第2話「俺はミイラになったらしい」
雨はしとしとと絶え間なく降り続く。
枝葉から滴る水がフードを打ち、濡れた土が足元にまとわりついてくる。
私は深い森の中を進んでいた。夜の闇に紛れるように黒いローブをまとい、身を低くして木々の間を縫う。
魔獣の唸り声が遠くから微かに聞こえる。奴らの縄張りを通るには、このくらいの用心は必要だ。
とくにこの辺りは、空気がどこか重く淀み、常に何かが蠢いている。そういう土地だ。
ようやく、目的地が見えた。
土が盛り上がった一角。知らなければ、ただの獣の巣穴にしか見えないだろう。
カムフラージュの枝葉を払いのけると、苔むした巨大な石蓋が姿を現す。
周囲を確かめ、ゆっくりと杖をかざした。
杖の先端に、青白い光が灯る。
そして、ひとつの亡霊が、音もなく現れる。
「頼む。」
一言告げると、レイスは石蓋に溶けるようにして消え、数秒後、ズズズ……という鈍い音と共に石蓋が横にずれた。
地下へと続く階段。そこはひんやりとしており、地上の湿気が徐々に染みこんでくるような重さがある。
この前、古代の遺跡から王族のミイラを盗み出したばかりだ。
命からがら逃げ延びて――その成果が、そこにある。
「……なんとしてでも。」
遥かな昔に交わした約束と、胸に宿したロマン。
そのすべてを背負い、私は部屋の奥に静かに鎮座するミイラを射抜くように見据えた。
ところで、こうも湿気が多いと、ミイラには最悪の環境ではなかろうか。
包帯にはカビが生え、皮膚は膨張し、保存された筋肉には雑菌が繁殖する。
せっかくの“逸品”が、台無しになる。
私は、精一杯の配慮として、室内の乾いた空間に安置し、周囲に乾燥苔を敷き詰め、空気が循環するようにしていた。
正しい保存法なのかは、正直分からない。
私は、四十数年を死霊魔術と、屍体盗掘に捧げてきた。それだけの男だ。
蘇生させてしまえば、なんとかなるだろう。
いままでだってそうだ。
頭部がない屍体だって、不完全な首無し騎士として蘇らせることもできた。
動いてしまうのだから、それでよし。
アンデッドの能力は、屍体の素養と、魂や霊体の持つエネルギー、蘇生前の屍体管理等によって複合的に決まる。
屍体の鮮度が高ければ生前の記憶の保持率が高かったり、動きが俊敏だ。逆に時間が経ちすぎていると、ゴーストやレイスのような霊体系のアンデッドとして復活させるのも手だ。これらのノウハウは、若手のネクロマンサーでも知ってる常識なのだが。
「……ご苦労。」
私は杖を掲げ、レイスを先端に吸い込むようにして消す。
さて――話を、眼前のミイラに戻そう。
私は古代文明には詳しくない。だが、あのとき遺跡で共に戦い、帰還途中に死んだ仲間が言っていた。
このミイラは、およそ2600年前にミイラにされた古代の王だと。
……二人とも、目を輝かせていたものだ。
惜しい奴らを亡くした。
屍体は片付けられたかもしれないが……金で雇ったにしては、愉快な奴らだった。
さて――このミイラが応えてくれるかどうかは、私にもわからない。
まあ、やることはひとつだ。
試してみるだけのこと。
―――
不思議な感覚だった。
包帯で顔の大半が覆われているせいで詳しくはわからないが、目の前の男は声の調子からして中年だろう。
その男が、聞き慣れない言語で俺に話しかけてくる。にもかかわらず、俺にはなぜか意味がすらすらと理解できた。
古代エジプトの象形文字なら、かつて趣味でかじったことはある。だが基本的に、日本語以外の言語など知らない。
それなのに、その言葉はまるでずっと馴染んできた母語のように耳に染み込んでくるのだ。
――ただ、俺が座らされているこの場所は、どうにも落ち着かない。
俺のいる位置を中心に、床から壁、そして天井にまで及ぶ、巨大な円形の魔法陣が広がっている。
独特の記号と、絵とも文字ともつかぬ紋様が緻密に刻まれ、意味はまったくわからない。だが、その線に込められた熱と狂気だけは、いやというほど伝わってくる。
――黒魔術とかに取り憑かれた中学生が、命がけで描き上げたかのような、異様な完成度だった。
「意識は戻っているようだが……自分が誰か、わかるか?」
男が問う。
だが、俺には何と答えればいいのかわからなかった。
声を出そうとしたが、カスッ、ホスッ、と情けない空気の擦れる音がするだけで、言葉にならない。
「……フム。やはり声が出ないか。少々待っていろ。」
男の足音が、ゆっくりと部屋の奥へと遠ざかる。
包帯越しにかすむ視界に、ぼやけた影が見える。何かの器具を手にした気配。
ギィ……と金属の軋む音。
続いて、刃が鞘から抜け出すような、身の毛のよだつ鋭い音がした。
俺は、身体の芯が冷えるのを感じていた。
「こいつは……特攻ゾンビとして使う予定だったやつだ。すまんが、使わせてもらうぞ」
男の独り言のような声が低く響く。
そして、次の瞬間だった。
ジョリ……ジョリリ……。
鈍く湿った、耳を塞ぎたくなるような音が部屋に広がる。
繊維と骨が引き剥がされるような、ぞっとする感触。
ピッ、と何か温かい液体が頬に飛んだ気がした。
男の手つきには迷いがなく、台所で野菜を刻むかのように、喉元から声帯を摘み取っていく。
彼にとっては、ごくありふれた仕事なのだろう。
やがて、足音がこちらへ戻ってきた。
「よし、今から移植する。じっとしていろ。痛みも不快感も……ないはずだ。」
男の手が、俺の顎と首を持ち上げる。
包帯をわずかに開き、喉元にひやりとした金属が触れる。
チリ……と空気が張り詰め、恐怖が喉の奥で震えた。
痛みはなかった。
それは、どこか遠い誰かの肉体で起きている出来事のようだった。
それでも耳には音が届く。
ぬめりと、刃が擦れる音、血肉の湿った粘着音。
わかっている。いま、俺の喉に「誰かの声」が縫い付けられている。。
それがどういう意味か、まだ想像できていなかった。
時間にして十五分ほどだろうか。
男は「ふむ」と低く唸り、俺の顎をそっと戻した。
「……声帯を移植した。これで、話せるはずだ。……どうだ?」
試すような視線が、包帯越しにもわかる。
「……あ」
俺は恐る恐る、喉の奥を震わせる。
「ウ……ア……オレハ……!」
がらんどうの身体から絞り出されたその声は、
低いエコーがかかっていて、不気味で、どこか機械じみている。
だが、確かに――それは「言葉」ではあった。