延は、遅延利息と協議で……呪いじゃなく」

「呪いじゃなく!」


 使者は少し考え、ゆっくり頷いた。


「……呪いは、“悪意ある破棄”への抑止だ。

 だが、真正性だけでも一定の意味はある」

「よし、第一関門突破」


 美月が小声で拍手している。

「今の、交渉っぽい……!」

「お前、静かにしてろ!」


 次の問題は“印鑑”だった。


「日本の契約は、署名と押印が基本です」

 総務が丁寧に説明する。


「押印は“印鑑”という印で、本人や組織の意思を示す文化です。

 市の場合は“公印”が必要です」

「公印……市の“紋章”のようなものか」

「まあ近い」


 使者が言う。


「なら、我らの魔法紋も“印”だ。

 同じではないか」

「そう! そこを橋にする!」


 勇輝は、即席の新様式を作った。


共鳴石供給契約(暫定・異界併記)


契約当事者:ひまわり市(公印)/フォルミナ魔導商会(魔法紋+署名)


本文:供給内容・単価・納期・検収・支払い


解除:協議・通知期間


紛争:異界仲裁(参考)+市の手続き(優先)


改ざん防止:魔法紋は“真正性証明のみ”


呪い条項:不採用(公共契約のため)


「“不採用”って書くの強いな……」

 市民課が呟く。

「強く書かないと戻ってくる」


 加奈が見やすく整えた紙を、使者に差し出す。


「こういう形なら、町の人も安心できると思う」

「……なるほど。人の安心を重んじるのだな」

「役所は安心を配る仕事でもあるんだよ」


 最後の山場は、押印の瞬間だった。


 市長が公印の箱を持ってきた。

 ずっしり重い。箱だけで威厳がある。

 勇輝は逆に胃が重い。


「市長、本当に押すんですか」

「押す。必要だろう?」

「必要ですけど、これ、光らないですよね」

「光らせたいのか?」

「いらない!!」


 総務が公印規程に沿って、丁寧に手順を確認する。

 決裁。日付。押印位置。割印。保管記録。


 そして、市長が――ぽん、と公印を押した。


 次に、使者が魔法紋を“印”として置く。

 紙の上に、淡い光の紋章が浮かび、すっと沈む。


 職員たちが息を呑んだ。


「……改ざん、できないやつだ」

 財務がぽつりと言う。


「うちの契約書が、急に強そうになった」

 環境課がなぜか感動している。


 美月が顔を近づけた。

「写真撮っていいですか?」

「だめ!! 契約書は映えじゃない!!」


 加奈が笑って、勇輝の袖を引く。


「勇輝、ほら。今日の勝ち筋、ちゃんと見えたね」

「……見えた。

 “印鑑”と“魔法紋”が、同じ“意思表示”として並んだ」


 市長が満足げに言った。


「よし。これで共鳴石の供給は安定する」

「安定するまでが仕事じゃなくて、安定してからも仕事なんですよ……」


 使者が立ち上がり、静かに言った。


「ひまわり市は、奇妙だが信頼できる。

 呪いがなくとも、縛りは成立する」

「縛りって言い方が怖いけど、褒め言葉として受け取る」


 その夜、異世界経済部の机に一枚の紙が貼られた。


『魔法契約書の持ち込みについて

 市は“市の契約様式”により対応します

 魔法紋は真正性証明として併記可(呪い不可)』


「“呪い不可”って掲示がある役所、嫌すぎる」

 勇輝は笑ってため息をついた。


 美月が言う。


「でも課長、今日で“異界契約対応”のテンプレができましたね!」

「できた。

 そして次は絶対来る」


 加奈が頷く。


「“ハンコ”の話、まだ続きそうだね」

「続く。だって、次の相手が――」


 廊下の向こうから、やけに涼しい声が聞こえた。


「……印鑑? そんなもの、信用できるの?」


 勇輝は顔を上げ、胃の準備運動を始めた。


次回予告


エルフ、ハンコを信用しない。

署名こそ誠実、印は偽装――価値観が真っ向衝突。

「エルフ、ハンコを信用しない」――勇輝、文化の壁に判子を押す!

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