表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/84

第81話「ゴーストプリンセス」

式典は、明日。

その事実が、胸の奥で静かに重さを持っていた。

この式典が終わればまた、いつもの日々が始まる。

朝は作法、昼は学び、夜は静寂。

ときおり、外交の名目で城を離れていた兄――王子が帰還し、

短い食卓で土産話を聞くこともあるが、

それすらも、予定された“特別”に過ぎない。

王女として立ち、笑い、祈り、象徴として在る毎日。

(……また、同じ日々かぁ)

「退屈」だなんて、本当は口にしてはいけない言葉。

インナは窓辺に立ち、夜の城下を見下ろした。

灯りは穏やかに連なり、人々は明日の支度をしている。

――日光は民を照らし、

――川は魚を育み、

――王女は希望を灯す。

何度も教え込まれた言葉を、胸の中でなぞる。

(これが、私の役目)

(逃げるものじゃない)

(選べなくても、受け入れるもの)

そう、分かっている。

分かっている、はずなのに。

「……ねえ、チコ」

“王女”が振り返ると、そこには浮遊する青白い霊体が浮く。

「これが、王女の生活。

どう思う?」

少しだけ、冗談めかして言う。

「意外と……退屈でしょう?」

チコは、しばらく考えるように首を傾げてから、

ぱっと顔を輝かせた。

「うんう!

すっごく楽いよ!」

思いがけない返事に、

インナは思わず瞬きをする。

「……そっ、そうかな?」

「だって、あったかいし、

ごはんもあるし、

きれいな服もいっぱい!!」

無邪気な声の中に悪気なんて、どこにもない。

インナは、少しだけ笑ってしまった。

「そっか……そっかぁ!」

インナは、ぽつりと呟いた。

チコにとっては、この閉ざされた城も、

決められた毎日も、“縛られている場所”ではなく――

“守られている場所”に見えているのかもしれない。

思い返せば、王族や貴族が集う舞踏会の夜も、

あの時のチコは天井近くをフワフワ漂いながら、

音楽と光に目を輝かせていた。

誰かが踊るたび、誰かが笑うたび、

まるで初めて見る祭りのように、飽きもせず、楽しそうに。

かつて、名を呼ばれることもなく、

親と触れ合うことも許されず、

生きることそのものが労働だった日々を過ごしていたのなら――

この城の静けさも、規則正しい生活も、過剰なほどの安全さえ、夢のように映るのだろう。

インナは、胸の奥で静かに思う。

(同じ場所にいても……

見えている景色は、こんなにも違うんだ)

そして――

“空_中_で_フ_ワ_リ_と_一_回_転_す_る_と-ーーー”

“目の前の王女”に対して、元気に声をかける。

それは、重力を忘れた者だけができる、軽やかな動き。

「じゃあ今日も、お散歩いってくるね!」

幽霊王女(ゴーストプリンセス)になったインナは、どこか照れたように、けれど誇らしげに続ける。

「チコ、もうかなり動作に違和感がなくなってるから、今日も私がいなくても、大丈夫だと思うよ!

夕方には帰ってくるから、その時にまた交代しよ!」

にこっと微笑み、小さく手を振る。

次の瞬間、霊体になったインナは、慣れた様子で、

すうっと壁の向こうへ溶けていった。

石壁は、何事もなかったかのように静まり返る。

部屋に残されたのは、

“王女の身体”を持つチコだけが、部屋に残された。

チコはしばらく、その壁を見つめていた。

さっきまで、確かに誰かがいた場所。

「うん! ……ばいばい!」

小さく手を振る。



――夕方。


城下町は、昼とは少しだけ違う顔を見せる。

市場の喧騒はまだ残っているが、

値を呼ぶ声にはどこか力がなく、

露店では布が畳まれ始め、籠や木箱が足元に寄せられている。

焼き菓子の甘い匂いと、夕餉の支度を知らせる香草の匂いが、

空気の中でゆっくりと混ざり合う。

その上空を――

音もなく、影ひとつ落とさずに漂う存在があった。

(……すご……マジでエモい…エモすぎるよっ!)

インナ――いや、正確には

チコの霊体を基にした姿の、インナの魂。

ふわり、と風に乗るように高度を変え、

屋根の上をなぞるように進む。

(外って……こんな匂い、するんだーーー! あ、鳥!)

城の窓から、遠く切り取られていた“景色”とも、

王族としての儀式の中で、人々が整列し、静かに迎えるために用意された街とも、まったく違う。

ここにあるのは、誰のためでもない、

ただ“生きている町”

(歩かなくていいのも……ちょっとズルいかな?)

くるり、と一回転、身体の重さがない感覚に、思わず笑みがこぼれる。

本来、霊体アンデッドは人の目に映る。

淡くても、異質な存在として気づかれる――

本来なら、そういうはずだった。

けれど、今のインナは違う。

チコの霊体は、あまりにも小さく、脆弱で、

人の意識が向かなければ、風や光と同じように背景へ溶けてしまう。

人々は、ただ頬をなでる夕風を感じるだけで、

誰ひとり、空を見上げない。

(……でも)

インナは、自分の手を見る。

(何度か入れ替わったせいかな……)

かつてチコだったころは、

輪郭がぼやけ、形を保つのがやっとだったその手は、

今ははっきりとした線を持っている。

見覚えのある、細い指。

爪の形まで、自分のものに近い……というより、ゴーストって、爪まで見えるんだ?

足も、いつの間にか長くなっていた。

ふわりと揺れる裾の下には、インナ本来の体型に近い、華奢な脚が伸びているし、

腰から下には、まるで普段着ているドレスのようなシルエットの装飾が淡く浮かぶ。

…まだ質感は不定形だが、時が経てばやがて本物のドレスを着た姿のようになりそうだと、なんとなく感じる。

(……私の”魂”が、チコの霊体の形を整えてる? 本来の私みたいな外見に?)

理屈は分からないが、あのネズミと入れ替わったチコも、ネズミのような顔つきになっていたことを思い出す。

そういうものなのかもしれない。

......人に見られてないのであれば、とりあえずは無問題である。

インナは、中央広場に立つ時計塔を見上げる。

夕暮れの光を受けて、大きな針が、ゆっくりと刻を進めていた。

(……ていうかそろそろ、戻らなきゃ)

もう少しだけ――

そう思ってしまう自分を、

インナは小さくたしなめるように息をつく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ