第109話「住民票システム改修:住所の次元が増えた」
住民票――それは、行政の“背骨”みたいなものだ。
住所。氏名。世帯。続柄。
ここが崩れると、福祉も税も学校も全部崩れる。
だから、住民票は絶対。
絶対に、揺らがない。
……はずだった。
「主任……住民票システムが、限界です」
市民課の係長が、疲れ切った顔で異世界経済部にやってきた。
「限界って、いつも言ってない?」
「今回は本当に限界です。
住所の……次元が増えました」
「次元!?」
美月が目を輝かせる。
「来た! 住所が多次元化! SF回!」
「SFじゃない! 窓口だ!」
加奈が心配そうに言った。
「何が起きたの?」
「“住所欄”に入りきらない人が増えました……」
「住所欄って、普通入るだろ」
「入らないんです。
“浮遊層”とか、“裏通りの裏”とか……」
「裏の裏はもう住所じゃない!」
市長が通りかかり、さらっと言った。
「次元が増えたなら、欄を増やせばよい」
「市長、軽い! システムは軽く増えない!」
市民課の窓口は、すでに小さな地獄だった。
住民票の異動届。転入。転出。世帯分離。
そこへ異界住民の登録が混ざる。
「こちら、住所をお書きください」
職員が丁寧に言う。
相手は、妖精のような小さな住民。
にこにこしながら答えた。
「ひまわり市・中央公園・大樹の上・三層目・木の穴の奥」
「長い! そして木の穴の奥は住所じゃない!」
職員が震え声で言う。
「欄が……」
「欄が足りない……」
さらに、別の窓口では魔族が言う。
「私は“影の市街”に住む」
「影の市街……?」
「同じ場所だが、昼には見えぬ。夜だけある」
「夜だけある住所、どう登録するんだよ!」
ドワーフはもっと堅い。
「工房区画、地下二層、溶鉱炉脇」
「地下二層はまだ分かる……でも溶鉱炉脇って何だ」
勇輝は、胃を押さえた。
「住民票は、詩じゃない。座標だ……!」
緊急会議。
市民課、税務、福祉、教育、そして異世界経済部。
要は、住民票が崩れたら困る部署が全員集合。
市民課係長が言う。
「現行システムは、“町名・字・番地・号・建物名・部屋番号”が前提です。
でも今、異界住民の住所は――」
ホワイトボードに書かれる、悪夢。
層(上・中・下/1層・2層…)
次元(表・裏・影・浮遊)
目印(大樹の上/洞窟入口/石像の裏)
可変(夜だけ/満月だけ)
「可変住所、やめろ!」
税務課が青ざめる。
「固定資産税、どう課税するんですか……」
「今はそこじゃない! でもそこだ!」
福祉課が言う。
「支援物資の配送、住所がないと届かない……」
「そこが一番現実的に死ぬ!」
教育委員会が言う。
「通学区域……決められません……」
「子どもが迷子になる!」
美月がぽつりと言った。
「課長、町がRPGのマップになってます」
「RPGならセーブできるのに!」
勇輝は、解決の方向を二つに分けた。
行政システム上の住所(制度の住所)
実際の行き方(現場の住所)
「住民票に必要なのは、まず“行政が扱える住所”。
配送や訪問に必要なのは、“行き方の情報”。
この二つを、同じ欄に入れようとするから破裂する」
市民課係長が目を見開く。
「分ける……!」
「分ける。
住民票の住所は“市の管理単位”に寄せる。
現場情報は“補足情報”として別管理」
加奈が頷く。
「たとえば、喫茶ひまわりの住所は普通にあるけど、
“裏庭の奥のテラス席”まで住所にしないもんね」
「そう。席は席。住所は住所」
市長が満足げに頷いた。
「整理だな」
「整理です。いつものです」
勇輝が提案した、暫定改修案はこうだ。
住民票システム改修(暫定案)
A. 住所を二層化する
行政住所(必須):町名+区域コード+番地相当
補足位置情報(任意):層・次元・目印・行き方
B. “区域コード”を新設
異界側の住居は番地が曖昧なので、まず区域をコード化する。
例:
H-01:市役所周辺(中心市街)
H-02:温泉通り
H-03:中央公園周辺
H-04:河川敷・停留所
H-05:工房区画(地下含む)
H-06:浮遊層(天空橋周辺)
H-07:影の市街(夜間出現)
「影の市街、コードにするなぁぁ!」
税務課が叫ぶ。
「でもコードにしないと、台帳に載らない」
C. 可変住所の扱い
“夜だけ”“満月だけ”は、住所ではなく注意事項として補足欄へ
配送・訪問は、原則“日中に到達可能な連絡先”を別途登録
D. 連絡先の必須化(異界住民向け)
連絡方法:魔法通信/掲示板/代表者(どれか必須)
不達時の手続きも規定(福祉・税務が死なないため)
市民課係長が震え声で言った。
「これなら……住民票の住所欄は守れます……!
補足は別画面で……」
「そう。
システムを全部作り替える時間はない。
だから“欄を分ける”改修で凌ぐ」
美月が言う。
「UI改善ですね!」
「UIって言うな! 住基だ!」
加奈が笑う。
「でもやってることは“分かりやすくする”だよね」
「そう。行政は全部それに帰着する」
翌週。
市民課の窓口に、新しい申請書が置かれた。
『異界住民 登録届(改訂版)』
行政住所(区域コード+番地相当)
補足位置情報(層・次元・目印)
連絡方法(必須)
“行き方メモ”(自由記述)
妖精の住民が、にこにこしながら書く。
行政住所:H-03-17
補足:大樹の上・三層目・木の穴の奥
連絡:風の掲示板
「……風の掲示板って何だよ」
職員が震える。
勇輝は肩を叩いた。
「補足欄だからOK。
行政住所が確定してれば、制度は回る」
そして、配送担当が言う。
「行き方メモ、助かります……
“木の穴の奥”がちゃんと書いてある……」
「現場はそこが大事だ」
会議室で、税務課がぼそっと言った。
「……じゃあ、固定資産税は……」
「次の地獄が来たな」
勇輝は笑った。
「でも住所が整えば、話ができる」
市長が頷く。
「まず背骨を立てた。よい」
「背骨って言うな、胃が痛くなる」
美月が小声で言う。
「課長、次は最終回っぽいタイトル残ってますよね」
「“新しい日常”か……」
勇輝は、市民課の窓口を見た。
まだ混乱はある。
でも、欄が増え、整理され、手続きが回り始めている。
住所の次元が増えた町で、
役所は今日も――住所を現実に戻すために開庁している。
次回予告
ひまわり市の新しい“日常”。
異界でも、役所は今日も開庁中。
「ひまわり市の新しい“日常”――役所は今日も開庁中」――締め回、いきます。




