第111話「異界転入届、書式が多すぎる」
ひまわり市役所・市民課。
開庁三分で、窓口の空気が変わった。
――“今日、やばい日だ”。
「係長……これ……誰が作ったんですか……」
新人職員が、震える手で紙束を抱えている。
「……異界転入届だよ」
係長は目をそらした。逃げた。
「厚さが、電話帳です」
「電話帳はもう絶滅したんだよ」
「じゃあこれ何ですか!!」
そのとき、勇輝のところに内線が飛んできた。
「主任! 市民課が……紙で窒息しそうです!」
「紙で窒息って何だよ……行く!」
美月が立ち上がる。
「来た! 書式地獄回!」
「テンション上げるな! 窓口だ!」
加奈も、いつものようにコーヒー片手でついてきた。
「また紙増えたの?」
「増えたどころか、紙が市民を迎え撃ってる」
市民課の窓口には、すでに列ができていた。
異界住民の転入が、一気に来たのだ。
エルフの家族。
ドワーフの職人。
魔族の商人。
そして……スライムが一体、ぷるんと列にいる。なぜ。
「転入の手続きですね。こちらが申請書です」
職員が差し出した瞬間――相手の目が死んだ。
「……多い」
エルフが静かに言う。
「多い……」
魔族が真顔で言う。
「多い!!」
ドワーフが叫ぶ。
厚い紙束の表紙には、丁寧にこう書いてあった。
『異界転入届(総合パック)』
(住民登録/世帯/税/国保/年金/福祉/学校/ごみ/防災/広報登録/魔法通信連絡先/異界文化配慮事項…)
「パックにするなぁぁ!!」
勇輝は思わず叫んだ。
市民課係長が泣きそうに言う。
「主任……“一回で済ませろ”って言われて……
全部まとめたら、こう……」
「全部まとめると、こうなるんだよ!」
美月がメモを取ってる。
「“全部まとめると電話帳になる”っと……」
「広報にするな!」
窓口が詰まる理由は単純だった。
記入欄が多すぎる。
しかも、異界住民には意味が通じない欄がある。
「こちら、世帯主のお名前と続柄を――」
「世帯主とは?」
「家の代表です」
「代表は森の長老だ」
「それは世帯主じゃない!」
「国民健康保険の加入区分を――」
「保険とは、呪い除けか?」
「違う! 病気のときの支払いの仕組み!」
「年金は――」
「我らは三百年生きる」
「その話は次回に回したい!」
列の後ろから、不満の声が出始める。
紙をめくる音だけで、窓口が怒っているみたいだ。
加奈がぽつりと言った。
「これ、書かせる側も読む側も地獄だね」
「地獄だ。紙が敵になってる」
勇輝は、係長の横で紙束をめくった。
そして冷静に結論を出す。
「これ、パックが悪い。
“ワンストップ”にしたつもりで、ワンストップが“ワンデス”になってる」
「ワンデスはやめてください!」
美月が言う。
「じゃあ、分けましょう!」
「分ける。
ただし“何を”どう分けるかが行政」
勇輝は、ホワイトボードに大きく書いた。
異界転入手続きの再設計(暫定)
① 今日中に必要(必須)
住民登録(行政住所・氏名・生年月日相当)
世帯情報(同居者の把握だけ)
連絡先(魔法通信/掲示板/代表者のどれか)
緊急連絡(災害時の呼びかけ先)
② 後日でよい(予約制)
税(所得・事業)
保険・年金
福祉申請
学校・保育
事業許可関連
③ “説明だけ先”でよい(配布資料)
ごみ分別
防災
交通ルール
町の施設案内
多言語・絵掲示
「つまり、“登録”と“制度の選択”を分ける」
勇輝が言うと、係長の顔が少し明るくなった。
「今日中に全部決めさせない……!」
「そう。全部決めさせるから詰まる。
“今日決めること”だけ決める」
だが、ここで市民課の職員が不安げに言った。
「でも……住民から“何度も来させるのか”って怒られます……」
「来させない。予約と出張と代替を作る」
勇輝は即答した。
予約枠(午後に“転入相談枠”を設定)
出張説明(温泉郷の集会所で合同説明会)
簡易受付(まず番号札、必要最低限だけ)
受付票で“次にやること”を明確化
加奈が頷く。
「“次にやること”が分かると安心するよね」
「そう。紙は減らせなくても、不安は減らせる」
美月が言う。
「受付票、可愛くしていいですか?」
「可愛くしなくていいから分かりやすく!」
実際に、窓口の運用を変えた。
紙束は分解され、まず“必須セット”だけが渡される。
魔族の商人が、ほっと息を吐く。
「……これなら、書ける」
エルフの母親も頷く。
「今日はここまででいいのか?」
「はい。残りは予約できます。説明もあります」
「合理的だ」
列の流れが、目に見えて良くなった。
窓口の空気が戻る。
そして――最後に残るのは、スライムだった。
『ぷる(書けない)』
「書けないよな……」
加奈がしゃがんで、優しく言う。
「スライムさんは、名前どうする?」
『ぷる(ぷる)』
「じゃあ仮名で“ぷる”ね」
「仮名って便利だな!」
美月が言う。
「課長、スライム用転入届、絵にしましょう!」
「やめろ! いや……必要かもしれない……」
勇輝は遠い目をした。
書式を減らしたはずなのに、別の書式が生まれる気配しかしない。
でも、それが“異界の日常”だ。
夕方。
市民課係長が、机に突っ伏しながら言った。
「主任……助かりました……
異界転入届、あれ作ったとき……私、何かに憑かれてたかもしれません……」
「憑かれてたのは“ワンストップ信仰”だ」
「信仰やめます……」
加奈が笑う。
「でも、ちゃんと回り始めたね」
「回った。
“全部一回で”より、“ちゃんと順番に”の方が強い」
美月が最後に言う。
「じゃあ次回は、“種族欄が足りない”ですね!」
「次の地獄がもう見える……」
次回予告
住民票の“種族欄”が、想定外に狭い。
魔族だけでも分類が割れて、窓口が揉める。
「魔族の住民票、種族欄が足りない」――欄が足りない町、再び。




