『恋愛』について
『恋愛』
れん‐あい【恋愛】
〔名〕 特定の異性に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、その状態。こい。愛恋。
*西国立志編(1870‐71)〈中村正直訳〉二「嘗て村中の少女を見て、深く恋愛し、その家に往きたるに」
[語誌]中国ではロプシャイトの「英華字典」(一八六六‐六九)に既に見えるが、日本では明治初年(一八六六)以来、英語 love の訳語として「愛恋」「恋慕」などとともに用いられ、やがて明治二〇年代から「恋愛」が優勢になった。
精選版 日本国語大辞典より
さてメンヘラを治す事を決意して、始めたことは、他にもある
それはマッチングアプリだ。
しかしこれは自分の中で、かなり抵抗があった。
過去の女性への病的なまでの未練を他の女性で埋め合わせようとしている様な気がしたからだ。
それはなんだか卑怯な気がしたし、相手への思いやりが全く配慮されていない。
ただ悲しいことに、私の感じていたそんな葛藤は全くの杞憂であった。
なぜなら、
そもそも女性とマッチングしないのである。
400人の女性にいいね!と声をかけても、全員にシカトを決め込まれたのである。
辛い、辛すぎる。
私は、幼少の頃より信じていた。
‟人は外見より内面”
ありのままの自分を好きになってくれる、そんな女性といずれ出会えるはずだ。と
しかしそんな女性にも許容できる顔面の最低ラインはあるのだ。
そんな当たり前の事を1万円課金した後に気付くとは。
私のルックスが、
顔面最低ラインを下回っていた事実が確定してしまった以上、
マッチングアプリセラピーが出来ない。
(もうこの頃には初めの内の罪悪感は一切なくなっている。)
世の女性とお話しする事さえかなわない。
困った、どうしよう。
~色々考えた上こう結論した~
恋愛というものにかかる対価はきっと私なのだ。
つまり『滅私』こそが、恋愛だともいえる。
もう少し踏み込むのであれば、相手に好きになってもらう為には私は
邪魔にしかならないのである。
自分の中のこだわりやダンディズムがある以上、相手が入り込む余地がないのだ。
私を殺し、捨て相手へのスペースを空ける。
これをきっと人は優しさと言うのだろう。
仕方がない、媚びよう。
女性に全てを捧げよう。
まずは痩せよう。
ジャバザハットからせめて、ジャージャービンクスになろう。
プロフィールの文面も場に合うものに変えよう。
休日はうまいパン屋さんを探すことに費やそう。
飼っている猫の名前を甘い洋菓子の名前に変えよう。
(すまん、レイ、クウ)
ただ強い酒を飲めることを誇ろう。
使い道の無い筋肉をつける事に時間を費やそう。
ただ丸い眼鏡をかける事でサブカルの住人になったつもりになって、他とは違う雰囲気をだそう。
楽器弾けないけどバンドを組もう。
つまりモテる努力をしよう。
今までの私はこのような行為をひどく浅ましい行為であると考え、
一切を行ってこなかった。
そんな私を滅した。
よ~しモテるぞ
自分の中でのイメージは、
映画めぐり逢えたらの様に、新しい恋が古い傷を癒していく。そんな考えだったのですが、自分はトムハンクスではなく、ジャバザハットでした。女性に殺されただけましか。。。(ジャバザハットファンの方すみません)