第64話「まじか」
「ごめん……それは無理よ」
申し訳なさそうに謝ったのは、ツインテールを揺らした少女――ミラハルだった。
痛みに顔を歪めながら、なんとか上体を起こす。
「ミラハル、もう動いて平気なの?」
ロカが心配そうに駆け寄る。
背中はまだかなり痛むが、この中では彼女の怪我が一番軽い。
返事はせず、ミラハルは淡々と続けた。
「私が、魔道具で方向を確かめながら森の中を進んでいたの。
だけど……さっきアメジストタイガーに叩きつけられた時に、それが壊れてしまったのよ」
そう言って、ミラハルはショートパンツのポケットから、小さな魔道具の残骸を取り出した。
砕けたガラス。魔力で駆動していたらしい内部の部品は粉々で、針も無残にぐにゃりと曲がっている。
ひと目で、それがもう使い物にならないとわかる。
──あれは、ゴンギが王都へ向かう際に使っていたのと同じ魔道具だ。
ミイラ男は思う。自分はコンパスすらも持たずに、よくもまあこんな森を突っ切って王都を目指していたものだと。
無鉄砲というより、ただの無謀。いまさらながら、苦笑いするしかなかった。
そんな彼の横で、ヤクロがつぶやく。
「お前は後衛だから、あまり攻撃を受けることがない。だから持たせたんだが……こりゃ、やっちまったな。
まあ、しょうがねぇ」
「しょうがないって……! 私たち、もう帰れないってこと!? どうすんのよ!」
焦りを隠せず、ロカが声を上げる。
ミラハルはうつむき、「本当にごめん……」と力なくつぶやく。
だが、ロカもヤクロもすぐに首を振った。
「ミラハルのせいじゃないよ。あの魔獣が規格外だっただけだ。無理もない」
みんなで金を出し合って買った、それなりに高価な魔道具。
壊れたのは痛いが──命には代えられない。
生きてさえいれば、またやり直せる。そう、きっと。
そんな空気の中、地面に横たわっていたサンが、痛む身体を起こしながら口を開いた。
「ウッ……俺は……もともとこの近くの村で育ったんだ……
王都には行けないけど、故郷の村だったら……案内、できる……かも…」
「本当か!?」
ヤクロが前のめりに身を乗り出す。
サンは左手首を押さえ、顔をしかめながらもうなずいた。
パーティの大半が、もはやまともに魔獣と戦える状態ではない。
どのみち、どこかで一旦休息が必要だ。
「では、その村まで一緒に行こう」
ミイラ男は即座に賛同する。
王都に行けなくなったのは痛手だが、人の住む場所へ向かえるだけで大きな前進だ。
森をあてもなく彷徨うより、よほど希望がある。
もしかすれば、王都への道を知る者や、案内してくれる村人がいるかもしれない。
サンは集中して治療を受けていたおかげで、聖術をかけながらなら何とか歩けそうだった。
とはいえ、左手首は骨がむき出しており、見るからに痛々しい。
それを見たミイラ男は言った。
「ちょっと、その手見せてくれ」
助けてはくれたが、野生のアンデッドだ。心の奥底ではまだ警戒がある。見た目もコワイ。
怪訝な顔で差し出された手に、包帯を現し──
彼の腕を、優しく、それでいてしっかりと固定する。
触れた瞬間、サンは苦痛に顔をしかめたが、すぐに安堵の色が戻ってきた。
「あ、ありがとう…ございます……」
こうして、一行は再び歩き出す。
ヨロつくサンを先頭に、ロカが背後から治癒の聖術をかけ続け、
ミラハルは足を引きずりつつ後方を守る。
ミイラ男とヤクロは、それぞれ左右から全体をガードするように位置取った。
──だが、その列に一人分の空白がある。
倒れていたデーモンサマナーの仲間ーヨンレイは、残念ながら息を引き取っていた。
ロカが何度も聖素を注いだが、それは屍体には反応しないもの。
奇跡は起こらなかった。
静かに合掌し、全員でその死を悼む。
そしてミイラ男が、亡骸を丁寧に包帯でくるむ。
土に還すには時間がない──
せめて、直に地面に触れぬよう、慎重に引きずりながら運ぶ。
「何から何まで、ありがとうございます。エテメノタヘンさん! ヨンレイ...お前は、ちゃんと埋めてやるからな」
ヤクロは涙を流しながら、そっとそう約束した。
──そうして日が傾き始めたころ。
木々の隙間から、やがて灯りが見えてきた。
一行は、ようやくたどり着いた。
それは、サンの故郷──森の中の、静かな村だった。
村にたどり着くと、サンが前に出て、大きく手を振りながら声を上げた。
「おーい! 誰か、いるかー! ……俺だ、サンだ!」
しばらくすると、古びた民家の戸がいくつか開いた。
懐かしげな顔が五、六人ほど、ぽつりぽつりと姿を現す。
「あらまあ、サンじゃないかい。ずいぶんとやつれて……怪我までしてるのねぇ」
そう言って、ひときわ元気な老婆がサンに駆け寄ってきた。
皺の多い顔に、安心と驚きの両方が浮かんでいる。
サンもどこか照れくさそうに笑った。
他にも、好奇心旺盛な子供、杖をついた老人、屈強そうな中年の男など、
村の住民らが少しずつ集まってきた。
その中で――ミイラ男は、ひそかに不安を覚えていた。
(……ん? いや、今、絶対俺のことだけ……視線が長かったよな)
ちらちらと様子をうかがう視線が、妙に刺さる。
陽はすでに落ちかけており、村の明かりもぼんやりとしたものだ。
全体像までは見えていないはずだが、それでも居心地が悪い。
(ヤクロの話じゃ、野生のアンデッドっていうのは、何かと不吉で危険な存在らしい。そう、さっきのアメジストタイガーみたいなモンだ。グリフォン便のグリフォンも魔獣だが、アレは人の役に立っている、味方的存在だ。ゴンギからはネクロマンサーに使役されているアンデッドの話しか聞いてこなかったから、俺があいつらを助けず邂逅していたら、攻撃されていたのは俺かもしれない。そう考えると、何かと一色触発だったな。)
ミイラ男はそっと仲間たちの背後へと移動し、視線を避けるように身体を沈めた。
これ以上目立たぬよう、しばらくは気配を消しておこう。
(ちょっとでも背景に徹す...そもそも俺は、めっちゃ見た目怖いらしいし...)
そんなこんなで、一行は村人の一人に案内され、
とある民家の一室を借りて休息を取ることになった。
だが――その途中だった。
村の細い路地を通りかかったとき、ふと視線が吸い寄せられた。
古びた木の荷台を、腰の曲がった老婆が引いている。
きしむ音を立てながら、荷台の上には布をかぶせた大きな包みが乗っていた。
その布が、風にあおられてふわりとめくれる。
ちらりと見えた“それ”に、ミイラ男の目が釘付けになった。
瞬間、乾き切った心臓がひときわ強く脈打つ。
(……あれは……)
荷台に積まれていたのは、彼の左手首にはめられている腕輪と、
まったく同じ紋章を持つ――古代の副葬品だった。
硬質な質感の鈍い光。洗練された刻印の文様。
そこには、確かに本で見た古代ヌビト文明の気配が宿っていた。
ただの工芸品ではない。
時を超えてなお、威厳を宿す“何か”だ。
荷台の端には、くたびれた紙札が括りつけられていた。
消えかけた文字が、辛うじて読める。
《王都歴史博物収蔵所 納品分/輸送中》
(……王都に? この村から……?)
思わず、右手首がかすかに震えた。
目の前の腕輪と、自分の左手にあるそれが、
まるで呼応するように……静かに、共鳴している。




