風の精霊に愛された姫と王都で無双する
「寂しくなるわ。さようなら、みんな」
草原で一人佇む。風が吹いている。
風と戯れるように両腕を伸ばした。
春の香り。潮の香り。風が引き止めるように誘う。
「ヴェイン、ごめんね。どうする?一緒に王都へ行く?」
ライハの長い髪を弄ぶ風。ヴェインと呼ばれた風は姿を見せた。
「なんでオレだって分かったんだよ。風の精霊なんていっぱいいるだろ?」
ヴェインは口を尖らせる。ライハよりも少し背の高い彼はライハを見下ろして言った。
「秘密」
「ふんっ。王都は嫌いだって知ってるだろう?空気が澱んでるんだよ。なんでそんなとこ行くんだよ」
「人質よ」
「ライハが?」
「そう。戦争に負けたの」
「戦ってた?」
「いいえ。宣戦布告を受けてすぐに降参したわ」
「なんで?ここの軍隊強かったよね?」
「お義母様が裏切ったの。彼女を受け入れた時点でもう負けていたのよ。いつの間にか彼女の手の者が国を動かしているわ。ルトヴァルト王国は乗っ取られたの」
「そうなんだ。それでライハが王都に行って人質になるのか?」
「血筋を絶やしたいんじゃないかしら。ルトヴァルトは元々女系なの。私を取り込んだらルトヴァルトは終わり。自由を愛する一族が政略で勝てるわけがないのよ。一応は側妃という名目だそうよ」
「そんなの無視してオレと暮らせばいいじゃないか。家くらい用意できる」
「無辜の民が傷付けられるのは見たくないわ。私が行けば皆も兵を挙げたりしないと思うの」
「だから別れを告げたのか?」
「ええ。きっと飼い殺されて死ぬまで王都だわ。どこにいても心はここに帰ってこれるけど、肉体は不自由だから」
「しょうがねぇ、オレも付いてってやるよ。護衛だ。ついでに王都の澱んだ空気をオレが綺麗にしてやろう」
「ふふっ。暇つぶしにちょうどいいかもしれないわね。ヴェインが一緒に居てくれたらどこに住んでも楽しそうだわ」
「姫様!ヴェイン殿!」
騎士が近づいてきた。
「カーク、もう姫と呼んではいけないわ」
「我らにとっては姫は生涯姫のままです。諦めてください」
「オレにとってもお前は姫だぞ?」
「ヴェイン殿、姫に対して『お前』と呼んでは敬っているのか分かりませんぞ?」
「そういうものか?いざとなったらちゃんとした言葉で話すから今は許せ」
「全く、いつもできなかったらいざという時もできないものだと何度もお伝えしたではございませんか」
「ふふふ。風の精霊にお説教する側仕えなんてカークくらいのものよ?」
「失礼しました。つい……」
「いいよ。いつも通りで。あ、そうだ。オレも王都に行くことにしたから、色々教えてくれ。オレがライハの側仕えをしてやろう」
悪戯っ子のような瞳でカークを見る。渋い顔のカークは「仕方ありませんなぁ」と言いながらも安堵した様子。
「王都でも私らしくしかきっと生きられないから、死なないように頑張るわ」
「死などという言葉をそう簡単に使ってはなりません!ヴェイン殿、準備期間は短い時間ですが、徹底的にやりましょう!一人しか連れて来てはならぬなどと婚姻前から蔑ろにするような輩に姫様を幸せにすることなど不可能です!ヴェイン殿が側に居てくださるのなら百人力!誰と対峙しても恥ずかしくないように仕上がっていただきます!」
カークが妙にやる気に満ちていてライハは不安だ。暴走しないように見張りをつけようと心に決めた。口笛を吹いて愛馬を呼ぶ。
ヴェインと二人で馬に跨り、カークを振り切って屋敷へ帰って来た。ヴェインの手綱捌きは見事だった。彼の前で風を受けて馬に乗るのは好きだ。疾走感が格別。気づいた時にはカークは豆粒のようだった。
ルトヴァルト王国の継承者は代々風の精霊の一人と特別親しくなる。その精霊が好む魔力を持っているらしい。自由を愛する一族と風の精霊の相性も良いのかもしれない。
まさか婿養子の父を利用して、裏切り者に堂々と入り込まれるとは。それも母の急死後、ライハが継ぐまでの短期間で国を乗っ取られた。
ライハの母が女王だった時に親しかった風の精霊は、母が急死した昨夏から姿が見えない。母と共に彼岸に行ったとも、大気に溶けたとも言われている。
ライハが命を落としたら、ヴェインはどうするのだろう。ああ、やっとカークが追いついた。その夜からヴェインはカークの言うことを真摯に聞いて、側仕えとして振る舞うようになった。
まるで別人のようだ。二人きりになったらいつも通りの不遜な彼になるだろうか。ライハの疑問は一つ。
「ねえ、側妃の側仕えって女性じゃないとまずいんじゃないかしら?」
時が止まったかと思うほどの静寂。カークの周囲の者は男性が多く、思い至らなかったようだ。
「ヴェイン、どうする?」
「姿形にこだわりは無いから、どちらでもかまわないけど?」
そう言ってヴェインは女性の姿になった。
「美しすぎる侍女ってところね。モメそうだわ。もう少し愛嬌がある方が懐には入りやすいかもしれないわよ?」
「まあ、状況に応じてうまくやるよ」
ライハを慕う者たちは、ヴェインの献身に涙した。妻帯者は妻に、いない者は母親や姉に、ヴェインの教育を頼んだ。一致団結した時の動きは速い。
そして、ライハとヴェインを送り出す日が近づくにつれ、彼女がいない間、代わりにルトヴァルトを守るという想いも強くなっていった。彼女が守るはずだった民も、田畑も、そしてルトヴァルト一族にとって聖域である王墓も。
清楚で可愛らしい侍女を連れて、ライハは王都へ向かった。王都から馬車が迎えに来て、二人を連れて行く。荷物はヴェインの空間収納庫に入れているので、小ぶりな馬車だったが問題はなかった。
「ライハ様、これはアレですわ。嫁いびりですわ」
ヴェイン改めヴィーがしたり顔で言う。
「面白くなってきたわね」
「本当に婚姻を結ぶのかすら疑問ですわ」
「ふふっ。それでもかまわないわ。いっそヴェインとお式を挙げようかしら」
「いいよ。どこへでも攫うよ」
「その時はお願いするわね」
馬車の中では二人きり。二人は結界の中で会話をする。
迎えにきた一団にライハよりも魔力の使い方に長けた者はいないようだ。結界を張れば干渉されない。馬車の操者が二人、護衛の騎士が三人。一応交代で休憩は取れそうな人数。
「拍子抜けだったわね」
「まだ分からないわよ?ヴィー、十分気をつけていてね。あなた、出迎えの騎士に舐めるような眼差しを向けられていたわよ」
「キモい」
「ほら、素が出てるわよ」
「とりあえず浄化しとく」
「邪な感情を浄化されたらその人はどうなるの?」
「んー。無欲?」
「そう。なら安全ね」
「いっそ、常時発動しとこうかな」
「何を?」
「浄化の魔法」
「そうね。範囲はどのくらい?」
「ワンチャンク」
「んー。(チャンクってなにかしら?)任せるわ」
「じゃあ、早速」
馬車がこれから向かう先の街道も、通り過ぎた後の街道も魔物が減ったのだと後で聞いた。浄化の風が届いた所では、病に倒れた人が元気になったり、作物の実りが良くなったり、犯罪が減ったりしたのだそうだ。もちろんこの時のライハとヴィーは知る由もない。
宿泊予定の街に着いた。ヴィーに邪な視線を向けていた騎士はキリリとした顔立ちになっていた。ライハとヴィーをちゃんと護衛してくれている。せっかく騎士道精神を発揮してくれているのだが、二人に護衛は必要ない。伝えるのは面倒なのでそのままにしておいた。
食事が終わった後、騎士の一人がライハの部屋の扉をノックした。入室を許可すると、彼は部屋に入るなり土下座をした。
「私は密命を課されていました。正妃様からです」
「えぇっと、言ってしまったらダメなやつでは?」
ライハは心配になった。
「人質を取られていたり、借金があったりするのではなくて?」
「はい。ですが、正義のためには仕方ありません」
「命を賭けられるのは困るなぁ」
「ヴィー、素が出てるわよ」
「正妃様はライハ様が入国する際、見窄らしい姿にするようにとご指示を」
「あら、案外良い人なのかもしれないわよ?命を奪わないんですもの。可愛らしい方ね」
「ライハも出ちゃってるよ?修羅場くぐった感」
「正妃様は他の側妃様がご懐妊された時は修羅のようですが、それ以外はご自身の美貌を越えなければ特に問題視されない方です。ライハ様は何をお召しになっても越えてしまうと思います。どうやっても見窄らしくなり得ない。これは素直にお伝えするしかないと思いまして……」
ライハが土下座している騎士を指差してヴィーの方を見た。
「あー、浄化されちゃったね」
「なるほど。こうなってしまうのね」
「強すぎたかな?」
「そうね」
「どうしよ」
二人はコソコソと話し始めた。
「正妃宛の手紙に浄化魔法を載せて届けたら?正妃の邪な気持ちを浄化したらお咎めなしじゃない?」
「さすがライハ!そうしよう」
「あと、浄化の出力を下げましょう」
「そうだね。範囲と強度を絞るね」
騎士の方へ向き直り、ライハは告げた。
「では、正妃様に一筆書きますから、それを届けてもらえますか?それで万事解決ですわ」
「そのようなことでお許しいただけるのですか?なんと器の大きい方だ!ちょうど今夜、報告の手紙を仲間に預ける所だったのです」
「そう。ではその時に一緒にお願いしますわ」
「ありがとうございます」
騎士は満足気に部屋へ帰って行った。
王都に着いた。想像していたよりも快適な旅。全てはヴィーのおかげだった。短期間で侍女仕事を仕込まれたとは思えないほどに気遣いが行き届いている。ライハは一人で暮らせると考えていた自分を恥じた。人質生活が終わったら一人暮らしをしようと夢見ていたのだ。
「フォールティル王国の太陽、王国の月、国王陛下と妃殿下にご挨拶申し上げます。ルトヴァルトの風、ライハが参りました」
「ルトヴァルトのフォールティル王国への併合を祝って宴を用意した。友好の証に今夜開かれる夜会に招待しよう」
(王からも嫌がらせだわ。やっと到着したばかりで何も分からないのに。その上併合ですって。綺麗事ばかり)
「王太子への嫁入りの件も夜会の最後に発表しようと思う」
「承知しました」
「うむ。美しく着飾ってくるが良い」
王の言葉を聞いて、王妃が隣で嫌な笑い方をしたのを目の端で捉えた。弱かったか?
「お声がけ頂きありがたき幸せに存じます」
「うむ。我が家と思って寛ぐが良い」
カーテシーで王と王妃を見送った。
「ねぇ、ヴィー、王宮中を浄化したら面白そうじゃない?」
「もう始めてるよ」
「ふふふ。流石ね」
「お褒めに預かり恐悦至極にございます」
「じゃあ、そろそろ良いかしら」
「はいよー。あ、あの人かな?」
ヴィーは控えていた侍女に声をかけた。想像通り、ライハの世話をするように命じられた者だった。
「お部屋は実はまだ整っていないのです。正妃様のご指示で」
ライハはヴィーの耳元に顔を寄せた。
「ヴィー!この人も罪を告白し始めたわよ?」
コソコソと話し始めた二人。侍女は良い姿勢のまま頭を下げて動かない。
「許すって言っとけば良いんじゃない?」
「そうかしら?」
「そうだよ」
「あなたを咎めないわ。許します。それにお掃除なら私もお手伝いできるわ。ちょうど良い魔法が使えるの。部屋へ案内していただける?お掃除得意なのよ。こちらのヴィーが」
ヴィーはライハに目で「やれ!」と指示を受けて笑顔を見せた。ヴィーの目は笑っていない。怖い。
しかしすぐに切り替えて、年若い侍女と二人、競い合うように案内された部屋を掃除し始めた。その年若い侍女は名をコリンナという。正妃の指示に従う理由はお金。指示を守れなかったら給金が減額になってしまうらしい。
とは言え、侍女としての腕は良い。ライハはコリンナにルトヴァルトの祝福を与えた。身体の痛みが消え、不安や悩みがどうでも良くなる。
おまけに視力が良くなったコリンナは眼鏡を胸ポケットにしまって、喜びで泣いた。眼鏡は王都では高級品で、親に負担をかけていたことが心苦しかったのだ。
コリンナによると、王太子の婚約者と発表された後、離宮に部屋を貰えるらしい。
「素敵!」(離宮なんて抜け出し放題じゃない?)
ヴィーがライハの目が喜びでキラリと光ったのを見逃すはずもない。
「楽しそうですわね」(何処へ遊びに行こうかなぁ)
ヴィーは甘い物に目がない。
傍目から見ると、可愛らしい女性が三人微笑み合っている。
「そうでした!夜会の準備をしませんと!失礼ながら、王都までの旅のせいか、お肌の調子もお髪の調子もあまりよろしくないようですし、時間をかけて整えませんと」
コリンナは焦っていた。
「そんなに慌てなくても大丈夫よ。全部魔法だからすぐよ」
ヴィーが優しくコリンナに話しかける。
「ヴィー様がそうおっしゃるのなら安心です」
浄化されたコリンナはヴィーの言うことをよく聞く子になっていた。
それは洗脳と言うのでは?とライハが指摘したこともあるが、そういうわけではないらしい。心酔しているだけなのだそうだ。ライハの管轄外なのでほっておく。
ヴィーの魔法は素晴らしかった。きめ細やかで透明感のある肌、魅力的な目元、ぷるんとした唇、しっとりとして艶やかな黒髪。コリンナの懸念を見事に吹き飛ばした。こうしてさらに心酔していくのだろう。
ライハは普段は銀髪のまま過ごしているが、フォールティル王国からの迎えが来る前にヴィーに黒髪に変えてもらった。銀髪は目立つので。瞳の色はそのまま青。ルトヴァルトの王族の証なので仕方なく。
ドレスはルトヴァルトの王族のドレスを選んだ。光沢のある白。右腕を出したままの装いは武器を所持していないという友好の印。胸元からパンツスタイルになっているのは、スカートの下に何も隠していないという無抵抗の印。左肩からからベールを掛け魔法で靡かせるのは、風の精霊への敬愛を示す。
頭には継承権を持つ者だけが載せることが許されているティアラを。ティアラに輝くのは数多のグリーンダイヤモンド。そして中心にはライハの瞳の色の宝石、ブルーガーネット。銀髪の時の方が好きだが仕方なく黒髪のまま。
ヴィーは騎士服を纏っている。ライハをエスコートするためだ。
「あの、ヴィー様のお胸、そのような豊満なお胸でしたでしょうか?」
「思考を奪うのに有効なの。油断すると襲われるから武力がない方にはおススメできない方法だけれど、夜会という戦場へ行くんですもの。防御力高めでないと」
「それで帯剣していらっしゃるのですね」
「ええ。正装でもあるのよ。ルトヴァルトの民はせ」
「あ!お時間です!」
「では行ってくるわね」
二人は寄り添いあって夜会へ向かった。
夜会の会場では好奇の眼差しで迎えられた。ドレスが異質なのもあるが、豊満な女性騎士がエスコートしているからか男性の目が釘付けになり、結果同伴者の視線も。
さらに異質な美女の二人組は真っ先にスイーツに向かった。美味しそうに頬張る二人。夜会であんなに食べる女性は珍しい。給仕に運ばせたコーヒーを飲みながら、延々と食べ続けている。見ていた人は少し胸焼けに。
ファンファーレが鳴り響いた。王族を迎え入れる。礼を執る人々。まだスイーツを楽しんでいる二人。王族の挨拶が終わり、ダンスが始まった。二人はまだスイーツに夢中だ。
そこへ近付く強者が現れた。王太子妃候補筆頭の公爵令嬢だ。強気な彼女はライバルになりそうな女性を見つけると、嫌がらせを繰り返して何人もの心を折ってきた。
見慣れぬ美姫をめざとく見つけ、早速近づいて来たようだ。手には赤いお酒が入ったグラス。うっかりを装ってライハに向けてお酒をこぼした。
「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまって」
ライハの白い服装を確認したが、真っ白いまま。隣の騎士も汚れていない。
「大丈夫よ。かからなかったもの。あなたこそ大丈夫?その布、どんどん染みが広がっているわよ?」
公爵令嬢が自分のドレスを見ると、グラスに入っていたお酒の三倍の量はありそうな赤い染みが広がっていた。ヴィーが反転させた上に増量しておいた。
「お母様に叱られる!」
公爵令嬢は気絶してしまった。それを見ていた王太子が駆け付けた。
「私の婚約者に何をする!貴様ら何者だ!見かけない奴らめ!」
「お初にお目にかかります。ライハ・ルトヴァルトと申します。この度は婚姻の申し付けを受けまして、ご招待」
「ふん!我が王国に併合される弱小国家の女か。私はお前を愛するつもりはない!愛されたいのなら這いつくばって私の足を舐めるが良い。愛を乞え!国が生き延びるためにその身を捧げよ!」
「はあ?もう一回言ってみろ」
ライハは王太子を睨みつけた。王太子は一瞬怯んだ。怖い。怖いからこそさらに怒鳴りつけた。
「なんだその態度は!何様だ貴様!私が誰だか分かっていないのか?愚かなお前にも分かるように言ってやろう。私は王太子だ。すなわち次期国王。お前の国など一捻りだ。戦わずに逃げた痴れ者め。後宮で愛を乞うだけの愚かな女め!」
悦に入って話し続ける王太子は気付かなかった。ライハの足元から立ち昇る魔力に。周囲の者は王太子の不況を買わないように、少しずつ離れて行った。床に倒れていた公爵令嬢は、取り巻きの女性が自身の婚約者と協力してなんとか運び出した。
取り残されたのはライハ、ヴィー、王太子の三人。異変に気づいた周囲の人々はスイーツが飾られたテーブルを三人から離れたところに移動させた。
ヴィーは静かに剣を抜いた。剣を抜きながらヴェインの姿に戻る。フォールティル王国の騎士はライハから立ち昇る魔力に圧倒されながらも、なんとか気合いで王太子を救うべく近づいて来た。この状況でも鈍感な王太子は魔力の圧に気づけていない。
「ブンッ」
ライハの体から衝撃波が放たれた。中心にいた王太子は今のところ無事。ほとんどの騎士は膝をついた。数名はまだ立っている。ヴェインは剣を振るった。剣戟が鳴り響く。王は恐ろしくて玉座から立ち上がれなくなっていた。
騎士は一人、また一人と倒れ、残すは王太子一人。彼はやっと状況に気づき、黙った。しかし吐き出した言葉はもう戻らない。
「お前こそ何様だ。私が誰だか知っているのか?」
怒りが滲んだ声でライハが王太子に問う。怒りと共に漏れ出た魔力によってヴィーがかけた魔法が解けた。魔力で纏められていた髪が解ける。銀色の髪が魔力の風にたなびいた。
「ひぃ!銀の悪姫!」
意識を取り戻した騎士が声を上げた。嬉々としてどんな強い魔物をも屠る銀髪の姫騎士の存在は有名だった。
「叩き切る!」
侮辱した相手を決して許さない戦闘民族。その頂点に立つルトヴァルトの姫。王太子は知らなかった。フォールティル王国はルトヴァルトを武力で制圧したわけではないのだ。
「姫様ー!」
ライハが右手に剣を召喚して振りかぶろうとしたその時、騎士を従えた騎士服姿の女性の怒声が聞こえた。
「げ」
ライハは剣をすぐ空間収納庫にしまって、取り繕おうとしている。ヴェインも剣を鞘に収め、ライハと二人で逃げようとした。
「二人ともお待ちなさい!そこで大人しくしていなさい!」
二人は肩をすくめてお互いの顔を見合った。
そしてヴェインが空間収納庫から出したソファに大人しく座った。
「よろしい!」
騎士姿の女性は玉座に向かって歩いて行った。
「お兄様!これはどういうことですの?不可侵条約を結びましたよね?併合ってなんなのですか!しかも姫様を側妃に迎えようだなどと烏滸がましい!私がフォールティルの為にルトヴァルトに尽くして来た日々を無為にされるおつもりですか?いくらお兄様と言えど許せません!」
「義母上、この王太子とやらがルトヴァルトは戦わずに逃げた愚か者だ、跪いて足を舐めろと言いました」
ライハが告げ口をすると、王妹であり、ルトヴァルトの後妻として、自由を愛するあまり書類仕事が苦手な一族のために身を粉にして働いてきたこの女性、アマーリエは一際低い声を発した。
「は?」
フォールティルの王は震え上がった。
「お前、ルトヴァルト国内の視察で忙しいんじゃないのか?」
「その間に既成事実でも作ろうとされていたのでしょうか?あにうえ?」
ライハもヴェインも姿勢を正してアマーリエの話を聞いている。戦ったら勝てる相手ではあるが、謎の恐怖心が芽生えうまく戦えない。いつからか声を聞くだけで身体が強張るようになってしまった。
アマーリエは元々、ライハの母に心酔してルトヴァルトに押しかけて来た女性だった。書類仕事が的確で迅速。瞬く間にルトヴァルトを牛耳る立場になった。戦闘民族に戦争をさせなかったことで信頼を失ったものの、書類仕事はアマーリエ頼み。王国を二分する騒ぎとなっていた。
「お兄様、言いましたよね?不可侵だと!誰のためだと思っているのですか?フォールティルの為なのですよ?それを併合だなんて!武力で負けているのはフォールティルです!三日と保ちません!次期国王のライハ様は歴代最強の姫様です。騎士団丸ごと死なせたいのですか?」
「アマーリエはそこまで説明してくれなかったし、美姫だと聞いて、側妃にしたいと思って……」
王は目が泳いでいる。
「誰の側妃ですか?」
アマーリエから魔力が立ち昇った。
ライハとヴェインはワクワクした様子でその光景を眺めている。「あ」とライハが何かに気付いたのか周囲の人も守るように結界を張った。それに気付いた人々は恐れ慄いた。これから何が起こるのか……
アマーリエは雷を召喚して玉座を真っ二つにした。
「出た!鉄槌の砲雷!」
アマーリエが恐れられている理由の一つだ。書類の余りのひどさに怒り狂った彼女が使えるようになってしまった恐ろしい魔法。
「なるほど。義母上は戦わせないことで母国を守ったのね。代わりにルトヴァルトの誇りはボロボロになったけど」
「姫様、申し訳ありません。愚かなフォールティルを代表して謝罪いたします。私の首一つでカタをつけていただけたら幸いです」
「嫌よ。誰が書類仕事をするのよ」
ライハは拗ねて見せた。
「後続を育てましたので私一人が消えたとて、姫様の代は盤石でございます。ご決断を!」
「やめろ!アマーリエ!お前が命を賭ける必要はない!」
フォールティルの王は泣きながらアマーリエの横に跪いた。
「すまなかった!私が愚かだった。賠償金はかき集めてでも払う。どうか許してほしい!」
「無理ですね。一度吐いた言葉はもう戻りません。そしてルトヴァルトを侮辱した者は許しません。ヴェイン、最大出力でやっちゃって」
「はいよ」
王と王太子は強烈なつむじ風に包まれた。気のせいか黒い何かが窓から空へ飛んで行った。
「さ、綺麗な王太子と無欲な王の出来上がり」
アマーリエは立ち上がって言った。
「皆の者!風の精霊王ヴェイン様の御前である。控えおろう!」
一斉に会場中の人が礼を執った。
「え。ヴェインって精霊王なの?」
「え。オレも知らなかったけど。代替わりってしたっけ?」
「ま、そんなの今はどうでもいっか。ねぇねぇ、王都で遊んでからルトヴァルトに帰ろうよ」
「良いねぇ。スイーツをもっともっと食べたいな」
「他にも色々あるよきっと。義母上!国を見定めてから帰ります!」
会話を聞いていた人々は震え上がった。気に入ってもらえるモノがなかったらどうなるの?「どうか、市井で失礼なことを言う人がいませんように」と心の中で祈った。
「姫様、兄と甥が申し訳ありません。こちらお詫びの路銀です。心ゆくまでフォールティルをお楽しみいただければ幸いです」
「ありがとう。あなたが守りたかったこの王国を堪能させてもらうわね。義母上も実家孝行してから帰れば?義母上の気概はヴェインがカークたちに伝えたから、もう国を二分するようなことはないと思うよ。あと、強欲なお兄さんと甥っ子ちゃんはもういなくなっちゃったけど、根本的な性格は残ってるから懐かしいところを探してみてね」
「姫様、ご配慮感謝いたします」
「これからもよろしくね」
「ありがたき幸せ」
アマーリエは一粒の涙を落とした。
その後綺麗な王太子は同じく綺麗になった公爵令嬢を妃に迎え、生涯国の為に働いた。アマーリエは兄から取れるだけのものをぶん取って帰国。国境で迷惑をかけた面々を労った。
ライハとヴェインはあいも変わらず子犬が戯れ転がるかのように仲睦まじく過ごしている。時々広い場所で魔力をぶつけ合う二人に周囲は恐れ慄いているが二人にはどこ吹く風。時々ライハが選んだ王配に叱られている。彼は魔物の血に塗れたライハを可愛らしいと言う強者。カークの孫である。
先日二人の間に可愛らしい双子の娘が生まれた。二人の誕生を祝って風の精霊が集まってきた。嬉しそうにそれぞれと手を繋いだ二人の精霊。人生を共にする精霊が決まったようだ。
ルトヴァルトは今日も平和だ。
完




