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1-5.酒場の騒乱

 

 俺の周囲をぐるぐると隙なく、二人の大男が回っている。こちらが気を抜けば、すぐに飛び掛かってくるだろう。現に兄貴さんとズーリちゃんの方へ僅かに意識を向けた瞬間、わき腹を高速で突かれた。痛いしくすぐったい。

 すぐに距離をとりつつ、体勢を立て直す。

 立て直したついでに、二人の装備と現在の状態に注目する。


 二人の腰元には使い込まれた古びた小剣(ダガ―)が吊り下げられている。使い込まれているが、丁寧に手入れされている。使われるようなことはないだろうが、警戒するに越したことはない。

 対して俺の手元にあるのは大皿を運んだお盆と、床に落ちていたフォークのみ。小剣は周囲を囲む男たちから拝借できるだろうが、そんな隙を見せれば、あっという間に床の上に転がされるだけだ。あとついでにくすぐられる。

 相手は二人なうえにどちらも俺より体格が良く、その割に俊敏で、絶えず動きまわっていられるだけのスタミナと、こちらをおちょくり続ける精神力(メンタル)を持っている。


(俺が勝利するにはあの二人の情報が足りない。かといって、ステータスを閲覧したことがバレれば斬首刑になるし……。

 部分的に名前とか、職業だけをステータスを見るのはあり、かな―――う~ん、小さくなれ~、短くなれ~。省略、省略~……)


 半ばやけくそで目を細め、頭の中で強く願う。

 なんとか祈りが届いたのか、最初からできたのかはわからないが、何度かステータスが表示されたり消えたりを繰り返し、それが徐々に縮小されていった後、二人の縮小されたステータスが表示された。



『ラトラ・クレプス 

 Lv:39 MJ:狩人 種:半獣人 リカオン族』


『カラー・クレプス 

 Lv:38 MJ:軽業師 種:半獣人 リカオン族』



 穀潰しと言われたのがラトラさん、甘えん坊と呼ばれたのがカラーさん。容姿から察してはいたが二人は兄弟(恐らく確実に双子)で、リカオン族と人の混血種(ハーフ)。外見にリカオン族の特徴はほぼ表れていないが、身体能力はしっかりと継承されているらしいことが、ステータスを見なくとも動きでよくわかる。


 (……よかった。リカオン族なら、弱点は知り尽くしている。)


 リカオン族は好奇心が旺盛で新しいものに目がないし、自分が興味を惹かれる・好きな物にはとことん尽くし、手に入れようとする。……どんな手を、使ってでも。

 それを逆手に取れば、体格差で負けていようともチャンスは生まれる。多分この二人、山猿と同じかそれ以下の知能しかない。それなら山猿を撃退した時と同じ方法で勝てるはずだ。勝機が見えてきたことで、僅かに弛緩する頬を引き締め、警戒を続ける。あとはタイミングの問題だ。


「ほらほらほらチビガキィ。かかってこいよォ」「疲れたぜぇ、酒が飲みたいぃ。兄ちゃんんメシまだかよぉ」「さっき食ったろバカがァ」

「カラーのバカもう飽きてやがる。坊主~早くしろ~、早く負けろ~」「飲み代全部賭けてんだ!とっととくたばれぇ!!」「ラトラ~!!負けたら酒おごりやがれ~~!!」「オラオラ、掛け金戻してくぞ~。フモーな賭けだったなぁ」「ラトラ達に払わねぇの?」「いらんいらん。酒の一杯でも奢れば十分だろ」「違いねぇ、ははっ!」

「マモ―トの旦那ぁ、ソムヌアグヌスのワイルド焼きくれ~」


 周囲の関心は勝負から金へと移っていた。俺が勝つ可能性など微塵も考えていないのだろう。それは、この二人も一緒だった。

 二人のにやけ顔からは勝利への油断と怠慢が見える。その油断も、俺が勝利する要素の一つとして蓄積されていく。

 負けたくない。くすぐられたくない。集中、集中……。

 周囲の動きと音が徐々に、停止しているかのように遅くなる。緩やかに流れ、余計な音が遮られる。二人分の足音、床が軋み歪む。骨と肉が擦れあい、筋肉が膨張と縮小を繰り返し、最適な形を維持し続ける。戦い慣れているとわかる、無駄のない動きだ。


 ジャラジャラと人垣の奥で音がした。賭けの元締めを担当する男が袋を持ち上げ、中身をテーブルにわざとぶちまけたようだ。男たちから呆れた声と怒声、両方が上がる。慌てて銅貨を掻き集める、木材と銅貨の擦れる男が聞こえてくる。

 それが聞こえたのは、俺だけでなかった。


 ラトラさんとカラーさんの意識が、僅かにそちらへ向く。双子のような見事にシンクロした動きで、視線を音の聞こえたほうへちらりと向ける。


 待ち望んでいた瞬間が、訪れた。


(……今っ!)


 どちらも油断しているが、まずは甘えん坊のカラーさんからだ。

 勝負は一瞬。これ以上の隙もこれ以下の油断もこの先訪れない。


 斜め前にいるカラーさんの足を払い、短い悲鳴をあげて後ろに倒れ始めるのを確認した後、()()()()()()()()()ラトラさんの拳をお盆で受け流し、驚愕の表情をしながら体勢を崩し床に転がったラトラさんの眼球にフォークを突き立て……ないように、まさに眼前で静止させる。あと1ミリでも動けば突き刺さってしまうであろう、瞬きすらも許さない距離だ。


 なんとか勝利をつかみ取ったけど、危なかった。確かにラトラさんは後ろにいたけど、あんなに近くはなかったし、そんな時間はなかったはずなのに……。


 集中が解けて静寂が去り、騒がしい喧騒が戻ってくる。

 カラーさんが近くにいた冒険者風の男を巻き込みながら、後ろに倒れ込んだ。男の怒号で何かが起こきたことを察知した周りは倒れたカラーさんを見た後、フォークを突き立てられ身動きの取れないラトラさんをみて、ようやく勝敗を察した。

 騒がしかった酒場が一瞬で静まり、信じられない様子で倒れるカラーさんと身動きの取れないラトラさんを見ている。カラーさんの顔は見えないが、多分ラトラさんと同じ表情をしているだろう。双子(多分)だし。


「お、おいおい……まさか、負けたのか?お前ら二人が?なんの冗談だ?」「そんなわけねぇ!なにかの間違いだろ、なぁ?」「そうだ、じゃねぇとこんなチビに負ける訳がねぇ」「たまたまだ、な?よ、し。仕切り直しだな!な!?」「ま、まったくよぉ、なぁに転んでんだカラ―!ほら、起きろって!!」「あぁ、仕切り直しだ!やっちまえ!!」


 数秒経ってから元締めの男が信じられない様子で、しかし目の前の現実を再認識するため、言葉を吐き出す。それに続いて、周りの男たちも硬直から立ち直っていく。静かだった酒場が、再びざわめきで埋め尽くされた。それと同時に空気も高揚していく。

 賭け金が正確に持ち主へと返され、賭け直しが行われる。結果、賭け率(オッズ)が12:26に変動した。多少は実力が認められたようだ。

 しかし、このまま再戦すれば敗北は確実だ。先程の勝利は運に恵まれただけだ、二度目はない。もう二人も油断してくれない。


 どうしようか……と思考を巡らせていると、テーブルに拳を叩き付ける鈍い音と、聞き覚えのある胸糞悪くなる声が男たちを静止した。


「おいおいおい、お前らそれは大人げないないぜ!!負けは負け、勝利条件(ルール)通りルシスの勝ちを認めろよ。……それとも、一度決めたモンをてめぇらの都合で有耶無耶にするのか?それはお前ら――(あく)じゃねぇか?」

「ひっ!イ、イラニクス……!?」


 声の聞こえた先へ、自然と人が避けていった場所へ、視線を向ける。そこにいたのはやはり、数時間ぶりに見る仇の一人……イラニクスが、テーブルに座って巨大な鳥肉を食らっていた。さっきソムヌアグヌスのワイルド焼き頼んでたのこいつか。

 酒場の暖まった高揚の空気は、一変して氷点下へと冷え込んでいた。みんなが、怪物でも見るようにイラニクスを凝視している。


「イラニクス、さん!?いつのまに!?」

「おーぅ、ルシス(ふひふ)悪いなぁ(あふひは)置いていっちまってよ(おぃへいっひはっへほ)()!!なははっ(うぇっははっ)!!」

「き、汚い!!食べながら喋らないでくださいよ!?」

「……っと。いやー、わりーわりー」


 がははっ、と口に肉を頬張ったまま笑うものだから、若干口から肉が零れる。

 この男、王族としての誇りとかないのか?恥とかないのか!?

 その割には口の周りを綺麗に、丁寧にナプキンで拭いているし、この男は本当に意味が分からない!


 俺とイラニクスがコミカルなやり取りをしている間も、酒場の空気は凍ったまま、全員動かないままだった。少しでも動けば目を付けられ、目を逸らせば殺されると確信しているような、異質な気配が酒場を支配していた。街で見たイラニクスを見つめる憧憬と仰望の眼差しとは違う……畏怖のこもる視線を向けている。

 それは俺も同じだった。

 ふざけたやり取りを交わしながら、イラニクスの全身から殺意が溢れ出てくるのがわかる。ラトロー村で見た、あの黒い靄と一緒に。

 禍々しいほどの殺意がこの場を支配して、誰も逃げることを許さなかった。

 俺が喋れたのは、その殺意が俺に向けられていなかったからだ。殺意の矛先は――賭けの仕切り直しを提案した男たちに向けられていた。


「ご馳走様っ、とぉ!さっ、腹もまぁまぁ膨れたし……断罪を、始めようか」


 イラニクスがゆっくりと立ち上がり、あの巨大な大剣……ではなく、腰に下げられた長剣を鞘から抜き始める。真っ白な刀身が放つ凄艶な美しさと禍々しい殺意と混ざり合い、猛吹雪のただなかにいるような激しい寒さと恐怖に襲われる。

 男たちが逃げようとして逃げられず、微かに身じろぎした。

 一層研ぎ澄まされた殺意に、誰もが男たちの死を覚悟した、その時。

 イラニクスの肩を軽く叩く命知らずがいた。


「おい、勘弁しろイラニクス。こいつら確かにガラは悪いが、ルールを逸脱するような『悪い』ことはしねぇ。お前だってよぉ―くわかってんだろ?」


 な?と子供を宥めるような、けれど確かに牽制する口調でイラニクスへ声をかけたのは、兄貴さんだった。後ろでガタガタと震えるズーリちゃんを庇いながら、テーブルに置かれたままだったジョッキを一つ、イラニクスへと差し出した。


「ほれ、飲もうぜ。お前の分は俺が奢ってやるからよぉ!」

「――……よおロニ―ア!いたなら声かけろよなぁ!!今回は随分長く遺跡に潜ってたな?詳しく聞かせてくれよ!」

「ガキみてぇなテンションだな。ま、いいぜ、座れ座れ。お前の酒も先に頼んどいたんだ。アルヒ、好きだろ」

「おっ、さっすがぁ!!ありがた~くいただくぜ~」


 イラニクスが長剣を鞘へと戻すと同時に、黒い靄と凍える殺意は消え失せた。代わりに陽気で幼稚な、人懐っこい雰囲気が戻る。酒場には安堵のため息が漏れ、騒がしさと熱気がぎこちなく戻り始める。

 ズーリちゃんが給仕に戻っていくのを目で追っていくと、丁度マモートさんが厨房へ戻っていくところだった。いつのまにか、厨房から出てきていたようだ。その手には巨大な包丁が握られていた。あのままイラニクスが「断罪」を行った場合、何をするつもりだったのか……。

 頭を振って、考えを掻き消した。そんなこと、マモートさんがするわけがないからだ。

 嫌なことを忘れるため、俺はぎこちなさの解けてきた騒ぎの中に飛び込んでいった。


 〇〇〇


「おい坊主っおまえさん体が小せぇのになんたってあの二人に勝てたんだ?いやそもそもどうやって……」「なぁなぁ、次はおいとやろう。腕試しだ!」「そしたらおめぇには絶っ対に賭けねぇからな?坊主の一人勝ちだろ」「ロニーアだ!ロニーアとやらせりゃあいんだよぅ!!」

「え、や、あの。まぐれというか、運が良かったというか。俺の実力ではないので……」

「んなことないって、やろうぜ!!」「肉削ぎてぇなぁ……!」「次は武器アリでやったろぜ!」「あぁいいなぁそれぇ!!」「血沸き肉躍るあつぅい戦いを魅せてくれ!!」「おぉい、追加の酒はまぁだかよぉお!?」「じいさん、さっきの賭けですっからかんになっただろうが、帰れ」

「武器アリはちょっと……。あと、誰か危ない人混ざってますよね?!聞こえてますよ!!」


 騒ぎの中に飛び込んだのは良いものの、酔っ払いたちの話はたいてい要領を得ないし、開放感からかより暴力的になっていた。ラトラさんとカラ―さんをどうやって組み伏せたのか、自分と戦え、肉を削がせろ等々、質問と拳と小剣を同時に飛ばしてくる人もいる。凄く物騒だ!

 色々と疲れてきて対応が雑になってきた頃、俺の身体がふわっと宙に浮いた。疲労で倒れる前兆かと思ったけど、そうじゃない。左右から、汗と酒の強い臭いが漂ってきた。これはさっき近くで嗅いだ臭いだ。くさい。


「おらおらァ!!チビガキはこっちに来いィ!」

「チビガキはおいらたちと飲むんだよぉ!!」


 ラトラさんとカラーさんが俺の両脇を左右から持ち上げて、無理やり輪の中から引きずり出してくれた。周りから飛んでくる罵詈雑言と食器の嵐をものともせず、息の合ったコンビネーションで全てを避けて俺を連れていってくれる。ただ負けた腹いせなのか、二人が避けた食器は全て俺に命中していた。


 食器の嵐を抜けて向かった先は、もともと二人が座っていたテーブル……兄貴さん改め、ロニ―アさんとイラニクスが談笑しているテーブルだった。

 ロニーアさんの話を楽しそうに聞くイラニクスの表情は、先程まで見せていたドス黒い殺意からは考えられないぐらい楽し気で、冒険譚をせがむ子供のように無邪気だ。

 得体のしれない感情の変化の速さに鳥肌が立つ。

 どんな精神してるんだ、こいつは。

 それ以上、深く思考する前に、近付いてくる俺たちに気付いたロニ―アさんが声をかけてきた。


「よぅ、お疲れさん。良い動きだったぜ、ぼっちゃん」

「そうだぜチビガキィ、テメェ大した腕前じゃねぇかよゥ!オレたちゃこれでもかな~り腕が立つんだぜェ??」

「そうそう!!兄貴ぐらい腕が経つんじゃねぇか!?なんかよぅ、戦い慣れてるって感じだったしなぁ!!」

「はは、ははははっ……」

「あぁ、確かにな。山育ちなら山猿と戦ったことがあるだろうし……お前らは山猿より知能低そうだからな。戦い慣れていればやりやすいだろうよ」

「「ひどいぜ兄貴!!!!」」

「あはっ、あははははっ……」


 ロニーアさんがこちらを見ながら、ニヤリと不敵に笑った。こちらの考えが根こそぎ読まれているような、そんな錯覚を覚えて笑顔が引きつる。

 しかし、どうしてロニーアさんは俺が山育ちだと知っているのだろうか……。


「なぁ―!?すげーだろ!!?山の最奥で暮らしてたところをすくっっ、見つけてっ、スカウトしてよぉ!!騎士団で鍛えれば、一年足らずで強くなれるってんだ!!あにっ、俺のっ、お墨付きだぜ!!」


 ガハハハ、と豪快に笑いながら、俺の背中をバッシバッシと叩かれる。内蔵が飛び出るかと思うほどの勢いにむせた。この酔っ払いのせいで、俺の個人情報は駄々洩れじゃないか。

 それにマモートさんと同じぐらい加減ができてない。いや、理性があるだけマモートさんの方が全然ましだ。


「はっ、お前のお墨付きねぇ……じゃ、今後の活躍を楽しみにしてるぜ、ぼっちゃん」

「おうおうチビガキぼっちゃんよォ、オイラたちをどうやって負かしたんだァ?」

「おうおうそうだぜ。それを聞きたかったのに思い出せなかったぜぇ?」

「いっ、いやぁ、まぐれですよ。運が良かっただけです」


 本当に山猿と同じように戦ったとは、さすがに言い辛かった。


「お、俺よりもですねっ、ラトラさんがどうやって移動していたのかを知りたいです」

「なんだァそんあことかァ!そりゃ簡単だぜェ!」

「めちゃく―ちゃ簡単だぁ!でも教えねぇぜぇ!」


 2人がまた、息の合った返答をする。

 さすがに教えてくれないか……と思ったけど、えっへんと腕を組み、荒く息を吐いた二人の横から、ロニーアさんが口を出した。


「オズニマ・リフレクションってやつさ」

「「あっ、兄貴ィぃ!!なんで言っちまうんだよォぉ!?」」

「オズ、なんですか?」

半魂反(オズニマ・リ)射動作(フレクション)。二つの魂が共鳴することで、片方に危機が迫った時身体が自動的に反射する『魔法』さ。古臭い爺樹人(ドリアード)なんかは、『神秘』とも呼んでたな」


 抗議する二人を無視して話していたロニーアさんは、不意に持っていたナイフをラトラさんに投げつけた。突然のことで俺もカラ―さんも反応できず、ナイフがラトラさんに刺さる……と思ったが、反応できていなかったはずのカラ―さんが、フォークで素早くナイフを弾いたことで、惨事は免れた。

 ナイフはブルブルと震えながら天井に突き刺さっている。

 沈黙の後、ロニーアさんが「なっ?」とこちらを見て笑った。


「ま、こういうことだ」

「「「あっっぶな!!?」」」


 今度は俺も二人と同じことを叫んだ。イラニクスはそれを見てゲラゲラと笑っている。何がおかしいんだこのサイコパス野郎。

 ロニ―アさんはまともな人だと思っていたのに……。お酒が入っているせいだろうか?


「誰だあぁぁあ!!?店の天井にナイフ突き刺したクソガキはぁぁあ!!?」


 店が震えるほどの声が厨房から聞こえてきた。マモ―トさんだ。マズイ、かなり怒っている。しかし誰がやったかまではわかっていないらしい。好都合だ。


「「「「イ、イラニクスです!!!!」」」」

「ブフォアッ!!?」


 今度はロニ―アさんも合わせて叫ぶ。突然指名されたイラニクスは口に含んでいた酒を盛大に噴き出した。汚い。


「てめえぇぇえ!!巫山戯んなよイラニクスウゥゥウ!!きちっと元に戻せよおぉぉお!!?」

「い、いや旦那、違うっ、俺じゃねぇ!!無実だぜ!!」

「問答無用だあぁぁあ!!さっきの分も含めて弁償分、きちっと働けやあぁぁあ!!」

「うぎゃあぁぁあ!!」


 厨房から伸びてきた丸太一本分の鼻に引き摺られ、イラニクスは悲鳴を上げながら消えていった。酔っ払って力が出なかったのだろう。ちょっとスッキリした。


「……あ―、つまりな?魔法がらみの危機回避能力ってことだ。しかも自動。いや、ある意味手動か?」

「兄貴ィ、危ないぜェ、ひどいぜェ」

「そうだぜ兄貴ぃ、手が痛いぜぇ」


 カラ―さんが右手をプラプラと振って見せた。手を痛めるほど強くナイフを放ったって、ようは殺す気だったのでは……?


「ティシフォネーのとこに行く理由を作ってやったんだ、良かったじゃねぇか」

「えっ、まっ、マジか。そうかっ、そうだよなぁ!」

「うわっ、だらしねェ顔だな、カラ―!」


 でへへっと蕩けた顔で笑うカラ―さんを、呆れた表情でラトラさんが茶化した。カラ―さんはティシフォネ―さんとやらにご執心らしい。


「ティシフォネーさんは治療師なんですか?」

「いや、マルテル教会所属のシスターだ」

「違うっ、全然違うぜぇ兄貴ぃ!シフォンちゃんはっ、天使様だぁっ!!あーんなにキレイな顔は見たことねぇぜ!この間もすっ転んで鼻血噴き出したおいらに、笑って手を差し出してくれたんだぜぇっ!?よく転びますねって!!」

「呆れられてんじゃねぇか」

「んなわけねぇ!!よし、こうしちゃいられねぇや!シフォンちゃんに会いに行ってk……!!」


 全て言い終わる前に、カラーさんは身支度を済ませて大急ぎで出ていってしまった。せっかちというか、猪突猛進な人だ。ロニ―アさんに言われて、ラトラさんも慌ててそれについて行く。


「あ~~、やっと五月蝿ぇのがいなくなった。これでゆっくり飲めるぜ」


 そう言って、ロニーアさんがジョッキに残っていた酒を一気に飲み干した。

 突然二人きりになってしまったので、話題に困る。何を話そうか、それとも別に話さなくてもいいのか。

 聞いてみたいことはあるけど、多すぎて何から聞いてみればいいのかわからない。


 頭を悩ませる俺を見て、ロニ―アさんがふっと笑みを零した。


「……ぼっちゃん、明日から騎士団に入るんだろ?こんな時間まで酒場で遊んでないで、王宮へ帰んな」

「あっ、帰りたいんですけど、イラニクスさんが……」

「ははっ、大丈夫だ。……そろそろ逃げ出してくるから、構えとけ」

「え?」


 準備ではなく、構えろ……?


 ロニーアさんはテーブルに一番近い窓に近寄り、限界まで開け放つ。風が吹き込み、(ほて)った体を冷やしてくれる。

 なにをしているのかと尋ねる前に、ロニ―アさんの言葉通り、イラニクスが厨房から飛び出してきた。と同時にマモートさんも出てくる――長い鼻と両手に、再び包丁を握り締めて。


「いっ……!?」

「ルシス~~!!帰るぞ~~!!」

「ぅわっ!?」

「帰すわけねぇだろおぉぉお!!イラニクスウゥゥウ!!!」


 必死の形相でイラニクスが俺を抱え上げ、近くの窓から外へダイブする。

 なるほど、こうなることがわかっていたから窓を開けたのか。ならもう少し早く説明してほしかった。


「じゃあな~、頑張れよ~」


 ヒラヒラと後ろ手を振り見送ったロニーアさんの背中に声をかける。


「おやすみなさい、ロニーアさん!また今度!!」

「……!?」

「じゃあなロニ―ア!」


 驚いた様子のロニーアさんの顔を最後に酒場を後に……はできなかった。見送られた直後、マモートさんが窓枠ごと壁をぶち壊して迫ってきた。


「うるあぁぁあぁぁあ!!!帰さねぇっつってんだろおぉぉお!!?」

「「うわああぁぁぁあぁぁ!!?」」


 イラニクスが俺を後ろ向きに抱えているせいで、迫ってくるマモ―トさんがまともに見えてしまう。その表情(かお)は鬼のような、恐ろしい形相をしている。一体厨房で何をやらかしたんだイラニクス(こいつ)


「悪いな旦那、明日は入団式なんだ!改めて弁償するからよぉ、今日は勘弁してくれ、よっ!」

「っわ!?」


 突然加速し、すぐ近くまで迫っていたマモ―トさんから急速に離れていく。マモ―トさんが何かを吠えていたが、豪風に掻き消されて聞こえない。イラニクスの靴が僅かに発光している。この靴も魔法具の一種なのだろうか?

 そのまま凄まじい速度で景色が流れていき、マモートさんもすぐに見えなくなってしまった。


 そのまましばらく進んでいくと、高く聳え立つ正門に到着した。当たり前だが、門は固く閉ざされている。

 どうやって入るのかと様子を窺っていると、走った勢いのまま「ほいっ」と軽く気合を入れて、そのまま当たり前のように城壁を軽く飛び越えてしまった。

 魔法具の性能がすごいのか、イラニクスの身体能力(ステータス)が高いのか。よくわからないが【直感】が「こいつには勝てない」と告げている。短く溜息を吐いて、右手に隠し持っていたナイフを気付かれないように落とした。この時間なら誰もいないだろうし、刺さる心配はないだろう。


 豪風が止み、風の流れが緩やかになるのを感じながら、徐々に迫る地面への着地に、口をきつく結んで備えた。


 〇〇〇


 着地した場所は、正門から西に逸れた場所に造られた庭園だった。色とりどりの花で彩られた、美しい庭園。そのほとんどは名前も知らないけど、見ているだけで心が和む。

 散歩や気分転換に丁度よさそうだ。


「よいせっとぉ。……いや~、悪ぃなルシス。国民のお願いとか聞いてたらすっかり遅くなっちまった。怪我とかしてねぇ?」


 抱えていた俺を石畳に降ろすと、当たり前のようにこちらの身を心配してきた。

 ……本気で、心配しているようだった。


「どこも怪我してないです。わざわざ、ありがとうございました」

「そうかそうか、そりゃ良かった!あぁ、よかったぜ!!」


 俺が怪我をしていたら、こいつはどう動いただろうか。考えるだけで体が震えた。


「だいぶ遅くなっちまったなぁ。明日は早いし、今日はもう寝ろよ?。そこの扉から出て……」


 道順を何度か繰り返してもらい、なんとか覚える。

 城なのだから当然だが、無駄に広い。ここに住んでいる人たちは全ての部屋を識別できるのだろうか。そもそも掃除は誰が……?


「じゃっ、ここでお別れだ。俺はもう少し、ここで酔いを覚ましてくからよ」

「はい。今日はありがとうございました」


「なにもしてねぇよ」と笑うイラニクスに一礼して、教わった通りに廊下を進んでいく。


 静かな廊下には俺しかいないらしく、人の気配も、物音もしない。俺の歩く音だけが、廊下の壁に反響して、消えていく。


 庭園から、イラニクスから離れるにつれて、故郷での騒がしかった日々が脳裏を掠める。

餓鬼共の遠吠え亭(ブラット・ウルラトス)」ではなんとか耐えることができたが、もう限界だった。


「……くそっ!」


 立ち止まって、廊下の壁を思いっきり殴りつける。鈍い音がしただけで、もちろん壁は破壊されない。思い切り叫んだはずなのに、声は反響もしないで闇の中に消えていく。


 力が足りない。知識が足りない。人脈が足りない。

 なにもかも、足りない。

 分かっていたはずなのに、改めて現実を叩き付けられたことで、一層悔しさと焦りが募る。


餓鬼共の遠吠え亭(ブラット・ウルラトス)」であいつが酒場の人たちを断罪しようとしたとき、俺は一ミリも動けなかった。

 怖くて、怖くて堪らなかった。

 今の俺ではイラニクスを殺すことなんて、夢を見るより難しい。だが逆に、イラニクスが俺を殺すことは赤子の手をひねるより容易い。

 あいつがまた罪なき人々を殺そうとしても、俺には止める手段がない。


(ここにいる誰よりも、何よりも。強く、強く、強くならないといけないんだ。あの七人に復讐を、断罪を、報いを受けさせるためには……)


 部屋にたどり着いてすぐに服を脱ぎ棄て、軽く水浴びをしてベッドに潜り込む。

 大きくて豪華な、冷たく静かな部屋の中で、できる限り小さく丸まった。

 大切な記憶と温もりが、零れてしまわないように、小さく、小さく……。


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