オタクに優しい悪役令嬢
「オイ、ギード、今からみんなで遊び行くんだけど、お前も来いよ?」
「え?」
貴族学園のとある放課後。
クラスメイトの陽キャグループの一人から、唐突に声を掛けられた。
「あ……僕は、遠慮しておくよ。……用事あるし」
「何だ、またかよぉ。付き合いワリィなぁ」
「まあまあ、そんなオタクくんと遊んでもつまんねーだけだし、放っておいて行こーぜ」
「ま、それもそうか」
陽キャグループたちはギャハハハという下品な笑い声を上げながら、教室から出て行った。
フゥ、あんな奴らと一緒に遊ぶだなんて冗談じゃない。
前に一度だけ嫌々参加したことがあったが、終始僕が魔法オタクであることをイジられ、それはそれは不快だった。
もうあんな思いは二度と御免蒙る。
結局奴らは、カーストが下の人間を見下して悦に入りたいだけなのだ。
「さて、と」
そんなことより僕は忙しいんだ。
僕は今日も一人で、とある場所へと向かった――。
「よし、やるぞぉ」
僕が来たのは旧校舎の端にある空き教室。
ここは僕の秘密基地とも呼べる場所になっており、毎日放課後はここで魔法の研究に勤しんでいるのだ。
――魔法はイイ。
調べれば調べるほどその奥深さがわかり、時間が無限に溶けていく。
こんなに楽しいことは他にない。
中でも最近僕が注目しているのは、『精霊顕現魔法』だ。
長年使い古された物には精霊が宿ると言い伝えられているのだが、その存在を証明できたものは歴史上まだ一人もいない。
だからこそ、もし仮に精霊顕現魔法を発明することができれば、歴史に名が残ることは必至!
僕の夢は、いつか魔法使いの最高峰である、『枢賢者』の称号を得ること――。
精霊顕現魔法を完成させることは、きっとその夢への一歩になってくれる。
そのためにも僕は、今日も一人でコツコツ頑張っているのだ――。
「さて、と」
僕は懐から一枚の古びたハンカチを取り出した。
このハンカチは子どもの頃に祖母が手作りしてくれたもので、僕の宝物だ。
精霊が宿る条件は十二分に満たしていると言える。
……だが、ありとあらゆる呪文を試しても、今日まで一度も精霊は顕現していない。
「惜しいところまではいってると思うんだよなぁ」
試しに呪文の後半を一部旧式にしてみるか?
うん、やってみる価値はあるな。
魔法の研究というのは、ひたすらトライアンドエラーの繰り返しだからな。
僕は手のひらの上のハンカチに、魔力を込める――。
「歴史を紡ぐ神の筆
八つの星が一列に並ぶ
星の輝きが命を与え
人の知性が意思を与える
――顕現せよ 不可視の世界の住人よ」
その時だった。
ハンカチがおもむろに、プルプルと震え出した――。
「こ、これは――!?」
「キュッキュー!」
「っ!!?」
そして次の瞬間ハンカチが宙に浮かび、「キュッキュー!」という謎の鳴き声を上げたのである――!
「うおおおおおおお!!! やったやったやった!! 遂に成功したぞ!! ウハハハハハハハハハ!!!」
思わずキモい笑い声を上げてしまう。
だが、僕は遂に歴史に残る快挙を成し遂げたのだ。
このくらいの失態は、どうか許してほしい。
「キュッキュー」
宙に浮いたハンカチが、僕の頬をスリスリと撫でてくる。
「はは、くすぐったいよ」
「キュッキュ~」
尚もハンカチは頬擦りをやめない。
どうやら相当懐かれているらしい。
まあ、長年苦楽を共にしてきたハンカチだ。
さもありなんといったところだが。
「まあ! 何て可愛いんでしょう!」
「っ!?」
その時だった。
女性の声がしたので慌てて振り返ると、そこにいたのは筆頭公爵家のご令嬢である、ベネディクタ様だった。
今日もケバブみたいにぶっとい金髪縦ロールが頭の左右で揺れていて、異彩を放っている。
な、なんでベネディクタ様がここに……!?
「ギード様! そのハンカチは、ギード様の魔法で命をお与えになったのですか!?」
「えっ」
ベネディクタ様が大きな瞳をキラッキラ輝かせながら、僕の目の前にズンズン近寄ってきた。
ベネディクタ様ほどの超有名人が、僕みたいな目立たない陰キャの名前を知っていたことに、頭がパンクしそうになる。
あわわわわわ……!
「あっ、えっと、あの……、命を与えたというよりは、精霊を顕現させたというほうが的確ですかね……」
「まあ! 精霊を顕現! それって歴史的快挙じゃありませんかッ!」
「っ!?」
ベネディクタ様はまるでミュージカル俳優みたいに大仰に舞いながら、僕のことを賞賛してくださる。
お、おぉ……、ベネディクタ様ほどのお方にそこまで褒められると、却って冷静になってしまうな。
流石にそこまで大層なことじゃないと思うんだけど……。
いや、大層なことなのかな……?
よくわからなくなってきた。
「キュッキュ~」
「あっ、コラッ!?」
その時だった。
ハンカチがベネディクタ様のところに飛んで行き、馴れ馴れしく頬擦りをした。
ウオオオオオオオオオイ!?!?
何してんだよお前えええええええ!?!?
相手は筆頭公爵家のご令嬢だぞッ!!?
「はぁ~ん!! きゃわいいですわぁ~!!」
「え??」
が、ベネディクタ様は鼻の下を伸ばしてデレデレしながら、ハンカチに頬擦りをし返した。
おおおおおお???
「あ、あの、ベネディクタ様、そのハンカチ、あまり綺麗じゃないので、お触れにならないほうが……」
「まあ! 何を仰るんですかギード様! こんなに可愛くて綺麗じゃありませんかッ!」
「キュッキュ~」
「――!?」
ベネディクタ様は左右の手のひらでハンカチを包み込みながら、僕の顔にハンカチをグイと近付けてくる。
いや、僕は「清潔ではない」という意味で「綺麗じゃない」と言ったのだが、ベネディクタ様は「醜い」という意味に捉えたらしい。
ベネディクタ様と会話をしたのは今日が初めてだが、どうやら若干天然ぽいところがあるようだ……。
「この子、名前は何と仰るんですか、ギード様!?」
「な、名前、ですか……。いや、今し方顕現させたばかりなので、まだ名前はないですが」
「では、もしよろしければわたくしに名付けさせていただけませんか!?」
「キュッキュー!」
「――!」
ベネディクタ様はハンカチを天高く掲げながら、そう仰った。
「あ、はい、それは、いいですけど」
ベネディクタ様にそう言われてしまっては、僕なんかには断る勇気も権力もない。
「ありがとうございますわ! ではでは、『キュッキュ』ちゃんというのはいかがでしょうか!?」
「キュッキュ~」
安直!!
まあでも、ハンカチもピョンピョン跳ねて嬉しそうにしてるし、いいか。
「ええ、いい名前だと思います。ではこいつの名前はキュッキュで」
「キュッキュ~!」
「アハハ! よかったですわねキュッキュちゃん! 今日からよろしくお願いいたしますわね」
「キュッキュ~」
え?
今日からって?
……もしかしてベネディクタ様、明日からもキュッキュに会いに来るおつもりですか?
――こうして僕の平凡なりに平穏で平和だった日々は、突然終わりを告げた。
「キュッキュ~」
「オイ!? 出てくるなって!?」
そして一夜明けた朝。
僕がいつも通り登校すると、懐からキュッキュが顔(顔?)を出して、辺りをキョロキョロ見回した。
慌ててキュッキュを押し込む。
まだキュッキュのことはベネディクタ様以外には秘密にしているので、バレるわけにはいかない。
僕は何かにつけて懐から出て行こうとする好奇心旺盛なキュッキュにハラハラしながら、放課後までの長い時間を過ごした――。
「ハァ~、やっと終わった……」
そして遂に訪れた放課後。
いつもの旧校舎の空き教室に入るなり、僕は深い溜め息を吐いた。
まったく、何度もキュッキュの存在がバレそうになって、今日は一日気が気じゃなかった。
クラスメイトの陽キャグループからは、「今日のオタクくん、独り言多くね?」って陰口を言われていたが、徹底的に無視した。
むしろ今後のことを考えたら、『独り言が多い奴』と思われてたほうが都合がいいからな。
「ホラ、キュッキュ、もう出て来ていいぞ」
「キュッキュ~!」
やっと自由になれたキュッキュは、教室の中を縦横無尽に飛び回る。
はは、よっぽど我慢してたんだな。
暫く好きにさせといてやるか。
「ごきげんようッ!」
「っ!?」
その時だった。
スパーンという小気味良い音を立てながら、ベネディクタ様が豪快に扉を開けて入って来た。
うわぁ、本当に来たこの人!?
「こ、こんにちは、ベネディクタ様……」
「うふふ、お元気そうで何よりですわ、ギード様」
「あ、お陰様で……」
一日キュッキュで気を揉んでゲッソリしている今の僕が元気に見えるなら、世の中の大半の人は元気と言えるだろう。
「キュッキュ~」
「はあああああん、キュッキュちゅわああああん、会いたかったですわああああ」
キュッキュちゅわん???
キュッキュとベネディクタ様は、数十年ぶりに再会した家族かのように、激しい頬擦りをし合っている。
キュッキュの何がこの人を、ここまで魅了しているのだろうか……。
「ギード様! キュッキュちゃんの存在は、いつ世間の皆様に公表するのですか!?」
「え?」
ベネディクタ様は瞳をキラッキラ輝かせている。
「早くこんなにきゃわゆいキュッキュちゃんを、皆様にも知っていただきたいですわ! そしてみんなで、キュッキュちゃんを崇め奉るのです!」
「キュッキュ~!」
「いや、それは……!?」
そんなことしたら、むしろ気味悪がられるのがオチですよ!
精霊が実在したなんてこと、普通の人間はそう簡単には受け入れてくれない。
そもそも僕自身、まだ本当にキュッキュが精霊だということを確信できてはいないのだ。
新種の魔法の証明には再現性が必須。
まずはもっとサンプルを集めなくては。
「……すいません。公表するのはもう少しだけ待っていただけますでしょうか。――世間がキュッキュを精霊だと認めざるを得ない証拠を集めてからにしたいのです」
「……! ギード様……」
ベネディクタ様はほんのり頬を桃色に染めながら、ポーっとした顔をされた。
ベ、ベネディクタ様??
「キュッキュ~」
「な、何だよ!?」
キュッキュがからかうように、僕の頬をペチペチと叩いてきた。
いや何そのウザ絡み!?
「あ、そういえばベネディクタ様、言いそびれてましたけど、僕のことは、『ギード様』なんて御大層な呼び方をしなくていいですから。身分はベネディクタ様のほうが遥かに上なんですし」
そもそも本来僕みたいな下級貴族は、口を利くことさえおこがましい雲の上の存在だ。
「いいえ、そういうわけにはまいりません。身分なんて関係ございませんわ。わたくしはギード様のことを心から尊敬しているのですから、『ギード様』とお呼びするのは当然のことなのですわ」
「そ、尊敬……!?」
そんな……!
まさかベネディクタ様から、そんな風に思われていたとは……!?
どんどん自分で自分が怖くなる……。
「では、わたくしも証拠集めをお手伝いさせていただきますわ! 何をすればよろしいでしょうか!?」
「キュッキュー!」
「え!?」
ベネディクタ様が、僕の手伝いを???
「いやいやいや、それは流石にマズいですよ!」
もちろん恐れ多いというのもあるが、それ以上に――。
「他の男性と一緒にいるところを誰かに見られたら、ベネディクタ様のお立場が……」
そう、ベネディクタ様は王太子殿下であらせられる、ヨアヒム殿下の婚約者なのだ。
理由はどうあれ、放課後毎日他の男に会っているなんて噂が流れたら、一大スキャンダルになってしまう。
「……ああ、それなら心配はご無用ですわ。ほら、あれ」
「キュッキュ?」
「?」
ベネディクタ様が指差した窓の外に目を向けると、本校舎の渡り廊下を、ヨアヒム殿下と男爵令嬢のハイダさんが、仲睦まじく並んで歩いていた。
――なっ!?
「殿下はもう随分前から、ああしてハイダ様にお熱なのですわ。わたくしに対する愛情は、欠片も残ってはおりませんもの」
「キュッキュ~……」
「あ、いや、その……」
そうだったのか……。
他人の人間関係に興味がない僕は、そんなことになってるなんて全然気付かなかった。
……本当にダメな奴だな、僕は。
ベネディクタ様にも、何て声を掛けたらいいかわからない……。
「きっとわたくしはそう遠くない未来に、ヨアヒム殿下から婚約を破棄されると思いますわ」
「なっ!? そんな!」
「キュッキュー!」
「いえ、いいのです」
「っ!?」
「キュッキュ?」
ベネディクタ様は手で、僕の発言を制した。
ベネディクタ様……?
「わたくしは前々から、この政略結婚という制度は古いと感じていたのですわ。――これからは我々貴族も、本当に好きな方と恋愛結婚する時代がくるとわたくしは予想しております」
「――!」
貴族が――恋愛結婚。
本当にそんな未来が……。
「ですから国のトップであるヨアヒム殿下とわたくしの婚約が破棄され、お互い好きな方と結婚するという流れは、きっとこの国を良い方向に変えるキッカケになりますわ」
す、好きな人……!?
ベネディクタ様にも、他に好きな男性がいるってことか……!?
でも、それなら尚更、僕と一緒にいるのはマズいんじゃ……?
「そういうわけですからギード様! どうか今後はわたくしを助手として、じゃんじゃん使ってくださいまし!」
「キュッキュー!」
「助手!?」
ベネディクタ様が僕の、助手……!?
こ、これは、エラいことになったぞ……。
だが、ベネディクタ様は実際助手として大変優秀な方だった。
とにかく発想力が豊かで、次々に画期的な論理を提案してくれた。
頭の固い僕では正解に辿り着くまでに何日もかかったであろう問題も、ベネディクタ様の助言のお陰で一瞬で解決したなんてことが何度もあった。
そんな日々を重ねていくうちに、僕の中でベネディクタ様に対する恋心が芽生えてしまったのは、ある意味必然だったと言える――。
「ん? わたくしの顔に何か付いてますか、ギード様?」
「っ!?」
僕からの視線に気付いたベネディクタ様が、そのお人形みたいにお綺麗な顔をグイと近付けてくる。
あわわわわわ……!?
「い、いえ! ななななな、何でもありません!」
「うふふ、ギード様は本当に、面白いお方ですね」
「は、はぁ?」
僕なんかのどこがそんなに面白いのかは甚だ疑問だが、ベネディクタ様に好印象を持たれていること自体は、ハッキリ言って滅茶苦茶嬉しい。
……でも、ベネディクタ様は現時点ではあくまでヨアヒム殿下の婚約者だし、しかも好きな男は他にいるらしい。
正直言って、僕が入り込める余地はどこにもない。
そう考えれば考えるほど、ベネディクタ様が片想いをしている男に対して、僕の中でドス黒い嫉妬心が渦巻いていく――。
「キュッキュ~」
その時だった。
いつも通りキュッキュが僕に頬擦りをした、その瞬間――。
「ぐががががががが!?!?」
「まあ!? ギード様!?」
「キュッキュ!?」
電撃のような痺れが僕の全身を襲った。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い!?!?
「大丈夫でございますか、ギード様!?」
「キュッキュ~!」
「え、ええ、もう大丈夫です」
痺れはすぐに収まった。
何だったんだ今のは……。
「キュッキュ~?」
心配そうにキュッキュが、僕の様子を窺っている。
今のは明らかにキュッキュが原因と思われるが、キュッキュに何かした自覚はないらしい。
……となると理由は一つしか考えられない。
――僕が嫉妬という、やましい感情を持っていたからだ。
精霊というのは純粋で清い存在。
人間の悪い感情には、過敏に反応するという伝承がある。
多分やましい感情を持った人間がキュッキュに触れると、今みたいに激しい痛みが襲うのだろう。
――だが、それはそれで、貴重なサンプルになる!
「ベネディクタ様、今のでまた一歩、論文は完成に近付きましたよ!」
「まあ! 本当でございますか! それならよかったですわぁ~」
「キュッキュ~!」
ベネディクタ様とキュッキュは手と手を取って、ルンルンと飛び跳ねたのだった。
てぇてぇ……!
こうして一ヶ月も経った頃には、精霊顕現魔法の論文はほぼほぼ完成に近いところまできたのである――。
「ギード様! この論文が完成したら、いよいよキュッキュちゃんを世間にお披露目できますわね!」
「キュッキュ~!」
いつも通りベネディクタ様がキュッキュに頬擦りをしながら、そう仰る。
う~ん。
「確かに論文の目途は立ちましたが、実際にこれが認定されるには、まだ暫く時間がかかると思われます」
「そ、そんな!? 何故ですかギード様!?」
「キュッキュー!」
「魔法学会には、日々何百という論文が提出されているからです。それらを一つ一つ精査しているのですから、相応の時間を要します。……今論文を提出しても、学会が僕の論文を読んでくれるのは、早くて半年、下手したら数年後になることでしょう」
「まあ! 何かもっと早く読んでいただける、裏技的なものはございませんの!?」
「キュッキュ!」
「裏技、ですか……。まあ、高名な魔法使いの推薦があれば順番を早めてもらうことも可能ではありますが、僕にそんなツテはないですし……」
「あら、そんなことでよろしいんですか」
「え?」
そんなこと、とは?
「そういうことでしたら、わたくしに考えがございますわ! 明日までお待ちくださいまし!」
「はぁ……」
「キュッキュ~」
何だろう、とんでもないことが起こりそうな予感がする……。
「ごきげんようッ!」
「やあ、失礼するよ」
「――!」
そして翌日の放課後。
いつも通りスパーンという小気味良い音を立てながら空き教室に入って来たベネディクタ様だが、ベネディクタ様と一緒に入室して来た背の高い中年男性を見て、僕は絶句した。
――それはこの貴族学園の、学園長先生だったのだ。
学園長先生はこの学園で唯一『枢賢者』の称号を持つ、偉大な魔法使いでもあるお方。
その学園長先生が、何故ここに……!?
まさかベネディクタ様が昨日仰ってた『考え』って――!?
「ベネディクタくんから聞いたよ。君が精霊顕現魔法を開発したとね」
「あ、えっと、その……」
あまりのことに、頭が真っ白になる。
まさかずっと憧れていた、枢賢者が目の前に――!
「うふふ」
学園長先生の隣で、ベネディクタ様が天使のような笑みを浮かべている。
学園長先生は国王陛下の実の弟君でもあり、ヨアヒム殿下は甥に当たる。
つまりベネディクタ様にとっては、本来なら未来の叔父になるお方だったのだ。
そのツテを使って、学園長先生をここに呼んでくださったのだろう。
……ご自分は婚約を破棄されてしまうかもしれないのに。
そこまでして僕のために尽くしてくださったことに、思わず目頭が熱くなる――。
「キュッキュー!」
「オオ! これは凄い! ベネディクタくんの言っていた通り、本物の精霊じゃないか!」
学園長先生はキュッキュの姿を見るなり、両手をブンブン振り回しながら、子どもみたいにはしゃぎ出した。
が、学園長先生??
「うふふ、でしょう? さあギード様、学園長先生に、あなた様の論文をお見せなさってください」
「あ、は、はい」
僕は震える手で、学園長先生に完成したばかりの論文を差し出す。
「うん、拝見するよ。――どれどれ」
学園長先生は僕から論文を受け取ると、それを物凄い早さでめくり出した。
「うんうん! うんうんうんうんうんうん!!」
大分興奮されてますね!?
結構複雑な論文なのに、あんなにすいすい読めるなんて……。
やはり枢賢者の称号は伊達じゃないな――。
「……君、ギードくんといったね?」
「――!」
あっという間に論文を読み終えた学園長先生が、鋭い目を僕に向ける。
あわわわわわ……!
「は、はい、そうです……」
「ククク……、これだから教育はやめられない」
「え?」
学園長先生……?
「君の開発したこの精霊顕現魔法は、世紀の大発明だよッ!」
「っ!?」
学園長先生はフハハハハハと、魔王みたいな高笑いを上げる。
マ、マジですか……。
「これは一刻も早く、世間に君の才能を認めさせなくてはね! 今すぐ私が推薦状を書くから、君は明日にでもこの論文を魔法学会に送りたまえ!」
「――!」
嗚呼――!
「よかったですわね、ギード様!」
「ベネディクタ様……!」
ベネディクタ様が宝石みたいな瞳を潤ませながら、僕の手をギュッと握ってくる。
その瞬間、僕のベネディクタ様に対する想いが水の塊となって、目から溢れた――。
「はい、本当にありがとうございます……!」
「キュッキュ~」
キュッキュはそんな僕の涙を、自分の身体で拭いてくれた。
ハハ、確かにこれが、ハンカチの本来の使い方だよな。
ああ、今日まで魔法の研究を頑張ってきて、本当によかった――。
「ベネディクタ、今この時をもって、君との婚約を破棄する!」
「「「――!!」」」
だが、その翌週に開かれた貴族学園主催の夜会で、それは起きた。
遂にヨアヒム殿下がベネディクタ様に、婚約破棄を宣言したのだ。
殿下にはハイダさんがしなだれかかっており、二人はまるで恋人同士みたいだ。
……いや、実際恋人なのだろうが。
いつかはこんな日がくるとは思っていたが、いざその場面に立ち会ってみるとあまりに現実感がなく、演劇のワンシーンを観ているような気持ちになる。
「……左様でございますか」
ベネディクタ様も半ば覚悟していたことなので、落ち着いた様子だ。
でも、ベネディクタ様にとっても、これでよかったのかもしれませんね……。
これでベネディクタ様も、堂々と好きな人と結ばれるのですから――。
「ハイダに対する数々の嫌がらせ! 君がそんな最低な人間だとは思わなかったぞベネディクタ! 恥を知りたまえ!」
「……え?」
なっ!?
い、嫌がらせだって!?
「挙句ハイダの大事にしているペンダントまで盗むとは! 君に人の心はないのか!? 君みたいな人間は、僕の婚約者に相応しくない! 精々牢屋で反省することだな!」
「そ、そんな……!」
バカな……!?
ベネディクタ様がそんなこと、するわけないじゃないか!?
「ベネディクタ様、どうか私のペンダントだけでも返してください! あれは、亡き祖母の形見なんです!」
「い、いえ、わたくしは……」
ハイダさんはボロボロ泣きながら、ベネディクタ様に訴える。
……そういうことか!
単にベネディクタ様からヨアヒム殿下を寝取ったとなれば、外聞が悪くなる。
だからこうしてベネディクタ様を悪者に仕立て上げ、婚約破棄の大義名分を得ようって魂胆なんだな!
何て卑劣な――!
絶対に許せない――!!
僕はツカツカとハイダさんの目の前まで大股で歩いた。
「な、何よあなた!?」
「ハイダさん、涙でメイクが落ちてるよ」
「え?」
そして懐から取り出したキュッキュで、ハイダさんの涙を拭いた。
すると――。
「ぐががががががが!?!?」
「っ!? ハイダ!?」
案の定ハイダさんを、電撃が襲った。
やはりな――!
「殿下、ハイダさんは噓をついています!」
「な、なにィ!?」
「……ギード様」
ベネディクタ様が不安に揺れる瞳を、僕に向ける。
安心してくださいベネディクタ様!
あなた様のことは、僕が絶対に守ります――!
「このハンカチには、僕が魔法で顕現させた精霊が宿っています。精霊はやましい感情を持った人間が触れると、今みたいに電撃のようなものが流れるのです。――つまりハイダさんは噓をついているということになるのです!」
「へ、変な言い掛かりはよしてよッ! 私は絶対に、噓なんかついてないわ! 精霊なんて架空の存在、いるわけないじゃない!」
「そ、そうだ! 口ではどうとでも言える! 今のが精霊の力だという、証拠でもあるのか!?」
くっ、それを言われると弱い……!
まだ魔法学会から返事はきていないし、現時点でキュッキュを精霊だと証明するには、どうしたら……!
「キュッキュー!」
「「「――!?!?」」」
「なぁっ!? ハンカチが喋った!?!?」
その時だった。
キュッキュが突然浮かび上がり、夜会の会場から出て行ってしまった。
キュッキュ!?!?
「オイ、どこに行くんだよ、キュッキュ!」
僕は慌てて、キュッキュの後を追った。
「キュッキュー!」
「?」
キュッキュは校舎裏にあるゴミ捨て場で止まった。
「キュッキュ!」
そしてその中のゴミ箱の一つを指し示す。
「その中を見ろってのか?」
「キュッキュ!」
まさか!
僕の中で、ある考えが浮かんだ。
慌ててゴミ箱の蓋を開けると、案の定そこには古びたペンダントが捨てられていた――。
やっぱりか!
このペンダントが、ハイダさんのなんだな!
これでハイダさんの自作自演だという証拠になる――!
僕は逸る気持ちを抑えながら、夜会の会場に戻った。
「ペンダントを見付けました!」
「「「――!!」」」
「なにィ!?」
会場に戻った僕は、ペンダントをハイダさんに突き付ける。
「これが君のペンダントだろ?」
「ど、どこでこれを……!」
「校舎裏のゴミ箱の中に捨ててあったよ。君が自分で捨てたんだろ? ベネディクタ様を、悪者に仕立て上げるために――」
僕はチラリと、ベネディクタ様の様子を窺う。
ベネディクタ様は頬を桃色に染めながら、ウットリしたお顔をされている。
んんんんんん??
そのお顔は、どういう感情ですか??
「くっ! ち、違うわ! 私が捨てたという証拠はないでしょ!? ベネディクタ様が私から盗んで捨てたかもしれないじゃない!」
「そ、そうだそうだ!」
チッ、往生際が悪いな。
だが、確かにこれだけだと、証拠としては弱いか……。
何かないか……。
決定的な証拠となる、何かは……。
「キュッキュ~」
「――!」
キュッキュが僕の頬をペチペチと叩く。
その瞬間、僕の中で閃きが走った――。
そうだ、キュッキュは何故さっき、このペンダントの在り処がわかったんだ?
――そんなの理由は一つしか考えられない。
このペンダントから、同じ精霊の存在を感じたからだ――!
つまりこのペンダントに僕が精霊を顕現させれば――。
いや、ただ顕現させるだけでは証拠にはならない。
ハイダさんに罪を認めさせるためには――。
……よし、一か八かのぶっつけ本番だが、これしかない。
僕は手のひらの上のペンダントに、魔力を込める――。
「歴史を紡ぐ神の筆
八つの星が一列に並ぶ
星の輝きが命を与え
人への想いを言葉で綴る
――顕現せよ 不可視の世界の住人よ」
その時だった。
ペンダントがおもむろに、プルプルと震え出した――。
――そしてふわりと宙に浮いたのだった。
「「「――!?」」」
よし、精霊の顕現には成功した。
あとは――。
「――ハイダ、あなたは愚かな子ね」
「「「――!!」」」
「そ、その声は――おばあちゃん!?」
よっしゃ!!
精霊の会話能力の付与も成功だ!
「いいえ、私はあなたの祖母ではないわ。祖母の声を借りているだけ。私はこのペンダントに宿った精霊よ」
「あ、あぁ……」
なるほど。
長年自分を使ってくれた、ハイダさんのおばあさんの声を真似してるのか。
てことはキュッキュに会話能力を付与したら、僕の声になるってことか?
……それはちょっと嫌だな。
「ハイダ、お願いだからもうこんなことはやめてちょうだい。あなたの祖母が今のあなたを見たら、どれだけ悲しむと思っているの?」
「くっ……! う、うるさいうるさいうるさい!! こんな手品で私は誤魔化されないわよ! 精霊なんて、存在するわけないんだからッ!!」
チッ、結局そこに戻ってしまうのか……。
こうなったら――。
「カァー! カァー!」
「「「――!!」」」
その時だった。
一羽の白いカラスが、会場に入って来た。
あ、あれは――魔法学会の伝書カラス!
「カァー! カァー!」
「ふむ」
伝書カラスは学園長先生のところに下り立った。
学園長先生は伝書カラスの首に括り付けられていた封書のようなものを取り、それを開ける。
ま、まさか――!
「おめでとう、ギードくん。君の開発した精霊顕現魔法が、たった今魔法学会で正式に新種魔法として認定されたよ」
「「「――!!!」」」
学園長先生が認定証を僕に差し出しながら、ニッコリと微笑む。
そのお顔は、まるで自分のことのように誇らしげだった。
あ、あぁ……!!
「おめでとうございますわ、ギード様ッ!」
「っ!」
ベネディクタ様が僕の手を握りながら、満面の笑みを投げかけてくださる。
ベネディクタ様――!
「ありがとうございます、ベネディクタ様。ベネディクタ様のお陰です」
「いいえ、わたくしはほんの少しお手伝いをしただけですわ。――これはあくまで、ギード様の功績です。もっと誇ってくださいまし」
「ベネディクタ様……」
ああもう、胸がいっぱいだ――。
「キュッキュー」
キュッキュがまた僕の涙を拭いてくれる。
「ふふ、ありがとうなキュッキュ」
「キュッキュ~」
「さて、これでペンダントの盗難は、ハイダくんの自作自演だということが証明されたようだね」
学園長先生が笑顔を浮かべながら、ハイダさんの前に立つ。
その笑顔が、却ってそこはかとない威圧感を放っている――。
こ、これは学園長先生、相当怒ってらっしゃるぞ……。
「ヒッ!? こ、これは違うんです……! ほんの出来心で……!」
「そ、そうです叔父上! ハイダは優しい子です! 何かの間違いで――!」
「私はお前にも呆れているのだよ、ヨアヒム」
「……は?」
「裏取りもせず、こんな女狐の虚言を盲信するとは。危うくベネディクタくんに無実の罪を着せるところだったのを、わかっているのか?」
「そ、それは……! その……」
学園長先生の仰る通りだ。
僕から言わせれば、ヨアヒム殿下もハイダさんと同罪だ。
「とてもお前みたいな人間には、この国の未来は任せられないな。この件は、私から国王陛下に報告しておく。沙汰が下るまでは、二人とも無期停学とする」
「そんな!? 叔父上!? それだけはご勘弁をッ!」
「う、うわああああああああ!!!」
哀れだな……。
同情はしないけど。
――こうして夜会で起きた婚約破棄劇は、幕を下ろしたのであった。
「ふぅ……」
あれから大変だった。
新種魔法を発明したうえ、ベネディクタ様の冤罪も晴らした僕は、夜会に出席している人間全員から取り囲まれ、「お前スゲーな!」とか「魔法の話聞かせてよ!」だとか、質問攻めにされた。
その中には、僕のことを小バカにしている陽キャグループも交じっていた。
とんでもない手のひら返しである。
結局人間というのは、つくづく権威に弱い生き物だということなのだろう。
普段あまり人と会話しないコミュ障な僕は、段々気分が悪くなり、今はこうしてバルコニーに一人で逃げて来たというわけだ。
「キュッキュー」
「ああ、お前もいるから、一人ではないか」
「……ギード様」
「――!」
その時だった。
聞き慣れた女性の声がしたので振り返ると、そこにはベネディクタ様が、覚悟を宿した表情をしながら凛と佇まれていた。
その立ち姿があまりにも美しく、僕は暫し見蕩れた――。
「先ほどは本当にありがとうございました。改めて、お礼申し上げますわ」
ベネディクタ様は僕に、深く頭を下げられた。
「そ、そんな――! 顔をお上げください、ベネディクタ様。僕は当然のことをしたまでなんですから」
「キュッキュー」
「ほら、キュッキュもこう言ってますし」
「ふふ、あなた様ならそう仰ると思っておりました」
「――!」
頭を上げたベネディクタ様のお顔は、まるで恋する乙女みたいだった――。
「……実はわたくし、ギード様がキュッキュちゃんを顕現させる前から、あなた様のことを存じていたのですわ」
「――え」
そ、そうだったんですか??
「いつも放課後、旧校舎の空き教室で熱心に魔法の研究をされてる姿を見て――密かに憧れておりました」
「――!!」
そ、それって――!
「……これ以上、女の口から言わせる気ですか?」
「……」
妖しく微笑むベネディクタ様は、まるで精霊みたいに美しかった――。
……心のどこかでは、そうかもしれないという考えはあった。
だってベネディクタ様がいつも一緒にいる男は、僕だけだったから――。
……でも、もしもそれが勘違いだったらと思うと、傷付くのが怖くて、確かめる勇気を今日まで持てなかったんだ。
「キュッキュー!」
「――!」
そんな情けない僕の背中を、キュッキュが物理的に押してくれた。
――ありがとな、キュッキュ。
「――ベネディクタ様」
「……!」
僕はおもむろにベネディクタ様の前で片膝をつき、震える右手を差し出す。
「――僕はあなた様のことをお慕いしております。どうか僕と、婚約してはくださいませんでしょうか?」
「あ、あぁ……! ギード様ッ!」
「ふごっ!?」
ベネディクタ様にギュッと抱きつかれた。
ふおおおおおおおおお!?!?
「わたくしもあなた様が大好きですわ! どうかわたくしを、未来の妻にしてくださいませ」
「――! ベネディクタ様……」
僕はベネディクタ様のことを、そっと抱きしめた。
ベネディクタ様の体温と胸の高鳴りが伝わり、僕はどんな手を使ってでもこの人を幸せにしてみせると、固く誓ったのであった――。
「キュッキュー!」
めでたしめでたしとでも言いたげに、キュッキュがハート型に宙を舞った――。
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