第112話「魔族の住民票、種族欄が足りない」
ひまわり市役所・市民課。
窓口の空気が、また一段重い。
原因はシンプルだった。
住民票の“種族欄”が足りない。
「主任……種族欄、詰みました」
市民課係長が、昨日より深い目の下のクマで言った。
「詰むの早いな」
「魔族の方々が……怒ってます」
「怒るのも早いな」
「“魔族”って一括りにするなって……」
「……それは、まあ、言い分は分かる」
美月が目を輝かせる。
「種族多様性! 行政フォーマット地獄!」
「地獄って言うな!」
加奈が心配そうに言った。
「魔族って、そんなに種類あるの?」
「あるらしい。
そして“自分の種族名”は誇りだから、間違えると刺さる」
市長が通りかかり、さらっと言った。
「魔族は魔族だろう」
「市長、今日だけ黙ってください!」
窓口には、魔族の住民が三人並んでいた。
雰囲気が、それぞれ違う。
一人は角が立派で、服装が貴族っぽい。
一人は肌が灰色で、目が冷たい。
一人は尻尾が長く、笑顔がやけに愛想いい。
職員が丁寧に言う。
「住民登録のため、種族欄にご記入ください。
こちらは――“魔族”でよろしいですか?」
角の魔族が、静かに笑った。
「……よろしいと思うのか?」
「えっ」
「我は“上位魔族”。
“魔族”は総称だ。
人間を“哺乳類”と書くようなものだぞ」
「言い方が強い! でも例えは正しい!」
灰色の魔族が言う。
「我は“影魔”。
上位魔族と同列にされるのは不快だ」
尻尾の魔族がにこにこ言う。
「私は“商業魔族”でーす。
“魔族”でもいいですけど、できれば“魅魔”って書いてください♡」
「最後が急に軽い!」
窓口職員の手が止まった。
そして心が折れかけた。
「……欄が……」
「欄の問題じゃない、思想の問題だ!」
緊急会議が開かれた。
市民課、総務(様式担当)、そして異世界経済部。
係長が、住民票の様式を指差す。
「現行の“種別”欄は、固定選択なんです。
人間/異界住民、までしか想定してなくて……
追加できるのは備考くらい……」
「備考に“アークデーモン”は雑すぎるな」
総務の様式担当が言う。
「そもそも“種族”を住民票に載せる必要がありますか?」
「必要になる場面がある」
勇輝は即答した。
「通訳手配、文化配慮、医療対応、災害避難――
種族で注意点が変わる場合がある。
ただし、差別に繋がる運用は絶対避ける」
加奈が頷く。
「書き方と使い方、両方が大事だね」
「そう。
欄を増やすだけだと、運用で地獄になる」
美月が言う。
「じゃあ“自称”でよくないですか?」
「自称でいい。
ただ、入力と検索が死ぬ」
「死ぬの多いなこの町!」
勇輝は、前回の“住所二層化”と同じ考え方で整理した。
「一つの欄で全部やろうとするから壊れる。
種族も二層にする」
ホワイトボードに書く。
種族欄の二層化(暫定)
① 行政分類(必須・共通)
人間
異界住民(汎)
異界住民(魔族)
異界住民
異界住民
異界住民
異界住民
その他(自由記述)
② 自称種族(任意・詳細)
本人が名乗る呼称をそのまま記載
読み仮名・別名も記録可
変更申出可(誇りとアイデンティティを尊重)
「つまり、検索や統計は①で回す。
本人の誇りは②で守る」
「なるほど……!」
市民課係長の目に光が戻る。
総務の様式担当が言う。
「それなら、様式の大改造は不要です。
“行政分類”は既存の区分に入れて、
“自称種族”は備考じゃなく、別の“補足欄”として扱える」
「備考扱いはやめよう。名前が軽い」
加奈が小さく言った。
「“自称”って言葉が失礼に聞こえる人もいるかも」
「確かに。呼び方を変える」
勇輝は書き直す。
種族(行政区分)
種族(本人申告)
「これなら角も立ちにくい」
美月が頷く。
「“本人申告”は強い。広報にも使える」
「広報は慎重に!」
問題は、魔族が“魔族”の中でも割れていること。
行政区分を“魔族”までにしたら、内部で揉める。
そこで勇輝は、もう一段だけルールを足した。
「魔族内の分類は、行政が勝手に決めない。
本人申告で受ける。
ただし、災害対応や医療で重要な注意点があるなら、
“注意事項”として別欄で管理する」
係長が頷く。
「注意事項……例えば、銀が苦手とか、日光が苦手とか……」
「そう。それは種族名じゃなく“配慮事項”だ」
加奈が言う。
「名前で決めつけるより、必要な配慮だけ書く方が優しいね」
「優しいし、実務的だ」
窓口に戻り、勇輝が魔族の三人に説明した。
「住民票では、行政上の区分として“魔族”を使います。
ただし、あなた方が名乗る種族名は、別欄にそのまま記録します。
“上位魔族”“影魔”“魅魔”――全部、ちゃんと載ります」
角の魔族が、少しだけ表情を緩めた。
「……それならよい。
総称は総称、我らは我ら、だな」
灰色の魔族が頷く。
「同列にされるわけではない。
区分と誇りを分けるのは合理的だ」
尻尾の魔族がにこにこ言う。
「じゃあ、魅魔って書いてください♡ あと読み仮名も♡」
「読み仮名までサービスするな!」
美月が小声で言う。
「課長、魅魔さんテンション高い……」
「窓口が恋愛相談になる前に終わらせる!」
その日の午後。
市民課の様式は、こっそり改訂された。
種族(行政区分):____
種族(本人申告):____
配慮事項(任意):____
係長が深く息を吐いた。
「主任……欄が増えただけなのに……救われました……」
「欄は世界を救う。たまに」
市長が通りかかり、笑った。
「では私は“人間(本人申告:市長)”だな」
「本人申告で職業書くな!」
加奈が笑う。
「今日も平和だね」
「平和のために欄を増やしてるんだよ、こっちは!」
次回予告
スライム用ゴミ袋が存在しない。
分別以前に“袋の概念”が通じない。
「スライム用ゴミ袋問題」――ぷるぷるのまま出すな!




