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授業と授業の合間、貴重な休み時間を削ってまで、隣のクラスに訪れる。わたしが他のクラスに用事がある時なんて、委員会の仕事くらいのものだ。
その貴重さを理解出来るのは、わたしだけなのだろうけど。
御園香利奈は不機嫌さを隠す事もなく、隣のクラスを訪れた。
安澄の彼氏、大路勇斗は、窓際で他の男子、暮内伊認と話していた。仕事人として定評のある彼の事を、御園香利奈は知らなかった。
彼氏は体格が良く、運動部って感じがするけど、話している男子の方は気が強くなさそうで、帰宅部って感じだ。部活に入っていても文化系かな。
……安澄みたいな偏見を当ててしまった。良くない傾向だ。たぶん、私は苛立っている。
でも、苛立ちでもないと、見知らぬ男子に話しかける程の勢いを保てない。
香利奈は負の感情を糧に行動する事にした。
「ちょっといい?大路くんで合ってる?」
「ああ。大路だけど。安澄の友達か?」
大路の声に挙動不審さは無かったが、その様子はどこか演技がかって見えた。また、受け答えの内容も気になった。
この時点でもう怪しい。知らない女子が近くに来て、用事を聞くのではなく、安澄の友達かを尋ねてきた。
まるで、安澄の友達が尋ねに来る心当たりでもあるみたいだ。
安澄が匂わせに気付いているように、安澄が気付いている事にも気付いていそう。なら、余計に単刀直入で良いか。
そう結論付けて、香利奈の態度が決まる。
「そうよ。察してるかもしれないけど、匂わせ画像についての話」
「あー、やっぱりか」
「やっぱり?」
「いや、なんか最近さ、安澄が俺の様子を気にしてる気がしてたんだよ。俺、なんかしたかなーって思ってて」
「SNSに匂わせ画像を投稿したでしょ?」
「それだけどさ、勘違いなんだわ。詳しくはコイツが話してくれる」
大路勇斗は親指で伊認を指した。その態度に伊認の表情が凍るが、2人とも気づく事はなかった。
伊認は紳士的に大路くんの手首を掴むと、親指が下を向く様に手を降ろさせた。
「初めまして。安澄さんの友達さん。僕は伊認。伊藤の伊に認めるで伊認さ。珍しい名前だねってよく言われるけど、大路に比べたらそうでもないと思ってる。だって王子様って感じじゃ無いのにオオジだろ?」
「うっせ。苗字は仕方ねえだろ」
「初めまして。わたしは香利奈。安澄の友達で、彼氏が浮気していないか確認して欲しいって言われた、不幸な境遇の持ち主よ」
「愉快な自己紹介だね。同情するよ」
伊認はそう言って肩を落とすが、顔には感情を浮かべなかった。
香利奈もそれが意図的に隠しているといったものではないと感じた。
なんだろう。単純に、何の感想も抱いていないような感じ?だから行動で共感を示しているような、そんな感じがする。どことなくサイコパスぽい。いや、また偏見だ。
香利奈は何度目かの自己嫌悪に陥りつつ、その原因となる事柄の解決を急ぐ事にした。
「同情してくれるなら、大路くんが何か隠し事をしていないかを教えてくれると助かるのだけど」
「残念ながら、大路は正直者なんだ。ほら、鼻も短いだろ?ピノキオみたいに長くない」
伊認が戯けた様子で彼自身の鼻を指差すが、香利奈は冷たい視線を向ける。
「あいにく、私は嘘をつくと鼻が伸びる人間を見た事がないわね」
「それは人生の半分を損しているよ。もっと周りを見た方がいい」
「余計なお世話をありがとう。これ以上、休憩時間を無駄遣いさせるつもりなら、あなたと話す事はもうないわ」
香利奈は伊認から視線を切って大路へと向ける。大路はたじろぎ、視線を受け流す様に伊認へ向けた。
大路の視線を受けた伊認は、やれやれといった様子で首を振る。
「愉快な自己紹介の割に冗談が通じないね」
「あれはユーモアじゃなくて自虐って言うのよ」
「そうなんだ。ギャグと虐ってわかりにくくて困っちゃうよ」
「それがわたしに向ける最後の言葉で良かった?」
「ごめんごめん。真面目に答える」
ここに来て、香利奈は伊認の目的に気づいた。
最初から、この男子の目的は、時間稼ぎだったのだろう。時間を稼ぐ事にどういう意味があったのか、と考えてみれば、真実に近づくのを遅らせる、というのが一つ。
あるいは、言い訳を考える時間を作ったのか。
などと考えている香利奈の予想は的中していた。
大路から協力を要請されて間もなく訪れた香利奈に対して、伊認はようやく頭の中で描き終えたシナリオを語る事にした。
「結論から言うと、大路が投稿した匂わせ画像の相手は僕なんだ」
「それを証明出来るものはある?」
「証明?出来ないよ。僕の証言だけじゃ不満?」
伊認は口を尖らせるが、香利奈はそこに余裕を見て取った。受け応えは用意されているのだろうと思いつつも、形ばかりの不満を返す。
「口だけなら何とでも言えるでしょう?それで納得する程度なら、そもそも安澄がわたしに頼む事もないでしょうね」
「彼氏の事が信用出来ないんだ?」
「それはわたしじゃなくて安澄に直接言うか、信用されてない彼氏に態度を見直させるべきね」
「それもそうだ」
香利奈が再び大路の方に視線を向ける。先ほどと異なりたじろぎはしないが、大路は目を細め口を噤んでいた。
どうやらその姿勢を貫くつもりの様だとわかり、どうして、カップルの問題で部外者が話し合っているのか、改めて意味がわからない。
そう、香利奈は心中で愚痴を吐いた。
「せめて、動機を教えて欲しいわね」
「動機。こんな匂わせ画像を投稿した理由?」
「ええ。仮に貴方が相手だとしても、そんな事をした理由がわからないわ。だって、彼女がいるんだから」
「それはごもっとも。良いでしょう。その理由を説明しますとも」
伊認は畏まり両手を組むと、匂わせ画像を投稿した理由の説明を始めた。
「まずは、前提知識を共有しよう。1ヶ月前の出来事だ。大声で女子に告白した某男子生徒くんの事はご存知かい?」
「ええ。確か、拡声器まで使って思いの丈を伝えたんだったわね。しばらく話題になってたわ」
それはこの学校で起きた、とあるイベントの事だった。
1ヶ月前、昼休みのこと。
校内に突如、どこからか拡声器を通した大きな声が響いた。○○さん、好きです!○○にはある女子生徒のフルネームが入っていた。
決してロマンチックというわけでもないが、青い春の血潮が某男子生徒には流れていたのだろう。
全校生徒に届いたのではないかとも思われる公開告白は、相手の女子生徒からの校内放送という形で返された。
この話は3学年いずれでも話題になり、既に周知の事実となったが、2人は幼馴染で、どちらも放送部に入っていた。
香利奈もその話を安澄から聞いていた。
「その某男子生徒なんだけど、このクラスの生徒なんだ。知ってたかな?告白に使った拡声器も、記念で教室の後ろに置かれているんだけども」
伊認が教室の後方、ロッカーの方に目配せする。香利奈も視界の端に、ポツンと置かれた拡声器の存在を認めた。
「このクラスの生徒とは知らなかった。そういえばその日、隣のクラスから先生の怒鳴り声が聞こえた気もするわ」
「まあ、若気の至りって奴だろうね。そこに至るには、若さだけでは足りないとも思わないでもないけど」
「頭が足りないってこと?」
香利奈の発言が予想外だった様で、伊認が被っていた薄っぺらい語り用の仮面がひび割れる。ひびの中からは困惑が滲んでいた。
「……僕ってそこまで辛辣な人間に見える?」
「見えないけど言いそうな気はした」
「心外だ。大路も頷かないでよ」
伊認はひび割れを補修した笑みを貼り付け、横でしきりに頷く大路の頭を叩く。大路は痛みよりも堪えられないといった様子で、ざまあみろとでも言う様な顔を返す。
「それで、某男子生徒くんと匂わせに何か関係があるの?」
「公開告白をしてお付き合いも果たした某男子生徒くん。彼らカップルが周りからどういう扱いをされているか、想像がつくよね」
「……からかわれているでしょうね」
校内の公認カップルとなった彼らがどう扱われているか、香利奈の想像にも難くはなかった。
強いインパクトも残したという点では、伝説と言っても過言じゃない。
当人でなくても学校の思い出を語ろうとすれば、話題に上がる事は間違いないだろうし。
ああ、そういうことか。ここで彼らを引き合いに出したのは。
「つまり、安澄との仲をからかわれるのが嫌だった、って事?」
「そういう事になる。匂わせ画像を投下して、彼女いるのかよーって周りに言われたら、相手は僕だと説明する。彼女がいるのに、彼女がいない寂しい男を演じられるわけさ。つまり、デコイなんだよ。あの画像は」
「……一応、筋道は通っているわね。どうして事前に安澄に相談しないのかって思うけど」
「彼女がいると思われるのが嫌だと、その安澄さんに思われるのが嫌だからじゃない?」
伊認が言葉を投げかけると、大路は鷹揚に頷いたのを見て、香利奈も大路の思考を追ってみる事にする。
同じクラスの男子がからかわれている姿を見て、自分もあんな扱いをされるのは嫌だ、と思うのは自然かもしれない。
公然でイチャイチャしたいカップルというのも往々にいるけれど、反対に2人だけの世界を壊したくない、というカップルも普通にいるし。
とは思ったが、本当にそれが原因でこんな事に巻き込まれたのなら心外だと、香利奈は毒づきを兼ねて疑問を投げる。
「だけど、運動部の割には、少し小心的な考えじゃない?」
「運動部のメンタルが繊細じゃいけないかい?一流の選手だって、メンタルを保つ為にルーティンをやるんだ。心っていうのは得てして繊細なものだよ」
それは今日、何度か自覚のある偏見を指摘された様な気がして、違和感を残しつつも、香利奈は納得せざるを得なかった。伊認にそのような意図はなかったが。
そもそも、わたしは別に安澄の彼氏が浮気をしていようがしてなかろうが、修羅場に巻き込まれたくないという立ち位置なのだし、ここで納得しておけばそれで終わりのはずだ。
と、香利奈は半ば自分を説得する様にして、尋問を終えることにした。
「なら、そういう事にしておくわ。安澄に伝える」
香利奈の言葉を聞いて、大路は詰め物が入っているかの如く張っていた肩を下ろす。
「ああ、俺から話せばいいとは思うんだけど、納得しなさそうだし、友達から話してくれた方がいいと思う。すまねえけど、頼んだ」
香利奈は大路を睨みつけた。ギョッとして身を退いた大路に、溜息を一つ吐く。
「それじゃあね。もう話す事も無いと思うわ」
「そう寂しい事を言わないでよ。進路が被れば、来年のクラス替えで一緒になるかもよ?」
「心にも無い事を言うの、辞めた方がいいと思うわ。余計なお世話を返すようで悪いけど」
「あはは。確かに余計なお世話だ」
伊認の言葉の最後には、隠す気のない不快感がこもっていた。
やはり、この伊認という男子は、感情が無いという訳では無いようだ。そう香利奈は判断した。
「晴れ間みたいね」
「晴れ間?」
「何でもないわ」
コロコロと変わる表情や、絶え間なく紡がれる言葉。普通の人はそんな感じ。だけど、空模様の様に、時々だけ本心を見せる伊認くんの方が、一緒にいるのが楽そうだ。
ある種、褒め言葉でもあった香利奈の表現は、しかし、その場の誰にも意味が伝わることはなかった。
小市民シリーズのアニメ化おめでとうございます!
本作品はこんなキャラが出てくる作品を作りたいな、というキャラ主体で作り出したものですが、小市民シリーズにも多大な影響を受けています。
投稿し始めたタイミングでアニメ化した事に勝手に運命を感じている今日この頃です。