聖徳太子の価値
子供の頃から何かとよく聞く名前の聖徳太子さん
学校へ入る前からご尊名を知っていました
そして大人から子供まで年齢層関係なくファンを掴んでおられました
一度に10人の人が同時に言ったことを理解したとか、あるものによると11歳の時に36人の子供の言うことを同時に聞き取れたとか、空飛ぶ馬で飛鳥まで通っていたなんてのも聞いたことがあります
こんな超人の一面は言い伝えかもしれませんが、とにかく頭脳明晰だったということでしょうね
学校では冠位十二階の制定やら十七条の憲法の発布やらをしたと習いましたし、蘇我馬子と組んで物部守屋を滅ぼしたとも習いました
聖徳太子は別名では厩戸皇子とも呼ばれており午年生まれだからとか、また厩戸と関係するところで生まれたからとかの話がキリスト生誕の話と類似しているとも言われています
ところがちょっと前に聖徳太子は実はいなかったということで、教科書に名前が出てこなくなり厩戸皇子で統一されたという話も聞いたことがあります
学校に入る前から知っているほど聖徳太子は何故人気があったか?というと・・・
もちろん当時の一万円札の肖像画になっていたからです
それだけでなく五千円札の肖像画も聖徳太子でした
昭和32年に五千円札、翌年の33年に一万円札に登場したそうです
もちろんその前から違う札に登場されておられましたけれど、私が知っている範囲はそこからです
誰もが慕う理由がここにあります
みんな大好きです
いっぱいあっても邪魔にならない
それどころか大いに助かるのです
強いて言うなら相続の時に揉める原因となる人物かもしれません
聖徳太子の一万円札は今の一万円札より価値がありました
当然物価が違いすぎますのでね
この聖徳太子を見るとありがた過ぎたので
神格化されて当然だったと思います
ところが昭和59年に引退されてからどんどん表立って騒がれなくなりました
あれだけ崇拝されていた御人なのに
先程も書いたように教科書から抹殺されたこともありました
実際に聖徳太子が生きておられる頃はどうだったのか?それを知っている人はいないでしょう
書物に記されて残ってはいますし、四天王寺や法隆寺を建立されたとかの建築物は残っています
大阪の太子町に行けば御陵もあります
偉大な方だったのでしょう
長い年月札に登場されておられたのもその功績でしょう
ほんと千数百年の時を越えてつい数十年前まで確固たるファンの心も掴んでおられたのに・・・
この国の国民性である喉元すぎれば熱さを忘れるという仕打ちを見事に受けられました
世の中が狂喜乱舞するほどの力があったのにあっけないものです
盛者必衰の理を顕す
まさに、生きている時だけでなく伝説となった身でもそれが起こりました
まあ、現代人が勝手に変えただけですけどね・・・・
聖徳太子の有り難い徳の価値は?
一万円だった!
では、あまりに寂しすぎますね
ちなみに聖徳太子の一万円札は使用可能らしいですが、目立つことは間違いないし下手をすれば疑われるかもしれません
これは現代人の聖徳太子に対する仕打ちへの太子からの呪いかもしれません