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空は青く澄み渡り、鏡面の様に雲一つ浮かんではいなかった。
穏やかな空模様に長閑さを付け加える様にして、授業の開始を知らせる伸びやかなチャイムが鳴り響く。
この時間に、本来いなければいけない場所にいない三人がいたのは、そのうち二人が通う学校の屋上であった。
「二人とも、授業は良いの?」
「君こそ、ライブは良いのかい?」
亜夢莉は伊認と香利奈を振り返る事なく、背の丈ほどある柵の手前に立ち、外を見渡していた。
「良いんだよ。ライブは辞めてダイブするんだから」
「洒落た言い回しだね。これから死にゆく人の言葉とは思えないよ」
言い回しだけではなく、声も自殺志願者のそれとは違っていた。
陽気で明るく、狂った様子もない。開き直った様子さえも。
「けどまあ、どうして伊認くん達がここまで来れたのか。それは知っておきたいかな」
「少し、予想外だ」
「ん?何が?」
「いや、大したことじゃないよ」
伊認は、自身がここに辿り着けてしまった理由を、自分の能力による成果だとは思っていなかった。
故に、亜夢莉からの質問は予想外のものではあったが、状況に合わせて舵の取り方を変える事にした。
「まずは君がSNSに投稿した遺書、といえばいいのかな」
「『信じていた人に裏切られました。苦しくて、苦しくて、私はもう、生きていけません。落ちていく。ただそれだけです』」
亜夢莉が感情のない声で読み上げる。
手元にスマホはない。まるで、台本を覚えてきたかの様だと伊認は思った。
「動機に察しはつかないものの、一般的な感覚では自殺を疑わせる内容だった。生きていけません、と書かれているからね。そして、落ちていく。これは落下死を想起させる」
「それで屋上に? でも、高いところなんてどこにでもあるよ?」
「探せばね。だけど君は、この辺りにはライブの為に来ただけで土地勘がない。その上、衝動的な自殺なら、深く考えずに知った場所を目指すはずだ」
亜夢莉は柵を手で掴んで体重を預けた。
柵は塗装も剥がれておらずぐらつきもしない。伊認には、亜夢莉が理解した上でそうしているのだと感じた。
「それじゃあ通ってない学校の屋上なんて、候補から外れちゃわない?」
「君は通ってなくてもこの学校の屋上に来た事があるんだろ?
「え、何を根拠に?」
伊認はスマホを取り出して表示された画面を前に突き出す。亜夢莉は振り返らなかったが、代わりに香利奈がひょいと覗き込んだ。
「大路が匂わせ画像としてSNSに投稿していた星空の写真。これはある程度の高所から撮影されたものだった。場所を聞いたら学校の屋上だって話でね」
「凄いよね。鍵のコピーが過去から延々と受け継がれてるんだって。秘密基地って感じ」
「君にもコピーを渡したんだってね。ライブの日に返すからっていうのを大路は信じたわけだ」
「そんな約束を破ったみたいな言い草は酷いなあ。まだ今日はライブの日だよ?」
「死者に鍵は返せないよ。それとも、死体から回収してもらうつもりだったのかい?」
「もう彼の机の中だよ。わたしの手元にはない」
亜夢莉は両手をひらひらと振った。
大路には後で確認しないといけないな、と伊認はメモも兼ねて大路にメッセージを送った。授業中の今は読まれないだろう。
「それで屋上の鍵も掛かってなかったわけか。まあ、ここに君がいると思った理由はそんなところだよ」
「そっか。それで、飛び降りるのを止めに来たの?」
亜夢莉は変わらず、声だけ明るさを醸して話し続ける。きっと、振り向けば彼女は笑っていないのだろうと、伊認は静かな圧力を感じていた。
「まあ、そんなところだよ」
「それってなんだか、伊認くんらしくないんじゃない?」
「君が僕の何を知っているって言うんだよ」
「それ、わたしにも同じ事が言えるよね。君には、よく知りもしない相手を止められる?」
伊認の言葉が詰まる。亜夢莉の言う通りだった。
そんなところ、と伊認が曖昧に返したのも、そこに起因していた。
そんな伊認の様子を見兼ねたのか、亜夢莉の質問に答えたのは、ここまで一言も発さずにいた香利奈だった。
「知りもしない相手だからこそ、わかる事だってあるのかもしれないわ」
「それって憶測じゃない?好き勝手言うゴシップと一緒。違うっていうなら、何が違うのか言ってみてよ」
「わたしには、あなたの自殺が衝動的なものじゃないっていうのがわかってる」
「え?」
「……へえ」
伊認は驚き、亜夢莉はこの場で初めて感情の欠片を溢した。しかし、欠片は誰にも拾われる事はなく、霧散して消えた。
「聞かせて欲しいな。香利奈ちゃんが、どんな風に考えたのか」
「……結論から言えば、あなたは安澄の彼氏を利用したんでしょう? 自殺に理由があると見せかける為にね」
「ちょっと待って香利奈さん。どういう事なのか全然わからないよ」
動揺する伊認に対し香利奈が視線を向ける。伊認の口振こそ疑問に思う風だが、軽薄な声は興味のなさを示していた。
しかし、亜夢莉からの返答もない為、香利奈は続ける事にした。
「あなたは死にたかった。その正確な理由は、ゴシップ記者の方がわかるのかもね。でも、あなたはその理由を隠したかった。だから、大路くんを利用したの」
「……それは香利奈さんの想像にしか過ぎないと思うけど、どうしてそう思うの?それよりは、昨日、僕らと別れた後に、何かがあったんじゃないかと考えるのが自然だと思うけど」
「だって、最初から不自然じゃない。演技の練習の為に、一般人を彼氏にする。そこまでなら良いけど、匂わせまでさせる必要ってある?」
「そこは確かにちょっと気になったけどさ……」
伊認も納得はしきらないものの賛同する。
匂わせは、大路が進んで行ったものではなかった。彼女はいるし、彼女に申し訳なさもある大路は、わざわざ彼女の知らないSNSアカウントを使って、亜夢莉の指示で匂わせ投稿を何度もしたのだ。
「一般人とデートなんて、ちょっとしたスキャンダルでしょ?自分が映らなくても、わざわざリスクを取る必要なんてないわ。アイドルなんだからね。それに、新しい彼氏役を探さずに、昨日までわたしたち二人と遊んでたのもおかしいわ」
「まあ、そうかもね。で、なんでそんな事をしたのかっていうのが?」
「自殺を演出する為。……ライブ当日で死ぬ様な理由もない。前日にはわたしたち二人と遊んで元気な姿も見せている。さて、死んだ理由はなんなのか」
「……もしかして、自殺の理由を探らせるのが目的?」
「あなたはそっちで考えるのね。わたしはさっきも言った通り、自殺の理由を演出する為だと思ったわ」
伊認と香利奈は、自分達の結論は出したという様に口を閉ざし、亜夢莉の回答を待った。
亜夢莉は空を向き、それから地上を見下ろし、柵の上に両腕を載せた。
「どっちかと言えば、香利奈ちゃんが正解かな。自殺の理由を探らせるのは、過程って感じだからね」
「過程?」
「わたしね、全部投げ出したかったの。アイドルなんてやりたくなかったんだ」
途端に、亜夢莉が投げやりに柵を蹴る。金属音が鐘の様に響き、亜夢莉は「いったー」と右足をブラブラさせた。
伊認はそんな亜夢莉を見て、思ったままに言葉を吐く。
「なら辞めたらいいのに」
「それが出来たら苦労しないって。親にも褒められて、マネージャーや社長からも大事にされて、何一つ悪い事なんてないのに、辞められないよ」
「不思議ね。そんな環境に恵まれて、どうして投げ出したくなるの?」
「……わたしね、別にアイドルなんて楽しくないんだよ。親に勝手にオーディションを受けさせられて、合格しちゃったから頑張って、迷惑かけちゃいけないと思ったから頑張って、たた、それを繰り返してきただけなの」
亜夢莉の声が震える。それを無理やり押さえつける様な声音で、亜夢莉の全てが一気に放出されていく。
「二人にはわかるかな。わからないよね。楽しくもなんともない事を頑張って、頑張り続けて、ずっとそれが続くの。地獄だった。今も地獄。終わりのない無間地獄なの!」
柵に乗っていた亜夢莉の両腕が、ずるりと柵を乗り出した。伊認と香利奈の顔が強張る。
「だから、抜け出したかった。誰にも迷惑を掛けずに。全部、その為の準備だった」
「……ようやくわかってきたよ。全貌が不明のまま、君は自殺する。そして事情が探られる。だけど、いくら探しても理由は出てこないだろう」
伊認は辿り着いた答えを並べていく。
亜夢莉が自殺の条件に据えたのは、誰にも迷惑を掛けない事。その絶対条件の一つに、自殺の理由を誰かに委ねないというものがあったんだ。
「もし君に裏アカがあって、大路の様に匂わせをしていたのなら、その相手に追求がいくところだけど、そんな相手も本当は存在しない。大路とはゴッコだからね。もしかしたら、周囲の人に彼氏ができたという話をそれとなくしていたりもしたのかな」
「……正解。そう。これで誰も傷つかない。傷つけない。原因不明の自殺が完成。だって実際そうだもん。誰も悪くない。ただ、わたしが現状から逃げ出す手段に、たまたま死を選んだってだけだから」
強い風が吹く。伊認は自身の頬に触れ、香利奈は自身の髪を押さえつけた。
そして二人は、微動だにしない亜夢莉に視線を合わせる。
「くだらないわ。とても。ええ、くだらない」
「くだらない?あれ?香利奈ちゃんは、自殺を止めに来たんじゃないのかな?」
「わたしは一言もそんなこと言ってないわ。ただ、伊認くんに呼ばれたからついて来ただけよ」
香利奈は空を見上げた。香利奈にはこの動作が、すっかりと癖になった様に思えて来た。
「……そうなんだ。でも、伊認くんは、たまに来たんだもんね」
伊認は香利奈の答えを受けて、一つ心境の変化が生まれた。それ故に、隠し事をやめる事にした。
「そんなところ、ではあるよ。……でも、正直に言えば、下心と文句がある」
「下心と文句?まさか、恋人になるとかそういうのじゃないよね。聞いてあげるよ」
「……あのさ、チケットを貰ってないんだ」
「……チケット?」
「好きなバンドのライブチケット。大路の匂わせを誤魔化した暁には、報酬として貰えることになってたんだ」
「へぇ。それじゃあ、目的は達したはずだけど、チケットはわたしの自殺も止めないとあげないとでも言われた?」
「当たらずとも遠からず、かな」
伊認はさっき教室で聞いた話を思い返す。
大路にいくつか投げ掛けた質問。星空の写真はどこで取ったのか、屋上にはどうやって入るのか、そして、本当にチケットを渡す気はあるのか。
「どうやらね、大路はチケットを君に用意してもらうつもりだったらしい。その相談を忘れていたらしいけどね」
「……ライブのチケットを……わたしに?」
「そう。つまり、君にここで死なれてしまうと、僕は好きなバンドのライブにいけなくなるんだ。せめて、チケットだけは用意してくれないかな」
「……ありえない」
「いや、僕もそれはちょっとあり得ないから、そんなところってぼかしたんだよ。だけどさ、香利奈さんが止める気はないとか言うから、じゃあ僕も正直に自分の願望は叶えておきたいなって思ってさ」
「……本当に、あり得ないや」
亜夢莉の首がもたげた。
呟く様な声の後に訪れた静寂は、ライブ会場からのざわめきをここまで届かせる。
「二人とも、本当にわたしに興味がないんだね」
「いや、その言い方は遺憾だね。もちろんチケットが主目的とはいえ、知り合いを死なせたいとは思わないよ」
「そうかな」
「そうだよ。それに、興味がないからこそ、冷静に見れる事だってある。プロファイリングってやつだ」
「プロでもないのにプロファイリング? 君には何が見えたの?」
「君は止めてもらいたがっている。僕はそう思ってここへ来た」
「……そんなつもりは無かったんだけどな」
伊認にとって予想外だったのはその点だった。
亜夢莉が本当に死にたいのなら、きっと自分はここにはいない。伊認はそう考えていた。
「衝動的ではなく、計画的な自殺だというのは理解したよ。でも、別に遺言を残す必要も、落ちていくという単語を使う必要もない。僕は君らしくはないけど、止めて欲しくてヒントを残したものだと思ってたよ」
「…………」
亜夢莉の返答はなかった。
ただ、空を見上げる。相変わらず、伊認たちに表情を見せる事はなかった。
「わたし、止めて欲しかったのかな」
「止めて欲しくなくても止めるけどね。チケットの為に」
「近づいたら落ちるつもりだけど、どうやって?」
「それは、まあ、こうやって」
伊認はスマホをポケットにしまい、左手に持っていたものを両手で掴んだ。そして──
「アイドルの亜夢莉が学校の屋上にいるぞーー!!」
──伊認が叫ぶ。その声は拡声器を通してよく響き、階下の窓が開く音やざわめき声が広まっていく。
「なんで、そんなもの持ってるの?」
今日初めて伊認たちと向かい合った亜夢莉は、耳を押さえながら苦笑していた。
「僕のクラスにはある伝説があってね。これはその名残だよ」
伊認は笑みを浮かべながら手に持った拡声器を弄ぶ。
「さて、これでこの場は大きな注目を浴びた。目立たず死ぬ事はできないし、なぜ屋上に登れたのかの謎も追求されるだろうね。自殺できた場合は、皆が口を閉ざすだけで良かったけれど」
「……そうだね。確かに、これは妨害されちゃった感じかな」
亜夢莉がやれやれといった風に首を振る。
「それに──」
そこへ、呆然と空を見上げていた香利奈が口を開く。
「こんなによく晴れた日は、死ぬのに向いていないわ」
「……なんて適当な理由なんだろ」
亜夢莉は呆れた様な表情で、明るくそう返した。
「これだけ好き勝手に生きてる人がいるなら、わたしもそうしてみても良いのかな」
亜夢莉が俯いて呟いた。
伊認は亜夢莉の方へ近づき、その足元に拡声器を置く。
「アイドルって仕事だろ? やりたくない事が仕事で毎日が苦痛だなんてのは、大人からすればよくある当たり前のことだと思う。辞めてもいいし、休んでも良い。君が地獄の様に感じた悩みなんて、そんなもんだよ」
「……そっか。そんなもんか」
亜夢莉が足元に置かれた拡声器を拾う。
さっきまで向いていた柵の外に向け、彼女は声を上げる。
「遅れてごめーん!今からライブに向かいまーす!」
亜夢莉は翻って伊認に拡声器を返す。
亜夢莉の表情は、どことなく晴れやかに見えた。
「仕方ないから、大人しくライブするよ」
「騒々しくて良いよ。僕らが授業をサボった事を誤魔化せるくらいに」
「それは自分でやってね」
亜夢莉は軽やかに駆けて香利奈の前に立つ。
「香利奈ちゃんもありがとう」
「こんな簡単に辞めるなら、あなたは本当に死にたくなかったのよ」
「そうかもね。でも、死ぬ気のない人だって、一歩間違えば死んでしまう事だってあるわけだし。わたしもそんな一人だったと思うよ」
亜夢莉はそう言って香利奈に抱きついた。
亜夢莉の両腕が自身の腕も挟み込む様な形で抱かれてしまい、香利奈には身じろぎすることしかできない。
「ちょっ、何するの?」
「温かいね」
「それはそうよ。晴れてるもの。心地いい陽気だわ」
「そうだね」
亜夢莉が香利奈を解放する。
香利奈は自身の身体を抱え、訝しげな視線を向けた。
「じゃ、またね」
警戒する香利奈の横を亜夢莉は駆け抜けていった。
屋上の扉が閉まってから、ようやく香利奈は警戒を解く。
それからライブが始まるまでの間、伊認と香利奈はお互い無言のまま、柵にもたれかかっていた。
大きな歓声は落ちる事なく、絶えることもなく、高く、高く、鏡面の様な空に昇り続けていた。
次にエピローグを入れて終わります。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
物語に関係なく、作りたかったキャラを形にする事ができて良かったです。




