第69話「ミイラ男は焦る。」
「おはようございます……エテメノタヘンさん、ずいぶん長かったですね。外で何かやってたんですか?」
背後からヤクロの声がして、ミイラ男はまるで現行犯で見つかった空き巣のように飛び上がった。
「お、おぉヤクロ!起キてタのか。イヤぁな、ちょっと涼モうと思ってたら、
草の上デ夜空を眺メているノが気持ちよくなってシマってな、気ヅイたら寝チャってたんだ!」
言い訳は、あらかじめ何度も頭の中でリハーサルしていた。
「つい星を眺めてたら寝ちゃった⭐︎テヘ」――別に、不自然じゃない。
そう信じたい。一回きりの使用なら、まぁそんなこともあるだろう。少なくとも、自分なら軽く流す。
明日は明日の言い訳を考える必要があるが、明日はおそらくブラッデインの宿の中だ。もう、夜な夜な墓を荒らしにいく必要はない。今はただ、この場をやり過ごすこと。今日の分の“それっぽさ”さえ取り繕えればOK。
あとは、どう受け取られるか――
ヤクロはニッと笑顔を見せた。
「そうですか!街と違って、夜空が本当に綺麗ですもんね」
その言葉に、ミイラ男は無い胸をなでおろす。
彼は、信じてくれようとしている。民家に泊まらせてもらう時も、不気味そうに呪物を見る老夫婦に、
必死に自分が使役しているアンデッドだから無害だと力説してくれていた。
おかげで自分もこうして村に居座ることができている。
恩は絶対返す性格なのだろう。若く真っ直ぐで、素直だ。ブラッデインで出会ったメンツとはまた違った魅力がある。
だが――外では、ミラハルが村人を呼び集めている。
詰みだ。どう考えても、詰み。
ヤクロの笑顔が、逆に心を重くする。
彼女――ミラハルは、もともと野生アンデッドへの警戒心が一番強かった。
村に来る途中、サンが小声で言っていた話を思い出す。
「ミラハルの両親、"リッチーロード"に殺されたんですよ。魂を抜かれたって……他にも、先輩冒険者がヴァンパイアや首無し騎士などの、強力な野生のアンデッドと戦って命を落とす例も珍しくはありません。俺らのような駆け出しにも、たまにそんな話が入ります。なので、命を救ってもらってもあいつの態度はあんなですけど、本当にすいません。」
リブキたちの仇がベヒーモスなら、
彼女にとっての仇はアンデッド。
そして、ファラオの風貌は一目で「呪われたもの」とわかる代物だ。本来なら無条件で恐れられて当然の外見で、ブラッデインの民の反応からその現実を思い知っている。
それでも、サンとヤクロは率直に感謝を口にし、こちらを包み込むような寛容さを見せてくれる。彼らの態度はただのフレンドリーさを越えて、傷を知る者の温かさだった。
ロカはというと、態度は半信半疑――信頼も安心もしきってはいない、慎重な距離感を保っている。
もしも、俺がヨンレイの屍を掘り返し弄っていたこと、眷属にしていたことが露見すれば、ミラハル側に立つだろう。
いつの間にか、そんな二人も起きていて、「おはよう」と声をかけてくる。
……が、その声色が違う。
寝起き特有のぼんやりした感じが一切ない。
ファラオはすぐに察した。
――彼らは、ずっと起きていたのだ。
一晩中、というわけではないだろう。おそらく、数十分くらい前からか、ミイラ男が帰ってくるまでのあいだ、寝たふりをしていた。
その瞬間、昨夜の「ガサッ」という物音の正体も腑に落ちる。
あれは、ミラハルだった。
闇の中で、自分の様子を観察していたのだ。
どこまで見られたのかは分からない。
分からないが、ミラハルは仲間たちを起こし、状況を共有した。
それでもファラオが戻らない――そう判断して、
今度は村人を呼びに行ったのだろう。
外では、すでにその“調査”が進行している。
彼女が村人を連れて墓の前で話していた光景が、脳裏に焼きついて離れない。
どうせこの後は、ヨンレイの屍体は掘り起こされて、”審判”が始まることは目に見えている。
サンもロカも、表面上はいつもの笑顔を作っている。
けれど、その目の奥にあるのは、不安と混乱。あえて彼らは、窓の外を見ようとしない。
不自然にふくれあがったミイラ男の右足への視線は、嫌というほど感じるのだが。
それでも――信じようとしてくれているのが分かる。
沈黙が部屋内を支配する。
「エぇ〜っと、今日はようやく、ブラッデインに帰れるナ、ハはは。まタ、強い魔獣に襲われなキャいいけど、仮ニ襲ってキても、我ガ倒しテやるから、安心しロよな!」
とりあえず話題を振る。さりげなく自身の存在価値もアピールしておく。なんたって、古代の呪いはあのベヒーモスにすらも効く、並大抵の敵なら問題ないだろう。
ヤクロは「心強いです。今日は、良い天気でよかったです」と返してくれる。
考えてみれば、ヨンレイの眠れる屍を起こして筋肉をいくらか拝借したのには、正当な理由がある。
まさかあれが自分の包帯の力で蘇るとは思っておらず、こちらも動転していた。
隠蔽の方向で動いていたが、素直に全部打ち明ければいいのだ。
ミラハルはどうせ自分に対する嫌悪と不信感が強い。
だが、リーダーのヤクロなら話を聞いてくれそうだ。
勝手に筋肉を拝借したことは必死に謝れば、許してもらえるかもしれない。道中は気まずくなるだろうが、王都に同行するまでの仲だ。彼らだって、いつまでもこんな恐ろしい風貌の古代遺物と長く関わっていたいわけではないだろう。
そして最終的には──どうやるのか自分にもわからないが──死者を眷属ミイラ化する能力を解き、ヨンレイを元の眠れる屍へ戻して埋葬する。
筋肉を借りるのも眷属作りの実験も、別にヨンレイにこだわる必要はない。忘れられたどこの誰かも知らない屍でやればいい。ゴンギと合流できれば、そういった手順に関してはアイツの方が何倍も手慣れているだろう。
部屋の中には、再び重たい静けさが落ちた。
ミイラ男の心は、次第に落ち着きを取り戻していく。そうだ、ちゃんと全部話そう。素直に謝って、説明すればいいんだ。しかし、その時だった。
「キャーーーッ!!」
外から甲高い悲鳴が響き、サンたちも何事かと飛び起きて窓の外を覗く。
そこには、片足で立ち上がり、周囲を見渡す我が眷属──ヨンレイの姿。
そして、農具を振り上げてそれに襲いかかろうとする村人たちの姿があった。
墓は無惨に掘り返され、盛り上がった土が荒々しく散っている。
あの感じは、ヨンレイが勝手に這い出たわけではないなーー彼の、蘇りたての自分のようなもっさりした動を思い出す。
墓の異変を怪しんだミラハルたちが、彼の眠りを乱したのだろう。
そして何かの拍子に刺激を受け、ヨンレイは目を覚まし、アンデッドとしての姿をさらしてしまった。
ミイラ男は頭を抱えた。
(やっちまった、マジで取り返しつかんやつだ……)