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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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1177/2142

第1177話「彫刻に保険証は出せますか:公園の像が“住民登録”を要求」

◆朝・中央公園で、石は挨拶から始めてくれなかった


 朝のひまわり中央公園は、いつもなら、生活のほうが観光より先にある。

 犬の散歩をする人。登校前に少しだけ寄り道する子ども。ベンチで缶コーヒーを飲みながら、新聞を半分だけ読むおじさん。噴水の縁を歩く鳩。遠くの遊具から、まだ眠そうな笑い声。

 町の真ん中にある公園なのに、朝だけは、誰のものでもない時間みたいに静かだ。


 その真ん中に、妖精界から寄贈された新しい彫刻が一体、すまして立っていた。

 翼をたたんだ竜を思わせる、黒みがかった石の像。表面は磨きすぎていないから、朝の光が当たると鈍く落ち着いて見える。子どもが撫でたくなる丸みもあるのに、見上げればちゃんと“守っているもの”の顔になる。設置されたのは三日前で、昨日までは「思ったより怖くないね」「でも夜は少し迫力あるね」と、町の人の会話にほどよく混ざる程度の存在感だった。


 ……立っている、まではよかった。


「おはよう、ひまわり市」


 彫刻が、しゃべった。


 しかも妙に落ち着いた、通る声で。


 公園の空気が、一秒だけ固まる。

 次の瞬間、登校前の小学生が喉の奥から本気の悲鳴を出した。


「しゃべったぁぁぁ!」

「うそだろ!」

「いま目が光った! ほら、光った!」


 犬が吠え、飼い主が反射でリードを短く引き、ベンチの缶コーヒーのおじさんは目だけを上げて、あまり感心も驚きもない声で「時代だな」と言った。

 時代じゃない。


 像はその騒ぎをまるで気に留めず、続けた。


「私は町の一員である」

「よって、住民票を発行せよ」

「保険証も欲しい」

「選挙権については、急がぬ」


 最後だけ妙に現実的だった。

 急がぬ、の前にそこまで考えているのが怖い。要求の順番に、本人なりの礼儀と欲の整理が見える。


 公園管理の臨時巡回をしていた職員が、その場で携帯を取り出した。指の動きが速い。これはもう役所案件の速度だった。


 五分後。

 異世界経済部のドアは、美月が押し開けるというより、勢いで叩きつけるみたいに開いた。


◆午前・“公園案件”、今回の火種は石だった


「主任! 公園の彫刻が住民票欲しがってます!」


 朝の机へ置いたばかりの湯気の上がるマグカップが、その一声で一気に現実へ戻る。

 勇輝は椅子から半分立ち上がり、いったん深く息を吸った。


「朝から日本語が追いつかない」

「追いついてください。しかも要求が具体的なんです。『住民票』『保険証』『選挙権は急がぬ』まで言いました」

「急がぬって、いずれ欲しい前提なのか……」

「そこがいちばん怖いです」


 加奈が、喫茶ひまわりから差し入れに持ってきた紙袋を机へ置きながら、目を丸くする。


「住民票って、あの住民票?」

「たぶん別の住民票だったら、むしろ助かる」

 勇輝が返すと、美月が端末を差し出した。


 すでに動画が回っていた。

 像がしゃべる。子どもが叫ぶ。犬が吠える。最後に低く「住民票を発行せよ」。

 短く切り抜かれているせいで、情報量より迫力のほうが強い。嫌な伸び方をする動画の典型だ。


「コメント欄、二極化してます」

 美月が読み上げる。

「『かわいい、あげて』『税金で石に保険証?』『そもそも公園にしゃべる像を置くな』『選挙権は急がぬって賢い』」

「賢いの褒め方が雑なんだよな」

 勇輝が言うと、加奈が苦笑した。

「でも、空気は読んでるよね。最初に選挙権を言い切らないあたり」

「そこ読まなくていいんですけどね」

 美月が即座に返す。


 市長が聞きつけて入ってきたのは、その直後だった。足音の時点でやる気があった。扉を開けるなり、目が輝いている。


「いいじゃないか! 町の象徴が“市民になりたい”って言ってるんだろ!」

「市長、それは感動の入り口としては正しいです」


 勇輝は慎重に言葉をつないだ。


「でも、住民票は感動で出せません。制度です。出せる対象が決まってる」

「制度だって、時代で変わるじゃないか」

「変えるなら議会と法務と戸籍住民課と保険年金課が先です。公園の朝のノリでは変えられません」


 市長はさすがに一拍止まった。そこへ加奈が静かに言う。


「でも、像が欲しかったの、ほんとに住民票そのものかな」

「紙が欲しいっていうより、“ちゃんと町の側だって言ってほしい”のかもしれないよ」

 勇輝はその言葉を聞いて、資料棚へ手を伸ばした。

 異界住民対応のファイル。ドラゴン、エルフ、魔族、スライム、幽界由来の影住民まで、ここ数年で増えるたびに運用を広げてきた記録が詰まっている。だが、今回だけは分類の根が違う。


「彫刻は……人じゃない」

「でも、意思がある」

「意思があるなら住民?」

「いや、住民基本台帳の“住民”は意思だけじゃない」


 美月がきっぱり言った。


「ここを曖昧にすると窓口が死にます。今日中に“出せるのか出せないのか”を決めて、出せないなら代替を作る。住民票そのものじゃなくても、“町に属している証明”があれば火はかなり下がるはずです」

「正しい」


 勇輝は頷いた。

「まず戸籍住民課、法務、公園管理を呼ぶ。あと、設置物台帳も確認する。像が“何として”置かれてるのかを押さえないと話が始まらない」

「私、先に現場行ってみる」


 加奈が手を挙げる。


「相手の性格が分かった方が早い。命令形で押してくるのか、話せば分かるのか、それだけでも違う」

「相手って」

 美月が言いかけて、自分で止まった。

「……いや、もう相手でいいですね。しゃべってますし」

「相手です」

 勇輝は頷いた。

「じゃあ加奈、先に見てきて。煽らないで、でも変に下手にも出すぎないように」

「わかった。喫茶の接客のいちばん難しいやつだね」

「町全体が接客みたいになってるなあ」

 市長が言い、勇輝は「今日は特にそうです」と返した。


◆現場・像は礼儀正しいのに、語尾だけ強かった


 昼前、公園へ着くと、像のまわりには簡易ロープが張られていた。子どもが近づきすぎないように、公園管理の職員が苦労して作ったらしい輪だ。だがロープの外にはすでに人だかりがある。近所の人、通りすがり、動画を見て来たらしい若い二人組。まるで小さな新名所だ。


 像はその中心で、変わらず静かに立っていた。

 近づくと、視線だけがこちらを追う。石なのに、視線がある。この違和感が、たぶん一番生き物っぽい。


 加奈が先に声をかけた。


「おはよう」

 像の表面が、ほんの少しだけ明るくなる。

「おはよう、喫茶の者」

「喫茶の者って何」

 美月が小声で突っ込み、勇輝は一瞬だけ笑いそうになってこらえた。


 像は、そのまま勇輝へ視線を向けた。

「私は町の中心に置かれた。見られ、触れられ、語られ、写真を撮られる。ならば私は“町の一員”である。証明を寄越せ」

 最後だけ強い。

 文は整っているのに、語尾が命令で飛んでくる。言葉を選べる相手だからこそ、その命令形が余計に刺さる。


 勇輝は一歩前へ出て、できるだけ落ち着いた声を作った。


「要望は分かりました。ただ、住民票は“人が住んでいる”ことの証明です。今の制度では、あなたは……ええと、意思はあるけど、“人”としては扱われていない」

 像は、ぴたりと黙る。

 次に来るのが「なら人にしろ」だったら厄介だと勇輝は思った。


 だが、像は意外と論点が鋭かった。


「ならば私は、何なのだ」

「設置物か」

「資産か」

「“物”としてのみ扱うのか」


 質問がかなり本質を突いていた。

 美月の端末を握る手に力が入る。ここで一言雑に返せば、“役所、しゃべる像を物扱い”だけが切り取られて走る。


 加奈が、そこでやわらかく言葉を置いた。


「物として置いたから、物としてしか見ないんじゃないよ。あなたが今、言葉を持ってるから、私たちは“相手”として話してる。ただ、役所の仕組みは一気に変えられないんだ」

 像は少し考え、それから低く言う。

「仕組みが変えられないなら、仕組みの中に私の場所を作れ」

 勇輝は、その言い方に妙に感心してしまった。命令形で来るくせに、論点はちゃんと制度側へ置いてくる。

「分かりました」


 勇輝は頷く。


「今日中に“場所”を提案します。住民票が無理でも、あなたが町に属していることを証明する仕組みを」

 像はわずかに光を落ち着かせた。

「期待する」

 相変わらず語尾が強い。

 だが、そこで話はちゃんとつながった。


◆午後のつづき・“選挙権は急がぬ”を笑って流すには、先に線を引いておく必要があった


 会議が一段落しかけたころ、選挙管理委員会の職員が資料を抱えて遅れて入ってきた。呼ばれていたのに別室対応で遅れたらしい。席に着くなり、事情を聞いてから眼鏡の位置を直した。


「確認ですが、本人が選挙権について言及した件は、正式な要望として受けるんですか」

「受けません」

 勇輝が即答すると、職員は少しだけ安心した顔になる。

「よかった。そこを“今回は急がないそうです”みたいな処理にされると困るので」

「さすがにしません」

 美月が真顔で言う。

「でも、笑い話として流すだけも危ないですよね。動画だけ見た人が“じゃあそのうち出るの?”って勘違いする」

「その通りです」


 勇輝はホワイトボードの隅へ、新しく線を引いた。


『町の仲間登録で付与するもの』

 名称

 役割

 点検・補修の約束

 公開情報


『付与しないもの』

 住民票

 保険証

 選挙権

 納税義務

 法的主体性


「ここを明記しましょう」

 勇輝が言う。

「“仲間登録”は、住民制度の代替ではありません。町が公認して、役割とケアを見える形にするだけ。権利の束をごっそり渡す制度ではない」

 法務担当も頷く。

「ここが曖昧だと、“人格を認めたのだから次も”が続きます。境界は最初にきちんと見せたほうがいい」

 加奈は、その“付与しないもの”の列を見て少しだけ眉を下げた。

「なんか、こうして並ぶと冷たいね」

「冷たいです」


 美月が頷く。


「でも、冷たい線がないと、“何となくいけるかも”のまま期待だけ広がります。あとでダメって言う方が、たぶんずっと冷たい」

 市長も、その言い方には素直に乗った。

「よし。なら、説明は最初から丁寧にだ。“仲間です、でも住民制度とは別です”をセットで言う」

「そのほうが、かえって像本人にも誠実ですね」

 勇輝はそう言った。

「できないことを曖昧にしないのも、相手をちゃんと相手と見るってことだと思うので」


 そこで公園管理の職員が、別の懸念を出した。

「あと、これを聞いた他の設置物が続いたらどうします」

「他の?」

 市長が聞き返すと、職員は淡々と数え始めた。

「時計塔。噴水脇の妖精像。駅前の観光モニュメント。壁画はすでに夜間移動登録があります。『なぜ像だけ仲間で、うちは違うのか』が出る可能性はあります」

「うわ」

 美月が顔をしかめた。

「制度を作ると、必ず横並びの問いが来る」

「だから要件が必要です」


 勇輝はさらに項目を足した。


『仲間登録の要件(案)』

 一、継続的な意思表示が確認できる

 二、市の公共空間で公式な役割を持つ

 三、管理責任者が明確である

 四、維持管理台帳と紐付け可能である


「しゃべっただけで全員仲間にすると、公園が議会になります」

 勇輝が言うと、美月が「地獄」と短く呟き、加奈は耐えきれずに笑った。

「でも、それなら線はきれいだね。ちゃんと役割があって、町の側が責任を持てるものだけ」

「そう。驚いたから認める、かわいそうだから認める、ではない。町の運用へ乗るかどうかで見る」

 勇輝のその整理に、選挙管理委員会の職員もかなり安心した顔になった。


◆午後・戸籍住民課は扉を閉める役ではなく、扉の形を決める役だった


 午後の臨時会議は、かなり顔ぶれが重かった。戸籍住民課、公園管理、財務、法務、保険年金課、総務、そして異世界経済部。市長まで同席している。会議室の空気が少し固いのは、これはもう“面白い案件”ではなく“どこまで制度を触るか”の話だからだ。


 最初に戸籍住民課の職員が、かなりはっきり結論を言った。


「住民基本台帳の住民票は、対象が“個人”です。今の法令上、彫刻はそこへ入りません」

 言い方は丁寧だが、扉は固い。

 市長が口を挟みそうになるのを、勇輝が視線で止めた。ここで感動を持ち出すと、制度の担当者がただ困る。


 法務担当が続ける。


「意思があることと、法的主体であることは同じではありません。条例で新しい資格を作る手もゼロではありませんが、今日の今日で議論する話ではない。議会も揉めますし、他制度との整合も要る」

「住民票と保険証は、今すぐは無理」

 美月が要約すると、法務担当は頷いた。

「はい。ただし」

 勇輝が身を乗り出す。

「ただし?」

「住民票“ではない”証明なら作れます」


 法務担当は資料をめくった。


「公園の設置物台帳と紐付ける形で、“市の公認する仲間登録”のような制度なら、資産管理の枠を崩さずにできます。住民ではない。しかし、町の中で固有の役割と名称を持って存在していることは示せる」

 公園管理の職員がすぐに乗る。

「台帳番号ならあります。設置日、材質、点検記録、設置目的。そこへ“意思表示あり”とか“見守り協力あり”を書き足すのは……かなり変ですが、枠はあります」

 保険年金課の職員も、少しほっとした顔をした。

「保険証の代替としては使えませんが、少なくとも“町にいる根拠”を別の紙で示せるなら、窓口で毎回“対象外です”だけを言わなくて済む」


 美月が即座に言う。

「住民票じゃなくても、“この町にいる正式な存在”って説明できれば、受け取る側の空気はかなり変わります。番号だけだと冷たいので、表に見える名前と役割も欲しい」

 加奈が頷く。

「本人が欲しいの、たぶん“税金のサービス全部”じゃなくて、“お前はただの置物じゃない”って言葉なんだと思う。番号だけじゃ足りない」

「なら、表は認定証、裏は台帳番号にしましょう」


 勇輝はホワイトボードへ書き始めた。


 住民票・保険証は発行しない。

 代わりに「ひまわり市公認 町の仲間登録(仮称)」を創設。

 根拠は公園設置物台帳。

 交付物は認定プレート(表)+台帳番号(裏)+QRで公開できる範囲の情報。

 さらに、愛称と役割を登録する。たとえば“見守り像”“集合目印”“夜間注意喚起協力”など。


 市長がそこで元気よく言った。

「よし! 『ひまわり市 公認町の仲間証』だ!」

「名前が急に雑です」

 美月が言うと、市長は胸を張る。

「雑でいい! 分かりやすい!」

「雑にしていいのは愛称です。正式名称はもう少し整えます」

 勇輝が返すと、公園管理の職員が小さく笑った。


 佐伯課長は、その流れを黙って聞いていたが、最後に静かに釘を打つ。


「印刷費は最低限にしてください」

「紙じゃなく、金属プレートへ刻印でどうでしょう」


 美月がすぐ対案を出す。


「台座に固定。紛失しません。QRは小さく添える。窓口の再発行業務、増やしません」

「それなら助かります」

 戸籍住民課の職員が心底ありがたそうに言った。

 今日いちばん人間らしい声だった。


◆午後後半・“名前”がないと、町は呼び方に困るし、像も自分の立ち位置を持てない


 認定プレートへ何を書くかを詰める段になって、もう一つ問題が出た。

 登録名と愛称である。


 公園管理の台帳上の正式名称は、「中央公園妖精界寄贈石像(竜翼型)」になっていた。呼びづらい。役所としては分かりやすいが、町の人が日常で使うには向かない。それに、像本人がこの名前を気に入るかどうかも怪しかった。


「正式名称はこのままでいいと思います」

 法務担当が言う。

「台帳上の識別としては十分です」

「でも表に見せる名前がこれだと、子どもが絶対に覚えません」

 加奈が言う。

「“集合は中央公園妖精界寄贈石像の前ね”って、毎日言うのしんどい」

「それはしんどい」

 市長も即座に頷く。

「愛称は必要だな。町が呼べる名前」

「愛称を誰が決めるかですね」

 美月が端末へ打ち込みながら言う。

「市が勝手につけると、今度は像本人が“違う”と言いそう」

「たしかに」

 勇輝は少し考えてから言った。

「本人に希望を聞きましょう。ただし、長すぎるのと難しすぎるのは避ける方向で」


 公園へ戻ってその話をすると、像は少しだけ考え込んだ。

「名はある」

 そう言って、低く続ける。

「だが、竜の古語である。おまえたちは舌を噛む」

「噛むでしょうね」


 美月が正直に言う。


「かなりの確率で噛みます」

 加奈が笑いながら補う。

「町の人が毎日呼べる名前の方がいいよ。呼ばれた方が、たぶん仲間っぽいし」

 像は少しだけ黙り、それから不承不承のように言った。

「では、翼を意味する短い名を使え。ツバサ、と」

「ツバサ、いいね」


 加奈がすぐに笑う。


「呼びやすいし、この像らしい」

「漢字どうします?」

 美月が聞く。

「ひらがなよりカタカナの方が、像の感じには合うかな」

「愛称はカタカナでいきましょう」

 勇輝が決める。

「正式登録名は硬く、愛称は町が呼びやすく。ここも二層にします」

「二層好きだねえ」

 市長が言うと、勇輝は苦笑した。

「一つにすると、どちらかが困るので」


 それからさらに、役割の表記も調整された。

 最初は「見守り像」だけでよかったが、像本人が「見守るだけではない」と不服そうだったので、最終的に「集合目印」「夜間注意喚起」「観光案内(範囲内)」まで入った。これなら本人の矜持も、公園管理の現実も、どちらも少し守れる。


◆午後遅く・像が欲しかったのは“権利の束”より、欠けたときに見捨てられない保証だった


 会議が一段落したところで、加奈がぽつりと言った。


「でもさ、保険証って言ったの、ほんとに医療の真似だったのかな」

「え?」

 勇輝が見ると、加奈は少し考えながら続ける。

「この像、子どもに触られたり、雨風に当たったり、公園でずっと立ってるでしょ。もしかして“自分が欠けたり傷んだりした時に、ちゃんと手当てしてもらえる証拠”が欲しかったのかも」

 その一言で、会議室の空気が変わった。

 公園管理の職員が資料を見返す。

「設置物の補修予算はあります。あるけど、“普通の設置物としての補修”です。本人の意思を考えた前提ではない」

「そこだな」


 勇輝がすぐに掴む。


「住民票の代わりに所属を示す。保険証の代わりにケアを示す。つまり、“仲間登録”に加えて、“ケア台帳”を見える形にする」

「ケア台帳?」


 美月が聞き返す。


「点検頻度、補修の相談窓口、異常があったときの連絡先。像にとっての“見捨てられません”の証明だ」

 法務担当も、それならかなり収まりがいいと頷く。

「公園設置物としての維持管理義務を、対外的に見える形にしたものと解釈できます。“人格権”の話ではなく、“公認した存在へ継続的ケアを行う”という行政運用です」

 加奈が嬉しそうに言う。

「それ、いい。住民票は“ここにいる”、保険証は“何かあった時に見てもらえる”。像が欲しいの、結局そこだったんだね」

 市長も珍しく静かに頷いた。

「権利の全部が欲しいんじゃなくて、“置きっぱなしにされるのは嫌だ”ってことか」

「たぶん、そうです」

 勇輝は言った。

「町の真ん中へ置かれて、見られて、触られて、役割まで持って、それでも壊れたらただの資産扱いで後回し――それが嫌だったんでしょう」


 その理解が出たことで、“保険証は無理です”の言い方も変わった。ただ制度上出せないではなく、“代わりに、ケアの約束を見える形で示す”。その方が、像にも、町にも、ずっと誠実だった。


◆午後・“税金で石を市民にするのか”という声へ、役所は言葉の順番で答えなければならない


 会議室の中で方針が見えたところで、次は外の空気を整える必要があった。動画は伸びている。公園には見物人が集まる。市長の耳にも「すごいですね」「面白いですね」と一緒に、「でも税金でそこまで?」という声が届き始めていた。


 広報の打ち合わせは、いつもより少し早い時間に始まった。

 美月が端末を前へ置く。


「この案件、“住民票は出ません”だけ先に出すと、今度は『じゃあ役所が像をいじめた』の方向に流れます。逆に『町の仲間にします』だけ出すと、『税金で石を市民に?』が強くなる。順番が大事です」

「どう出す?」

 勇輝が聞くと、美月は迷いなく答えた。

「まず、“住民制度の対象外であること”を一行で明記します。そのうえで、“ただし、公園で公式な役割を持つ存在として、市の管理台帳と紐付いた公認登録を行います”を続ける。否定と代替を切らない」

「いい」

 勇輝は頷く。

「できないことだけ出すと冷たい。できることだけ出すと誤解される。その二つを同じ文に入れる」

 加奈もその方針に賛成した。

「“ダメでした”じゃなくて、“住民票ではなく、別の形で場所を作りました”ってわかれば、見た人の気持ちも少し落ち着くと思う」


 市長は腕を組み、珍しく慎重に言った。

「“税金で石に保険証”は違う。そこは明確にしないとな」

「はい。ケア台帳も“新たな給付”ではなく、“既存の設置物維持管理を見える化したもの”として説明します」

 佐伯課長が補った。

「新しい支出だけが増える話ではありません。既存の予算に、説明の形を与えるだけです。そこを誤解されると面倒が増える」

「面倒の増え方が、今日は全部ちゃんと嫌ですね」

 美月が真顔で言い、加奈が小さく笑った。


 結果、広報文はかなり慎重に整えられた。


『中央公園の寄贈彫刻について、住民票・保険証の発行は制度上行いません。』

『一方で、公園内で公式な役割を持ち、継続的な意思表示が確認されたことから、市の設置物台帳と紐付く「町の仲間登録」を行い、名称・役割・点検体制を明示しました。』

『新たな住民制度の創設ではなく、既存の維持管理に説明責任を加える対応です。』


「これなら、“市民化した”とも“突き放した”とも読まれにくいですね」

 美月が言う。

「読まれにくい、が広報の勝ちです」

 勇輝が返すと、市長が「地味だなあ」と言い、佐伯課長が「地味で結構です」と返した。


◆午後遅く・像本人に“できないこと”を伝えるのは、住民より先に役所の礼儀だった


 公園へ戻る前に、勇輝はもう一つだけ必要だと思ったことがあった。

 役所の内部で「住民票は出せない」「保険証も出せない」と整理できても、それを像本人へ、ちゃんと一本の言葉として渡していない。朝は現場対応で流した。午後は会議に追われた。だが、相手が言葉を持っている以上、最後に本人へ言わずに済ませるのは、町の側の礼儀として座りが悪い。


 だから交付の前、勇輝はロープの内側へ一歩だけ入り、像の正面へ立った。

「先に言います。住民票は出せません。保険証も出せません」

 像は黙って聞いている。

「理由は、あなたを拒みたいからではなく、今の制度がそこまでを想定していないからです。でも、それで終わらせないために、別の形を持ってきました」


 像は少し光を揺らした。

「できぬことを先に言うのは、冷たい」

「そうです」

 勇輝は認めた。

「でも、できると曖昧にして、あとで裏切るほうが、たぶんずっと冷たい」

 像はしばらく黙ったあと、低く言った。

「……ならば、先に冷たい方がよい」

 その返しに、勇輝は少しだけ救われた。

 制度の担当をしていると、否定を告げるたびに、自分が狭い箱の番人になったみたいな気持ちになることがある。だが、番人で終わらないように、今日は代わりの場所まで持ってきている。その順番を本人へ直接言えたことで、ようやく今日の仕事が自分の中でも一本につながった気がした。


 加奈があとから合流し、その会話を聞いていたらしく小さく言った。

「ちゃんと本人に先に言うの、よかったね」

「うん。広報より先に言うべきだった」

 勇輝が答えると、加奈は頷いた。

「“町がどう見るか”より前に、“相手にどう渡すか”があるもんね」


◆夕方・交付式というより、居場所の確認だった


 夕方、再び中央公園へ向かう。

 台座の前には、朝より少しだけ多い人が集まっていた。像がしゃべることが半日でかなり広まり、しかも役所が何か持ってくるらしいと知っている人たちだ。


 金属プレートは思ったより小ぶりだった。だが、文字ははっきり読める。


『ひまわり市公認 町の仲間登録』

『登録名:見守りの竜翼像』

『愛称:ツバサ』

『設置物台帳番号:P-01-IS-047』

『役割:集合目印/夜間注意喚起/観光案内(範囲内)』

『ケア情報:月一外観点検・年一固定具確認・異常時連絡先あり』


 番号が妙に強い。美月が小さく言う。

「P-01-IS-047、かっこいいですね」

「そこへ反応するんだな」

 勇輝が言うと、美月は真顔で頷いた。

「番号は強いです。人は番号に安心する時があるので」


 像は、そのプレートを見下ろして、しばらく黙っていた。

 公園のざわめきまで、その数秒だけ細くなる。

 やがて像が低く言った。


「……私は、物ではなく、仲間か」

「仲間です」

 加奈が、正面から頷いた。

「住民票とは違う。でも、ここにあなたの場所がある。壊れたら見てもらえるし、役割もある。逃げない場所だよ」

 像の光が少しだけやわらぐ。

「では、保険証は」

「それは無理」

 勇輝が即答すると、像は一拍置いてから、なぜかすんなり頷いた。

「理解した。では、点検はいつだ」

 公園管理の職員が反射で答える。

「月一で外観点検、年一で固定具確認です。異常があれば随時連絡を受けます」

「承知した」

 像は堂々と言った。

「私は、点検に協力する」

「協力って何を」

 美月が聞くと、像はごく自然に答えた。

「緩みがあれば知らせる。夜に光って、危ないと書く。それが役割だ」

 ……役割の理解が早すぎる。

 勇輝は笑いそうになって、でもかなり助かるとも思った。

「それは、本当に助かります。じゃあ、ひまわり市の安全担当、よろしく」

「任された」

 語尾は相変わらず強い。

 でも今は、その強さが少し頼もしかった。


◆夜の少し前・交付を見ていた町の人たちが、勝手に“住民”ではなく“顔見知り”の距離を作り始める


 プレートの取り付けが終わり、ロープの外からそれを見ていた人たちは、最初こそスマホを向けていたが、読み上げが進むにつれて、少しずつ反応が変わっていった。

 “町の仲間登録”という言葉は、法務的には曖昧に見えるかもしれない。だが、耳で聞くと案外そのまま入る。住民票でもなく、ただの置物でもない。仲間。役所がぎりぎり許せて、町の人もなんとなく受け入れられる、その間の言葉だった。


 犬の散歩をしていた朝の飼い主が、小さく言った。

「住民って言われると大げさだけど、仲間ならまあ分かるな。毎朝ここで顔合わせてるし」

 ベンチの缶コーヒーのおじさんも頷く。

「そうだな。近所の顔見知りが増えたみたいなもんだ」

 その言い方を聞いて、加奈が嬉しそうに笑った。

「それ、すごくいいですね。顔見知り。制度の名前より、たぶんそっちの感覚で広がっていくんだろうな」

 美月も端末を下ろしながら言う。

「住民じゃない、資産でもない、って説明するより、“毎朝いる顔見知り”のほうが伝わりますね。役所の文書には書けませんけど」

「書いたら総務が困る」

 勇輝が言うと、市長が「だが気持ちは採用だ」と満足そうに頷いた。


 子どもたちに至っては、もう制度の精密さなんて気にしていなかった。

「ツバサ、今日もいる?」

「いる」

「じゃあ、仲間でいいじゃん」

 たったそれだけである。

 でも、その雑さは侮れない。制度がどれだけ細かく線を引いても、町に馴染む時は案外こういう一言の方が強い。


◆夜・最初の注意喚起だけでは終わらない。像は“見る側”から“知らせる側”へ移る


 像が最初に出した「段差、ここ。つまずくな」は、夕方のうちにかなり話題になった。単なる面白い表示ではなく、役に立つ文字だったからだ。

 だが、像の仕事はそれで終わらなかった。


 公園の外周へ続く砂利道のところで、今度は別の光が出た。

『犬、ひも短く。子、走る。』

 すぐそばで犬の散歩をしていた男性が、思わずリードを巻き取る。

「……言われた」

 その横で、加奈が笑いを噛み殺した。

「かなり具体的」

「しかも、正しい」

 勇輝が言う。

 たしかに、その時間帯は習い事帰りの子どもが公園脇を走り抜けることが多い。犬が驚けば転倒もありえる。像は、町の中で“見ていたほうがいいもの”をかなり自然に拾っている。


 美月は端末でその記録を残しながら、少し感心したように言った。

「こうなると、像本人の言ってた“私は町の一員だ”も、そんなに大げさじゃなく聞こえてきますね。だって、いまやってること、町内会の見回りに近い」

「近いな」

 市長が腕を組む。

「人ではない。でも、町に対して役割を返している。役割を返しているなら、町の側も何か返してやらないと筋が悪い」

「だから今日、仲間登録を作ったんですよ」

 勇輝が言うと、市長は「ああ、そうだった」と笑った。

 雑だが、今日はそれでいい気がした。


◆終わり際・住民票は出せない。でも、“無関係”とは言わずに済んだ


 閉園時刻が近づき、人の数が減っていく。

 像は台座の上で、朝よりずっと静かに見えた。いや、静かになったのではなく、町の中の一つの音として収まったのかもしれない。朝は騒ぎの中心だったのに、夜は注意喚起の光を時々出すだけで、むしろ周囲を落ち着かせている。


 勇輝はその前で少しだけ立ち止まった。

 住民票は出せない。保険証も出せない。選挙権は、やっぱり後でも無理だろう。

 だが、“無関係です”と言わずに済んだことは大きかった。


 町の制度は、ときどき硬すぎる。けれど、その硬さの中で何も渡せないわけではない。名前を渡す。役割を渡す。見捨てない約束を渡す。そういう小さなものの積み重ねで、人でも石でも、少しだけ“いる”に近づくことがある。


 加奈が隣で言った。

「今日のこと、あとで思い出したら、住民票の話より“ツバサが仲間になった日”として残るんだろうね」

「そうかもな」

 勇輝は答えた。

「制度の結論としては“対象外”なのに、町の記憶としては“仲間になった”で残るの、不思議だけど悪くない」

 美月も頷く。

「朝の切り抜き動画だけ見たら、“石が住民票要求”で終わる。でも今日一日の流れまで知ると、ちゃんと違う話になってる。制度は守ってるし、相手も置き去りにしてない」

「それができたなら、今日は上出来です」

 勇輝はそう言った。


 公園を出る前、像へもう一度だけ声をかける。

「次は、図書館カードの前に、まず読みたい本のジャンルくらい決めておいてくれ」

 像は少しだけ光を強くした。

「検討する」

「語尾だけは変わらない」

 加奈が笑う。

「そこが、らしさだから」

 市長も笑い、美月は「今度は図書館と法務を呼びますか」と半分本気で言った。


 面倒はまた来るだろう。

 けれど、面倒が来るたびに、町の側も少しずつ“渡せるもの”が増えていく。

 それなら、悪くない。


 朝の騒ぎは、夜にはちゃんと町の仕事へ変わっていた。

 住民票は出せない。

 でも、居場所は作れる。

 そのことを、ひまわり市は今日また一つ、ちゃんと覚えたのだと思えた。

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