表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

一号の夏

作者: 川獺右端


 潜水艦の中がこんなに狭苦しくて、重油臭いとは思わなかった。

 でっかい窓が開いていて、魚とか亀とか見えるのだと思っていた。

 実際には、窓なんか一つもなくて、空気が湿気ってじめじめしているし、すえたような変な匂いがする。


 あたしについた兵隊もろくでもない。

 気仙沼の基地を出てからこっち、海軍さんが色々と世話をしてくれるのだけど、少尉は無愛想だし、准尉は善人面した馬鹿で反吐がでそうだ。

 ご飯は美味しいかとか、飲み物はいるかとか、何かと言えばあたしの顔みて涙目になりやがって、糞准尉が、うるせーんだよ。


 潜水艦もたいした老骨で大戦中から就航している伊五十三号とか言うやつだ。

 乗り込んだ初日は物珍しくて、船内をうろうろしたり、潜望鏡覗いたりして楽しかったけど、一日で飽きた。あたしの居場所となったのは士官室なんだけど、ウナギの寝床よりも狭い。モーターが始終ブンブンいっていてうるさい。

 今日で二日目の夜だ、もうすぐ北日本に上陸して、こんな薄暗い土管みたいな所からはおさらばだ。


 ベットで寝ころがって足をぶらぶらさせていると、石川准尉がご飯をトレイに載せて持って入ってきた。


「一号さん、お食事ですよ」

「ありがと」


 トレイの上には肉じゃがとご飯がのっていた。この艦のごはんは結構美味しい。兵隊盛りなんで食べきれないけど。

 潜水艦は見つかりやすい昼間はモーターで潜水移動して、見つかりにくい夜間は浮上してディーゼルエンジンで航海する。排気の関係で昼食は缶詰に冷や飯か乾パンだが、海上に出れば煮炊きができるので、晩飯に暖かい物が食べられるのがなによりだ。


「もうすぐ石狩湾です。0240にボートにて接岸します」


 石川の話なんか聞いてなかった。東郷平八郎仕込みの海軍肉じゃがを食べるのにあたしは忙しい。


 石川はお坊ちゃん風の海軍士官で、金持ちの家に生まれたんだろうなという雰囲気の好青年だ。快活で親切で、あたしみたいな人間兵器に対しても、ちゃんとした家の女の子みたいな扱いをしてくれる、恵の馬鹿ならポーっとしてしまいそうな、とてもいけ好かない糞野郎だ。


「もうすぐお別れですね、一号さん」


 あたしは返事もしないで、食べ続けた。


「一号さんは自分に心を開いてくれませんでしたが、自分は一号さんの事を忘れません」

「うるせえよ、めしがまずくなる、あっちいけ」

「……失礼しました」


 石川の馬鹿は悲しそうな顔をして敬礼をすると部屋を出て行った。うるせえよ馬鹿。名前もつけてもらえない人間兵器に何言ってんだ。


 ふと、博士の顔が浮かんだ。博士も、いつも、悲しそうな顔をしてたな。

 本当にめしが不味くなった。あと何食も食べれられないのに……。肉じゃがが不味くなった。

 ちくしょう、石川のせいだ。と思った。

 ベットに潜り込んで、肩をまるめた。


 石川が静かに入ってきた。食器を片づけている音を後ろ頭で聞いた。


「すこし寝るから着いたらおこして」

「はい」


 若い男の匂いがした。胸が締め付けられるような気がした。

 石川は嫌いだけど、匂いはそんなに嫌じゃなかった。

 どろどろと遠雷のようなディーゼルエンジンの音が身体の下から小さく響いていた。



 太平洋戦争で原爆を三発も落とされて負けたというのに、五年もしないうちに南北に別れて戦争してる日本人はみんなどうかしてると思う。

 北日本はソ連が後押ししてるし、南日本はアメリカとイギリスが後押ししている。


 太平洋戦争後、北海道はソビエトに分割占領された。

 宇和島秀平書記長の元で北海道は暫定政権を作り、北日本人民共和国として独立した。

 宇和島書記長は札幌を首都とした。

 五カ年計画で北日本共産党は北海道東部に重工業地帯を作り、道央でコルホーズを組織し、北海道を労働者の天国みたいに宣伝した。

 日本中の共産主義者がこぞって青函連絡船で北海道に渡ったと新聞で読んだ。

 ソ連としてはウラジオストックから艦隊が太平洋に出る海路を確保しておきたい所なのだろう。


 今回の戦争がどうして起こったのかは諸説あるらしい、北日本は、南日本が津軽海峡を越えて函館要塞を砲撃したと言ってるし、南日本は、北が通告も無しに青森へ上陸侵攻をしたと非難した。

 ともあれ北日本は『祖国統一』を旗印に関門海峡を越え、ソビエト製の多脚戦車や大砲で内地を進軍していった。

 北日本の軍隊は、日本海側を南下、新潟あたりまで一時期占領した。

 研究所のある遠野もあぶなかったが、盛岡連隊が強かったので山脈を挟んでにらみ合いという感じだ。

 現在は南日本軍が八郎潟まで戦線を盛り返したと、出発前にラジオで聞いた。



 潜水艦の司令塔に梯子で上がり、ハッチを通って、甲板に出た。

 海面は穏やかで、潮の匂いが強い。

 半月が中空に出ていた。海面に銀粉をまいたように月明かりが反射していた。


 私は、ゴムボートに乗り込んだ。

 真っ黒なボートだった。斎藤少尉が乗り込み、石川がオールを握った。

 下を見れば怖いぐらい真っ黒な海だった。


 七月というのに少し寒い。


 斎藤少尉が黙って外套をかけてくれた。

 誰も喋らなかった。ここはもう北日本だから、いつミグ15が現れてもおかしく無いのだった。

 風の音、オールの音、水の音、それだけが世界にある音の全てだった。


 十分ほどすると海岸が見えてきた。南日本と違って、海岸に灯りは一つもなかった。

 まあ、そういう場所を選んで上陸するのだろうが。

 ボートの底がザリザリっと砂浜をこすると、斎藤少尉が飛び降りてボートを岸に引き上げた。

 ボートから降りて、斎藤少尉に外套を返した。

 あたしの白のサマードレスのスカートがバタバタと風になびいた。


「すこし、寒いかもな」

「日が出れば暑くなるよ」


 斎藤少尉が鞄を渡してくれた。古ぼけたショルダーバックだった。


「ブローニングが入ってる。弾も三十発。金は五千日本ルーブル入ってる」


 拳銃を取り出して確認した。使い方は習っている。

 ピカピカの鉄砲だ。ちょっと嬉しい、あたしだけの鉄砲だ。


「ごくろうさま、帰りも気を付けて」


 ブローニングのスライドを引き、初弾をセットしながら、あたしは声を掛けた。


「ああ、心配するな」


 じゃあと行こうとしたら、石川が前にでてきた。泣いてやんの。


「一号さん、自分は自分はっ」

「石川」


 斎藤少尉がやめろという感じで顎を振った。石川は聞かなかった。


「こんな若いお嬢さんが、お、お国の為に、犠牲なるなんて、自分はっ!」

「だまれ、石川」


 石川の言葉を聞いて、なんだか腹にごりっとした石がつまったような感じがした。


「だったら、こいよ、札幌まで案内しろよ、石川」


 あたしは石川の目を睨みながら手を取った。あったかい手だった。

 石川はうるんだ目であたしの顔を見た。

 負け犬の目だと、思った。


「一緒に死のうぜ、石川准尉、あたしを可哀想とおもうならさぁ」

「やめろ、一号、石川」


 押し殺すように斎藤が言った。


「一号さん、あなたが望むなら、自分はっ!」

「ふざけんなよっ!! てめえっ!」


 カッとなって、あたしは大声を出していた。


「だまれ、馬鹿」


 いきなり斎藤があたしを殴った。ガンと衝撃があって、鼻の奥にきな臭い匂いがした。


「静かにしろよ、潜入工作なんだ」

「いってぇなあ」

「少尉、自分は一号さんと……」


 斎藤は振り返って石川も殴った。


「おまえが一号に付いて行っても邪魔になるだけだろうが」

「しかし、一号さんは一人でたった一人で……」


 いたたまれないとはこの事だ。やめろ馬鹿。でかいなりして泣くんじゃねえよ。


「一号、お前は俺の妹と同じだ。妹も女郎に売られる前は恩着せがましい事を良く言ったよ」

「恩着せがましくて悪かったな」


 石川が低く嗚咽する声が、波音と交じって聞こえていた。


「石川、お前は幻に同情してるだけだ、こいつは兵器で人間じゃない」

「一号さんは人間で……」


 斎藤はまた石川を殴った。


「うるせえ。下らない同情するな。人間扱いすればするほど辛いのは一号だ」


 その通りだった、すこし斎藤を見直した。


「なぐってわるかった、これで冷やせ、目立つ」


 斎藤はハンカチを海に浸して、あたしの頬に当てた。冷たくて気持ちが良かった。

 女物のハンカチだった。りょうと刺繍があった。


「妹がくれたハンカチだ、お前にやる」


 斎藤は少し笑った。


「短い間だがお前は自由だ。好きに生きろ。そして死ね。それだけだ」


 二人は敬礼するとボートに乗って去っていった。

 キイキイと小さな音を立ててボートは夜の海に小さくなって行った。

 石川が何度も何度もこちらを見ながらオールを漕いでいた。


 あたしは生まれて初めて一人になった。

 敵地にひとりぼっちだった。

 心細くて、泣きそうで、心がウキウキして、爽快だった。



 時計を見た、午前三時半。

 真っ暗な道を札幌に向けて歩いていった。

 広い道なのに車も人も通らなかった。おまけに人家も無かった。

 道だけが性根の腐った蛇みたいにうねうねと続いていた。


 とぼとぼと歩く。


 遠野の研究所にいた時はこんな格好したこともなかったな。とふと思った。

 いまのあたしは、白いサマードレスに麦わら帽を被って、良家のお嬢さんのような格好をしている。

 ショルダーバッグには五千日本ルーブル。ブローニングだって持っている。

 研究所ではなにも持っていなかったし、着る物も検査着にスリッパでうろうろしていた。


 恵は何でも持っていた。

 軍に入ってからは軍服で通していたが、お正月には振り袖を着てたし、よそ行きも里親に沢山買って貰っていた。

 恵は恵、あたしはあたしだったから、別に悔しくもなんとも無かった。


 恵の馬鹿が浴衣をくれた時があった。


 恵が頬を赤くして、『これ、いっちゃんのだよ、おかあさんが縫ってくれたの。私も手伝ったんだ』と言って、浴衣をくれた。

 あたしはありがたく受けとって、研究所の横のどぶ川にたたきこんでやった。

 兵器が浴衣着て、お祭り行って、どおすんだよと恵に怒鳴ってやった。

 恵が身を固くして泣いてるのを後ろから蹴り倒してやった。


 白地に赤とんぼの柄の浴衣がドブにゆっくりと沈んでいく光景を、今も脳裏にくっきりと浮かべる事ができる。


 恵が大嫌いだった。

 同じ兵器なのに、名前を付けて貰って、里親を付けて貰って、おとうさんおかあさんが居る恵が憎かった。

 幸せそうで、おっとりして、明るくて素直な恵が憎かった。

 軍国少女として軍籍を貰い、恋人も居る恵に、おまえ絶対騙されてるぞと言いたかった。でも、なにかに騙されてるのは私も一緒なので何も言えなかった。


 兵器の一人にマサミという二つ年下の子が居た。こいつにはアリサって底抜けに馬鹿な姉がいた。アリサ自身は兵器じゃないのに、マサミにくっついて研究所に出入りしていた。


 浴衣の事を聞いて怒ったアリサが、『恵ちゃんにあやまんなさいよ!』とか言いがかりをつけてきたので、ついでにドブに投げこんだのもこの時だ。

 あっぷあっぷしているアリサをおぼれて死ね、と思って見ていたら、マサミが泣きながら助けようとして、姉妹もろともドブに落ちた。


 馬鹿姉妹の命は、あわてて駆けつけて来た恵と兵隊さんに助けられた。

 博士と吉村のおばちゃんに、むちゃくちゃ怒られて、おばちゃんはビンタまであたしにくれたが、反省する気なんかは一つもなかった。



 だんだん空が明るくなってきた。


 戦争中だというのに、ここまで検問所も無いし、パトロールも居なかった。

 共産主義の本山、悪の巣窟、北日本の本土、北海道というから、もっとドカドカと軍隊が群れているのかと思ったが、牧歌的な風景だけがだらりと転がっているだけだった。

 左右はいつのまにかトウモロコシ畑となり田舎丸出しだった。首都から二十キロもないのにこんなもんかねと思った。まあ、共産主義国家だから都市部と農村部で街がくっきり分かれてるのかもしれない。


 太陽が遠い山の向こうから姿を出し始めた。いきなり風がビョウと吹いて、頭の上の低い空を雲が走っていき、水平線までの草原がくっきりとした緑を見せた。

 うわ、すげえ綺麗な所だな、と思った。


 空の高さにちょっと茫然として、あたしは首を上げて流れる雲をずっと見つめていた。

 湿度の低いサラサラの風がパタパタとあたしのスカートをはためかして過ぎていった。

 疲れたので、木の下で座り込んだ。バックを探ると水筒が入っていた。中身は麦茶だった。

 がぶがぶと飲んだ。歩いたので汗をかいていた。


 ちょっと向こうに鉄道が走っていた。札幌の方向に目をやると途中小さな駅があって、建物が四五軒建っていた。

 汽車に乗って楽をしたいところだが、斎藤の話だと一昨日小樽に爆撃があって、止まってるそうだ。

 この道は鉄道に沿って札幌まで向かっている。途中市内に入る時に検問が一ヶ所あるだけと聞いていた。市内に入るのはそう難しくはなさそうだ。


 アリサ、マサミの馬鹿姉妹の目標も道内のはずだったが、馬鹿姉妹は一昨日研究所から逃げだしやがった。

 職員の一人が手引きしたんだよ、と吉岡のおばちゃんが表情を曇らせてそう言ったとき、あたしは吹き出して大笑いしてしまった。

 馬鹿姉妹の癖にやるじゃないかと痛快だった。

 怒ったおばちゃんにポカポカとぶたれたが、笑いが止まらなかった。

 逃げろ逃げろ、逃げて逃げて死ねと腹を抱えて笑った。

 おばちゃんがあたしをみて悲しそうな目をして、そうかもしれないねえと押し出すように言ったのを覚えている。


 キュッキュと水筒の栓をしめて、バックにしまって、立ち上がりまた歩き出した。



 前方の道ばたに変な奴が座っていた。

 七輪を前にあぐらをかいて、ボロボロのうちわで火を起こしていた。トウモロコシを焼いているようだ。

 お醤油の焦げる香ばしい匂いが漂っていた。


 変な奴は妙な服を着ていた、黄色っぽい和服なんだけど、能衣装みたいな、水干とか言う服なのかな。下は袴履きだが、足下は軍靴だった。口で言うと華麗な衣装みたいだが、薄汚れてところどころ継ぎがある。

 女の子みたいだった、小柄で、しっとりとした黒髪の前髪はおかっぱ。

 そして……。頭の上に動物の耳。もう少し近寄って観察してみる。犬のような尖った耳、袴から黄色くて太い尻尾。


 狐の獣手だった。


 獣手というのは、奈良時代か平安時代に戦闘用に作られた日本固有の人種で、法術を使い人間に動物の属性を掛け合わせて作る。戦国時代あたりには獣手の国とかも出来たが、世の中が平和になったら何時の間にか数が減って、今では滅多に見ることがない。

 犬の獣手、猫の獣手が多くて、その他の獣手はあまり居ない。


 現代では血が薄まってしまって、獣手の血を引いてるけれど、特徴が出てない人が殆どだ。研究所でも博士が獣手の血を引いているとの事だったが普通の人間と変わりがなかった。

 こんなに耳がでて尻尾がある獣手は珍しい。

 獣手の娘の脇に小汚い木の箱があった。歩き巫女とかいう奴かな。しかし、共産主義国家にそんな怪しい職業があるのか?


 北日本に移住した獣手は結構多い。北日本共産党の幹部に獣手が居るのもあるが、なにより、差別が無さそうだと移住した獣手も多いそうだ。獣手の連中は頭が悪くて楽天的で朗らかな人間が多いので良く差別されたりする。軍隊でも猫耳の上官に説教されて嫌になったとか聞く。差別はいけないとは思うが、何となく判らなくもない。


 とりあえず、怪しい。北日本の諜報かもしれない。無視するに越したことはないだろう。

 獣手の娘の前を通り過ぎようとしたら、にゅっと焼きトウモロコシで通せんぼされた。


「たべないかな」


 獣手の娘を見た。引き込まれそうな金色の目が笑っていた。


「ありがとう」


 無視して行っちゃおうと思ったが、あまりに旨そうな匂いに負けてしまった。

 トウモロコシを横くわえにして囓る。うわ、甘くて美味しい。


「モロコシは摘み立てが一番旨いのな」


 獣手の娘もバリバリと食べながらそう言った。七輪からの煙が空に上っていった。


「あんた……何者?」


 好奇心に負けて獣手に聞いてしまった。


「歩き巫女なのな。あちこち祈祷したり辻占したりして、北海道中をふらふら放浪してるのな」

「……共産主義なのに、捕まらないの?」


 共産圏では宗教は麻薬と言って結構迫害されたりする。


「なにね、新農民とかは別だけど、開拓農民の爺婆には祈祷とか必要なのな。とっ捕まる事もあるけど、獣手だし、おめこぼしてくれるさね」

「そうなんだ、大変だね」

「なんか悩んでなさるね」

「……、悩みなんてないよ」


 獣手の娘はうふふと含み笑いをして、荷物の下敷きになっていた、幟を背中の地面に立てた。幟には『多良見の悩み事相談。50コペイカ』と書いてあった。


「多良見さんていうのか、儲かる? 悩み事相談」

「うんにゃ、みんな金もってないから儲からない。祈祷がまあまあで、春をひさいでる方が多いな」


 ば、売春で暮らしてるのか、それなら共産主義も資本主義もないわな。


「一子って言うんだ、よろしくね、でも今は悩みなんてないよ」

「へえ、札幌を壊しに行くのに悩んでないのな」


 多良見は目を細くして笑った。

 トウモロコシを投げ捨てた。バックからブローニングを抜いて構えた。


「上下逆な」


 う、ブローニング逆さに持っていた。ちゃんと持ち直して、多良見に向ける。多良見は目を笑わせたままモロコシを囓っている。


「内務警察?」

「ちがうな」

「軍?」

「共産党に席はないな。法術会議には一応、席があるが、戦後は出てないな」


 京都の法術会議に席? 法術師の家の者か?


「そろそろ共産主義に飽きてきて、内地に戻ろうと思ったのな。あれ、内地と北海道は自由に行き来できなくなってるのに何でだろ、と内観してみたのな。凄い質量の物が三つ、北日本を襲って、北日本が死ぬという卦がでたのな。凄い質量見たくなったのな。で、この街道で待ってたわけな」

「予知能力者?」

「まあ、そんなところな。辻占で野次馬にきたのな」


 わたしはブローニングを鞄にしまった。


「悩みなんかないよ」

「悩みがない人間はいないのな」

「あんたに相談して解決つく問題は無いよ」

「そうか、そうか、自分で何とかするのも生き方な」


 多良見はふいに耳を立てると、きょろきょろと辺りを見まわした。


「なに?」

「ちょっと、予知来たのな。一子、悪いけど七輪持ってな」


 多良見はモロコシをくわえたまま、てきぱきと荷物をまとめた。私は炭を捨てた七輪を持たされた。

 多良見は畑に入って五、六本モロコシを折ると体の前に吊した木箱の上に乗せた。


「逃げるのな」

「何故!?」


 警察が来たのかと思ったら、畑の向こうから怒った爺さんが現れた。


「こら、この泥棒狐めっ!! また畑荒らしかっ!」

「こ、ここ、あんたの畑じゃなかったのっ!」

「歩き巫女は普通、畑持ってないのな」


 二人で逃げた。街道をそれて丘の方へ、二人で全速力だ。爺さんは鍬を振り回してカンカンだ。

 走った。走った。走った。

 空は高く、地は輝くような緑。

 七輪を抱えて走りながら、だんだんあたしは愉快になってきて、笑いがこみ上げて来た。

 馬鹿馬鹿しくて、無意味で、すごく楽しい。

 声を上げて笑った。多良見も釣られて笑い出した。

 笑いながら、丘を越えて逃げていった。


 丘を二つ越えたら、爺さんは見えなくなった。あたしは七輪を置いてひっくり返った。

 草の良い匂い、土の匂い。草原がどこまでも続く。

 空が高かった。息が切れていた。隣で多良見も座り込んで大汗で息を荒くしていた。


「いつもこんな事してんの?」

「そうだな、夏はいつもこんな感じ。かっぱらいをして占いをして体を売って。適当にぶらぶらしてる」

「あはは、いいなあ、いいかげんで」

「秋はお祭りで踊ったり、唄ったり。冬はどこかのコルホーズに潜り込んで雪かきしたりな。

 気楽にでたらめに恋をしたり、喧嘩したりして放浪してるな」

「将来の事とか、考えないの?」

「多良見は獣手な、明日の事は考えないのな。予知は出来るけど自分の将来は判らない。楽しいときは楽しむし、辛いときはがまんするな」

「凄い法術使いなのに。なにもしないのか」

「凄いのは法術で、多良見が偉い訳じゃないからな」


 笑った。

 笑い声が青空に吸い込まれて行くようだった。

 多良見の生き方は良いなあ。


「逃げない一子は偉いな」

「あん? 何言ってんだ」

「さて、お別れだ一子」


 そう言うと、多良見は立ち上がって草を払った。七輪とモロコシをリュックにしまった。


「その木箱、何が入ってるの?」

「師匠のドクロ」

「うわ」


 聞かなきゃ良かった。そんなオカルトな物体が入ってるのか。


「街道はどっち」


 多良見は黙って指さした。黒い毛がふさふさ生えて爪が長い手だった。

 二人で黙って顔を見合わせていた。

 多良見がニコっと笑って近寄ってきて、あたしの頬に手を当てて唇に軽くキスをした。


「安心するのな、誰が一子の事を忘れても、多良見は忘れないのな」


 そう言うと、リュックを一回揺すって多良見は背を向けて、街道の反対側に歩き出した。

 ああ、そうなんだ。と不意に判った。


 あたしのことを覚えに来てくれたんだ。


「多良見、さよならっ!」


 多良見の背中に声を掛けた。多良見は振り返らずに片手を軽く上げた。



 多良見と別れて、街道に戻った。

 いつ果てるとも知れない平べったい大地を、どこまでも真っ直ぐ道が続いていた。

 私の横で音を立てて、トラックが止まった。

 不器用な獣みたいな大きい濃緑色のトラックだった。


「やあ、小さい同志、札幌いくのか?」


 運転台からのっぽの若い女が声を掛けてきた。着古した軍服をだらんと着込んでいた。


「鉄道が止まってしまいまして」

「のっていくか? 同志 あたいも札幌行きだ」


 人が良さそうな姉さんに見えた。


「いいの? 同志が叱られたりしないですか?」

「平気だって。帰りだからな、あたい一人でのってるとガソリンがもったいねえさ。乗れ乗れ」


 と言って、女は助手席のドアを開けた。

 トラックの運転席というのは結構高い所にあるので、背が高い方でないあたしは、うんせうんせという感じでよじ登った。

 ドアを閉めると、女はトラックを発車した。


「党員のおじょうさんかい? 同志は綺麗だな、お人形さんみたいだ」

「まあ、そんなところですよ。同志は軍属ですか?」

「いやあ、ただの労働者だよ。服の配給ミスで、被覆局がこんなの送ってきやがって、検問で毎回うるさいんだよ。女物の軍服ならまだしも、男物だぜ。どーも旭川の工場で作りすぎたとかいう話さ。嫌なんだけど他に着る物もないしなあ」

「それは災難でしたね」

「あたいは平林良子、夕張北コルホーズ輸送局、第三班班長だよ」

「わたしは、飛鳥田一子です」

「わあ、飛鳥田さんのお嬢さんか。すげえ」


 飛鳥田さんというのは北日本共産党の偉い人だ。お嬢さんが居るのは事実だが、どこにいるかは判明していない。

 情報部の製作した、あたしの設定はずいぶん杜撰だな。と思った。

 飛鳥田さんは釧路の人だからばったり会う事はないと思うが、確認が行ったら一発でばれる。


「小樽に石炭を輸送してきたんですか?」

「ちがうちがう、今回は主に食料だよ。鉄道止まってるので、小樽日干しになりかけててね。昨日の夜に夕張から緊急輸送さね」


 トラックはスピードを上げて初夏の平原を駆け抜けた。


「夕張に帰ったら、今度はキャベツ積んで旭川だよ。うちの班、トラック一台故障しちまって、忙しいったらないさ」

「大変ですねえ」

「あたいも終戦後にこっちに移民してきた口なんだけど、トラックの運転までするとは思わなかったよ。男共がみんな戦争いっちまったからしかたないんだけどねえ。コルホーズも爺婆女子供ばっかで、大変だよ」

「平林さんはご結婚は」

「したさあ。それが亭主はだめな奴でさ、何を焦ったのか青森上陸作戦の戦死一番乗りだよ。涙の別れがあって、次の日に死んでるんだからしょうがない。あたいは聞いてあきれたよ。あはは」

「それは……」

「おっちょこちょいでなあ、まあ、しかたないさ、戦争だし。飛鳥田さんの息子さんも亡くなってるでしょ」

「はい、……兄が」


 兄だったな、たしか。


「戦争は長引いてるけど、もうちょっとすれば、南の傀儡政権をたおせるさね。予定では箱根まで押し出して、日本の半分を解放するとか聞いてるけど、どうなのかね」

「さあ、軍の方はちょっとよくわからないので」

「そうかあ、そうだね。安心しなよ、一子ちゃんが大人になる頃にはここは立派な国になって、みんなで良い暮らしが出来るようになるさ。私の生きてる間に祖国統一を見たいもんだ」


 そう言って平林さんは鼻歌でインターナショナルを歌い出した。

 あたしはそうならないのを知っている。北日本は明日死ぬ。私が札幌を、恵が青森を叩いて粉々にする。

 北日本に致命傷を与え、殺すのはあたし達なのだ。



 ゲートの見える所で、平林さんと別れた。もっと乗ってけば? と聞く平林さんに審査が違うのでと言って別れた。


「たのしかった、一子ちゃん元気でね。夕張に来るなら北コルホーズに寄っとくれ、おいしいものたんとあるよ」


 平林さんはそう言うとトラックで走り去った。


 行きたいなと思った。平林さんみたいな気っ風の良い人がいるコルホーズは楽しそうだった。

 もう永遠に夕張にもどこにも行けないのだけど。

 平林さんが、あたしを乗せた事で、捕まったり、嫌な想いをしたりして欲しくなかった。

 でもきっと捕まって嫌な想いをして、あたしを憎むに決まっていた。

 しかたがない、と、蛙を飲み込むように思いきった。


 将校が偽造証明書にスタンプをポンと押してゲートでの審査は終わった。

 紺色の制服を着て自動小銃をもった兵隊さんが入れと身振りした。

 ゲートを抜けたら札幌市内だった。


 札幌は碁盤目のような道を持つ、しけた街だった。

 ほがらかな顔をした親愛なる宇和島同志の絵が街のあちこちに飾ってあった。

 あまり歩行者のいない留守宅のような都市だった。

 泥棒のようにあたしは札幌に忍びこんだ。


 一見結構な都会にみえる。レンガ作りのビルディングが並んでいて街路樹が多かった。ただ人が居なかった。

 よく見ると、ビルディングは煤けているし、街路樹は剪定されてないので伸び放題だった。

 店もほとんどが閉まっている。

 戦争が無くて、沢山人が居る時期に来たかったな、と思った。


 大戦前はお祭りとかがいっぱいあったらしい。

 鉄道の線路と並行に歩いていく。競馬場を横に見て札幌駅まで歩いていった。

 止まってるのは函館本線だけで、他の路線は生きているので、駅舎に汽車が居るのが見えた。

 もくもくと蒸気を吐き出している。


 ……。

 目的地についちまったよ。

 意外にすんなりこれたな。

 時計を見た。

 正午だった。

 四時間ほど自由時間が出来た。


 駅の回りは結構人がいた。

 サマードレスの女の子もたまに見るから、目立つ事はなさそうだ。

 特にやることがないので、目標の北日本最高評議会の方へ歩いた。

 北日本最高評議会と物々しい名前が付いているが、戦前の北海道庁だ。

 赤煉瓦の華麗な建物で、共産主義者にはもったいないぐらいの立派な代物だった。

 中に入りたかったが番兵が立っていたので無理そうだった。


 そのまま、札幌時計台を見た。絵はがきで見て想像したよりも小さい建物だった。

 すっかり観光に飽きてしまって、大通り公園のベンチにのびた。あたしはたいへん飽きっぽいのだ。

 札幌の大通り公園は昔、官地と民地をわける火防線だった。だから南の方に行けばいくら共産主義な国だと言えど面白い店があるはずなのだ。

 そう思ってはいるが、なんか大儀だった。

 天気が良かった。お日様がさんさんと照って、空気が綺麗だった。

 遠く汽車の汽笛が聞こえた。


 もう恵は前線を突破したのだろうか。

 あたしの作戦に比べると、恵の方の作戦は難易度が高い。前線を突破して、敵中深く潜り込まなければならない。

 ま、恵ならなんとかなるだろ。

 訓練もしてるし心霊動甲冑や盛岡中隊も支援するだろうから。

 しかし、戦中の陸軍の軍神、心霊動甲冑たんぽぽが出てくるとはなあ。動いている実物見られるとは思わなかった。


 心霊動甲冑とは旧日本軍が作った秘密兵器で、法術で動く甲冑だ。

 ジェットとか電算機とか当時の最高技術にくわえて、心霊法術で人間の魂を封入してある。設計のバランスが極端に難しいらしく、ちゃんと動いたのはタンポポ型二十八号だけだったらしい。

 戦後タンポポは一時行方知れずになっていたが、南北戦争が始まったらひょっこり出てきた。盛岡が陥落しなかったのもタンポポが居たおかげと言われている。


 去年、タンポポが研究所に来たとき握手した。

 恵なんかは感激で気絶しそうになってやがった。

 明日からの大反攻作戦にもタンポポは南日本軍の旗頭となるはずだ。


 アリサとマサミは何やってるかな? 催眠術師が来る前に逃げたからたぶん大丈夫だと思うけど。

 作戦はあたしと恵で大丈夫だと思う。あいつらまで死ぬことないんだ、と思った。


 小腹が空いたのでバックからおにぎりを出してかぶりついた。

 やっぱり海軍の飯は旨いなあ。昨日の晩飯に石川が戦艦長門で作ったラムネをつけてくれた。

 あれも美味しかった。

 石川が言ってたがアイスクリームを作る機械を積んだ戦艦もあったらしい。

 海軍はいいよなあ、海に出て、美味しい物喰って死ぬときは沈没して一蓮托生だ。

 でっかい兵隊おにぎりが五個も入っていた。あたしはこんなに喰えねえっての、石川の馬鹿。

 二個たべたらお腹いっぱいになった。多良見にあげれば良かったなと思った。

 ご飯を食べたら元気が出た。現金なものだ。

 あたしは立ち上がり、伸びをして、南に歩き出した。



 さすがに首都の商店街となると、結構やっている店が多かった。

 ぶらぶらしてると時間がつぶせそうだ。

 外人もうろうろしていたが、ソ連人かな。

 小じゃれたホテルもあるし、洋品屋や雑貨店には南に無いような物も売っていた。


 外国みたいに路上に机を出して、お茶を飲ませるお店があった。とりあえず、外のテーブルに座ってメニューを見る。サモワール?ってなんだっけ。

 確か紅茶かなんかだったか? とりあえずそれを頼んだ。

 妙な格好をしたポッドと茶碗が来た。

 回りを見ながら、ポッドからお茶を注いだ。田舎者みたいであたしかっこわるい。

 お茶が美味しかった。甘くて良い匂い。


 子供が路上で泣いてた。


 お茶が美味しいかった。


 子供が路上でわんわん泣いてた。


 お茶が美味しかった。


 子供は薬局に入った、なんか店員に訴えてた。店のおばさんは首を振っていた。


 お茶が美味しかった。


 子供がお店の外に出されてまたわんわん鳴き始めた。


 うるせーーーーっ!!


 あたしは立って子供の前に立った。


「共産主義者は泣かない!! 前進あるのみだっ! 反革命的だぞ子供同志!!」


 活をいれてやった。

 子供はきょとんとして、それから、またぐずぐず泣き出した。


「よっちゃんが死んじゃうの」

「はあ?」

「お薬買いに来たのでもでも」

「うん?」

「おとうさんにもらったおかねがないの」


 要約すると、病気の弟の薬を買いに来たのだが、お金を落としてしまったということか。

 なんだよ、共産主義だろ、薬ぐらいやれよ。と思った。

 子供は薄汚れた格好をした、六歳ぐらいの女の子だ。

 研究所にいる真澄ぐらいの年格好だった。


「薬代はいくら? お姉さんが出したげるから泣きやみなさい」

「ほ、ほんとう!! ありがとうおねえさん。で、でも千ルーブルするの」

「ちょっと、よしなさいよ、同志」


 店のおばさんが出てきてそう言った。


「困ったときに助け合うのが共産主義なのです!」


 そう言っておばさんに千日本ルーブルを押しつけた。

 席に戻ってお茶を再開した。甘くておいしい。

 子供はおばさんから薬を渡して貰い、ぺこぺことお辞儀した。

 意外にしつけの良い子みたいだ。


「あのあの」


 子供があたしの方に来た。あっちいけ。


「なに?」

「あのおとうさんから、お金をもらいますから、家にきてください」

「おとうさん家にいるの?」

「い、今はいないのです。どうし。夜にかえってきます」

「おねえさん四時に用事あるんで駄目だよ。お金はいいよ、早く家に帰って飲ませてあげなさい」

「うちはほこりたかい ろうどうしゃです! お金はかえさないと、おとうさんにぶたれますっ! それにときどき昼まも、よっちゃんのようすを見にかえってくることがありますっ!」


 ……まあ、北日本の庶民の家訪問も面白そうだが……。


「二時までなら、行ってもいいけど、ここから遠いの?」

「ちかいです、十分ぐらいです。あんないします、どうし!!」

「はいはい」


 あたしはお勘定をすますと、小さい同志に手を引っぱられて歩き出した。


「同志、名前は?」

「こずえであります。どうしは?」

「一子でありますよ。こずえ同志か、良い名前だね」

「いちこどうしの名前も すてきです」


 西の方に引っぱられていった。

 だんだん平屋が増えてきて、町並みが貧乏くさくなってきた。


 共産主義に貧富の差は無いはずだが、身分の差は存在する。

 共産党員とその他だ。賃金にそんなに差は無いのだが、共産党員には特権が一杯付く。

 党員は良い場所に住み、大学に行けたり、車持てたりする。

 結局なんだかんだ言って貴族制度なんだよねえ。

 この子だって札幌に居るのだから、北日本ではエリートなんだろうけど、党員と党員に使われる労働者だと色々あるんだろうなあと、だんだん貧相になる町並みを見ながらそう思った。


「こずえ同志はいくつ?」

「ことしで六さいです。せん月おたんじょう日でした」


 ちっこいのに利発な子だ、あたしが六歳のころはもっと動物っぽかったぞ。

 まあ、ずっと研究所で育ったからもあるんだが。

 吉村のおばちゃんが来るまでは研究所は男所帯だったから、あたしはなんだか適当に育てられて、恥じらいとか知らなかった。研究ですぐ脱がされて検査とかされるんで、男の兵隊の前で素っ裸でうろうろとかしてたな。今思うとこっぱずかしい。


 路地に入って、なんだか小汚いレンガのビルに、こずえはあたしをひっぱりこんだ。


10


 共産主義の人ってば、インテリの人が多いからみんな小綺麗な所に住んでるのだとばっかり思ってた。

 凄い埃。

 すごいがらくた。

 窓は埃だらけ、ヤニだらけ。

 本がごろごろ転がってるし。


「きたない所ですが、どうし」

「きたない所すぎる、掃除をしなさいよ、こずえ同志」

「おはずかしい」

「さっさと弟に薬を飲ませなさい」


 ハイと言って、こずえはぱたぱたと奥に入っていった。

 奥を覗くと、ベットが二つ、一つはお父さんのベットらしい。

 枕元に灰皿があって煙草があふれている。


 もう一つのベットに小さい男の子が寝ていた。

 こずえがお水と薬を持ってきて、嫌がる男の子に飲ませていた。

 あたしの育った研究所には女の子ばっかり居て、男の子は居なかったから珍しかった。


 もうちょっと育った若い男の事は、兵隊が研究所にいっぱい居たので弱点とか知ってる。

 若い兵隊はおっぱい見せると真っ赤になって動けなくなるのだ。

 あそことかお尻とか見せると上に乗ってきて、そこで大声だすと、上官にぶたれて首になる。

 五人ぐらい首にしてやった。

 この技がばれるとあたしも吉村のおばちゃんにぶたれるので諸刃の剣と言えよう。


「よしあきです。よしあき、いちこどうしだよ」

「こんにちわ、どうしー」


 おお、なんか可愛いぞ、この生き物。


「こんにちわ、よしあき同志。風邪ひいたの?」

「かぜじゃないのです、よっちゃんは体がよわくて……」

「そうか、心配だね」

「ぼくはへいきです、はやく大きくなってりっぱなへいたいになります」


 あはは、とあたしは笑って、よしあきの頭を撫でた。細い糸の束のような髪の毛の感触が気持ち良かった。

 男の子ってかわいいなあ。

 よしあきは熱があるからか、大きい目が潤んでいて、リンゴのような頬をしていた。額が熱かった。


「ゆっくり寝て、病気を直しなさい」

「はい、いちこどうし、がんばります」

「どうし、こっちにきてください、おちゃをさしあげます」


 こずえに呼ばれて居間に行った。ソファーとおぼしき段差に腰を掛けた。

 こずえは台所に行って……。

 あっ! この惨状だと台所は! 

 あたしは台所に行った。思った通り凄い事になってた。

 汚れた皿やら、カップやらが山盛りで、ごちゃごちゃだ。


「あ、だめです、おきゃくさんちゅうぼうに入るべからずです」


 あたしはこずえの抗議を無視した。

 このキッチンに進歩的な清潔主義革命を起こさねばなるまい。


 あたしは十三まで研究所で家事なんかしたことがなかった、上げ膳据え膳で全部おばちゃんとか女性兵士とかがやってくれた。

 十三の時、恵がお母さんに教わった家事の腕を自慢げに披露しやがって、凄く悔しくなって、おばちゃんに土下座して教わった。

 今では自分の部屋の事は大体自分でやるし、料理も結構うまくなった。


 食器をガンガン洗いながら、なんであたしは残された時間で家事なんかやってるのかな? と思わなくもなかったが、みるみるうちに台所が綺麗になっていくのは爽快だった。

 こずえに家事のやり方を伝授した。こずえは目を丸くして、しりませんでした、しりませんでした、と連発した。


「こずえ同志、お母さんは?」

「おかあさんは……、死にました。よしあきを生んだ、あとにすぐ」

「そうなんだ、お父さんが一人で切り盛りしてるのか、大変だなあ」

「だ、だいじょうぶです、いちこどうしがおしえてくださった、家じのひけつで、これからはわたしががんばります」

「そうかそうか」


 キッチンをかたづけたら、リビングだ。

 物をどんどん片づけて、埃を払い、あちこち磨いた。

 こうなったら寝室もだ。

 よしあきをお父さんのベットに移し、シーツを探し出してピンと張った。

 洗濯機がないので洗濯はできないから洗濯物はまとめただけだが、大分人間の住処っぽくなった。


「すごいです、家がこんなきれいになったのはじめてです」

「いちこどうしはママみたいだよ」

「わっはっは」


 小さい同志二人の賞賛の目が気持ち良かった。

 いつも研究所では子供扱いなので、お姉さん風をふかすのも新鮮で良かった。

 窓を開けると初夏の風が吹き込んで、爽やかだった。


「あの、いちこどうし、わたし お父さんにれんらくしてきますので、かえってはいけません」

「ああ、まだ時間はあるから大丈夫だよ」

「ぜったいかえってはいけませんよ」


 こずえは念押しして、外に出て行った。

 あたしはよしあきのベットの脇に寄った。


「熱さがってきたみたいだね」

「はい、らくになったです」


 よしあきは微笑んだ。

 あたしはその顔をみて幸せになった。

 子供の笑顔に資本主義も共産主義もない。

 ベットの脇に腰をかけて、よしあきの頭をなでる。


「いちこどうしはいいにおいがします」

「そうか?」

「ぼくはいちこどうしがすきになりました」

「あっはっは」


 よしあきをぎゅっと抱きしめた。

 胸の奥でとくんと何かが湧きだしたような感じがあった。

 顔もかわいいし、頭もいいな。

 よしあきは、大人になったら女たらしになりそうだ。

 あー、だれかに似てると思ったら……。二号に似てるんだ。


 二号はあたしの次に開発された兵器だった。

 十五の春に発狂して死んだ。

 恵は四号だ。

 三号は育たなかったらしい。

 マサミが五号。

 六号は病死した。

 七号は真澄だ。

 八号が生まれたときに終戦になったのでそれ以降の兵器はいない。

 八号は幼いので里親の家に居て、研究所には来ていなかった。


「早く元気になれ」


 よしあきの頭を撫でながら、そう命令した。

 嘘を付いていると解っている。明日の朝、こずえとよしあきが生きている可能性は低い。

 あと一時間半ある。避難するように言おうかとも考えたが、やめた。

 運が良ければ生きていられるだろうし、運が悪ければ死ぬのだ。

 薄情だなと思ったが、兵器とは元々くっきりと現実しかない酷薄な存在だ。


11


 こずえが帰ってきた。


「おとおさんはよるにならないと、かえってこないそうなのです」

「そうか、また夜にくるよ、こずえ同志」


 そろそろ二時半だった。


「ぜったい、きてください、やくそくですよ」

「わかった、絶対寄るから」


 こずえにも嘘をついた。

 よしあきに手を振って、家の外に出た。

 こずえも一緒に外に出た。


「ようじがおわったら、きてください、おねがいします」

「わかった、わかった、こずえ同志はよしあきの看病をしなさい」


 こずえは家の前でずっとあたしを見ていた。

 角を曲がったら、こずえの姿が見えなくなった。


 路地の向こうに自動小銃を持った警官が居た。

 振り返ると後ろにも何人かの警官が出てきた。

 警官に挟み撃ちにあっていた。


 ああ、そうか、こずえに密告されたんだな、とわかった。


 おりこうさんだな、こずえは。

 そう思った。


12


 連れて行かれたのは、北日本内務警察本部と書かれた赤煉瓦の建物の三階だった。

 北向きの窓から、北日本最高評議会の建物が見えた。

 六畳ほどの部屋に事務机、禿とあたし二人だけだった。

 部屋の隅にはごちゃごちゃ物が置いてあった。


「サマードレスがなあ、格好良すぎなんだよ」


 禿げた中年のおやじがぼそっと言った。

 おやじの前には書類が置いてあった。調書かな? 

 万年筆のインクの出が悪いのか、おやじは端っこにくるくると線を書いていた。


「北日製だと、もうちょっと格好悪いんだよ、ねえちゃん」

「腕の立たない北の洋服屋万歳だなあ」

「あとなあ、薬屋でガキに金を払ったのも失敗だ。ソ連人でもないと、ポンと千ルーブルはだせねえ」

「そんなもんなのか?」

「あんま金もってねえんだよ。共産主義だからなあ」

「そりゃ、知らなかった」


 禿はあたしのバックから、中身をゴソゴソ引っ張り出した。


「なんでトカレフじゃなくて、ブローニング持って来るかなあ?」

「トカレフじゃ当たらないんだよ。腕力ないんでさ」

「証明書も印刷が良すぎる、なんで検問通すかなあ、警備班の馬鹿どもは」

「あはは」


 禿は大きく溜息を吐いた。

 しょぼくれた中年で、世界に絶望しておりますという目をしていた。

 目が充血している。

 スーツも薄汚れていた。

 洗濯に出せ、おっさん。


「ねえちゃんの正体がよくわかんねえなあ。スパイにしては杜撰すぎだぁ」


 あたしも同感だ。

 よく考えたら、情報部の連中はあたしが捕まっても構わなかったのでは無いだろうか。

 どこで捕まっても、結局はこの内務警察本部に送られるのだろうから。


「自己紹介するべい、俺は山本だ。内務警察の部長だ」

「飛鳥田一子だよ。釧路の飛鳥田さんの娘ということになってる」


 内務警察というと、ソ連で言うとGPUだ、半軍半警で諜報回りまで受け持つ。


「その偽名も、まあ、杜撰だなあ。一子さんはもう三十路だよ」

「あらら」

「なんで、おまえさんは内務にとっ捕まって、へらへらしてるかねえ。くえねえ娘だ」

「性格なんでさ」


 山本が机越しに頬を思い切り殴った。

 あたしは椅子ごとひっくり返って、床に倒れた。

 床は埃だらけでサマードレスが汚れた。

 すこし頭を振った。口の中が切れて血の味がする。

 黙って立ち上がって、椅子を立てて座り直した。

 口の中に何か異物感があったのでぺっと吐き出したら、奥歯の欠片だった。

 他の歯もちょっとガクガクしてる。


「わかんねえなあ、スパイでない、破壊工作員にもみえねえ、おまえ何者だ?」

「当ててみな」


 山本が眉間にしわを寄せて、あたしを見た。


「小さくて可愛いのに肝が据わってんなあ」


 時計を見た、三時。

 山本は戸棚から紙袋を出した。

 中から写真の束を出して、あたしの前に放った。


「見れ、前にとっ捕まった奴らの記念の写真だ」

「女ばっかだね」

「男を撮ってもつまんねえからな」


 拷問されている女性の写真だった。

 記録と言うよりも、ポルノ写真だった。

 裸にして、色々残酷な事をされている。


「うわ、手つっこんでるよ」

「あー、まー、無理すれば入るな」


 一枚一枚丁寧に見た。

 傷つけられて、殴られて、骨折させられて、火傷させられて、指を切断されて、手を切られて。

 でも笑っていた。


「なんで笑ってるの?」

「笑えって命令するのよ、鉄砲突きつけてさ、笑えるもんだよ」

「笑えなかったら?」

「死ぬ」


 写真を見終わった、五十枚ぐらいあったろうか。


「半分ぐらいはスパイじゃねえ、ただの不運なねえちゃんだ。そんでもかまわねえ、俺たちは仕事しなくてはならないからな」

「仕事熱心だね」

「こんな目にあいたくねえだろ、しゃべっちまいな、そしたら銃殺で一発で死ねる」

「喋らないと言ったら」

「今晩から一週間ぐらい、色々痛めつける。ねえちゃん綺麗だから、俺ら、みんな喜んで楽しむよ」

「笑う記念写真を撮るんだな」

「ああ、そうだ」


 山本が不審そうにあたしを見つめた。


「怖くなさそうだな? 顔色一つ変わってねえ」

「怖くないよ、こういう事は起こらないから」

「……わかんねえよなあ」


 山本はつぶやいた。写真を元通りに整えて、封筒に入れ、戸棚に戻した。


「スパイの訓練を受けてる体つきじゃねえ、普通の娘さんだ。だが肝が太い。大物スパイ並だ」

「おっさんの推理はどうだい?」

「はー? 尋問相手にそんな事言われたのは初めてだなあ」


 ちょっと待てよと言って、山本は部屋の隅から北海道の大きな地図を出してきて、机の脇に立てた。


「青森戦線が膠着してんだがよ。気仙沼沖に南日本とアメリカの艦隊が集結してんだよ」


 山本は差し棒で青森沖あたりを指した。


「盛岡中隊の動きも活発化して、なんか大規模作戦の匂いがすんだな。だがどんな作戦かわかんねえ」


 山本は石狩湾を指した。


「今朝、ここら辺でうちの駆逐艦が南のものらしい潜水艦を撃沈したんだ、これだろ、お前さんが乗ってきたのは」


 あー、石川も斎藤も死んだか。

 やれやれ。


「早暁に、銭函上陸、徒歩で札幌に向かう感じだな。徒歩だと時間があわねえから、だれかお前を乗せて札幌まで送った奴がいるな」

「……」

「ま、これもいい、後で調べれば判る」


 平気だ、もうすぐ北日本は平林さんとか相手にしてられなくなるはずだ。


「札幌に入って、駅に居て、時計塔、中央公園、ススキノとぶらぶらした。さて、これがわかんねえ、なんでぶらぶらしてる? 目的があればすぐ果たせば良いことだ」

「棒貸せ、おっさん」


 あたしは棒を借りた。青森辺りを差す。


「あとあたしの仲間一人が、たぶんここら辺にいる」

「前線を突っ切った奴らが居るって報告入ってたな、たしか。札幌、青森で同時に暴れるって寸法か?」


 暴れる? 何言ってんだ、このおっさん。


「心霊動甲冑か?」

「はー? あんなもんタンポポ以外無いじゃんかよう」

「ドイツにもあるし、アメリカにもあるぞ」

「あるけどさ」

「は、まあ、良い、そこから下覗いてみな」


 山本は窓を指さした。下を覗いてみると内務警察本部の隣の空き地にトラックが止まり、動甲冑(心霊ではないもの)や歩兵がうじゃじゅ、更には多脚戦車まで居た。

 山本はあたしの肩をなれなれしく抱きながら、下の兵隊を指さした。


「赤い制服は法術士官だあ。お前たちがなにしようとしてるのか知らんが、こんだけ居れば対応可能だろうさ」


 うひゃひゃ、あたしは笑い出した。

 ぎょっとしたように山本はあたしの肩から手を放した。

 時計を見た。三時二十五分。

 もうちょっと。


「なにが可笑しいんだ? 絶体絶命じゃねえのか。旭川の方にも同じぐらい送ってあるんだぞ。助けはこねえぞ」

「当ててみなあ」

「サイボーグじゃねえな。体は生身だ」

「やめろ、おっさん」


 胸揉むな。

 山本の手を払いのけて、席に戻り、足を組んだ。


「法術じゃねえかと思う。大規模な新型法術」

「はっ。法術師が単騎で突っ込んで行くわけか」

「荒箒家に剣舞とか仕舞とかいう術あるって聞くな」

「ありゃ、剣技だろ、剣技じゃ軍隊相手できないだろ」

「うーん、なんかの秘密兵器か? でっかい動甲冑とかよ。姉ちゃんが呼んだら飛んでくんだ」

「鉄人かよ。漫画雑誌読み過ぎだぞ、おっさん」


 というか、北で売ってるのか? 漫画雑誌。


「なあ、教えてくれよ」


 三時半。


 雲が初夏の太陽を覆い隠して、取り調べ室が暗くなった。


「いいぜえ、もう手遅れになったからな」

 

13


「おっさん、世界で一番恐ろしい兵器はなんだと思う?」

「……原爆かな?」

「歩く原爆って怖いだろ」


14


 山本の顔の色が紙のように真っ白になった。

 部屋の空気が固体になったようだった。けけけ。


「原爆の問題はでかいって事だ、将来はミサイルに積むらしいけど今は無理だな。どうしても飛行機かなんかで運ばないといけない」

「……」

「あと、精製の問題がある。ウラニウムを精製するのは結構大変だ。でっかい工場がいるし、人形峠とかから掘り出すのも大変だな」

「……」

「戦前、物理学博士で、法術家という天才が居てね。両方まとめて解決しようとしたんだ」

「……」

「処女の子宮って魔術的にスゲエ場所なんだってさ。錬金法術で処女の経血をウラニュウムに変換しする。それを亜空間トンネルで亜空間に転送、貯蔵するそうだ」

「……」


 山本はふはーふはーと音を立てて息をついていた。


「十六才ぐらいで広島型原爆ぐらいのウラニュウムが溜まるそうだ」

「お、大法螺をふくな……。錬金術師に亜空間術師、どんだけ法術師が必要なのかわかってんのか」

「法螺だといいなあ、お互いに。起爆シーケンスが始まると亜空間から一気に子宮にウラニュウムが顕現、爆縮法術式で百分の一に縮小して臨界点を突破、核反応が始まるらしい」

「嘘だ、大法螺だ……」

「私はその人間核の一号目だよ」

「あああ、うそ、うそだ、おまえはここから逃げようと嘘をついて」

「唯一問題は特攻兵器だと言うことで、ばれた時に各国からの非難が大きそうだけどね。だが、どこも作ってないなら何故核爆発が起きたのか謎のままだよ」

「う、うそだ……」

「この兵器なあ、自分で歩くので、どこでも潜り込めるんだよ。敵国の首都だろうと、港だろうと、軍事基地だろうと。理想の兵器だろ、おっさん」


 山本の額に汗が沢山浮き出していた。目がギラギラ光っている。


「で、できるわけねえだろ、赤ん坊に核爆弾の術式を仕込むなんざ人間のすることじゃねえ」

「おっさん。人間は自分の事じゃなきゃ何でもできるぜ。贈り物をドブに叩きこんだり、人をドブにたたき込んだりしても平気だ。虐待した女を笑わせて写真撮ったりな。思いついた限りの最低の事を平然とやれるんだよ」


 山本は音を立てて息をついていた。


「もしも作れたとしても、その核爆弾の女が黙って死にに行くとでも言うのか」

「やだな、七年前には、若い衆が爆弾積んで飛行機で軍艦突っ込んでいったじゃないか。もう忘れたのかい。英霊さんたちの事をさ。葉隠れ思想だよ。武士道とは死ぬことと見つけたりだ」


 山本は恐怖していた。音を立てて震えていた。

 そりゃ、核兵器と同じ部屋に居ることに気が付いたら怖いだろうなあ。ざまあみろ。あたしは笑った。


「まったくさあ、終戦になって死なないで済むと思ったらお前ら北日本が攻めてきやがって、腹立たしいったらないよ」

「ど、どうしたら起爆するんだ」

「死んだときと性交した時に自動的に式が起動して爆発する」

「し、死んだときと性交したときだけか、じゃ、今回は平気なのか」


 あたしは山本の顔を見た。

 山本は目を伏せた。


「だ、だって、おまえはお国の為に自殺するタマじゃねえだろう。な、悪いことは言わねえ、爆発しないでくれ、な、上に掛け合って一生安楽に暮らせるようにするからよお。たのむよ、な、な」


 そりゃいいなあ。

 だが駄目なんだ。


「凄い強度の催眠が掛けられてるんだ。自動的に時間が来たら自害することになってる」

「さ、催眠をはずそう、それがいい、そうすれば」

「……強度高いっていったろ、ちっとやそっとで外れる催眠術じゃねえよ」


 山本は、わあ、と絶望の悲鳴を上げた。そのあと、北海道の地図を見て黙った。


「そーだよ、青森港にも人間核が配置についてる。札幌・青森であたしらが同時に起爆した後、南日本軍が狼のように北日本に襲いかかるってわけさ。北日本は今日でお終いだよ」

「どおしたらいいんだ、どおしたらいいんだ」

「どーもなんねえよ、あたしらを目的地に入れたのが失敗だね。こうなったら縄で縛って飛行機乗せて海にたたき込むか、地下核実験場に埋めるぐらいしか方策ねえ……って」


 山本はあわあわとあたしにつかみかかった。


「やめろ、馬鹿。黙って縛られるわけねえだろ、そう言う情況になったら自動的に自害しちまうんだよ」


 山本はペタンと床に腰を落とした。頭を抱えている。

 恐がれ恐がれ。女をいじめる変態め。

 あたしは机の上の山本の上着から煙草を取って、火を付けた。


「虎の子の首都防衛隊もおっさんのせいで蒸発だ。けっけっけ」


 あたしは中空に、ぶありと煙を吐き出した。

 山本は立ち上がった、凶悪な相が顔に浮かんでいる。


「殺してやる、なめやがって、ガキめええええ」


 逆上したらしい、あたしのブローニングをズボンのポケットから引っ張り出した。

 私はニヤニヤしていた。


「撃っても、構わないよ、おっさん」


 ブローニングの銃口がブルブル震えた。

 撃たれて死ぬのは構わないけど、変な所に当たって痛い目を見るのは勘弁だなあ。

 銃で撃たれたら痛そうだなあ。やれやれ。


「早く撃ちなあー」


 山本に煙草の煙を吹きかけてやった。

 山本の顔がクシャクシャに歪んだ。あくびのように大きく口を開けると、うわーーっと子供みたいに泣き始めた。


「おっさん、死ぬの怖いか、あっはっは」


 なんだか、喧嘩に勝ったようでとても痛快だった。

 ざまあみろ。あたしは嘲り笑った。

 奴は両手を顔にあててわあわあ泣いている。

 首を振って泣く。

 山本が急に泣きやんだ。


「爆発は何時だ! 何時爆発するんだ、お前は」


 あたしは顔を上げて、掛け時計を見て。それから腕時計を見た。


「北日本最高評議会で三時から党大会やってるだろ。あれに合わせてある。始まってから一時間。つまり四時だ」


 山本は棒を飲んだように真っ直ぐになった。


「つまり、あと二十分だ」


 山本が後ろを向いて駆け出そうとしたので、背中に組み付いてやった。

 山本から煙草臭い男の匂いがした。


「どこいくんだよお。一緒に破裂しようぜ、山本同志ー。あはははは」

「は、離せ、梢と良明を逃がさなきゃいけねえっ!!」

「はあ? あんた……。こずえの……」


 なんだ、おとうさんだったのかよ。


「離せ離せ離せええ」


 山本はあたしをぼかすか殴りつけた。うお、鼻血がでたぞ。


「こずえが密告したわけじゃないのか」

「当たり前だ、梢は良い子だ、そんな事しねえっ」


 なーんだ。そうだったのか。

 こずえの電話で推理したのかな。あはははは。

 なんか嬉しくなった。


「そっか、おっさん。五キロだ、二人を連れて最低でも五キロ逃げろ」

「へ? あ、ああ」


 山本は頷いた。


「二人を連れて南の方へ逃げろ、あたしもなるべく評議会の北側で起爆する。なるべく催眠に逆らって時間を稼いでやるよ」


 山本があたしの目をみた。


「なんで、お前は……」

「うるせえよ。おっさんのためじゃねえ。こずえとよしあきを何とかしてやれ。これもってけ」


 あたしは机からバックを取って、山本に渡した。


「おにぎりが三つ入ってる、一個ずつ食べろ」

「あ、ありがとう、おめえ、おめえも……」


 おめえもなんだ、立派に破裂しろか。


「うるせえ、急いで行け」


 おうと叫んで、山本は部屋を出て行った。

 人間の屑みたいな山本にも大事な物があると思うと、ちょっと、ホッとした。人間は色んな面があって面白いな。

 煙草が勿体ないので最後まで吸って、取調室を後にした。


15


 手ぶらになって、ゆるゆると内務警察本部を出た。

 別に咎める奴は居なかった。

 話が終わったと思われたらしい。


 広場では兵隊が列を組んで居た。

 うわ、一杯いるなあ。あはは。

 多脚戦車が三台もいるぞ。


 ぶらぶらと、北日本最高評議会に向かった。なーに、すぐ近所だ。

 評議会の正門を横目に見ながら塀に沿って北に向かった。

 評議会は札幌の碁盤の四区画を占領している。

 北の方に行けば、三百メートルぐらいは稼げるだろう。

 北沿いの塀にもたれかかった。あと十分。


 空を見た、良い天気だった。雲が急ぎ足で西の方へ走って行った。


 恵は位置に着いただろうか。

 恵は青森港で恋人と性交して起爆する予定だ。くそ、幸せそうで腹立たしいな。

 あたしたち二人の起爆で北日本は即死する。あとの戦闘などは後始末に過ぎない。ソ連が参戦するかもしれないが、まだ遠野には二発起動できる人間核がある。


 博士がなぜ、あたしたちを作ったのか聞いてみた事がある。

 博士は何時もみたいに黙って寂しそうに微笑んでいただけだった。

 あたしは話しているうちに激昂してしまって、研究室の書類をぶちまけたり、戸棚を倒したりして大暴れしたけど、やっぱり博士は微笑んで居るだけで、何も教えてくれなかった。なんであたしたちが死ななければならないのか教えてくれなかった。

 博士は何か贖罪みたいな、復讐みたいな、そんな事をしてるのだと感じていた。

 すごく悲しい事があって、それで悲しみで心が凍ってしまって、誰が聞いても眉をひそめるような怖い研究を始めたんだと思った。


「言えばいいじゃないか、言葉にすれば良いじゃないか、駄目なの、あたしだと駄目なの?」


 涙と鼻水であたしは顔をぐしゃぐしゃにして博士に言った。

 博士はちょっと困った顔をして、でも黙っていた。


「家族じゃないかあ、博士とあたしたちは家族じゃない、だったら、だったら」

「一号。お前は兵器だよ」


 小声で博士はつぶやくように言った。

 博士はあたしを拒絶した。

 自殺して博士もろとも、この研究所をチリにしてやろうと思った。

 二号は悲鳴を上げながら死んでしまった。

 地下五十mで一人で爆発した。

 恵は幸せだけど、その後、あたしよりもずっと不幸になる。

 マサミだって可哀想だった。もう、うんざりだと思った。


「私はね、一号、人を愛する資格がないんだ」


 うるせえよ。


「……すまんな」


 恵が可哀想だった。

 馬鹿姉妹が可哀想だった。

 あたしも可哀想だった。

 なにより、何も言えない博士が可哀想だった。

 毒飲んで死のうと思ったが、現場を吉村のおばちゃんに見つかってぶたれた。あたしはおばちゃんに武者振りついた。


「なんで、死んだらいけないんだよ、どおしてだよっ! 死なす為に育ててるんだろ!!」

「馬鹿っ!」


 おばちゃんがあたしの頬をぶった。

 おばちゃんも泣いていた。

 夜中二人で抱きしめあって、轟々泣いた。

 あたしは、凄く不幸で、凄く幸せだった。

 発狂して楽になりたかった。

 でもあたしの精神は鉄板のように頑丈と折り紙付きだった。


 一昨々日、斎藤と石川が車で研究所に向かえにきてくれて、おばちゃんと博士と恵を見たのはその時が最後になる。

 おばちゃんも博士も、縮んだように思えた。

 恵はぴかぴかの軍服で敬礼してくれた。

 斎藤が運転する車の後部座席に乗り込んで、リアウインドウ越しにずっとおばちゃんと博士と恵を見ていた。


 車が発車して、どんどんみんなが小さくなった。あたしの家族が小さくなっていった。研究所が見えなくなるまでずっと、リアウインドウから見ていた。

 胸がふさがれて、泣きそうになったけど、海軍さんに見られるのが嫌で胸を押さえてかがみ込んだ。


「大丈夫ですか」


 石川が無神経な声を掛けた。その瞬間こいつが大嫌いになった。


「うるせえっ!」


 涙声だった、我慢できなかった、涙がポロポロこぼれた。

 悔しくなって隣の石川をぼかぼか殴った。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 ちくしょう、ちくしょう!


「石川、お前がわるい」


 ぼそっと斎藤が言った。


 ごめん、石川、あの時はあたしの八つ当たりだったよ。


 研究所を出発したとき、あたしは死んだのだと思う。

 恵がいて、マサミがいて、アリサがいて、どこまでも続く空や、ラジオから入ってくる洋楽や、物干し台で昼寝した夏の日や、寒かった冬に厚着をして割る道の氷や、失って初めてわかるそんなものたちが全部死んでしまったのだと思った。

 多良見が来たのはその為なんだと、今にしてわかる。あの時を読む娘はそれを伝えるために来たのだ。一子が死んでも世界は続くのだから安心しろな。と私の背中を押しに来たのだと思う。

 多良見は今頃どこを歩いているのだろう。

 多良見と一緒に旅をしたいと思った。いい加減で馬鹿なことばかりやって、笑ったり泣いたりしたい。でたらめな占いしたり、お祭り行ったり、恋をしたりしたいなと思った。

 きっと、多良見があたしのことを覚えてくれるというのは、それと同じ事なんだと思った。


16


 空が青かった、もうすぐ四時。

 こずえとよしあきは上手く逃げられるかな。

 それだけが少し心配だった。

 無意識に奥歯に仕込んだカプセルを外そうとアゴが動いた。

 力を込めて抵抗する。もうちょともうちょっと。

 ガクガクと抵抗していたが、結局奥歯からカプセルが外れて飲んでしまった。

 すうっと、景色が暗くなって来た。なんか寒くなってブルっと震えた。

 壁が頬に当たってるなと思った。

 あ、壁じゃないんだ。地面だよ。

 足音が聞こえて、おいどうした、と男の声がした。

 下腹にズンと衝撃があって、暖かくなって……。


(了)


【北日本各所で謎の大爆発】

 七月八日 午後4時 北日本の各地で核爆発と思われる大爆発が観測された。爆発に合わせるように始まった南日本軍の攻撃で現地の情況は錯綜しているが、少なくとも三ヶ所で核爆発が在った模様。[ロイター共同]


【北日本と青森戦線に核攻撃】

 七月八日 午後8時 スターリン総書記は談話で、北日本への核攻撃について、それが事実なら南日本に報復核攻撃も辞さないと発言。[タス通信]


【南日本政府は核攻撃を否定】

 七月八日 午後9時 南日本政府は青森・札幌・旭川の爆発について自然現象ではないかと発表、我が邦の艦船もしくは飛行機、ミサイルによる核攻撃について全面的に否定した。[ロイター共同]


【南日本軍釧路上陸】

 七月八日 午後10時 南日本軍は釧路に三個師団兵員十万を上陸させた。釧路市は陥落。[ロイター共同]


【青森、北日本基地陥落】

 七月八日 午後11時 謎の核爆発により半壊した青森軍港は、盛岡中隊、秋田中隊の進軍によって陥落した。[ロイター共同]


【紋別に暫定評議会】

 七月九日 午前10時 北日本共産党は、札幌の評議会の壊滅を受け紋別に暫定評議会を置くことを発表した。暫定評議会議長には飛鳥田三郎委員長が就任する。[タス通信]


【ブレジネフ回顧録より抜粋。(新潮社刊)】

「まったく、南日本政府の対応は腹立たしい物だった。三ヶ所で同時に自然に核爆発が起こる可能性などありえない。スターリン同志はウランバートル空軍基地へ爆撃機に原爆を搭載するように指示を出そうとしていた。私がアメリカ大統領からの書簡を持ってきたのはその時だった。

 この書簡はワシントンから引き上げる大使館員がダレス国務長官から直々に託された物で、その朝、私の元についたのだった。

 一読するなり、あの剛毅なスターリン同志が真っ青になった。

 再三にわたりスターリン同志に書簡を見せるように頼んだが、同志は首を縦に振らなかった。そして同志は、ウラジオストックに集結しつつある、陸軍師団の解散を私に命じた。

 この書簡が何であったかは、スターリン同志の死後、執務室を片づけていた時に判った。

 黄ばんだ、あの書簡が机の引き出しの奥深くに静かに置いてあった。

『貴方が自然現象を恐れぬなら、南日本に派兵したまえ。 ハリー・S・トルーマン』と一言だけ書いてあった。」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 一回目で泣いて、二回目で獣手の独特な人生観に感嘆して、三回目はやはり涙しました。 端的な表現の裏に在る深い悲壮感と、それを受け入れざるを得ない時代に生きた人々の思いを強く感じました。
[良い点] 読みごたえがあってとっても良かったです!
[良い点] 右端先生の作品全般に言える事ですが、悪人がいないというか、悪を為す役どころでも善性が必ず描かれていて僅かな救いがありますね。 だからこそやりきれなさが底上げされるんですが。 [気になる点]…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ