第100話「夜間騒音の最終兵器:加奈の『常識』が刺さる」
夜のひまわり市役所は、原則静かだ。
役所は閉庁している。電話も鳴らない。
……鳴らないはずだった。
――深夜1時。
「主任ぃぃ……すみません……」
警備員からの内線で起こされ、勇輝はスマホを握りしめて天井を見た。
「どうしました」
「苦情が止まりません……夜間騒音です……」
「またか……どこで」
「温泉通りです。異界の方々が……宴会を……」
「宴会……深夜1時に……」
勇輝はベッドの上で、静かに絶望した。
――夜間騒音は、人類共通の敵である。
そこへ、隣の部屋から声がする。
「勇輝、起きてる?」
加奈だった。
幼馴染は、こういう時だけやたら察しがいい。
「……起きてる。夜間騒音だ」
「行こ。私も行く」
「え、いいの?」
「温泉通りでしょ。うちの店の近くだし」
美月からも通知が来た。
『課長! 騒音案件ですか!? 動画撮りに行きます!』
「来るな!!」
温泉通りは、深夜なのに明るかった。
提灯が揺れ、湯けむりが漂い、笑い声が空に響く。
「うぉおおおー!! 温泉最高!!」
「酒が甘い!! もっと持て!!」
「踊れぇぇぇ!!」
異界の宴会集団が、温泉旅館の前でどんちゃん騒ぎをしていた。
魔族、獣人、ドワーフ、エルフ――種族の混合パーティ。
しかも、誰かが太鼓を叩いている。深夜に。
周囲の旅館の窓が、いくつも開く。
怒った顔、疲れた顔、不安そうな顔。
「主任さん!」
旅館の女将が駆け寄ってきた。
「もう何回注意しても、笑って終わりなんです……
“楽しいのに静かにする理由が分からない”って……」
「理由が分からない……文化衝突だな」
勇輝が前に出ようとした瞬間、加奈がスッと前に出た。
「私が行く」
「加奈?」
「こういうの、理屈じゃないときがある」
勇輝は嫌な予感を抱いた。
加奈の“常識”は、柔らかいが鋭い。
刺さるときは、刺さる。
加奈は、宴会の中心に歩いて行った。
怖がらず、怒鳴らず、ただ静かに。
「すみません」
その声は小さいのに、妙に通った。
太鼓を叩いていた獣人が振り返る。
「なんだ、人間の娘! 飲むか!?」
「飲みません。お願いがあります」
魔族が笑う。
「お願い? 夜にお願い? 面白い」
「面白くないです」
加奈は、落ち着いた声で言った。
「ここ、旅館街です。
みんな、休んでる。子どももいる。明日早い人もいる。
だから、静かにしてほしい」
ドワーフが肩をすくめた。
「静か? なぜ。温泉は祝うものだ」
エルフが笑う。
「祭りは夜に輝くものだ」
――予想通り、理屈が通じない。
だが加奈は、ここで“常識”を出した。
常識というより、生活のルールだ。
「じゃあ、逆の立場で考えて」
加奈は宴会集団の一人――魔族の男に向かって言った。
「あなたが、明日、重要な契約の儀式があるとする。
寝て体力を整えたい。
でも隣で、誰かが太鼓叩いて叫んでる。
それでも“楽しいからいい”って言われたら、どう?」
魔族の男が、少しだけ黙った。
「……契約の儀式を邪魔されるのは、嫌だ」
「でしょ」
加奈は続けた。
「あなたたちの“楽しい”は本物。否定しない。
でも“誰かの睡眠を奪う楽しい”は、ちょっと違う。
それ、強い人が弱い人から奪ってるだけになる」
この言い方が、刺さった。
宴会集団の空気が、一瞬だけ止まる。
勇輝は思った。
加奈は、制度を語らない。条例を語らない。
ただ、“暮らしの公平”を言う。
それが一番強いときがある。
獣人が太鼓を止めた。
「……奪う、か」
ドワーフも腕を組む。
「弱者から奪う宴は、美しくない」
エルフが小さく頷く。
「森では夜に歌うが、眠る者の近くでは歌わない」
魔族の男が、周囲を見回した。
窓から覗く旅館の人々の顔が目に入ったのだろう。
「……すまない。人間の夜は短いのか」
「短い。めっちゃ短い」
美月がどこからか現れて、つい口を挟んだ。
「あと、明日“温泉の朝ごはん”あるんで、今寝ないと損です!」
「来るなって言っただろ!」
でも、その一言も効いた。
損得は世界共通だ。
加奈は最後に、最終兵器を出した。
「代わりに、場所を用意する。
河川敷の停留所の近く。
夜でも騒いでいい“宴会スペース”にする」
「また場所を作るのか……」
勇輝が呟くと、市長がどこからか現れて頷いた。なぜいる。
「作ろう。観光資源にもなる」
「観光資源にするな!」
加奈が続ける。
「今ここで騒ぐのはダメ。
でも、騒ぎたい気持ちは分かる。
だから、“騒いでいい場所”で騒いで」
魔族の男が頷いた。
「合理的だ。
我らは“宴会場”に移る」
「移るなら今! すぐ!」
獣人が太鼓を担ぎ上げる。
「よし! 移動だ! 川の方だ!」
「声がでかい! 最後までうるさい!」
だが、集団は本当に移動を始めた。
笑い声は、通りから遠ざかっていく。
旅館街の窓が、少しずつ閉まっていく。
夜が戻ってくる。
その場に残った女将が、深く頭を下げた。
「ありがとうございます……本当に……」
「いえ。私もこの町の人なので」
勇輝は加奈に小声で言った。
「……すごかったな」
「常識だよ。
“眠る人がいる場所では静かにする”ってだけ」
「その“だけ”が一番難しいんだよ」
美月がスマホを掲げて言う。
「課長! “加奈さんの常識が刺さった瞬間”――」
「撮ってたのかよ!!」
「撮ってません! 心のメモです!」
「心にしまえ!」
市長が満足げに言う。
「河川敷に宴会スペースを整備しよう」
「整備する前に、まず条例と運用だ! ……いや、また増える!」
加奈が笑った。
「でも、今日みたいに“話して分かる”なら、まだいいよね」
「そうだな。
時間停止よりは、ずっとマシだ」
夜風が、温泉通りを撫でた。
静けさが戻り、湯けむりだけが白く漂う。
ひまわり市役所は、今日も一つ、町の“普通”を守った。
条例じゃなく、常識で。
次回予告
遺失物センター再び――今度の落とし物は「勇輝の威厳」!?
なぜか受付票まで発行され、本人確認が地獄になる。
「遺失物センター再び:今度は『勇輝の威厳』が落ちてた」――拾ったの誰だ!




