第3話「霊刻新聞社と初任務」
霊刻新聞社の前に立つユウリは、ふと目の前の建物を眺めた。思ったよりもこじんまりとした外観に少し驚く。ジンが足を止めて言った。
「さあ、着いたぞ」
ユウリは看板を見上げ、「ここが霊刻新聞社…。なんだか普通の建物と変わらないわね。もっとおどろおどろしい感じかと思ってた」と少し不満そうに口を尖らせる。
ジンはクールに答えた。「現世に紛れて活動しているんだ。不自然な建物じゃ意味がない」
「確かに、そうかもね」とユウリは納得した様子で、ジンの後に続く。
中に足を踏み入れると、意外にもモダンで落ち着いた空間が広がっていた。壁にはシックな色合いの壁紙が張られ、スタイリッシュなカウンターと観葉植物が配置されている。
「今日の仕事の詳細を確認する。少し待っていろ」そう言って、ジンは受付デスクにあるパソコンを開いた。
「分かったわ」
ユウリはソファに腰掛け、周囲を見回した。ここが死神の拠点とは想像もしなかったほど洗練された内装だ。しばらく周囲を見渡していると、ふと疑問が湧いてきた。
「ねえ、ジン。他に従業員はいないみたいだけど、ここ、ジンが一人で切り盛りしてるの?」
ジンは画面を見たまま答えた。「いや、もう一人死神がいる。今は席を外しているようだな」
「そうなんだ、死神がもう一人…」ユウリはその存在に少し興味を持ったものの、特に深入りせずに答えた。
やがてジンが立ち上がり、ユウリに向き直る。「今日の仕事が決まったぞ」
「え?」ユウリは緊張と期待が入り混じる感情でジンを見つめた。
「今回やってもらう仕事は、突発的寿命を迎える魂の回収だ」
「突発的寿命…?それって普通の寿命とは違うの?」
ジンは少し眉を上げ、淡々と説明を始めた。「お前が言うところの『普通の寿命』、つまり老衰などとは異なる。人間界では事件や事故がしばしば発生する」
「え、ええ。そうね…」ユウリは不安そうに頷いた。
「そういった予期せぬ出来事で命を落とすのを、俺たちは突発的寿命と呼んでいる」
「事故や事件…それが寿命だなんて…」ユウリは困惑した様子で眉をひそめる。
「人間同士が平和に過ごしていればいいが、現実はそう単純じゃないからな」とジンは言う。
ユウリも複雑そうな顔をしながら、しばらく考え込んでいたが、何かに気づいたように顔を上げた。「ん?…でも、ちょっと待って」
「どうした?」
「私が今から回収しに行く魂の死って、ジンにはどこで何が起きるか分かってるんでしょう?つまり、それなら事故や事件を未然に防げるんじゃない?」
ジンはユウリの発想に少し驚いたように目を細めたが、すぐに表情を引き締めて言った。「…やはり、お前は不思議な考え方をするな」
「え?」ユウリは一瞬、表情を曇らせる。
「事故や事件もある意味、運命だ。死の兆候が現れた時点で、その人間の死は決定している。回避しようとしても無駄だ」
「…そんなはずはないわ。もしそれが分かっているなら、魂を回収するよりも先に、その人の命を救うべきじゃない?」
ユウリはまっすぐにジンを見つめたが、彼は静かに首を振った。
「…じゃあ、お前が死んだ時はどうだった?」ジンは落ち着いた口調で問い返す。
「え?」ユウリは一瞬戸惑うが、ジンの視線に思い当たることがある。
「昨日、屋上から飛び降りた人間のことだ。お前はこれから起こることを予測して、あの人間を救おうとしたんだろう。…
だが、結果的にあの人間は死んだ。
お前が助けようとしたにも関わらず、だ」
「そ、それは…私の力が足りなかったから…」ユウリは悔しさに拳を握りしめた。
「違う。彼女が死ぬ運命だったからだ。…運命は、そう簡単に変えられるものじゃない」
「そんな…」ユウリは言葉を失い、下を向いた。
(もしこの仕事を続けるなら、これからも同じように何もできず、ただ死を見届けるだけになるのだろうか?)ユウリの心には疑念と葛藤が渦巻いていた。
ジンは淡々とした声で続けた。「…とにかく、余計なことは考えるな。俺たちは死んだ人間の魂を回収する。それだけでいいんだ」
「…でも、私は…」ユウリは顔を上げ、何かを言おうとするが、ジンが一歩踏み込んで制するように言った。「でも、じゃない。そういうものだと割り切らなければ、死神の仕事はできないぞ。お前は、生き返りたいんだろう?」
「…ええ、そうね」ユウリはミオとユウタの顔を思い浮かべた。私は絶対に、生き返って二人のそばに戻らなければならない。
ジンはユウリの決意を見極めるように、少し黙り込み、次に口を開いた。「だったら…」
「それでも私は、助かるかもしれない命を黙って見過ごすなんてできないわ」ユウリは決意を滲ませ、ジンを見据えた。
ジンはしばらく彼女を見つめた後、ついに小さく息をついた。「…ふん。どうしても納得しないようだな」
「ええ。ここだけは譲れないわね」
ジンはユウリの強い意志を感じたのか、無言で小さく頷く。「…まあいい。死神の仕事をすれば、お前にも俺の言っている意味が分かるはずだ。ともかく時間が迫っている。早く現場まで行くぞ」
ユウリもその言葉に緊張しつつ、真剣に頷き、ジンの後に続いた。
ライブハウスの前に立ち、ユウリは周囲の熱気に圧倒されていた。ファンたちは次々と会場へと入っていく。入り口にはチケットを確認する係員が待っていたが、ジンはそれを全く気に留める様子もない。
「今回の現場はここだな」とジンが言う。
「ここって…ライブ会場?今、ライブが行われてるみたいだけど…」と、ユウリは躊躇いがちに問いかける。
「そのようだな。中に入るぞ」とジンは当たり前のように返した。
「え?でも、私、チケットなんか持ってないわよ?」
「今のお前は死神の姿だ。死期が近い人間にしか見えないから、問題ない」そう言ってジンは、躊躇なく会場のドアを開けて中へ入っていく。
「あ、そっか…今、私は死神の姿なんだっけ…。何だか少し申し訳ないけど…」ユウリも後に続き、会場内へと足を踏み入れる。
ライブハウスの中で、ユウリはステージに立つアイドルに目を奪われていた。きらびやかなライトの下、マイは満面の笑みで観客に手を振り、歓声が沸き起こる。
「あ…あの子…!」ユウリは目を細め、ステージ上の彼女に見覚えがあることに気づいた。彼女は歌唱力が話題となり、今まさに人気が上がっているアイドルのマイだった。
マイが会場全体に響き渡るような大きな声で叫ぶ。「みんな、今日は来てくれてありがとう!楽しんでくれてるかなー?」観客たちが応えるように叫び、会場の熱気は最高潮に達している。
「次が最後の曲だから、みんな今日の中で一番盛り上がってね!」マイの元気な声に、さらに大きな歓声が巻き起こり、音楽が再び流れ始めた。ユウリはその光景に見入ってしまい、思わず感嘆する。
(すごい熱気…みんな本当にマイちゃんのことが好きなのね。でも、分かる気がする。彼女、こんなに楽しそうに歌っているもの)
気づけば、彼女は息をのむようにしてマイのパフォーマンスを見つめていた。だが、その様子を冷めた目で見ていたジンが声をかけた。
「お前の仕事は魂の回収だ。人助けではない」
ハッと我に返ったユウリは、ジンを振り返る。「魂の回収は助けられなかったら、の話よ。…それで、亡くなる予定なのはどの人なの?これだけ人がいると見失っちゃいそうだけど…」
ジンは、ステージを一瞥して静かに言った。「心配するな。今一番目立っている人間だ」
「一番目立ってる…?まさか…」ユウリが驚いてステージに目を向けると、ジンは断言するように言った。
「ああ。今回の回収対象は、ステージの上にいる彼女、マイだ」
「う、嘘でしょ…?!マイちゃんが…?」驚きと戸惑いが交錯する。彼女のこの先の未来もファンの期待も、すべてが消えるなんて…。とても受け入れがたい運命だった。
ジンは冷淡な口調で言った。「あの人間はこれから三時間後に命を落とす。おとなしく見届けてやれ」
「大人しくって…そんなわけにはいかないでしょう?!」とユウリは食い下がった。「彼女、有名人なのよ?これだけのファンがいるのに、亡くなったらどれだけの人が悲しむか…」
ジンはふと肩をすくめ、冷ややかな目で問い返す。「ふん…なら、彼女が有名人でなければ、ファンがいなければ、死んでも構わないのか?」
「そんなわけないじゃない!」ユウリは感情を込めて叫んだ。「どんな人でも、誰かにとって大切な人なのよ。だからこそ、もし私がその死を防げるなら…止めなきゃいけないじゃない!」
ジンは呆れたように小さくため息をつく。「…やはり、お前の考え方は理解しがたい」
「分かってもらわなくて結構よ」とユウリは即答した。「それで、マイちゃんが亡くなる原因は何なの?それを知らなきゃ、魂の回収はできないでしょう?」
ジンは、ためらうように口を閉ざした後、しぶしぶと答えた。「…だが、原因を教えたところで、お前が余計なことを考えるのは目に見えている」
「原因が分からなければ、魂を回収できないんじゃない?私はただ、無意味に命が失われるのを黙って見ていたくないの」ユウリは真剣に訴えかけた。
ジンは冷たい視線をユウリに向け、「俺たち死神は、じっと死を見届けるのが仕事だ」と断言した。「お前はまだ理解していないが、死神は見届け人であり、死を回避するものではないんだ」
ユウリはジンをじっと見つめ返し、「私は…魂まで死神になったつもりはないのよ。どうしても助けたいって気持ちは変わらないわ」と意志を曲げない。
ジンは少し困ったような表情でため息をつき、「お前の性格はなかなか厄介だ」
その時、ライブの終わりを告げる拍手が会場に響き渡り、マイは笑顔で最後の挨拶をしていた。
「みんなー!今日はありがとう!みんなのおかげで、とっても楽しいライブになったよ!」
観客の一人が応援の声を上げた。「また会いに来るよ、マイちゃん!」
「私、これからもいっぱい頑張るから、応援してくれると嬉しいな!みんなとまた会える日を楽しみにしてるね!」マイは、希望に満ちた笑顔でファンに応え、舞台を後にしようとしていた。
その場を見守るユウリは、どうしても胸が締めつけられる思いがした。マイの未来も、その姿を見守るファンの願いも、すべて無にするわけにはいかない。
(絶対に助けてみせる!運命が変えられるものだってこと、私が証明してみせるわ)
観客たちが会場を出る中、近くの会話がふと耳に入ってきた。
「ねえ、マイちゃん今日も可愛かったね!」
「うん、最高だった!二部制で午後のライブも楽しみだね。…でも、あの話、大丈夫かな?」と、一人の観客が少し不安そうに言う。
「え?知らなかったの?実は今日、マイちゃんに殺人予告があったらしいよ」彼女は小声で続けた。
ユウリは息をのむ。(殺人予告…!?)
「嘘!全然知らなかった…!」
「『今日ライブに出たら殺してやる』ってSNSに投稿されてたんだって。すぐ削除されたらしいけど、怖いよね。前にもストーカーがいるって噂があったし」
「ええ…。それ、マイちゃん本当に大丈夫なのかな?ライブではそんな様子なかったけど…」
会話の内容を聞いたユウリは、すべてがつながった気がした。(まさか、それがマイちゃんの死の原因…?)
その時、ジンの冷たい声が遮る。「ユウリ、余計なことを考えるな。お前の仕事は魂を見届け、回収することだけだ」
「…ジン、あなたは前に私のことをサポートするのも仕事だって言ってたわよね?」とユウリが反論すると、ジンはためらいがちに頷いた。「…そうだ。死神の仕事に慣れるためだ」
「なら、今日は私にやらせてちょうだい。ちゃんと仕事をやり遂げるから、どうか自由にさせて」
「…本当に頑固な奴だな」ジンはため息をついたが、ユウリのまっすぐな目を見て、最後には「…勝手にしろ」と肩をすくめた。
「ありがとう、ジン!」とユウリは感謝し、マイの元へ向かう決意を固めた。