赤い花と雨
燃えている。燃えている。燃えている。
少年の故郷が赤々と、冷たい炎の中で燃えている。
リコリスのような赤い炎を噴き出す、木造の家屋。それはつい先刻まで笑い合っていた、少年の友人宅。
少し遠くで異臭を放つ奇妙な形をした黒い塊は、いつも自分たちにお菓子をくれた、隣のおばさん。
短く断続的に響く悲鳴は、昨日出産を終えたばかりのお姉さん。そしてその腕の中ではきっと、生まれたばかりの命が、短すぎる命の終わりを待っている――。
「お願い、やめて……やめて、ください……」
声は誰にも届かない。少年の傍には少年と同年代の少女と、少年を抑えつける男が一人。少年の嘆願に、2人は反応することはない。少年の嘆願は虚しく世界の中に解けて消えていく。
それを理解していてもなお、少年は泣きながら嘆願を続ける。
「なにも……なにも、悪いことなんてしていないのに……!なぜ、こんなことを!?」
絞り出した声は、怯え、震えて情けなく。
炎で赤く照らされた顔はゆっくりと、憎悪で歪んでいった。
その呟きに少年を抑えつけていた男が、
「なぜ、と問うか。罪を犯していない、と言うか。
そうじゃろうのぅ。我もこの村のことは風の便りで聞いておったよ。戦争上がりの盗賊職の者が『義賊』と名乗り、善を成していると。
職の在り方を変えんと『神』へ挑むその姿勢、大いに気に入っておった」
老人のような口調で、感慨深げにそう答えた。
感心したとでも言いたげな口ぶりだか、村で破壊と殺戮の限りを尽くしているのは、この男の仲間だ。
なぜ、なぜだ。どうして。
どうしてラトロー村だった?どうして神託の日だった?
疑問と怒りが同時に込み上げて、爆発する。
「ならなぜっ、こんなこと!!」
「命令だからじゃよ。それ以外に何がある?」
「……っ!!」
命令。男が告げた事実が、少年の頭の中で反芻される。
誰からの、どんな莫迦げた命令で、平和だったこの村を殲滅するというのか。罪もない村人を皆殺しにするのか。自分の故郷を奪うのか。そんな権利が誰にあるというのか。
「……ふざけるなあぁぁぁ!!」
少年の咆哮が、山の中に木霊することなく消える。暴れる少年を男は眉一つ動かさず、変わらぬ姿勢で抑え続ける。
煩わしいとも思われていない。男にとって少年の全力の抵抗は、赤子の手を捻るよりも簡単なものなのだろう。
ずっと、ずっと、ずっと。
少年と会話をしていても、少年が叫んでも。その視線は目の前の惨状に向けられたまま動くことはない。少年に向けられることは一度もない。男の関心は、ずっと村の中。もっと正確に言えば村の中で殺戮を続ける襲撃者、男以外の6人へと。
「……っ、……」
泣き声が聞こえた。
怒りに我を忘れかけていた少年は、それで少しの冷静さを取り戻した。
少年の横で少女が声を押し殺して泣いていた。ただ叫ぶことしかできない少年と同じように、少女もまた、この場で泣くことしかできない。この惨劇を前にして2人が強く痛感し共感するのは、己の無力さだった。
震える少女に、少年は何もできない。いつかのように、手を差し伸べることもできない。
「アイヴィ……」
少女の名前を呼んで、微かに動かせる指先で触れることしか、少年にできることはなかった。
「……ふむ、終わりかのぉ」
男が呟くのと同時に、少年たちの目の前に誰かが乱暴に放り出される。
他の村人に比べれば少しだけ質の良い服を着た男。この村の長、ネブラ・ラトロー。少年の養父が、左腕と左目を失った状態で目の前の地面に投げ出された。体中いたる箇所から出血しているようで、布切れ同然になった上着は養父の地で真っ赤に染まり、地面にはすでに赤い水たまりができつつある。
「とうさん……!」
「ル、ルシス……アイヴィも……あぁ、よかった。お前たちだけども、生きていて……」
「黙れよ盗人の長。貴様に他人の命を思いやる資格はない」
「あ、ぐぁ。あぁぁああぁぁっ!!!」
「やめろ、やめろよ!!死んじゃう、とうさんが死んじゃう!!」
「そんな顔をするなよ、ルシス。大丈夫だから、な?まるで、そう……オレが悪者みたいじゃないか。大丈夫だ、本物の悪はほら!!オレがすぐにでも!!!殺してやるからよォ!!」
重装の鎧を着た男が、少年――ルシスに笑顔で語りかけ、その笑顔のまま養父の右腕を踏み潰した。ゴキッ、と嫌な音がして、弱々しく動いていた右腕は、ついに動かなくなってしまった。
重装鎧の男は悲痛な叫び声をあげるルシスに、同情と哀れみの混じる視線を向けた後、痛みに叫び続ける養父には汚物を見るような、憎悪の籠る視線を向ける。
「ちぃっ、五月蠅ぇな……」
「貴方が踏み折ったからでしょ~。あぁもぅ、こっちまで嫌な気分になるし耳障り~。汚い声ね~、早く殺してくれない~?」
可憐な妖精の少女が、小さな手で耳を塞ぎ五月蠅そうに顔を歪めて、重装鎧の男を非難する。
「グラに賛成ぃ。き~も~いぃ~。早く殺しちゃってよぉ」
「ね~?ね~?早く早く~、無様な死に様を見せて~」
空から音もなく、天使のような少女がフワリと舞い降りて、妖精の少女に賛同する。双方の可憐な顔が、悪辣に歪んでいた。
「己は帰ル。大した強者もいないのなら、もうここにいル意味はない」
暗闇から音もなく現れた屈強な獣人の男が、血に染まった身体を拭うこともなく、面倒そうに言葉を吐き捨て、村を去ろうとする。
「駄目ですよスぺルビー。命令では全員で、生きた『勇者』と仲間となる『レンジャー』の少女を国へ連れて帰ることになっています。貴方がいなくては命令違反となります」
獣人の行く手を、樹人の男が蔦で遮る。
獣人の男は、やはり面倒そうに顔を顰めて舌打ちをすると、近くの木の根元へ腰を下ろした。
「終わッたラ起こせ、寝ル」
「まぁ、役割も終えたでしょうからいいですよ……おや、ルーリアはどうしたのです。あなた達は一緒に行動していたはずでは?」
「あの女は、吸い足リないとか言ッて残ッてル」
「はぁ……彼女の食欲には尊敬の念が浮かびますね。
……とはいえすぐに出発するのですから、呼びに行かなくては。ティアテネル、申し訳ないのですが呼びに行ってくれますか?帰還する、と」
「えぇ~ボクゥ?……ふふっ、いいよ、行ってあげる。クソ面倒くさいけどねぇ。クソ雑魚樹人のために働いてあげるよぉ!」
輝かんばかりの笑顔で悪態を吐きながら、ティアテネルと呼ばれた少女は再び宙を舞い、村の中へ消えていった。
それを見送った後、重装鎧の男が再び口を開いた。
「『勇者』を攫い我が物にしようと企んだ重罪、命をもって償ってもらうぞ、罪人」
「攫った……!?そんなわけないだろ!!とうさんがそんなことするわけない!!親のいない俺とアイヴィを育ててくれたのはとうさんだぞ!!」
間違いを指摘するルシスに対して、重装鎧の男が再び顔を向ける。
その瞳にはやはり、同情と哀れみが浮かんでいる。先程から感じる違和感が、ルシスの中で渦巻き、形を得ようとする。しかしその前に、男がルシスに早口で告げる。
「それは嘘だ。嘘嘘嘘嘘、全て嘘。
汚い罪人が吐いた醜い嘘だ。お前は知らなかったかもしれないが、こいつらの『職業』は盗賊だ。盗賊は、悪だ。そうだろ?」
「確かにほとんどはそうだ!でもとうさんは、この村の人たちはっ!」
「いいやこいつらは悪だ。あの人がそうだと定めたのならそれが絶対的な正義だ。あぁそうだそれが絶対。絶対。絶対だ。
……ルシス、お前はすごくいい奴なんだよな。こんなゴミ溜めにいた連中にさえ、自分をこき使った奴らでさえ、そうやって庇ってやれるんだ。
お前みたいな優しい奴が勇者をしてくれるのであれば、その時点でこの世は救われたも同然だ。
だから、なぁ?今は我慢しようぜ。……ゴミ蟲に育てられたからと、嘆く必要はどこにもない。ただ一つの絶対的な未来、世界の救済だけを目指せばいい。だからそう怒るなって!!なぁ!!?」
「は?何を言って……」
「イラニクス」
老人口調の男が苛立ちを感じさせる口調で、興奮気味な、イラニクスと呼ばれた重装鎧の男を諫める。その言葉に、僅かな殺気を含めて。
「イラニクス、遅い。疾く殺せ。無駄話をするな」
無意識なのか、僅かに漏れ出る殺気がルシスに触れた。ルシスの視界がぐにゃりと捻じれて曲がり、世界が灰色に包まれる。
黒でも白でもない、ただの灰色。どちらにも染まれない色に支配された空間の中で、自分が唯独りであることが強調される恐怖。精神が侵され、ひび割れ、壊されていく虚無の感覚。
自分の身体でさえ、それ以前に存在さえも、あやふやになって、世界に溶けて意識さえ蕩けてしまいそうになる。
あと少し。そうなる前に、視界が正常な働きを取り戻す。世界が鮮やかさを取り戻す。悪夢から目覚めたような感覚と似たものをルシスは感じていたが、目覚めた先もまた悪夢であることに変わりない。周りに見えるのは変わらず、炎と鮮血に染まった赤色だけだ。
ふとルシスが上へ視線を向ければ、全身から汗を噴き出し荒い呼吸を繰り返すルシスへ、老人口調の男が、まるで心配しているような視線をこちらへ向けていた。
唐突にあの狂気の世界が終わったのは、ルシスの様子が変わったことに気付いたからだろうか。どれほどの時間、あの世界にいたのだろう。
間違いないのは、あの殺気を浴び続けてていれば気が狂い、自我を喪失しただろうこと。
それだけは避けなければならなった。
約束が、守れなくなる。
それだけは、絶対に避けなければならない。
ルシスが戻ってきたのを確認して満足したのか、老人口調の男は再びイラニクスへ声をかける。
「……ティーが帰ってきたと思ぅたら、また行ってしもうたしのぅ。暇で仕方がないのじゃ、はよぅ終わらせよ」
「はいはい。爺さん怒らせたら怖え~からな、ルシスも今後は気を付けたほうがいいぜ?
……さて、罪人にゃもったいないが、スパッと一撃で終わらせてやるよ」
老人口調の男の言い訳のような言葉に、イラニクスはため息を吐きつつ、地面に突き刺していた身の丈以上の大剣を引き抜き、ソレを軽々と、まるで軽業をみせるようにぐるりと回転させ、片腕で頭上へ振り上げ静止する。
(あんな大剣を軽々と……。これが、『職業』の恩恵なのか……?
だったら俺にも、俺にも今目の前の命を、家族を、助ける力を……!何も守れずに、見ることしかできないなんて嫌だ!!それでなにが『勇者』だ!!)
ルシスは世界へ祈りを捧げる。子供のように一生懸命、大人の都合を捻じ曲げるため、強く、強く、強く。
しかしその祈りは届かない。パチパチと弾けては消えていく火の粉と共に、天上へと消えていく。それが分かる。目の前に表示される。
『スキル「??」は受理されませんでした。』
「はっ……?」
『スキル「??」 レベルアップ
「魂の閲覧」を獲得しました』
『常時発動スキル:??:魂の閲覧』
ルシスの驚きに、誰も興味を向けることはなかった。その場全員の視線と興味は、今まさに殺されようとしている男に注がれているからだ。
そのほぼ全員から、黒い靄のようなものが滲み出ているのがみえる。。
奇妙な文字が目の前に表示されるのと同時に人の心臓、胸のあたりから漏れ出る黒い靄。あれはいったいなんなのか。
考えをまとめる前に、イラニクスが大剣を振り上げた態勢のまま、心底から面倒そうに養父へ声をかける。
「……あぁそうだ、あんたに伝言があるんだった。それで嫌々最後に残してたんだったなぁ」
「……」
養父はもう、虫の息で死を待つばかりだった。呼吸は短く荒く。体中から流れる血は止まらない。
視線はずっと、ルシスとアイヴィへ。我が子を慈しむ父親の瞳で。
養父からは橙色の靄が出ている。靄は優しく、ルシスとアイヴィを守るように2人の周囲を漂う。温かな気持ちが靄から伝わってくる。
(この靄は……、感情、なのか?それが形を持っている?なら、あの黒い靄は……)
黒い靄はイラニクスの振り上げた剣にも絡みつき、僅かに脈打っているように見えた。次第にその脈動は強く、大きくなる。
「『時は満ちた。今、誓いを果たそう、旧友よ』だそうだ」
「……!!」
「ハッ!!痛み入るなぁ!!?かつての戦友とはいえ、罪人に成り果てた男に言葉を向けてくれるとはよぉ!!」
イラニクスは楽しそうな言葉・口調とは裏腹に、その顔を嫌悪に歪ませて笑いながら、養父に向けて唾を飛ばす。大剣の柄を、血が噴き出るほど握る。飛び出した血に呼応するように、黒い靄はさらに強く、強く、脈を打つように。生き物のように、強く、強く、強く。呪いのように、繰り返し、繰り返し、素早く。それを理解しているように、イラニクスの顔は更に歪む。
異常な姿に、ルシスは言葉を吐き捨てることもできなかった。この男は養父に憎悪の感情しか抱いていない。今日初めてあっただけのはずの養父を、なぜこれほどまで憎むことができるのか、理解ができない。
「そう、か……そうか……まだ、旧友と呼んでくれる、か。ハハッ……生きたかいが、あったな……」
「とうさん……?」
「すまない……すまない、ルシス、アイヴィ……」
謝罪を繰り返す養父から出る靄が、橙色から深い青色に変化する。そう思えば、灰色へと姿を変える。様々な感情が入交じったような、複雑な色が、養父の周囲を取り囲んでいた。
「あい」
「死ね罪人」
イラニクスはあっけなく大剣を振り下ろし、寸分の狂いもなく、養父の首へ吸い込まれるように落ちていく。
養父の首は容易く斬り落とされた。断面から噴き出す新鮮で温かな血が、ルシスとアイヴィに降り注ぐ。
堪え切れずに声を出して泣き叫ぶアイヴィの横で、ルシスはただ茫然と、目の前に転がる養父の頭を見ることしかできなかった。
「職業:【勇者】を襲名しました。職業スキルを獲得しました。
スキル:『感情変換』、『生存本能』、『アイテム生成』、『表示』、
『生物対話』、『幸運』、『直感』、『人心掌握』を獲得。
初期目標:レベルアップ、仲間の募集
最終目標:世界の救済、魔王の討伐」
「隠し職業:【復讐者】を獲得しました。
スキル:復讐の炎を獲得
目標:復讐対象の殺害
代償:―――――失」
登場人物とステータス
ルシス・ラトロー Lv:16 MJ:勇者/復讐者 SJ:― 種:ヒト
HP:23/28 MP:18/18 ML:20/30
ATK:15 DEF:14 MA:21 MD:20 STR:14
CON:8 POW:6 DEX:9 SIZ:6 LUC:30
状態異常:混乱Lv5
【装備】
村人の服
手編みの手袋
普通の靴
鉄の剣
【職業スキル】
勇者:Lv2
生存本能:Lv5、アイテム生成:Lv1、表示:Lv1、
生物対話:Lv5、幸運:Lv5、直感:Lv5、人心掌握:Lv5
??:Lv2
感情変換:Lv1、??:?の閲覧
復讐者:Lv1
復讐の炎:Lv1
【後天スキル】
狩猟:Lv3、解体:Lv2、料理:Lv4、交渉:Lv2、剣術:Lv2
スキルは突然増えたり減ったり改名する可能性があります。