第66話「ミイラ男は思考する。」
状況を理解できず、ミイラ男――エテメノタヘンのほうだ――の思考は一瞬フリーズした。
しかし、目の前の同族めいた存在が敵意を示していないことに気づくと、ぎこちなくも立ち上がる。
「……お前ハ、誰だ?」
月明かりの下で問うと、包帯の隙間から濁った声が返る。
「王ノ眷属デス」
――対話ができる!
その事実に小さく驚きながら、さらに問いを投げる。
「眷属? お前ハ、俺が包帯を巻いたこトでミイラとして蘇ッタのか?」
「ハイ」
なるほど……少なくとも嘘をついている気配はない。
ということは、この遺物の力――ゴンギのように、死者を蘇らせ、使役できるということか?
「お前はアンデッドなのか? ゴンギのこトは知ってイルか? 何がでキる?」
次々に質問を浴びせる。
やり取りの末にわかったのは、この眷属ミイラーーヨンレイは生前の知識は保持しているが、
元々知らなかったことについては答えられないということだ。
ゴンギの名には終始「?」で、地下室で聞きかじったネクロマンサー的な質問にも首を傾げるばかり。
ただ、生前の家族――十五歳の妹がいたことや、デーモンサマナーだった経験から、
悪魔使役の知識については俺よりも詳しいようだった。
こいつがブラッデインまで案内してくれりゃあ楽だったんだが…魔道具で道を辿らないと厳しいってのは他のメンバーと一緒だ。
「よし、ヨンレイ。チョット、右に一回転しテミろ」
試しに命じてみると、ヨンレイは言葉通りにゆっくり右回りに身体を回転させた。
「ヨシ、次は左だ」
逆回り。包帯が擦れ、かすかな乾いた音が夜気に混じる。
「……なるホど」
月光が、二体のミイラを照らす。
結論は明白だった。
――この左手の遺物から伸びる包帯で死者を巻けば、忠実な眷属ミイラが生まれる。
もしかすると、丁寧な埋葬や、巻いた後に触れるなどの手順が必要なのかもしれない。
だが、今は検証している場合ではない。
この光景を誰かに見られたら、ただでさえ不気味な「墓から蘇る死者」が、
よりによってあの若いパーティーのヨンレイだったと知れ渡ることになる。
不審を通り越して、確実に騒ぎだし、彼らからすれば死者への冒涜だ。
あの若い冒険者たちの中にほんの少しは残っているであろう、野生のアンデッドという存在への警戒心が爆発し、敵対関係にまでなってもおかしくはない。
「元ノ墓穴に戻り、そのマま静止してイろ。呼ぶ時は、墓石をコンコンとノックする」
ヨンレイもどうやら、食事も呼吸も不要だ。
ならば、使う時まで地中で待機させておくのが一番だ。
「ワカリマシタ…王ノゴ命令トアラバ」
包帯越しの声は感情の起伏が薄いが、従順さだけは確かだった。
ゆっくりとした足取りで墓穴へ戻り、横たわるヨンレイのミイラ。
その上からファラオが土をかぶせ、外からはわからないように整える。
「……見られてナイよナ?」
深夜の静けさに紛れても、胸の奥に不安が残る。
もしパーティーの誰かに見られていたら……いや、村人でも十分まずい。
村を追い出されても、文句は言えないだろう。
翌日。
サンの手首はまだ鈍く痛むようだった。
高位の聖術使いなら骨折程度、すぐに癒せるが――駆け出しパーティーの一員である彼女には、それは望めない。
「ごめんね、頑張ったんだけど、なかなか治らないね。聖素を補充しないとダメだから、しばらくは薬草を塗って安静にしてて」
日差しが差し込む老夫婦の家の二階、柔らかな布団の上でロカの言葉を聞くサン。
朝の支度を終えた仲間たちが、そのやり取りを見守っていた。
「いてて……いやぁ、死ぬかと思ったけど、かなり楽になった……ぜ。これもロカと――」
視線をミイラ男へ向ける。
「全部、あなたのおかげです。……エテメノ…タヘンさん?」
「困ッテル人がいれば助けるノは当たリ前……ダロう?」
低く返すその声に、どこか誇らしげな響きがあった。
感謝されるのは、悪くない。
――生前、博物館の学芸補助員として働いていた頃を思い出す。
古代遺物の展示室で、年配の来館者から「この石棺はどこのものかね?」と尋ねられる。
簡単な解説をしてやると、相手は深く頭を下げ、穏やかな笑みを残して去っていく。
あの、胸の奥がじんわり温まる感覚が、ミイラ男になった今でも変わらずあった。心は死んでない。
「さて……今日はどうする? 王都へ行くには、まず道案内できる魔道具を手に入れないと」
ヤクロが場をまとめるように言う。
「サン、歩けるか?」
「あぁ……でも戦闘は無理だな」
なんとか立てる、といった様子で彼女は答える。
「アメジストタイガーを倒せるミイラさんが一緒なら心強いけど、方位指示魔導盤がなきゃどうしようもないわね」
「おいおい、ミラハル。“ミイラさん”じゃなくて、エテメノタヘンさんだろ? 命の恩人なんだぞ」
ヤクロが笑みを混ぜつつたしなめ、そのまま視線をサンに向けた。サンは包帯で怪我の世話をみてもらい、ファラオへの警戒心はかなり溶けたが、ミラハルはまだかなり、目の前の乾燥した異形を疑惑の目で見ているのがヒシヒシと伝わってくる。だが、無理もない。この見た目は、デフォルトで呪物のようなおぞましさを放っているのだ。
「サン、この村でそれを借りることはできるか?」
「村長なら三つくらい持ってるはずだよ。物資を運ぶため、この村から王都に行くことは結構あるし」
昨日、荷台に積まれていた遺物の数々を思い出し、ミイラ男も小さく頷く。
「そうか……じゃあ、俺が代表して村長に頼んでくるか。こんなに世話になってるんだしな」
「いいんだよ。若い連中が来ることなんて滅多にないからな。内心みんな喜んでるって」
サンの言葉に、場の空気が少しだけ和らぎ、一同の顔に笑みが浮かんだ。
村の最奥へ進むと、段状の石階段が緩やかに連なり、その上に村長宅が構えていた。
階段脇には、木彫りの守護獣の像や風よけの幟が立ち、民族色を感じさせる。
二階建てだが奥行きは深く、梁は太く、
一目で、この村の権力者の家だと分かる。
通された応接間は天井が高く、窓からは山の稜線が遠く見えた。
村長は机越しにこちらを見て、ゆっくりと口を開く。
「マドナビか……そうじゃな、ちょうどいい。明後日、ある物資を届けるために村人を3人、
王都へ出立させる予定だったんじゃよ」
長い髭をなぞりながら続ける。
「代わりにと言ってはなんだが、その護衛を頼めるか?」
思いがけない提案に、ヤクロが勢いよく身を乗り出す。
「本当ですか?! ぜひお願いします!」
「ソれは、アりがたい」
ミイラ男も、表には出さずとも心中でガッツポーズを取った。
――ブラッデインへ戻れる。ゴンギに会える。
輸送する物質というのも、おそらくアレだろう。古代ヌビトの意匠を感じる腕輪。
いや、盗んだりするつもりは毛頭ない。だが、やはり相当気になる。もっと近くで眺めたいし、手にとって観察する程度ならバチは当たらないだろう。
「ヨンレイのことも、教会でちゃんと弔ってやらなきゃな……」
ヤクロの呟きに、ミイラ男の干物と化した心臓が一瞬だけ凍る。
そのヨンレイは、いまや自分の眷属として墓の下で静かに眠っているのだから。
サンの怪我はまだ癒えていない。
出立は明後日。
今日一日は、思い思いに村で平穏な時間を過ごすことにした。