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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第1051話「竜王領の観光組合、スタンプラリー台紙が叙事詩の巻物」

◆朝 温泉通り 喫茶ひまわりの裏口


 温泉通りの朝は、紙の匂いより先に湯気が来る。石畳がまだ冷えているから、湯けむりは低く漂って、店先の看板の足元を白く撫でていく。通りの端で掃除の竹ぼうきが鳴り、旅館の裏方さんがタオルの束を抱えて小走りに過ぎていく。観光地の朝は派手に見えるのに、動いているのはいつも控えめな人たちだ。


 加奈は、裏口に積まれた荷物を一つずつ確認していた。コーヒー豆、牛乳、紙ナプキン。いつも通りの箱に混ざって、ひとつだけ妙に存在感のある筒がある。木箱でも段ボールでもなく、丸い筒。表面がやけに綺麗で、しかも金色の紐でぐるぐる巻きにされていた。


「……これ、何だろ」


 宛名は喫茶ひまわり。差出人は、ひまわり市観光課経由、竜王領観光組合。加奈は首を傾げた。観光組合から喫茶店に直送なんて、あまりない。あるとしても、協力店向けのポスターか、スタンプ台の備品か、そのあたりだ。


 紐をほどくと、筒の蓋が軽く外れた。中から出てきたのは、紙というより布のようにしなやかな巻物だった。端が少し硬く、金色の箔が細く走っている。光が当たる角度で、控えめにきらりと返す。見た目は綺麗だ。綺麗だからこそ、余計に不安になる時がある。


「うわ……きれい。というか、重い」


 広げようとした瞬間、巻物はするすると落ちて、床にまで届きそうになった。加奈は慌てて両手で支え、膝で軽く受け止めて、机の上に乗せる。机の端から先が垂れ、さらに垂れ、まだ終わらない。長い。想像した長さの、二倍くらい長い。


「長い。これは長い」


 店内から、開店準備をしていたスタッフが顔を出す。


「加奈さん、何それ」

「分かんない。観光組合から」

「また何か始まるんですか」

「始まってほしくないけど、たぶん始まってる」


 加奈は巻物の先頭をそっと開き、冒頭の文字を読んだ。


『竜王領観光組合公認

ひまわり市 竜の叙事詩スタンプ巡礼

押すたび、英雄は一つ名を得る』


「英雄は増やさなくていいよね……」


 口に出してから、自分で笑ってしまった。笑いながら、巻物の次の段を見る。確かに、四角い枠がある。スタンプの枠だ。けれど、枠が文章の途中に溶け込んでいる。見落としやすい。字も美しいが、情報が散っている。


 そして加奈が一番怖かったのは、目が慣れた頃にやっと見つけた一文だった。


『第三の刻印を得た者は、すでに半ば旅人

五つの刻印を得た者のみ、終章の扉に触れられる』


 ここまでは、なんとなく分かる。問題は次だ。


『終章の扉は、竜王の微笑みの側にあり』


 場所がない。時間もない。交換の窓口もない。微笑みしかない。


「……微笑みは場所じゃない」


 加奈は巻物を丁寧に巻き直し、筒に戻した。綺麗だからこそ、ここで扱いを間違えると余計にややこしくなる。まずは、役所に連絡。協力店として受け取ったのなら、協力店として正しく扱うべきだ。


 加奈はスマホを取り出し、勇輝に短いメッセージを送った。


『観光組合から巻物届いた。スタンプラリー台紙らしいけど叙事詩で長い。達成条件も交換場所も曖昧。早めに確認お願い』


 送信して、もう一度筒を見た。金色の紐はほどけたままだ。加奈は紐を結び直しながら、小さく息を吐いた。


「今日、何も起きない日だと思ってたのにな」


◆午前 ひまわり市役所 異世界経済部


 庁舎の朝は、電話と印刷音で整っていく。端末の起動音、コピー機の紙の滑る音、廊下を行き交う足音。音が重なるほど、仕事が始まる合図になる。


 勇輝は席に着いたばかりだった。加奈からのメッセージが来ている。筒、巻物、叙事詩、達成条件が曖昧。内容は短いのに、嫌な予感だけははっきりしていた。


 ちょうど同じタイミングで、美月がタブレットを抱えて現れる。今日の美月は、驚きの表情が少ない。最近は現場が色々起きすぎて、驚くより先に確認が出る。


「主任、来てます。スタンプラリー」

「加奈からも来た。巻物らしいな」

「巻物です。写真見ます?」

「見る」


 美月がタブレットの画面を向けた。加奈が撮ったらしい、筒と巻物の写真。床に落ちそうな長さ。金箔。文字の密度。そこに混ざるスタンプ枠。


「長いな……持ち歩けない」

「雨と湯気で傷みます」

「温泉通りは湿度が高い。紙が反る」

「そして反った紙は、押すとズレます」

「ズレると、達成かどうかで揉める」

「揉めると、スタンプ台が濡れて壊れます」

「現場の連鎖が見えるな」


 美月がタブレットの別画面を開く。SNSの投稿、観光案内所の問い合わせ、協力店のチャット。現場はもう動いている。


「もう反応出てます。竜王領ブースの前に人が集まって、ラリーというより鑑賞会になってるみたいです。写真が回ってます」

「鑑賞会は悪くないが、歩く企画が止まる」

「はい。あと、台紙が長いと子どもが引きずります。引きずった紙は破れます。破れたら悲しいです」

「悲しいだけならまだいい」

「悲しいと、交換のところで相談が増えます」

「相談が増えると、列が増える」

「列が増えると、通路が詰まります」

「……いつもの形だな」


 勇輝は椅子から立ち上がった。今日は温泉通りで物産イベントの準備がある日だった。物産が増えるとスタンプラリーも増えやすい。増えるのは悪くない。でも、道具が道具として機能しないと現場が困る。


「観光課に連絡。竜王領観光組合の担当もいる?」

「現地ブースにいるはずです。こちらから行った方が早い」

「行こう」


 出る前に、勇輝は机の上のメモを一枚取った。現場で話が長くなると混ざる。混ざると誤解が増える。だから、要点を先に書く。


 持てるサイズ。濡れに強い。押す場所が一目で分かる。達成条件が数字で書いてある。景品交換の場所と時間が明示。担当と問い合わせ先がある。困った時の出口がある。


 書いた瞬間、少し落ち着く。守るべきものが見えたからだ。


◆午前 温泉通り 竜王領観光組合ブース前


 温泉通りの中心は、すでに少しだけお祭りの顔をしていた。屋台の準備、仮設テントの骨組み、案内板の貼り替え。人の声が増える。湯気の白に、カラフルな布が混ざる。


 その中で、ひときわ目立つ場所に人だかりができていた。ブースの前に、巻物が掲げられている。掲示というより展示。巻物の端を二人が支えて、まるで絵巻の説明会のようになっている。支える二人も必死だ。少し風が吹くたびに巻物がうねり、戻ろうとする。紙の意志が強い。


「すごい」

「これ欲しい」

「写真撮っていいですか」

「金箔、綺麗」


 聞こえてくるのは感嘆だ。苦情ではない。けれど、感嘆の裏には落とし穴がある。感嘆は集まる。集まると通路が詰まる。詰まると押し合いが生まれる。押し合いが生まれると、転ぶ人が出る。観光地の混雑は、最初は良い空気でも、早い段階で危険になる。


 勇輝は人の外側から全体を見て、まず通路の確保を優先した。誘導員に短く声をかける。


「ここ、立ち止まり帯作って。通路は空ける。写真は撮っていいけど、白線の内側」


 誘導員が頷き、コーンを置き直す。こういう地味な調整が、現場を救う。


 そしてもう一つ。巻物を掲げる位置だ。今の位置はちょうど通路の角で、立ち止まる人が後ろから来る人とぶつかりやすい。勇輝はリュガルに視線を送って、少しだけ端へ移すよう手で示した。リュガルは理解したのか、巻物を支える人に合図を出し、展示位置を半歩ずらす。半歩が、町の動線には大きい。


 人だかりの中心に、鱗の意匠が入った礼装の竜族がいた。胸に観光組合の徽章。背中に小さな翼飾り。堂々としているが、目線はちゃんと周囲を見ている。そういう人は話が通りやすい。


「竜王領観光組合、担当。名はリュガル」


 リュガルは巻物を掲げ、誇らしげに言った。


「巡礼とは物語。刻印とは誓い。ゆえに叙事詩の巻物にした。参加者は英雄となる」


 勇輝はまず一拍置いてから、穏やかに返した。


「意図は分かります。参加者に特別感を渡したい。町の働きを讃えたい。竜王領の文化としても美しい」

「そうだろう」

「ただ、今日この場所で回すには、台紙として厳しい点がいくつかあります」


 否定から入らない。否定は抵抗を生む。抵抗が出ると現場が長引く。長引くと人が増える。人が増えると危ない。順番はいつも現場が教えてくれる。


 美月がタブレットを見ながら、具体を並べた。責める声ではない。整える声だ。


「長すぎて持ち歩けません。雨と湯気で傷みます。押す場所が文章の中に埋もれていて見落とします。達成条件が数字で明示されていません。交換場所と時間も曖昧です」

「曖昧?」

「曖昧です。『終章の扉の向こう』は場所ではありません」


 リュガルが少しだけ眉を動かした。反論ではなく、理解のための動きだ。そこで加奈が合いの手を入れるように、やさしく言った。


「巻物は本当に綺麗。だからみんな写真撮りたくなる。でも、歩く企画だと、持てないと困るし、濡れると悲しいよね。楽しむ前に守らないと」


 加奈の声は柔らかい。けれど内容は現実だ。現実は強い。


 リュガルは巻物を見下ろし、少し考える。周囲の観光客の視線も感じ取ったのだろう。巻物は確かに注目を集めている。けれど注目だけで回すと、スタンプ台が空になる。景品が足りなくなる。人が動かない。


「英雄が増えて困るのか」

 リュガルが真顔で言う。

 美月が即答した。

「困ります。景品は在庫です。在庫には数があります。数が見えないと、後で揉めます。揉めると楽しい空気が消えます」

 加奈が小さく頷く。

「楽しい気持ちが、嫌な気持ちに変わるのが一番もったいない」


 勇輝は巻物を指で軽く示し、提案を出した。


「巻物は残しましょう。むしろ残したい。けれど、実用の台紙を別に作る」

「別に?」

「はい。台紙は持てるサイズで、濡れに強く、枠が一目で分かる。達成条件と交換場所が明確。巻物は記念品として授与する」


 リュガルの目がわずかに開く。彼の中で、物語の形が組み替わり始めたのが分かった。


「授与。達成の後に授ける」

「そうです。最初から巻物を持って歩くのは、現実的に難しい。だからゴールした人に渡す。物語としても自然です」

 加奈が笑う。

「ご褒美なら、嬉しいよ。家で広げて読む時間が作れるし」

 美月が補足する。

「巻物は景品交換の証拠にはしない。証拠は小さな台紙で完結させる。巻物はコレクションとして残せます」


 リュガルは深く頷いた。


「なるほど。英雄譚は授けられるもの。歩く者はまず道具を持つべき。順が逆だった」

「順番を直せば、両方生きます」

 勇輝は言い切った。


◆正午 温泉通り 小さな混乱と、早めの手当


 話がまとまった、と思った矢先。現場は現場で、すぐに動く。


 人だかりの中の一人が、巻物をじっと見つめたまま、スタンプを取り出したのだ。台紙だと思ったのだろう。悪気はない。むしろ真面目だ。真面目だからこそ、やってしまう。


「あ、ここに押すんですね」


 その声に、巻物を支えていたスタッフが凍りついた。押されたら金箔が潰れる。紙がたわむ。そもそも展示用だ。ここで押したら、後で別の人が「私も」となる。連鎖する。


 加奈がすっと前に出た。大声で止めない。大声は恥を増やす。恥は反発を生む。だから、優しく、即座に。


「ごめんね、それ展示なんだ。スタンプはこれから配る小さい台紙に押してもらうよ」

「え、そうなんですか。すみません」

「大丈夫。分かりにくいよね。今、整えてるところ」


 加奈の言い方は責めない。責めないと、人は素直に引く。素直に引けば、現場は早く戻る。


 美月がタブレットで案内文を即席で作り、ブース前の立て札に貼った。


『この巻物は展示です。スタンプ台紙は配布開始までお待ちください』


 短い。はっきり。否定ではなく説明。これだけで、止められることが増える。


 リュガルが小さく息を吐いた。

「危うかった」

「危ういのは、悪い人がいる時じゃなく、善い人が真面目に動く時です」

 勇輝が言うと、リュガルが静かに頷いた。

「確かに。誇りは時に、刃になる」


 その瞬間、通りの向こうから聞き慣れた声が飛んできた。


「おお、何だこの巻物! 迫力があるな!」


 市長だった。視察というより、現場に混ざるタイプの登場だ。けれど今日の市長は、妙に落ち着いていた。人だかりの外側から様子を見て、通路が確保されているのを確認してから、こちらへ寄ってくる。


「市長、今日は写真撮りに来たんですか」

 美月が半分あきらめた声で言う。

「撮らん。今日は現場の空気を見に来た」

「偉い」加奈が小声で言った。

 市長は巻物を見て、感心した顔をする。

「綺麗だ。だが、持ち歩きは無理だな」

「そうです」勇輝が頷く。「だから、実用台紙は別で作ります」

「なるほど。巻物はご褒美に回す」

「はい」

 市長はリュガルに向き直り、ちゃんと頭を下げた。

「竜王領の誇りは活かしたい。だが、町の動線も守りたい。協力を頼む」

 リュガルが胸を張る。

「協力する。誇りは守られてこそ輝く」


 市長はその一言に満足そうに頷き、勇輝へ視線を戻す。

「景品の在庫は足りるか」

「足りない可能性があります。代替案は協力店クーポンで用意します」

「良い。商店街にも利が回る」

 市長は迷わず言った。

「必要なら、町内放送で『走らず歩いて楽しんで』を入れておけ。今日は人が多い」

「それ、助かります」

 美月が珍しく素直に頷いた。「SNSも同じ文言に合わせます」


 市長が去り際に、軽く手を振る。

「巻物は展示しろ。ただし通路を塞ぐな。写真スポットは場所を決めろ。以上」

「はい」

 現場が一段、締まった。市長がこういう言い方をするときは、余計な飾りを足さない時だ。助かる。


◆午後 市役所 印刷室と、紙の現実


 市役所に戻ると、印刷室はすでに動いていた。観光課の職員が版下を整え、美月がテンプレの表を整える。勇輝は全体の言葉を短くし、加奈は協力店の表記を読みやすくする。紙の作業は地味だが、地味なほど効く。


 台紙AはA6折りたたみ。ポケットに入る。小さすぎると字が読めないので、フォントサイズを確保しつつ情報を削る。削りすぎると不安が残る。残しすぎると見づらい。ここは設計の腕だ。


 美月が言う。

「スタンプ枠、五つ。枠の横に地名と番号。QRは最後にまとめます。入れすぎるとごちゃごちゃします」

 勇輝が頷く。

「QRは詳細に逃がす。台紙は行動だけを残す」


 観光課職員が迷いながら聞いた。

「地名だけで分かりますか。温泉通りって言っても入口がいくつか」

 勇輝が返す。

「目印を一つ入れます。『案内所』や『ドラゴン像』。固有名詞は地図より強い」

 加奈が笑う。

「ドラゴン像、みんな覚えるもんね。写真撮るし」


 加奈が協力店の表記を見て、指を止めた。

「喫茶ひまわり、台紙に載せると人が増えるかも。大丈夫かな」

「スタンプ目的の来店は増える」勇輝は正直に言う。「ただし混雑が出るなら、スタンプ台の位置を工夫する。注文しない人でも押せる場所に置いて、店内に滞留させない」

「なるほど」加奈が頷く。「入口横の小棚で押せるようにする。店の動線から外す」


 印刷が回り始めると、紙が一枚ずつ出てくる。耐水紙は少し硬い。触ると安心する硬さだ。これなら湯気でもすぐには負けない。


 勇輝は試し刷りを見て、最後に一行だけ追加した。


『迷ったら観光案内所へ。スタッフが案内します』


 文章は短い。けれど、困った時の出口があるだけで、人は落ち着く。


 次に、もう一つ。行列対策だ。スタンプ台は楽しいけれど、押す瞬間に人が固まる。固まると通路が細くなる。細くなると、背中が詰まる。詰まると、押している人が焦る。焦ると、押し間違える。押し間違えると、相談が増える。


 だから、台紙の端に小さくこう入れた。


『スタンプは順番に。押したら次の方へ』


 命令ではない。お願いだ。けれど書いてあると、譲り合いが生まれやすい。


 観光課職員が小さく感心した顔をする。

「こういう一行、助かります。現場が言わなくても済む」

「言わなくて済むと、優しくできる」

 加奈が頷いた。

「言わなくて済む優しさ、あるよね」


 台紙が束になった頃、勇輝は一つだけ確認した。交換場所の表記。時間。日付。イベントは日付が命だ。曖昧にすると、翌日も来る人が出る。


「日付、入ってる?」

 観光課職員が頷く。

「開催日を明記。明日以降は別企画です、と脚注も入れました」

「脚注、助かる」


 紙は現場に届く。届けば流れが整う。届くまでの間は、現場が踏ん張る。だから急ぐ。急ぐけれど雑にはしない。雑にすると後で倍の手間になる。


◆午後 温泉通り スタンプラリーが歩き始める


 午後の温泉通りは、朝より人が増える。湯けむりの白に、観光客の色が混ざる。ここで新しい台紙が配られる。現場がどう動くかは、紙の設計が決める。


 竜王領ブースでは、リュガルが台紙Aを高く掲げた。巻物は展示棚の奥に下げられ、代わりにこう書かれている。


『巻物叙事詩はゴール達成者に授与』


 展示は展示で、ちゃんと残っている。ただし、触れない。触れないと分かる場所に置かれている。写真を撮る人はいるが、朝の鑑賞会のように固まらない。目的が歩くことに戻ったからだ。歩けば人だかりは分散する。


 美月がタブレットでSNSに短い告知を出す。

『スタンプラリー台紙は小さく持ち歩ける版を配布中。ゴールすると叙事詩巻物がもらえます。迷ったら案内所へ』


 文章は短い。煽りはない。事実だけ。これが一番強い。


 最初の参加者は、親子だった。小学校低学年くらいの子が台紙を握りしめ、目を輝かせている。


「五個で巻物!」

 子どもが言う。

 母親が笑う。

「まずは一個ずつね。走らないよ」

「走らない!」

 言いながら、子どもの足は少し早い。けれど台紙が小さいから、読むのに立ち止まらない。番号と地名が一目で分かるからだ。


 温泉通り案内所で一個目。

 市役所ロビーで二個目。

 市場で三個目。

 喫茶ひまわりで四個目。

 そして竜王領ブースで五個目。


 ルートが見えると、人の動きが整う。整うと、周りの人も巻き込まれにくい。


 加奈の店先では、スタンプ台が入口横の棚に置かれていた。注文の列とは別。押す人はさっと押して、次へ行く。店の中が詰まらない。これも小さな動線設計だ。


「押せた!」

 子どもが嬉しそうに言う。

 加奈が笑って、台紙の角を指差す。

「次は市場だね。ドラゴン像を目印にまっすぐ。迷ったら案内所に戻ってもいいよ」

「うん!」


 子どもは走りそうになって、母親に手をつながれて歩く。歩ける企画は、街を傷つけない。


 途中、市役所ロビーで押していた高齢の男性が、台紙の小さな字を見て困っていた。美月が気づいて近寄る。

「見づらいですか」

「老眼でね。数字は見えるけど、地名が小さい」

 美月はすぐにロビーの掲示に手を回した。台紙の文字を変えるのは今すぐには無理。でも補助はできる。

「受付に大きい地図を出します。次の場所、矢印で示しますね」

 勇輝が頷く。

「台紙は持ち歩く。掲示は見せる。両方で守る」

 男性はほっとした顔になった。

「助かります。孫と一緒で、迷うと焦ってしまう」

 加奈が横で笑う。

「焦ると楽しくなくなるもんね。焦らなくていい仕組み、大事」


 小さな補助が、企画を守る。こういうところで公共の仕事は効く。


◆夕方前 市役所 観光課と総務の小さな段取り


 温泉通りの現場が落ち着き始めた頃、勇輝は一度だけ庁舎に戻った。スタンプラリーは歩き始めれば分散する。だが、分散したまま放っておくと、今度は別の場所で詰まる。だから、裏側の点検をしておく。


 観光課の部屋では、印刷室から戻ってきた職員が台紙の束を抱え、机の上に置いていた。束の端が少し波打っている。湯気と持ち歩きの手汗が、すでに紙を試している証拠だ。


「思ったより減りが早いです」

 職員が言う。

「今のペースだと、夕方前に配布分が尽きます」

「尽きる前に、次の束を前へ出す」

 勇輝は落ち着いて言った。

「配布が止まると、現場は急に不安になります。止めない。切らさない。切れたら切れたで、告知を先に出す」


 美月がタブレットを叩き、在庫の見える化を作っていた。

「ブースごとに残数を入力してもらいます。入力が難しいところは、写真で束を撮って送ってもらうだけでもいい。束の厚みで概算できます」

「概算でいいの?」

 観光課職員が不安そうに言う。

「概算でいいです。精密より、早い共有が優先です」

 美月は淡々と答えた。

「精密にしようとして遅れると、現場の方が先に崩れます」


 総務の職員が顔を出し、別の心配を出した。

「スタンプ台のインク、手につきます。お子さんがその手で目をこすったら危ないかも」

 加奈が一瞬、真剣な顔になった。

「確かに。子ども、嬉しいと顔触っちゃう」

 勇輝が頷く。

「手拭きと簡易消毒をスタンプ台の横に置きましょう。注意書きは強くしすぎない。絵で示す。『押したら拭く』が自然に動線になるように」

 美月がすぐ案を出す。

「スタンプ台の横に小さい案内カードを置きます。『押したらこちらで手を拭いてください』。それと、ティッシュの補充担当を決めましょう。担当が決まってないと、夕方に枯れます」

「担当は観光課が一括で見ると重い」

 勇輝は言った。

「各地点の協力店に、補充の目安だけ伝える。無理な店は案内所が回る。負担を片寄らせない」


 加奈が頷く。

「喫茶はティッシュもおしぼりもあるから、ここは大丈夫。押してすぐ拭けるように棚に置いとく」

「助かる」

 勇輝は短く礼を言った。協力店が無理をしない範囲でできることを増やす。それが長く続く形だ。


 そこへ市長が顔を出した。現場を回ってきた帰りらしい。手には、台紙Aが一枚。端が少し折れている。ちゃんと歩いて押してきたのだろう。


「これ、分かりやすいな。良い」

「ありがとうございます」

 美月が先に答えた。

「あとでレポートにします。今日の運用改善点も入れます」

 市長は頷き、少しだけ笑う。

「改善点が出るのは健康だ。問題は、出た改善点が来月も出ることだ」

「来月も出さないように、テンプレに落とします」

 勇輝が言うと、市長は満足そうだった。


 市長は巻物の展示写真も見ていたのだろう、ふと思い出したように言う。

「巻物は、あれはあれで魅力がある。買いたい人もいそうだ」

 観光課職員が反射で目を輝かせる。

「物販にできますかね」

 勇輝はすぐに釘を刺した。

「物販は別枠で検討です。今日は混ぜない。混ぜると誤配布が起きます」

 市長が頷く。

「混ぜない。分ける。今日の合言葉だな」


 最後に勇輝は、台紙の下部に印刷した問い合わせ先を指で叩いた。

「ここに電話が集中したら、現場が止まります。問い合わせは案内所でまず受けて、必要なら担当に回す。受け口を分散する」

 美月が頷く。

「FAQも作って、案内所に置きます。『景品はどこ』『何個で何』『押し忘れたら』。短い答えで」

 加奈が笑う。

「短い答え、ありがたいよね。困ってる時ほど長文読めないから」


 段取りが整った頃、庁舎の窓から夕方の光が差し込んだ。現場はまだ忙しい。けれど裏側の不安が減ると、忙しさの質が変わる。追いかける忙しさから、支える忙しさへ。勇輝はそれを、静かに良い兆しだと思った。


◆夕方 竜王領ブース 巻物が授けられる瞬間


 ゴールのブースには、夕方になっても人が途切れなかった。とはいえ、朝の鑑賞会のような固まり方ではない。歩いた人が帰ってくる形だ。動きがある。流れがある。


 五個押した台紙をリュガルに見せると、リュガルは真面目に確認し、頷いた。


「よく歩いた。刻印は揃った」


 そして棚から巻物を取り出す。先ほどの長い巻物だ。けれど今は最初から床に落ちないように、筒に収められている。受け取る人の手が扱える形にしてある。それだけで安心が違う。


 子どもが筒を抱え、目を丸くした。

「重い!」

 母親が笑う。

「家で開けようね」

 子どもが嬉しそうに頷く。

「開ける! 広げる!」


 リュガルは筆を取り、巻物の一角に通称欄を示した。

「名はどうする。望むなら書く」

 子どもが母親を見る。母親は首を振らず、子どもに選ばせる顔をした。

「どうしたい?」

「書きたい」

「じゃあ、短いのでね」


 子どもが少し考えて、言った。

「ひまわりの勇者」

 美月がタブレットの向こうで笑いそうになるのをこらえている。加奈も、遠くから見て肩をすくめた。言い過ぎかもしれない。でも今日は許せる。巻物は、達成後に渡すご褒美だから。


 リュガルは真面目に筆を走らせる。

『ひまわりの勇者』


 それを書き終えた瞬間、子どもの顔がぱっと明るくなった。嬉しさが形になった顔。紙はこういう時に強い。


 母親が頭を下げる。

「ありがとうございます。子ども、すごく喜んでます」

 リュガルが胸を張る。

「歩いた者には誇りが残る。これは竜王領の作法だ」


 そこへ、もう一組の参加者が来た。今度は大学生くらいのグループ。台紙は三個だけ押されている。小景品の条件だ。

「すみません、五個は無理そうで」

 彼らが言うと、リュガルは驚かず頷いた。

「三つでも良い。三つの刻印にも意味がある」

 勇輝が小さく息を吐く。条件が段階になっていると、挫折が減る。挫折が減ると、嫌な気持ちが残りにくい。これは台紙の設計で救える部分だ。


 美月がぼそっと言う。

「最初から三個の小景品を用意しておいてよかったですね」

「よかった」

「五個に届かない人が出るのは普通ですから」

「普通を許すと、企画は優しくなる」

 加奈が頷いた。

「優しい企画の方が、また来たいって思える」


 勇輝は少し離れた場所で、その光景を見ていた。現場が回っている。人が笑っている。押し付けではなく、選択として特別が用意されている。公共の場でそれができるなら、企画は成功だ。


 美月が寄ってきて、低い声で言う。

「主任、巻物、ちゃんとご褒美になってます」

「なってる」

「台紙は実用で回る。問い合わせも減ってます。景品の在庫管理も数字で回せます」

「数字は強い」

「強いです。英雄より」


 美月の最後の一言に、勇輝は小さく笑ってしまった。笑いが出るのは余裕が戻った証拠だ。


◆夜 喫茶ひまわり 棚の横の小さな注意書き


 夜、喫茶ひまわりの棚には、台紙Aが少し減っていた。代わりに、Bの巻物の話をしているお客さんがいる。今日の出来事が、ちゃんと今日の中に収まっている。明日に持ち越さないのが大事だ。


 加奈は棚の横に、小さな注意書きを足した。


『スタンプは順番に。押したら次へ。店内での滞留はご遠慮ください』


 強い言い方ではない。けれど、書いてあるだけで助かる人がいる。言われる前に気づける人も増える。


 そこへ勇輝が顔を出す。少し遅い時間だ。

「加奈、今日の協力、助かった」

「ううん。むしろ楽しかった。巻物、ちゃんとご褒美になってたね」

「順番を直したからな」

「順番、大事」


 美月も一緒に入ってきた。タブレットを閉じ、肩の力が抜けている。

「主任、データまとめました。台紙配布数、回収数、景品在庫、問い合わせ件数。明日の朝に観光課へ共有します」

「ありがとう」

「あと、巻物の写真が強いので、欲しい人が増えそうです。限定感が効いてます」

「増えるのはいい。増えすぎると在庫が追いつかない」

「なので次回は事前に数量を決めて、予約枠も作ると良いかも。今日の成功で、同じ相談が来ます」


 加奈が笑う。

「次、って言わない。今日は今日で終わらせよう」

「確かに」美月が頷く。「今日は今日で成功。明日は明日の現場」


 勇輝はカップを手に取り、窓の外の温泉通りを見た。湯けむりの白が、夜の灯りに淡く溶けている。歩いた人の足音はもう少ない。けれど今日の町の動きは、確かに残っている。紙の束ではなく、安心として。


 加奈がぽつりと言った。

「巻物って、最初は大変そうって思ったけど。ちゃんと置き場所があれば、いい思い出になるね」

「置き場所」

 勇輝は短く繰り返し、頷いた。

「物語は置き場所を選べば強い。台紙は台紙で強い。混ぜないで、並べる。今日はそれができた」


 美月が小さく笑った。

「主任、最後に一言。英雄は増えても困らないって言われてましたけど」

「言われてたな」

「増えると、片付けが増えます」

「片付けは増やしたくない」

「だから、次も順番です」


 加奈が店の灯りを少し落としながら言う。

「順番を守ると、楽しいのが続く。今日のスタンプラリー、そうだったね」


 外の湯気は静かだ。

 静かだからこそ、今日の最後の一言がよく聞こえた。


「明日、台紙の補充を忘れないでください」


 美月の現実が、やけに頼もしかった。


◆夜更け ある家の食卓 巻物の役目


 その頃、温泉通りから少し離れた住宅地では、今日巻物を受け取った親子が食卓を片付けていた。湯気はここまで届かない。代わりに、台所の湯気が小さく立つ。生活の湯気だ。


「開けていい?」

 子どもが筒を抱えたまま聞く。

「いいよ。でも机の上でね。床に落ちると、角が折れちゃう」

 母親が笑いながら言った。注意はしても、叱る声ではない。今日のご褒美を、嫌な記憶にしないための声だった。


 筒の蓋を外すと、巻物は静かに現れた。昼間の風の中では暴れそうだった紙が、家の灯りの下では落ち着いて見える。広げる手の動きも、昼よりゆっくりになる。


「うわ、ほんとに長い」

「だから外で開かないように言われたんだね」

 母親が言うと、子どもが得意げに頷いた。

「歩くときは小さい台紙で、終わったら巻物。順番、守った」


 巻物の端に書かれた通称が目に入る。

『ひまわりの勇者』

 子どもはそれを指でなぞり、照れたように笑った。


「これ、明日学校で言っていい?」

「言ってもいいけど、無理に言わなくてもいいよ。嬉しいのは自分の中に残しておけば」

「……うん」


 母親は巻物の最後の方に、小さく書かれた一文を見つけた。竜王領の文字の装飾の隙間に、ひまわり市の小さな案内が入っている。


『この巻物は記念品です。景品交換の証明は台紙をご確認ください』


「ここ、ちゃんと現実がある」

「現実ってなに」

「困らないための言葉」


 子どもはよく分からない顔をした。でも、困らないって言葉は分かったのか、少し安心した顔になる。母親は巻物をもう一度巻き直し、筒に戻した。


 物語は、家で読むから優しくなれる。

 道具は、外で使うから強くなれる。

 今日の町は、その順番を守っていた。

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