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第68話「ミイラ男は苦労する。」

刃物など、生前はせいぜい調理のときに使うくらいだった。

といっても、毎日自炊をしていたわけでもない。せいぜい、たまに生野菜や果物を切るときくらいだ。

そんな彼が今、見よう見まねで、心の中に“ゴンギ”を召喚したつもりで、目の前の若い男のミイラのふくらはぎに、恐る恐る刃を入れていく。

「こンな感じデ……い、いいノかッ!? ヨ、ヨンレイよ。痛ミなどハ無い…よな?続けるゾ?」

相変わらず、目の前の忠実な部下からは丁寧な返事が返ってくる。

今さら痛みがあるかどうか確認したところでどうにもならない。

ここで「ギャー!」などとでも言われようものなら、リスポーン確定案件だ。

せっかく手に入れた“ブラッデイン行き無料ツアー”のツテを失うわけにはいかない。

できるだけ慎重に―――ジョリジョリと、包帯の内側から響く小さな音。

自分の指先だけが、夜の静けさの中で月明かりに照らされ、生々しく動く。

こうして実際にやってみると、あのゴンギという男は本当に器用だったのだなと痛感する。

医者でもないくせに、あの安定した手つき。

それに比べれば、自分の切り方は雑極まりない。

それでもなんとか切り離した肉を、おそるおそる自分の下腿にあてがう。

血が付着してねっとりとするが、ここまで来たらもうやりきるしかない。

さすがに足が血まみれのままでは、明日の言い訳に困る。

草や地面に軽く血をこすりつけ、村人が汲み置いた井戸水で何度か洗い流す。

幸い、ヨンレイも死者ゆえに出血は少ない。凝固しかけた血がドロリと垂れる。

急いで、しかしなるべく丁寧に、自分のふくらはぎの形に肉を合わせる。

左手から包帯を呼び出し、ギチリと固定した。

そのあとに、大腿の筋肉も切り離そうと刃を入れる。

しかし、これが思った以上に時間がかかった。

――大腿は人体で最も筋肉量が多い。どこかで聞いたそんな知識が、今さら現実味を帯びてくる。

刃を動かすたび、手首にずしりと重みが返ってくる。

虫たちのチリチリという音色が、迫りくるタイマーの針の音のようにも聞こえた。

もう、医学的知識もクソもない。ただ「骨から肉を全部切り落としました」という、子供の工作のような出来。

それでも、なんとか太ももの筋肉を外し終え、血をどうにか洗い流して足を固定する。

そうして右腕も移植し終わる頃には、空を包む闇に少しだけ青みがかかり、夜が開けようとしていた。

「ヨ……ヨシ! やっと終わったゾ!! 足に……右腕!全く、外科医にもナった気分ダったな」

思わず、小声ではない普通の声量を発してしまう。

慌てて両手で口を押さえる――が、そのときすでに、右腕が問題なく馴染み動くのを実感していた。

ファラオは歓喜する。

(冥力で繋がるの、早っ)

ゆっくりと立ち上がる。右足も問題なく動く。

体の重心が大きく左側に傾く。右足だけはもう生前の感覚で使えそうだが、左足との差がひどい。

日常的に歩くのはかなりストレスになりそうだ。近いうちに、左脚の筋肉もどこかから移植しなければ。

固定に使った血のついた包帯に「消えろ」と念じて消し、新しい包帯で巻き直す。

これを繰り返していけば、滲む血の量も次第に減っていくだろう。

「ッテ、もうスぐ朝じゃナいカ…!マズい。急いデ墓下に戻レ、ヨンレイ。急げ急ゲ」

ファラオが急かすと、ヨンレイは仰向けに寝かされた状態から体勢を立て直そうとするが、その動きはスムーズでは無い。

当たり前である。右足と右手がほぼ骨だけの状態なのだから。

ファラオは「あっ」と今更気づく。そうえいば、屍体を資源として切り刻んで使うのはあくまでその辺に転がっている死者のものだけであって、アンデッドからアンデッドへの移植など、基本的にはやらないとゴンギも語っていたのを想起する。

ファラオは、自身の計算不足さを後悔しながらも、反面強化された自身の右半身に力を込めて、ヨンレイの体を墓穴まで押して戻す。ヨンレイ自身もそれを円滑に行えるように、残った左半身で這うようにして墓穴に戻っていく。

「デは、また寝テもらウゾ。ありガとう、我ノ忠実な僕ヨ!マタ、来たる時ニ備エテ眠るのダ」

適当にそれっぽい言葉をかけてーー感謝は本心だがーー土をかぶせて、元の墓のように整えていく。

空は、さっきよりもわずかに明るくなっていた。

夜の帳がほころび、いよいよ夜明けという気配だ。

明るくなってからもう一度確認してみると、足の包帯は四度も取り替えたのに、まだ血がうっすらと滲み、薄い赤紫色に染まっている。

「チッ」と舌打ちし、慌ててもう一度包帯を巻き替える。

足早に民家へ戻ろうとしたそのとき、思わず振り返る。

墓のあたりが、あまりにも「現場」すぎた。

掘り返した土はボコボコで、墓石には血が少し付着している。

移植の途中で飛んだのだろう。

周囲の草にも血の痕が残り、掘り返した土がまだ湿って光っていた。

――ぱっと見では気づかれない。

だが、誰かが立ち止まって数分でも眺めれば、きっとこう思うはずだ。

「なんか、荒らされてない?……気のせい?」

後始末が完璧とは言い難かった。

とはいえ、見よう見まねで片足と片腕の筋肉を切除し、血を洗いながら自分に移植したのだ。

解剖の知識もなければ、ゴンギのような上級ネクロマンサーでもない。

河来未来にしては、これでも上出来といえる。

(肉を切るだけだと思ってたが……完全にナメてたな。ゴンギの手際の良さはを間近で何度か見ていたもんだから、感覚がマヒしていた。)

ため息をつきながら、ふと自分の足元を見る。

包帯の下で、異質な肉が自分の脚として確かに動く。

(包帯で固定すればくっつく仕様でよかった……もし本当に針と糸が必要なタイプだったら、時間無さすぎて詰んでたわ)

空はすでに、東の端から薄い光を投げていた。

夜明けの色が、血の跡と混じってゆっくりと滲んでいく。

墓の様子には一抹の不安が残る。

だが、もうすぐ移送任務に出てしまえば、この村に戻ることはまずないだろう。それまでの辛抱だ。

ヤクロたちとも、ブラッデイン到着後は深く関わる予定もない。

ヨンレイのことは少し気がかりだが、今回の体験は後でじっくりゴンギに共有し、

それからまた考えればいい。

民家の前まで戻る。

片足とはいえ、移植した筋肉の効果はすさまじく、歩くだけでも軽やかさが違う。

歩くたびに体の左側に重心が沈み、ガッコンガッコンとなんともひどい感触ではあるが、逆にこのほうがミイラのモンスター感が強い。余計、一般人に恐れられる要因にならないか心配である。

ギィ……と木の扉が小さく鳴る。

「ただいま」とは、あえて言わない。

一階の老夫婦はまだ眠っている。

猫だけは、昨日の外出時からも目を開けてこちらを見ていたが、猫の目撃くらいなら問題ない。

そっと階段を上り、寝床のある二階へ。

部屋の様子をのぞくと――よかった、仲間はまだ寝ている。

ミイラ男は静かに息を吐き、

音を立てないように布団へ潜り込もうとした――そのとき。

違和感。

一瞬で、背筋が冷えた。

ミラハルの姿がない。

彼女の布団だけ、まるで誰かが腰を下ろしたまま戻らなかったように、

ぽっかりと形だけを残して沈んでいた。

(……嫌な予感がする)

咄嗟に窓のほうを見る。

そして、見てしまった。

薄明の光の中――ミラハルがいた。

村人を三人ほど引き連れ、ヨンレイの墓の前で何かを話している。

胸が、凍りつく。

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