第1話 ミヨコ
美夜子が隙間から見ている。
押入れの襖の奥だ。
ぎょろっと見開かれた目が、瞬きもせずにこちらの様子を窺っている。
布団で目覚めて数秒の出来事だった。
「ははっ、ははは……」
誰かが笑っている。
俺だ。
こびり付いた恐怖と絶望が一周して、不思議と笑えてきた。
泣きたい気分だが、もう涙は出なかった。
そばに落ちていた孫の手で襖を閉め切り、剥がれ落ちたガムテープで隙間を埋める。
端にもしっかりと貼って開かないようにする。
どうせ中には使わない物しか入っていないから困らない。
ああやって凝視されることの方が遥かに苦痛だった。
また勝手に剥がれるだろうが、時間稼ぎにはなる。
俺は起き上がって洗面所に向かう。
鏡は何重ものガムテープで埋め尽くされていた。
背後に美夜子が映って以来、こんな風に対策をしている。
家にあった他の鏡もすべて同じ状態だった。
顔を洗おうとして蛇口をひねると、水に混ざって黒い髪の毛が出てきた。
長い女の髪が指を跨ぐように絡みつく。
その光景を目にした俺は吐きそうになる。
しばらく水を出し続けているうちに髪の毛は無くなった。
俺は用心しながら顔を洗って歯磨きを済ませる。
風呂でシャワーを浴びたいが、なんとなく嫌な予感がするので諦める。
清潔感など気にしていられない。
美夜子が現れる以上、心が休まることはないのだから。
早くのんびりと湯船に浸かりたい。
リビングでは、付けっぱなしのテレビが朝のニュース番組を流していた。
時刻はちょうど九時半。
笑顔のキャスターが動物の触れ合い特集について話している。
呑気なものだ。
俺はこんな目に遭っているというのに。
テーブルに出しっぱなしの冷えたコンビニ弁当を口に運ぶ。
食欲は湧かないが、無理やり食べておく。
もう二カ月も前からまともな食事をしておらず、さすがに限界が近かった。
常用する胃薬も飲み、ぬるい水道水で流し込む。
いつの間にかテレビの画面が砂嵐に切り替わっていた。
時折、人間の顔が明滅する。
間違いなく美夜子の顔だった。
砂嵐の無機質な音と共に、無表情の美夜子はこちらを見つめている。
食べたばかりの弁当を吐きそうだった。
なるべくテレビを見ないように電源を切ってコンセントを抜く。
朝から気疲れがひどい。
鏡で確かめなくても顔色の悪さが分かった。
重たい身体でのろのろと着替える。
この最低な怪奇現象を止めるため、今日は霊能力者に会う。
ちょうどポストに除霊に関するチラシが入っていたのだ。
既に予約は済ませている。
あとは事務所まで会いに行くだけだった。
俺は荷物と財布を持って玄関に急ぎ、履こうとした靴を見て絶句する。
中にいくつもの化粧品が詰め込まれていた。
使いかけの赤いリップ、ファンデーション、乳液、ハンドクリーム……どれも美夜子の私物である。
俺は耐え切れずトイレで吐いた。