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第7話「綿も入ってなさそうな頭で」

ゴンギは、朝の光を受けながらごく自然な動作で乾パンを一枚口に放り込み、ボソリと告げた。


「呪物やミイラに関する書物、それと小道具をいくつか……近くの街で調達してこようと思う」

そう言って、ゴンギは乾いたパンを無造作にかじりながら、腰に袋をガサゴソとくくりつけ、飄々と出ていってしまった。

あっけないほど自然な外出だった。


……なのに、あのパンをかじる音だけが妙に耳に残る。

ガリッ、ゴリッ――まるで石をかじってるみたいな音。


ああ、そういえば。

古代エジプトでも、パンは主食だったっけ。

でもあっちのパンは、今のふわふわしたやつとは別物で――

石の粒でも入ってるのかってくらい、とにかく硬かったらしい。

ミイラの歯が削れてる原因の一つも、それだったとか。


……そんなことを思い出して、思わず小さく笑ってしまった。

ゴンギが食ってたあれも、もしかして再現レシピだったりしてな――。



残された俺とシチューは、再び静寂に包まれた地下室に取り残される。むしろ自由時間だ。

……これはチャンスじゃないか?

あいつがいない今なら、この部屋にある物品から何かヒントが得られるかもしれない。

俺の魂がどうしてこのファラオの身体に収まったのか――その謎を解く糸口が。

そう思い、ゴンギが使っていた机の上に目をやった。

そこには、さっきの硬そうなパンの余り、使いかけのペンと紙、そして――俺がこの世界で初めて自分の姿を見た、スカラベのような装飾が施された、どことなく古代の雰囲気を漂わせる鏡が置かれていた。



だが、あそこまで綺麗な状態の鏡が残ってるとは考えにくい。

古代エジプトの鏡っていえば、普通は青銅とか銅でできた金属製のやつで――

見た目はそれっぽくても、表面はもっとくすんでて、反射もぼんやりしたもののはずだ。

あんなに自分の顔がはっきり映るのは、ちょっと出来すぎって感じだ。

きっと、近代になってから作られた装飾品だろう。

それから、木でできた古い椅子や、ゴンギの衣装入れ。

衣服の中も漁ってやろうか、と一旦立ち上がるが、案の定よろけて転びそうになり、シチューが心配そうに寄ってきたので、服を漁るのはまた今度でいいかな、と再び石の台に座った。

――おじさんのタンスに浪漫を見出すほど、俺も暇じゃない。


そして、部屋の中で一際目立つのはやっぱり、あれだ。

机の横に堂々と置かれている、古代エジプトのファラオを連想させる棺。

遠目に見ても、細かい装飾がびっしりと描かれている。ほぼ俺が博物館でレプリカとして扱っていたものに、96パーセント程一致している気がする。


何度も言うようでアレだが、俺は考古学者じゃないから、いちいち「この部分の装飾はこういう意味があって〜」などと解説できるわけではない。

でも、人よりはよく見てきたぶん、やっぱり違和感はある。


「……なンカ違ウ」


古代エジプトの棺は、本来「死者の家」であり、内部の遺体を守ると同時に、その人の身分や物語を示す装飾が施されている。

棺の顔の部分に描かれるファラオの顔も、単なる似顔絵じゃなく、神格化された理想の姿だ。左右対称で、目は大きく、永遠の眠りの中で睨み返してくるような独特の威圧感がある。

だが、こっちの世界の棺は――確かに似てはいるのだが、装飾が歪んでいたり、顔の表情がどこか不自然に笑っていたりして、微妙に現実感がない。

レプリカを作る職人がわざとデフォルメしたかのような、そんな「似ているけど、何かおかしい」感覚があるのだ。


そんなことを考えているうちに、自分の顔を無意識に手でなぞっていた。

(……男なのか女なのかはわからないけど、あんな似顔絵からは生前の顔は想像できんな)

なんとなく背筋が冷えて、思わず肩をすくめる。

包帯ごしに自分の頬を触った手をそっと膝に戻し、深く座り直して息を吐いた。


朝日が差し込んできただけでも、多少は気分がマシになった。

でも、やっぱり――時間がわからないってのは地味にストレスだ。

暇つぶしに、ふと思い立ってシチューの名を呼んでみる。

すると、あいつは尻尾をちょっとだけ揺らして、フッとこちらを振り返り、小さく「ギュチュ」と鳴いた。


床に落ちていた木の枝を拾い、軽く放ってやると――

待ってましたと言わんばかりに、シチューはちょこちょこと駆けていき、枝をくわえて戻ってきた。

そして、足元にぽとりと枝を落とす。


……わかったわかった。「もう一回投げて」って顔だな、それ。


鼻をヒクヒクさせながらこちらを見る様子が、あまりにも懐かしくて。

ふと、実家で飼ってた柴犬のことを思い出した。

休日のたびに公園でフリスビーを投げては、何度も何度も持ってこさせたっけ。

あいつも、こんな顔で俺を見上げてたな――って。


……まさか、ミイラになって巨大ネズミと愛犬の思い出を重ねる日が来るとは思わなかったけど。

よし、ならばご期待に応えよう――と、今度は反対方向へ全力で投げてみる。

……つもりだった。


ポスン。


枝は1メートルも飛ばずに床に落ちた。

おいおい、ウソだろってくらい肩が動いてない。


ギコ、ギコ。なんだこの動き……ぎこちなさがもう機械じみてる。


よく考えたら、俺、再生してからこの石の台の上からほぼ動いてないんだよな。

リハビリ不足というか、私の運動能力、低すぎ?!


足も手も、動かすたびにガクンガクンするし、関節は油切れのロボみたいに重い。


でもシチューはそんな俺のコンディションなんかおかまいなしで、

今度はゆっくりと枝をくわえて、またこっちに持ってくる。

その動きがなんだか嬉しそうで、楽しそうで。

……ああ、なんか、こういう時間も悪くないかもなって、ちょっとだけ思った。


何度か枝を投げては拾わせてを繰り返したあと、

目の前で尻尾をブンッ、ブンッと振ってるシチューの頭を、軽く撫でてやる。


すると「ギュチュッ」と嬉しそうに鳴いた。

……なんだよ、そんな顔すんな。可愛いじゃねぇか。


だめだ。完全にこのノリに慣れてきてる。

ミイラとして再生されて、巨大ネズミーーしかも、ゾンビーーとじゃれあってんのに、妙な安心感すらある。

思い返してみれば――

いきなり古代っぽい地下室で目覚めて、死霊術師(ゴンギ)に王とか呪物とか言われて、

そんで、目の前で声帯移植手術を見せられて。

人間、突飛なことが立て続けに起きると、脳が勝手に「平常モード」に切り替わるんだろうか。

パニックを防ぐために、もうよくわかんないことは一旦スルーしよう、みたいな。


まあ、防衛本能ってやつか。

……すごいな、人間の脳って。

――今の俺に、そもそも“脳みそ”が入ってるのかは、正直わからないけど。

俺は、試すように、自分の頭蓋を指の骨でコツンと叩いてみた。


「カァン……」


乾いた鈍い音が、頭の中で空っぽに響く。

……うわ、思った以上に軽い。なんか虚しい。

「脳どころか、綿も入ってなさそうだな」

苦笑まじりにそう呟いて、もう一度コツンとやってみた。

カラカラと響く感触が、ちょっと癖になりそうで怖い。


「結局、なんで俺が選ばれて、このファラオの体に蘇ったかは……わからんな」


昨日のゴンギの反応を思い出す。

あいつ、俺を見て真顔で「異界の魂か?」と言ってた。

演技で出る反応じゃなかったし、たぶん本人にもわかってないんだろう。


……にしても、なんで俺なんだ。

ミイラ男の映画が好きだったから?

古代エジプトにちょっと詳しかったから?

でも俺なんて、ただの博物館のバイトだぞ。もっとこう、博士号持ちとか、ファラオ愛に満ちたオカルト研究家とか、適任いっぱいいただろ……。


「……はっ」


ぞわり、と背筋に寒気が走る。


そもそもミイラってのは、来世に生まれ変わるために作られたものだ。

古代エジプトの連中にとっちゃ、死後のための準備が人生そのものみたいなもんで、棺の中にパンだのビールだの詰め込んで「旅支度ヨシ!」って感じだったわけだし。

もし、もしや……俺の魂って、このファラオの生まれ変わりだった、とか?


いや、でも。いやいやいや、突拍子もなさすぎるだろ。


きっと、偶然だ。

俺がたまたま昨日、ミイラ男の映画でも観ようかって思ったから。

そういう偶然。たぶん、世界のどこかでタイムラインがバグっただけ。

<『数千年の時を経て転生』>、とか……そんな運命背負えるほど、俺メンタル強くねぇしな。

「考エタら、疲れタな……」


ため息をついて、ふと横を見ると、シチューが足元に鼻を擦り寄せている。

俺はその毛並みに指を滑らせる。

……いや、毛並みっていうか、ボロボロの毛皮に干し肉が張り付いてるみたいだけど。

「なあ、シチュー。もし俺がファラオの生マれ変わリダったとしテも、お前だケは俺ノ味方デいてクれヨな……。いや、食材とカ言い出スナよ?……」


正直もう、俺の自我がこうしてミイラ男として動いちゃってる時点で、

元いた自分は――とっくに死んでるか、もしくは病院のベッドで植物状態なんだろうな。

未練があるのか?と言われれば……


……なんだろうな。


そりゃ「元の世界に戻りたい」って気持ちはある。けど、強烈な夢とか野望があったかと言えば、そうでもなくて。

なんとなく、ぼんやりと毎日を過ごしてた。

ただ――


思い出すのは、博物館で気になってたあの子だ。

同じ展示室で働いていて、仕事の合間によく話しかけてくれた。


一度、展示準備中に俺がエジプトの冥界の話をしたときなんて、

「……だから俺は、あの世じゃアヌビスに魂を測られるんだろうな」

なんて言ったら、彼女は少し驚いた顔をして、それから笑って、

「じゃあ私がアヌビスってことで。審判してあげますよ」

なんて、肩越しに振り返りながら言ってきた。

俺はそこで思わず言葉に詰まって、なにか言い返そうとして、結局「じゃあ軽めの刑で頼むわ」みたいな間抜けな返ししかできなかったっけ。

そしたらすごい笑ってくれて。


――かわいかったな。

今だからハッキリわかるけど、「好き」だった。うん。

年は俺よりも2個下で、髪は長くてサラサラしてて、妙に話が合って。

言葉にするのは照れくさいし、怖かったけど、あの笑顔をもう一度見たいなって、ずっと思ってた。



結局、最後まで何も言えなかったな。

バイト終わりに誘うチャンスも何度かあったのに、

「まあ次でいいか」なんて、先延ばしにして。


気づいたら、もう「次」は来なくなってた。


シチューが俺の指に鼻先をすりつけてきた。

まるで、「今を生きなよ」って言ってるようで――

いやいや、考えすぎか。ネズミだぞ、こいつ。


でも、まあ。

そのくせ胸の奥がチクっとするくらいには、悔しいのは、ほんとだ。


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