第71話
怒り、恐怖、そして好奇の混ざったその眼差しが、針のように突き刺さる。
「待ってくれ、ミラハル!」
ヤクロが一歩前に出る。
「エテメノタヘンさんは……彼自身も、なんでこうなったのかわからないって言ってたんだ。
いきなりヨンレイがミイラになって、どうすればいいか分からなかっただけなんだ。
俺たちに正直に話したら、死者を冒涜してるって思われるかもしれないって――それで……」
「嘘よ! ……アメジストタイガーを、一撃で葬れるような人――死者が、そんな自分の力を“知らない”なんて、あるわけないじゃない!」
うん、ま、それはそうである。しかし実際のところ、
古代の遺物にもこの包帯まみれの身体にも、まだまだ謎が多い。
なんてったってあのベテランネクロマンサー・ゴンギでさえ、古代の力の数々を見て驚愕していた。
ましてや、地下室に迎えに来なかった時点で、彼自身も“消滅しても棺から蘇る”なんて能力があるとは、知るよしもなかったのだろう。アンデッドは、蘇生されるまでの死体であった時期が長ければ長いほど、アンデッド化した後に高い力を得る。何がどうなるかは、未知数だ。
反面、当の本人ー河来 未来は、この村人の中に居る子供たちよりも、異界で生きた経験は短い。
アンデッドのことも、魔獣のことも、魔法やら呪術のことも、わからないのは当然のことで、だからこそ日々吸収している最中だ。であれば、もう少し手加減して見守ってほしい。
そんな彼の思惑とは裏腹に、ミラハルは叫ぶ。
「私たちを全員騙したあとは、この村の人たちも──全部ミイラにするつもりだったのよ!まずは私たちを助けて、油断させてね。」
ミラハルが叫んだ瞬間、村人たちの間に「どよっ」とした空気が走った。
彼らの視線が一斉に、初めて見たときから不吉さを放っていた“包帯男”へと突き刺さる。
その眼差しは、まるで猟奇殺人者でも見るかのようだ。
「いやでも、体を張ってを助けてくれたじゃないか」と言いかけたヤクロを牽制するように、
「アメジストタイガーの一撃で死ななかったのも、実は自作自演で虎をけしかけた可能性だってあるわ。死者をマミーに変える能力なんて、聞いたことがないもの、何ができても不思議じゃないわ。」
ロカは、確かにそうかもしれないと、思考がまた敵対側に傾きかける。
サンもミラハルの持論を聞くまでは平静さを保っていたが、次第にファラオを信じる者はこの場にヤクロだけになっていく。
「待ッテ欲しい。コンなのは知らナカったのは本当だ。村人ニモ、ヤクロ達ニモ、危害を加えるつもリはない……!」
必死に言葉を紡ぐが、信じる村人など誰もいない。
ざわめきが、恐怖と怒りとでぐつぐつと煮え立っていく。
(マズい……このままじゃ完全に悪者扱いだ)
焦燥の中、ファラオの脳裏にひとつの閃きが走る。
「ソウだ。──お前からモ説明ヲしてくれ、ヨンレイよ!」
包帯の手が縛られた男を指し示した。彼ーいや、それは、顔面から体液を流しながら必死に喋る。
「ゴボボッ……王ノ仰ル事ハ、本当デス。ワタシヲ蘇生サセタノガ、今までデハ……ハジメテダッタヨウデス」
一瞬、風が止み、空気が張りつめる。
死んだはずのヨンレイが──喋ったのだ。
彼の声は生前のものとはまるで違う。
無機質で、どこか機械めいて、かすかにエコーがかかっている。
それでも、確かに彼の声だった。
「ヨ、ヨンレイ……お前、生きてるのか?!」
ヤクロが声を震わせて問うが、すぐに理性がその言葉を否定する。
(そんなはずがない。頭部は半壊、右腕も脚も原形をとどめていない。生きているわけが……)
それでも、確かに“喋っている”。
共に剣を振るい、背中を預け合った戦友。サンもロカも、そしてミラハルも次に話す一言一句を聞き逃すまいと、刹那の中聞き耳をたてる。
「王ハ、私ヲ包帯デ包ミ、埋葬シタコトデアンデッドニナッタト仰ッテイタ。私モ、ソノ能力ニツイテハ全クワカラナイ。今ハ、王ヘの忠誠ダケヲ感ジル。」
(私…?自分のことは”俺”といってたハズだが、ああなると性格まで変わってしまうのか?)
サンを筆頭に、一人称の変化に驚愕する。
「そうか…ひとまず、お前はもう、俺の知っているヨンレイではないってことなんだな…」
ヤクロが惜しいという反応を投げる。村人全体は黙ってやりとりを聞いているが、構えた農具はそのままだ。
「イヤ、ヤクロ、サン、ミラハル、ロカ。オ前達ノコトハ、今デモ仲間ダト思ッテイル。大切ナパーティーメンバーダ。覚エテイルゾ...!蒼キ洞窟デ、岩蟹ト戦イ、勝テズニ逃ゲタコト...。トギノ村デ買ッタ薬草ガ凄マジイボッタクリデ、後デ皆デ怒リヲブチ撒ケタコトモ。」
数々と放たれる思い出の冒険譚に、若き冒険者達は涙する。目の前にいるのは、ヨンレイだ。変わり果てた姿ではあるが、間違いなく。
(よし...!内輪ネタだけど、なんかこう、懐かしき再開みたいな感じで、ちょっとは空気が丸くなってきたぞ!)
「私ハ、王ニ腕ト足ヲ捧ゲタガ、ソレハ本望。王ノ頼ミトアラバ、実行スルノガ我ガ喜ビダ。私ハコレカラハ、王ノ忠実ナル配下トシテ生マレ変ワル」
「腕を、足を捧げたって──どういうこと? ……まさか、エテメノタヘンさんが、ヨンレっちの腕を切って移植したってこと……?」
ロカが眉をひそめて口を挟む。
(くっ...!余計なこと言いやがって!)
「そういうことよね? しかも、確かに記憶はヨンレイのものみたいだけど──喋り方、ぜんぜん違うじゃない!」
その目には、涙と怒りと恐怖が渦を巻いている。
「これって……洗脳されてるんじゃないの? ミイラにしたら、思いどおりに操れるんでしょ! 次は私たちの番なのよ!」
ざわっ──。
村人たちの間に、またも不穏な波紋が走る。
「やっぱりそうだったのか……」「死者を操る術ってやつは、不気味だねぇ……」と、誰かが呟いた。
ファラオは急りと共に、緊迫した状況の中でさらに"己が眷属にしたミイラ"の特性の断片を理解する。
そもそも、このヨンレイという男が生前どういう性格だったのか、彼は何ひとつ知らない。
村へ向かう道中は、負傷者の保護で手一杯だったし、皆が回復してからも――余所者のミイラと世間話をするような関係ではなかった。
そんな中で、先ほど投げられたサンのぼやきが耳に残る。
「あいつは不器用で、敬語なんかほとんど使わなかったハズだが……」
(……そうなのか?)
逆に、ファラオが知るヨンレイは、最初から“丁寧語を使う眷属”だった。
洗脳などしたつもりは、まったくない。
けれど、言葉の調子まで変わっているとなれば、疑いを晴らすのは難しい。
「洗脳デハナイ!」
ヨンレイが、縛られたまま声を張り上げた。
「王ニ尽クス事コソ、我ガ運命! 我ガ幸セナノデス!彼ハ我ガ王、第一ノ眷属ガ、私デアル」
「だから、それが洗脳されてるって言ってるのよ!」
ミラハルの叫びが返る。
泣き腫らした目に、怒りが滲む。
「やめろ!うるさい、もう、いい加減にしてくれ!」
ヤクロが、堪えきれずに怒鳴った。
ミラハルに対してか、それともこの場の空気にか――それすらも分からない。
「洗脳とかなんとか、そういう難しいことはわからない。
でもヨンレイは自分の意思で、エテメノタヘンさんの言葉は正しいって言ってるんだ。
だったら――やっぱり、この人はウソはついてなかったってことだろ!」
ヤクロの声が、冷え切った夜気に響く。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
「でも、手足を切ったのは本当なんだよね?...何も言わずに。墓から掘り起こしたのも。」
「我は何モするつもりハ無かった。ヨンレイが、墓カラ勝手に這い出てキタのだ。そうだよナ?我が眷属ヨ!」
ロカの疑問に対して、必死に弁明をする。ヨンレイは「ハイ」とだけ答える。
だからといって、やはり一同の不信感は拭えない。厄介なのは、これはこの若き冒険者達だけの問題なのではなく、村人も巻き込んでいるということだ。
村からすれば、墓からアンデッドが蘇って、見るからに不気味なミイラ男があの小さかったサンたちと論争を繰り広げているのだから、気が気ではないのは確かだ。
アンデッドの中でもグールは生者の肉を食うし、吸血鬼の一団は血を求め村一つを一晩で滅ぼすこともある。ドラウグは無条件に生者への憎悪を持っているので理由などなく斧で襲いかかってくるし、ワイト・ロードはさらに自身を強大な存在にするために子供の魂を奪いにくる。
ネクロマンサーが殉職したり弱って支配力が弱まった時は、念には念を込めて、配下にしていたアンデッドを仲間の聖職者などが滅ぼす場合も多いーーという話を、たしか一回だけ地下室でファラオは聞いたことを思い出した。
使役されていなければ、未知で恐怖な存在なのだ。
「埒があかんな」
一人の村の男が口開く。
「村長、アンタ魔道具持ってただろ。たしかなんだっけ...名前は忘れたが、善悪を図れるやつだ。アレを持ってきてくれ。」
気づけば、10人程度の村人が集まっているだけだったのが、すでに全員が居る。あれだけ大声でやり取りすれば、早朝でも起きるのは明白だ。
「わかった」と一言だけ言うと、村長は家へと戻っていく。どうやら、人の善性を数値化して客観的に図る魔道具というのもあるらしい。
「アッ!おい、何ヲする」
ファラオを唐突に、村の男が二人で掴む。両腕をそれぞれががっちりと掴み、身動きがとれないようにする。
尋常ではない急り方をするファラオに対して、村人はさらに拘束を強める。
「こうしてる間に逃げないようにな。わかるだろ? まぁ、おとなしくしてりゃあ何もしないって。」
「暴れんじゃねーぞ!」ともう一人の村人が耳元で発し、若干強くファラオの肉体を引っ張った時だった。
筋肉を移植していないほうの左腕がパキっと音を立てて、いとも簡単に折れる。
「あ、すまん、でもアンデッドだから...たいして痛くねえだろ? 死人を蘇生できるくらいだから、自分の腕くらい」
と言いかけたところで、急に村人は意識を失い倒れる。ファラオは蒼白する。
実際に彼の顔面が青白くなっていたかはたいして問題ではない。元々、血の気の全くない色だ。
彼の腕がひきちぎられたからではない。虎に腹を貫かれても痛みも感じぬ彼が、人間に肉体の一部を損傷させられたくらいで苦痛など感じない。
結末を知っているからこそだ。この倒れた村人はーーーもう助からない。
もう一人の村人も、ファラオの手を放し急いで離れる。
村長は踵を返し、急いで倒れた男に駆け寄る「おい、コルキ!しっかりしろ...コルキ!息子よ!!!」
コルキと呼ばれた村長のせがれはぐったりと白目を向き、まるで生気が感じられない。
「死んでる...」
婚約者である女性の村人が、彼の脈を恐る恐る測った後に、か細い声で言ったのであった。
(ウソだろ...ついに人を殺めちまった)