第6話「数千年の眠りから目覚め、数時間の居眠り。」
あの後、俺の一日がどう終わったのか、正直よく覚えていない。
ミイラ男になるわ、でっかいネズミに襲われるわ、それを無意識に呪い殺すわ、ネクロマンサーやらレイスやら出てくるわ……
なんというか、イベント詰め込みすぎなんだよ。不人気ゲームのチュートリアルか。
疲労と過労と困惑とが、頭蓋骨の奥にぎゅうぎゅうに詰まっていく感覚があって、
最終的にゴンギの話を聞いてる途中で、干からびた粘土細工のようにぼてっと寝落ちした。
鏡でこの姿の自分を見た時点で、俺の中の何かはもう壊れていた気がする。
「あー、これ、リアルな夢なんだよなぁ」ってどこかで俯瞰して、実況してるみたいな気分だったし。
夢だと思えば、ネクロマンサーも声帯移植手術も怖くない。だって夢だから。現実じゃないから。
……自己暗示かけてたのに、寝ても起きても夢から覚めねえんだこれが。
目を閉じても、開けても、同じ地下室。
同じ冷たい石の感触と、同じ薄暗さ。
諦めて現実を受け入れるしかないな、と半ば投げやりになったころ――
俺は、目が覚めた。
……と言っても、ミイラとしての再生イベントはもう済んでる。
また蘇ったわけじゃない。
あれは、混沌の中から這い出るような目覚めだった。
濁った闇の底から、無理やり引き上げられるような――そんな感覚。
今回の"これ"は……
静けさの中に沈んでいた意識が、そっと水面に浮かび上がるような。
温もりはないけれど、どこか懐かしい。
人間だった頃の、“朝”を、ほんの少しだけ思い出させる。
“ちゃんと寝て、ちゃんと起きた”――そんな、ごく当たり前の目覚めだった。
ただし、体はすでに人間ではない。
ゆっくりと意識が浮上していく感覚があって、ぎしり、と骨の軋む音が微かに鳴る。
皮膚なのか包帯なのか、それが石のように冷たい寝台の表面と擦れて、ガサガサという音が耳の奥で反響する。
まぶた……の感覚は曖昧だ。あるような、ないような。
それでも目の奥にうっすらとした光を感じる。
「あア……寝てタンだ、俺」
ぼんやりとした実感が、体の奥からじわじわと浮かび上がってくる。
脳の奥にうっすらと霞がかかっていて、それがゆっくり晴れていくような感覚だ。
乾いた布と皮膚がこすれる、ザラリ……ガサガサ……という耳障りな音が、耳の奥に残っている。
石の寝台は冷たく、背中に貼り付くようで、寝返りもうまく打てずにいたのだろう。
重たい体を少しだけ起こすと、節々からギギ……ギシ……と骨が軋む音がして、異様に乾いた空気が肺の中に入り込んでくる。
包帯の間から少し剥き出しになっていた指先が、ひび割れた岩肌のようにざらついているのが目に入った。
しばらく、呼吸の仕方すら思い出せずに、息を吐いたのか吸ったのかも曖昧なまま、俺はぽつりと呟いた。
「……ヤッパり、夢じャなかッたンダ」
この異世界も、このミイラの体も、全部現実。
頭ではもうわかっていたつもりだったのに――
こうして“目覚める”という体験をしたことで、あらためて現実を突きつけられた気分だった。
夢なら、きっともっとあっさり終わるはずなのに。
……っていうか、これは本当に「寝ていた」のか?
脳が休んだのか、魂が沈んだのか、ただ意識が闇に溶けていたのか。
あの混濁した眠りの感覚は、たしかに人間の頃に味わった「休息」とは少し違っていた。
けれど、それでも、俺はちゃんと“起きた”ということが不思議でならなかった。
そもそもアンデッドって寝るもんだったっけ?
俺のアンデッドに関する知識なんてたかが知れてる。
ゾンビ、ガイコツ、リビングデッドーーーそんな名前と断片的なイメージ――
ゲームや映画で見てきた連中は、どいつもこいつも目を光らせて延々と徘徊してた印象しかない。
「睡眠」とは、あいつらとは無縁の概念だと思っていた。
でも、ここでは違うらしい。
ゴンギが昨日言っていた。「自我を持つアンデッドは、精神を休めるために眠る必要がある」……と。
それでも、肉体は死んでるから、生きてる人間ほど長く眠る必要はない、とかなんとか。
……とはいえ、目覚めた俺には、自分がどれくらい眠っていたのか、さっぱりわからなかった。
空腹にもならない。体温も変わらない。脈拍もない。
人間だった頃なら、身体の調子や空の明るさで時間の経過をある程度は感じられたが――今はそれが全部、ない。
しかもこの地下室、窓もなければ、明確に時間を知る術もない。
どこまでも静かで、湿っぽくて、ずっと朝なのか夜なのかもわからない。
そんなことをぼんやり考えていたら、ふいに昔の仕事を思い出した。
俺は考古学者ではなかったけど、博物館の展示解説を作るために、古代エジプトの生活文化にはそこそこ詳しかった。
時間の話題もそのひとつで、エジプトでは「水時計」なんてものを使ってたらしい。
穴のあいた壺からちょろちょろ水を流して、その減り具合で時間を測る、ってやつだ。
……アナログだけど、当時としては画期的だったんだろう。
まぁ、今の俺に必要なのは、そんな知識じゃなくて――
どれだけ知識を詰め込んだって、この身体じゃ水時計どころか腕時計ひとつまともに巻けるか怪しい。
俺が知っているのは、もう過去の、とうに死んだ文化だ。
そして今の俺自身が、その「死んだ文化」の一部になってるんだから、笑える話だよな。
……そんなことをぼんやり考えていたら、遅れてゴンギがむくりと身を起こした。
何事もなかったかのように立ち上がると、部屋の隅に置かれていた細長い棒を手に取り、天井の一角にある格子扉を見上げる。
そのまま柄の先で格子の端を突き、ギギ……と音を立てて持ち上げた。扉はきしみながらスライドし、ゆっくりと横にずれる。
――そして、そこから差し込んできたのは、朝の光だった。
「うわっ」
思わず小さく声が出た。反射的に肩をすくめ、手で顔を覆う。
理由なんて、明確にはわからない。ただ、本能が警告していた。
“不用意に光を浴びるとヤバいんじゃないか”と。
だって、アンデッドってさ――
なんかそういうのに弱いイメージ、あるじゃん。
ホラーとかで、日差しに当たったら煙が出て、ボワッと爆ぜる、みたいな。
別に根拠があるわけじゃないけど、「日光=死ぬ」って図式が頭に染みついてる。
「どうした?」
ゴンギが棒を壁に立てかけながら、俺の挙動を見て首を傾げた。
「いや……なンとナく、光ニ当たっタラ崩レ落ちる気がしテサ」
「……崩れる? ヴァンパイアであれば日光で多少のダメージは受けるが...寝ぼけているな」
怪訝そうに眉をひそめながら、ゴンギは差し込んだ光の中へと平然と歩み出た。
肌も服も燃えない。煙すら出ない。拍子抜けするほど、何も起きない。
……まあ、こいつは生きてる人間だし、当然か。
「そ、ソウ……か。ナら、よカっタ……」
慎重に一歩、また一歩と、光の方へ足を出す。
恐る恐る手を伸ばし、差し込む陽光に触れてみる――が、やはり何も起きなかった。
肌は焦げないし、目が焼けるわけでもない。
「ところで、調子はどうだ? その肉体には慣れたか?」
ゴンギが、まるで新薬の臨床試験でもしてる科学者みたいな顔で俺を見下ろしながら聞いてくる。
いやいや、まだ転生(と呼んでいいのかすら怪しいけど)して、24時間も経ってないんだぜ?
心のほうは全然慣れてません。
「うーン、体は……昨日よリは少シ動かシヤすい気はするけド」
ボギギッ、と左肘が無骨な音を立てた瞬間、前言撤回するか本気で悩んだ。
「魂の剥離などが見られないなら問題はないな。記憶も人格も、睡眠を経ても維持されているようだ」
ゴンギは俺の感想には一切耳を貸さず、昨日と同じ裾の長い暗緑色のローブに無言で袖を通しながら呟く。
……いや、聞かれたから答えたんだけど? 興味ないの? あっそう。
こうしてると、この人が信用できる奴なのか、危ない奴なのか、ますますよくわからなくなる。
けど、蘇生させられた側としては、どうしても「この人が俺の主人だ」という感覚は根深くあって――
最終的に、まぁ……なんとかなるか、と。思考を放棄する方向に傾いていった。
そういえば……あいつは。
「お、シチュー」
昨日までは俺たちの敵で、牙を剥いて襲いかかってきた相手だ。
凶暴で、牙も爪も鋭くて、耳の毛は逆立ってて、目もイってて、正直かなり怖かった。
――なのに、今は足元で、俺の漠然とした不安なんてどこ吹く風で、
ただひたすら壁をカリカリとをひっかいている。
朝になろうが、光が差し込もうが、ただひたすら一点を見つめながら。
……その姿が、なんか妙に頼もしく見えてくる。
なんだろうな、この不思議な感じ。
よくわからない異世界の、よくわからない地下室で、
よくわからないネクロマンサーに拾われて、アンデッドになった。
……その“共通点”だけで考えれば、ある意味、弟分みたいなもんだろう。
ほんの数時間前に死んで、同じように蘇らされて、同じように使役されて。
同じように、これからどう生きる(というか逝きる)かを決めなきゃいけない――。
そう思うと、少しだけ気が楽になる。
俺が何を考えようと、こいつはたぶん黙ってゴンギの命令に従うんだろう。
それが、なんとなくだけど、俺にもわかる気がした。
心細いのは、たしかだ。
見慣れない世界に、古代の遺物と化した自分。
でも、こいつが隣にいてくれるだけで、ほんの少しだけ安心する。
ほんの数時間ではあるけれど、アンデッド歴でいえば俺のほうが先輩だ。
――だからこそ。
早いところこのファラオの体で、どう「逝きて」いくかを決めて、
いつかは、こいつに胸を張れるくらいにはならなきゃな。
そんなことを、ぼんやりと考えていた。
もっとも今は、張る「胸」が無いわけなのだが。