第107話「情報公開:『市長の笑み』の関連文書が増殖した」
情報公開――それは、行政の“透明性”を守るための大事な制度だ。
住民が行政を監視できる。説明責任が果たせる。
正しい。尊い。必要。
……普通の町なら。
異界の町・ひまわり市では、情報公開請求の理由が、たまに狂う。
「主任……情報公開担当が、泣いてます」
総務課の職員が、今日も“泣いてます報告”を持ってきた。
「最近それ多いな」
「請求が……増殖してます」
「増殖? 文書が?」
「請求がです。
しかも内容が……」
「嫌な予感」
「『市長の笑み』に関する関連文書一式」
「なんでだよぉぉ!!」
美月が嬉しそうに言う。
「出た! 市長の笑み! 伝説回収!」
「伝説にするな! 制度だぞ!」
加奈が困った顔で言う。
「笑みって……情報公開の対象なの?」
「対象じゃない。でも、請求の“きっかけ”にはなる。
そして、きっかけが増えると、業務が死ぬ」
市長が通りかかり、さらっと言った。
「笑みは市民のためだ」
「笑みで担当を殺すな!」
総務課・情報公開担当の机。
そこには、封筒が山になっていた。
しかも、付箋で分類されている。
「市長の笑み(写真含む)」
「笑み発生時の意思決定プロセス」
「笑みの根拠資料」
「笑みの関連会議録」
「笑みを引き出した者の氏名」
「分類が丁寧すぎるんだよ!!」
担当者が、目をうるませながら言った。
「主任……“笑った理由を知りたい”って……
異界の方々が……」
「異界の方々?」
担当が頷く。
「魔族の文化では、“支配者の表情”は政治のサインらしくて……
市長が笑う=何か裏がある、って解釈されて……」
「市長の笑みが外交案件になってるのかよ!」
美月が言う。
「つまり市長、笑顔が強すぎる」
「強すぎるって何だ!」
加奈が小声で言った。
「市長、物怖じしないし、笑うときは笑うもんね」
「それが平和の象徴のはずなのに……」
市長本人も呼ばれ、緊急会議が始まった。
議題:「市長の笑みと情報公開」
地獄みたいな議題名だ。
情報公開担当が説明する。
「情報公開請求は、請求内容に基づいて文書を特定し、開示可否を判断します。
ただ、“市長の笑み”は文書ではありません。
しかし“笑みの理由”を求めると、関連文書が無限に……」
勇輝が頷く。
「“関連文書一式”は最強の地雷だ。
文書特定が終わらない」
市長が不思議そうに言う。
「笑った理由など、だいたい思いつきだ」
「それを言うと燃えます!」
美月が小声で言う。
「市長の笑み、思いつき説」
「拡散するな!」
勇輝は、ここで行政の基本に戻した。
「情報公開は、文書が対象です。
だから、請求が曖昧なら、こちらから“特定の支援”をする。
請求者に確認し、範囲を絞る」
担当が言う。
「でも……異界の方々、請求の理由が“囁き”で……」
「囁きはやめろ!」
加奈が冷静に言った。
「“笑み”が政治サインに見えるなら、
まず説明してあげた方がいいかも。
市長は、そんな高度な暗号使ってないって」
市長が胸を張る。
「使ってない」
「胸張るな! それが問題なんだよ!」
結局、対応は二段構えになった。
① 請求の絞り込み(制度対応)
「笑み」そのものは文書ではない
何を知りたいかを確認(会議名、日付、案件名など)
「関連文書一式」ではなく、範囲を指定してもらう
それでも難しければ、担当が“相談対応”で案内する
② 誤解の解消(広報対応)
「市長の表情は政治サインではない」
「意思決定は会議録・決裁文書に基づく」
「開示対象は文書であり、表情の解釈ではない」
よくある質問(FAQ)を作り、固定ページ化
美月が言う。
「FAQ、私が作ります! 『Q:市長はなぜ笑うの?』」
「そのQを載せるな!!」
加奈が笑う。
「でも、“何が公開対象か”は分かりやすくした方がいいね」
「そう。ここはちゃんと制度の説明をする。
異界の人たちも、ルールが分かれば落ち着く」
だが、最大の問題が残っていた。
なぜ、請求が“増殖”しているのか。
担当が机の奥から、一枚の紙を出した。
「これが最初の請求です。
提出者は……魔族の文官リュディアさん」
「……リュディア」
勇輝は嫌な顔をした。
そこへ、当のリュディアが現れた。
相変わらず礼儀正しいが、目が真剣だ。
「勇輝。情報公開制度は美しい。
ゆえに私は活用した」
「活用しすぎです」
「市長が笑った。
あれは“勝利”の笑みではないのか?」
「勝利って何の!」
市長が言う。
「私は温泉まんじゅうが美味しくて笑っただけだ」
「それを公式に言うと燃えます!」
リュディアが固まった。
「……まんじゅう?」
「まんじゅうです」
加奈が小さく頷く。
「うちの喫茶でも出してます」
「まんじゅうで政治が動くのか……」
勇輝は言った。
「動かない。
だから誤解です。
そして誤解があるなら、制度じゃなく“説明”で解くべきです」
リュディアは少しだけ、恥ずかしそうに目を伏せた。
「……我らの文化では、支配者の笑みは合図だ。
だが、ここでは違うのだな」
「違います。
市長は……わりと、その場のテンションで動きます」
「おい」
市長が眉を上げる。
「でも決裁は文書でやってます。そこは安心してください」
「うむ。そこは誇れ」
リュディアは、深く頭を下げた。
「理解した。
請求は撤回……はできるのか?」
「できます。取り下げ。書面で」
「書面か……」
美月が小声で言う。
「取り下げも書面。行政強い」
「強いじゃない。手続きだ」
そして勇輝は、ここで“増殖の原因”に気づいた。
「……リュディアさん、あなた、周りに制度を教えましたね?」
「教えた。良い制度だからだ」
「それで増殖したのか……」
担当者が泣きそうに言う。
「良い制度が……胃を殺します……」
「守る。制度も、胃も」
その日の夕方。
市の掲示板とWebページに、ひっそりと新しいFAQが載った。
『情報公開制度のご案内(異界住民向け)』
開示対象は“文書”です(表情・噂・囁きは対象外)
知りたい案件名・日付があると早いです
「関連文書一式」は範囲が広いので相談しましょう
市長の笑みは政治サインではありません(※まんじゅうの場合あり)
「最後の一文入れたの誰だ!?」
勇輝が叫ぶと、美月が手を挙げた。
「私です! 分かりやすい!」
「分かりやすいけど燃える!」
加奈が笑って言った。
「でも、ちょっと平和だね」
「……平和だな。
市長の笑みが、ただのまんじゅうってだけで」
市長が満足げに言う。
「まんじゅうは偉大だ」
「偉大にするな!」
次回予告
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「条例改正:ドラゴンの駐輪より先に“駐市”が必要」――言葉から揉める、条例の地獄!




