第108話「条例改正:ドラゴンの駐輪より先に“駐市”が必要」
条例改正――それは、役所の中でも“真面目さの権化”みたいな仕事だ。
言葉を決める。定義を決める。対象を決める。
そして、決めた瞬間に世界が変わる。
だから重い。
だから慎重。
……のはずだった。
ひまわり市の条例改正は、なぜか言葉遊びから始まる。
「主任……条例改正、詰まりました」
法務担当(と呼ばれている総務課の“条例係”)が、白目になりかけた顔で言った。
「何が詰まった」
「ドラゴンの駐輪禁止条例の条文です」
「まだやってたのか」
「“駐輪”の定義が……通りません」
「そりゃドラゴンは輪じゃないからな!」
「そこじゃないです!!」
美月が目を輝かせる。
「条例の言葉遊び回! 好き!」
「好きとか言ってる場合じゃない!」
加奈が心配そうに言った。
「揉めてるの、どの辺?」
「“駐輪”より先に、駐市が必要って言われてます」
「駐市!?」
「“市に駐める”って概念が必要だと……」
「概念が増えるなぁぁ!!」
市長が通りかかり、さらっと言った。
「ドラゴンは市の仲間だ。駐市してよい」
「市長、あなたが言うとややこしくなる!」
会議室には、総務課(条例係)、建設課、観光課、消防、そして異世界経済部。
さらに、異界側代表としてドラゴン代表も参加していた。
ドラゴン代表は、議会室に入るだけで圧がある。
椅子が小さすぎるので、床に丸く座っている。存在がでかい。
「……まず前提。
ドラゴンの“停留場所”を河川敷に設ける運用は始まっている」
勇輝が確認する。
建設課が頷く。
「ただ、裏の駐輪場にドラゴンが来てしまう。
自転車が潰れる。苦情が来る」
「潰れるのはまずい」
観光課が言う。
「でもドラゴンは観光の目玉で……」
「目玉で人を潰すな!」
条例係が泣きそうに言った。
「そこで、“駐輪禁止”を条例に入れようとしたんです。
でも――」
ホワイトボードに書かれた、地獄の文字。
『駐輪:道路等に自転車等を継続して置くこと』
「ドラゴンは自転車等に入らない」
「入らない!」
ドワーフ代表が言う。
「なら“自転車等”を“車両等”に」
「ドラゴンは車両でもない!」
魔族文官リュディアが言う。
「なら“移動体”だ」
「移動体だと人も入る!」
加奈が小声で言った。
「言葉って難しいね……」
「難しい。条例は言葉がすべてだ」
ドラゴン代表が、低い声で言った。
「我らは“駐輪”しているつもりはない。
ただ、滞在しているだけだ」
「滞在」
勇輝はそこに鍵を見た。
「つまり“駐輪”じゃなく、“滞留”や“停留”だ。
条例の対象を“駐輪”にしようとするからズレる」
条例係が顔を上げる。
「じゃあ……“駐輪禁止条例”じゃなくて……?」
「道路等における滞留の規制に寄せる。
『通行を妨げる滞留』を禁止する。
対象は自転車でもドラゴンでも同じになる」
消防が頷く。
「緊急車両導線の確保にも直結します」
「そう。根拠が強い」
観光課が不安そうに言う。
「でも“ドラゴン禁止”って書かないと、住民が納得しないのでは」
「書くと差別に見える。
だから“例示”にする。
『自転車、屋台、大型生物等』と並べる」
美月が言う。
「大型生物等!」
「そこに食いつくな!」
しかし、ここで“駐市”問題が出た。
魔族側の代表が言った。
「人間の条例は、市の中だけに効くのか?」
「当然、市の条例は市域に効きます」
「なら、ドラゴンが市域に“留まる”ことを、どう呼ぶ?」
「……留まる、滞在」
「その概念を定義せよ。
“市に駐める”のだろう? それが駐市ではないか」
「言葉遊びじゃないのか……?」
勇輝が一瞬頭を抱えた。
でも、条例は言葉遊びに見えて、実務だ。
“市域に留まる大型生物”をどう扱うかは、確かにルールがいる。
加奈がぽつりと言った。
「観光客の滞在と同じじゃない?」
「……それだ」
勇輝は、ぐっと整理する。
「“駐市”という新語を作る必要はない。
既存の概念で整理できる」
勇輝は、条文の骨子を提案した。
改正の方向性(案)
目的条項:安全で円滑な通行、緊急対応の確保
対象行為:道路・公共施設出入口付近での“通行妨害となる滞留”
対象物:自転車、屋台、資材、大型生物(例示)
例外:市が指定する停留所・イベント許可区画
措置:移動要請、必要なら警告・是正(罰則は段階的に検討)
「“滞留”なら、人も入るんじゃ?」
条例係が心配する。
「入る。だから“物”に限定するか、“行為”に限定する。
人の立ち話まで取り締まる条例は作らない」
消防が補足する。
「『通行妨害』を要件にすれば、恣意的運用を防げます」
「そう。要件は具体的に」
市長が頷いた。
「よい。ドラゴンも住民も守る条例だ」
「市長、今日はその路線でお願いします」
ドラゴン代表が、ゆっくり言った。
「我らは市に居たい。
だが、人を潰したいわけではない」
「それが聞けたのが一番大きい」
加奈が笑って言った。
「じゃあ、停留所で待とうね」
「……うむ。停留所は快適だ。川風がよい」
美月がすかさず言う。
「停留所に“ドラゴン用ベンチ”置きましょう!」
「ベンチじゃなくて岩だろ!」
ドワーフが頷く。
「岩なら作れる」
「話が早い!」
結局、“駐市”は採用されなかった。
代わりに、条例の題名も条文も、現実的に整えられた。
改正案(仮)
『道路等における通行妨害となる滞留の防止に関する条例』
条例係が、泣きそうな顔で笑った。
「……駐輪じゃなくなった……!」
「最初から無理があったんだよ!」
勇輝は思う。
異界対応とは、魔法をどうするかじゃない。
言葉と制度を、現実に合わせて編み直すことだ。
そして役所は今日も、言葉で町を守りながら開庁している。
たとえ議題が“駐市”でも。
次回予告
住民票システム改修――住所の次元が増えた。
番地の次に“層”が来る。窓口が宇宙になる。
「住民票システム改修:住所の次元が増えた」――勇輝、システム屋になる!




