第65話「ミイラ取りがミイラにした。」
狭い民家ではあるが──あのゴンギの地下室と比べたら、まさに天国だ。
なにせ広さは倍以上、天井は高く、しかも二階建て。
壁は煤けた板張りだが、ところどころ布や干し草で断熱が施されており、簡素ながら住み心地は悪くなさそうだった。
窓際には鉢植えの薬草が並び、木製のテーブルの上には干しリンゴが積まれた籠。
炉の火は赤々と灯っていて、かすかに夕飯の香りが漂っている。
一階には老夫婦と、その飼い猫が暮らしていた。
猫は客人の靴にスリスリと寄ってきて、しばらくすると薪ストーブの前で丸くなる。
老夫婦はやはり、ミイラ男のことだけを警戒の目でじろじろと見ていたが──
そこはヤクロが「俺がネクロマンサーで、このアンデッドは使役してまして」と口裏を合わせてくれたおかげで、なんとか納得してもらえた。ヤクロ、ナイスである。
……いや、無理がある。
なにせヤクロは、爽やかな短髪に鋭い目つきで、剣まで装備している。
どう見てもインキャなネクロマンサーには見えない。
現役の冒険者相手であれば、すぐ見抜かれるウソである。
そんな茶番にも関わらず、老夫婦は「あがりな」と言ってくれた。ありがたやありがたや。
──っと、その前に。あの仲間の遺体はどうなったか、だ。
サンが村人に事情を説明すると、「村の裏に小さな墓地があるから、そこに埋めてやりな」と言ってくれた。
ヤクロとミラハルが手分けして穴を掘り、遺体をひとつひとつ丁寧に埋葬していく。
布に包まれた亡骸の上に、そっと土を被せていくその姿は、静かな祈りに満ちていた。
ミイラ男も、無言で近づき、包帯でぐるぐる巻かれた遺体にそっと手を添える。
名も知らぬ彼らの魂が、安らかに眠れるようにと、目を閉じて祈る。
……アンデッド、それも数千年前の古代ミイラが、死者の冥福を祈るなんて。
我ながら、どこの地獄コメディだって話だ。
夜。
日がすっかり沈み、家の中には炉の火だけが灯っている。
布団が並べられ、若き冒険者たちはそれぞれそこに横になった。
サンは治癒の聖術と丁寧な包帯のケアのおかげで、ようやく痛みが落ち着いてきたようだ。
右半身を下にして、小さく呼吸を繰り返しながら、眠りについた。
だが、ひとり──ミイラ男だけは、目を閉じることができなかった。
頭にこびりついて離れないのは、あの老婆の荷台に積まれていた古代の遺物。
彼の左手首にはめられている腕輪と、まったく同じ紋章が刻まれていた、あの遺物だ。
(間違いない……あれは、ヌビト系の何かだった)
古代ヌビトで発掘されたものが、王都への輸送途中で、この村に保管されてるのだろう。
にしても、なんたる偶然だ。
よりにもよって、その片割れを身につけてる張本人──
生粋のファラオが、今まさに村に滞在してるっていう事実。
誰も気づいてない。
村人も、あの老婆も、そして冒険者の誰ひとりとして。
(そりゃそうか。まさかこんなボロボロの包帯男が、数千年前の王族だなんて、思わんよな)
思わず自分のミイラ臭に苦笑する。
さて、今日は本当に色々あった。
精神も疲労していたのか、そろそろ眠気がやってきた。
ミイラ男はゆっくりと、ややぎこちない動作で立ち上がる。
「ちょっト外ノ空気を吸ってクルワ」
小さくそう呟いて、月明かりだけを頼りに階段をギコ、ギコと降りていく。
外へ出ると、空気はしんと静まり返っていた。
どこか遠くで、虫の音がチリチリと鳴いている。
夜の帳は深く、空には大きな月が、まるで湖面のような静けさで浮かんでいた。
雲ひとつない夜空は、冷たい瑠璃色に染まり、星々が瞬いている。
どこまでも澄んだ空気が、あらゆるものの輪郭をやさしく縁取り、
木々の影が長く地面に溶け込んでいる。
──それは、生きていた頃の彼なら、
頬をなでる風の冷たさに肩をすくめ、
夜気の匂いを胸いっぱいに吸い込んでいたかもしれない、そんな夜だった。
だがこの身体では、外の気温を感じることはできない。
寒さも、暑さも、肌のざわめきも、胸の鼓動も──
死してなお動くこの身には、もはや縁のない感覚だ。
だからこそ、今は少しだけ惜しい。
「……そろソろ、戻ルか」
そう呟いて、ぎこちなく身を返す。右足を前へ出そうと――した。止める。
目の前に、何かがいた。
人型。だがあまりに歪で、ぼろぼろ。
傀儡のように力の抜けた立ち方で、月明かりの下、ただじっとこちらを見つめている。
ヤクロか?……ビックリするだろーが。
そう声をかけようとした刹那、月光がシルエットを照らし出す。
「……ハ?」
そこにいたのは、“俺”だった。
まるっきり、俺と同じ姿の……ミイラが立っていた。
「えっ、ハ、はア?!」
反射的に後ずさろうとするが、うまくいかない。
ぎこちないこの身体では軽快なステップなんて夢のまた夢で、情けなく尻もちをつく。
……けど構わない。
地面に座り込んだまま、ゆっくりと目の前の“俺”を見つめた。
月光がちょうどいい角度で差し込み、包帯の奥の顔まで薄っすら見える。
ああ――これは、さっき埋葬したパーティーの一人だ。
間違いない。あの仲間の中で、唯一命を落とした彼。
この俺が手ずから包帯を巻いたんだ。
遺体が傷まぬよう、土に擦れぬように、丁寧に、厳重に――
その時、彼の仲間たちも、特に反対はしなかった。
だから頭まで包んでやった。眠るように。静かに。
……なのに今、彼は立っている。
まるで“俺”を映す鏡のように。
体格は違う。しっかりと肉付きがあり、生前の筋肉がそのまま残っている。
明らかに古代の遺跡から出土したミイラじゃない。
なんで立ってる?
アンデッド化した? 誰が? まさか、ネクロマンサー?
だが思い返せば、あの昼間助けたパーティーの自己紹介で、ネクロマンサーはいなかったはずだ。
いたのは、“デーモンサマナー”――悪魔使いだった。
……そうだった。
こいつだ。今、目の前にいるこいつが、そのデーモンサマナーだったんじゃないか。
死んでいたはずの彼が、立っている。埋めたはずの土で包帯が汚れている。
けれど襲ってくるわけでもなく、声を発するわけでもない。
ただ黙って、こちらを見ていた。
奇妙なことに、その姿にどこか“仲間”のようなものを感じた。
見た目の問題ではない。もっと深い、根源的な何かで。
彼はゆっくりと膝を折り、俺に合わせるように屈んだ。
包帯の奥、青く淡い光を灯す瞳孔が、まっすぐこちらを見据えている。
そして、しゃがれた声で、カタコトのように――だが確かに、こう言った。
「……王……ヨ……ゴ命令……ヲ……」