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いったい何を塗り付けた

 瞼が重い。……というより開かない。

 耳鳴りさえしない。


 当たり前だ、俺は石にされた。


 バジリスク。石化能力を持つSSランクモンスター。亀の下半身から八本もの足を生やし、大蛇の上半身を持つ、見上げるほどの巨体を誇る化け物だ。常に鎌首を持ち上げ、人間の駆け足程度の速度で移動する。

 この情報は、物陰から奴の姿を目撃した冒険者がギルドに持ち帰ったものだ。その冒険者は、仲間の一人を石にされ、泣きながらギルドへ駆け込んだとのことだ。


 まてよ。瞼が開かなくなる直前、奴の姿をこの目に焼き付けた。

 確かに蛇の上半身を持つ巨大モンスターだが、下半身は巨大な鶏か駝鳥のように見えた。奴の背には羽らしきものがあったし、頭部には雄鶏に似た鶏冠が。冒険者が持ち帰った情報とはかなり違うぞ。

 ということは、コカトリスなのかも知れないな。コカトリスも巨大なSSランクモンスターだ。俺が所属するギルドには目撃報告がないが、他所のギルドから流れてきた噂によるとバジリスク同様の能力を持つという。

 ならばこの地に、バジリスクだけでなくコカトリスらしき魔獣まで現れたということか。SSランクが同時に二体も、俺たちの街から野宿一泊程度で移動できるこの場所に。

 街が危ない。奴らがこの地に大人しく留まっているという保証はないからな。ギルドに報告したいが、生憎この足も動かなければ口さえ動かない。


 いや、もうどうでもいい。

 俺はそいつに負けたのだ。

 魔王の奴に指一本触れることなく。

 それどころか、魔王の姿さえ見ることなく。


 ああ、そうだ。

 俺は勇者じゃない。

 勇者になりたくて血反吐を吐くほど努力したのに届かなかった。

 健康な二十歳の男としてそれなりに身体ができて。そんな俺を圧倒する体躯を誇るオーガを三体、単独で瞬殺できるようになって。

 だが、世界は広かった。俺は大海を知らぬ、井の中の蛙に過ぎなかった。


 息苦しさは感じない。


 もしかしたらもう、死んでしまったのか。

 死んだらすぐに完全な無になるかと思ったが、まだ考え事をする程度の猶予がある、ということか――いや、まてよ。

 もしかしたらまだ、死ねない状態なのではなかろうか。

 やがて精神が変質し、ゾンビにでもなってしまうのではあるまいか。

 それはないな。今の俺はただの石だ。石がゾンビになるなんて聞いたことがない。尤も、石が考え事をするなんてこと自体、昨日までの自分は思いもしなかったのだけれど。

 俺はいつまでこうして自我を保ったまま、孤独に考え事を続けることになるのだろう。


 もう戦えない。


 その認識が、負けた悔しさそのものよりも、孤独の苦しみよりもずっと辛い。俺は勇者になれなかったどころか、勇者の従者にさえもなれなかった。

 消えてなくなることができないのなら、発狂して自分が何だったのかさえわからなくなってしまえばよい。しかし、それさえできない。

 石にされた時、精神まで石化されたとでも言うのか。

 いっそのこと、粉々に砕いてくれればよかったのだ。そうならなかった以上、何もできない状態で延々と考え事を続けるしかないではないか。

 ――なるほど。そういう呪いか。


 こんな風に、精神ごと石化される前にこのことを知っていたら、コカトリスへの恐怖心はもっと大きなものになっていたことだろう。奴と戦うにしても、ずっと慎重に作戦を練って挑んだことだろう。

 いずれにしても、後の祭りだ。

 だがまあ、石化された精神が後悔一色で塗り潰されているわけではないのが救いだ。


 少なくとも、あのエルフの女の子。放っておけば、いずれコカトリスに見つかっていたはずだ。

 そして、最後に聞こえてきた複数の声。きっと、女の子の保護者や仲間にあたるエルフたちに違いない。

 家族を魔王軍に殺されて以来、ずっと一人だった俺とは違うな。

 ……いや。今ならわかる。こんな風にいじけていたから仲間を作れなかっただけなんだ、と。仲間に頼ることのできる幸せを、軟弱だなどと揶揄してそっぽを向いてきただけなんだ、と。

 生まれ変われるのなら、今度は仲間を作ろう。たくさん作ろう。

 ちくしょう、石化の呪いが憎いぜ。

 俺は石にされたまま、未来永劫考え事を続けなきゃならんの――いだだだだ!?




 泥沼の底に沈んだような眠り、というか。

 今たぶん、俺は失神していた。

 なんだ、石になっても気絶することがあるのか。




 いでででで!?


 ちくしょう、またあの激痛かよ!

 何が起きてるんだ。

 この石の体が爆発でもするってのか……。




 破裂した。

 沸騰し、蒸発した。

 何もかも粉々になった――はずなのに。

 絶叫の声も出ない。そもそも、俺の体に喉などという部位が残っているとは思えない。

 腕も足も肩も腰も胃も腸も肺も心臓も。

 何もかも破裂して。




 また意識が飛んだ。

 そして再び繰り返される、激痛の嵐。


(心配は要らぬ。我が孫を救ってくれたのだ。必ず五体満足に戻してみせる)


 あるのかどうかわからない俺の耳に、そんな声が聞こえてきた。

 いや、頭の中に直接だ。噂に聞く「思念会話」というやつだろうか。


(そう、それじゃ。お主の頭に直接話しかけておる。どうやら意識はあるようじゃな。ならば我が秘術、必ずやお主を甦らせるぞ)


 痛みが随分引いてきた。それでも激痛と呼ぶべき感覚に全身を苛まれている。それは変わらないが、俺を治療してくれているらしき人物がいる。そのことに気付く程度の余裕は出てきたようだ。


(それにしても驚くべき生命力じゃ。あれだけ部位欠損が激しかったというのに)


 部位欠損だと。手足が無くなったとか、か。それじゃ、たとえ命が助かっても二度と戦えないんじゃ――


(安心せい。必ずや五体満足に戻して見せる)


 孫、と言ったか。俺、この声の主の孫とどこかで知り合っていたんだろうか。


(お主のおかげで、孫はコカトリスに石化の呪いを受けずに済んだのじゃ。だからお主の受けた呪い、このわしが解いてやる)


 ありがたい。信用して身を任せるぞご老体。

 安心したら、少しずつ体の感覚が戻ってきた。

 おお! 本当に石化の呪いから解放されるのか。長いこと呼吸してなかったような気がするんだが、生き返れるんだな。なんとなく、まだ死んではいなかったような気もするんだが。


 そこからは早かった。

 どんどん体の感覚が鋭敏になってゆく。

 これはあれか。

 ご老体にマッサージしてもらっているだけかと思ったが、泥とスライムの中間のような触感のものを俺の体に塗り付けているんだな。


(ふむ。回復力も抜群だな。勇者の素質があるのかもしれん)


 嬉しいことを言ってくれるじゃないか。

 思わず礼を言いたくなったが、まだ声は出ないな。


 ――んっ。


 ご老体、少し、何というか。治療してもらっている身で贅沢を言えないことは百も承知だが。

 くすぐったいというか。


 ――ふぐっ。


 しびれるというか。


(無理もないことじゃが……我慢せい。お主の体を石の中から無理やり引きずり出したでな。皮膚ははがれ、四肢のあちこちは壊死し、それはもう散々じゃった)


 うええ。

 伝わる言葉は気持ち悪いが、今俺の全身を駆け巡るこれは……


(快感じゃろ。遠慮はいらん、その過程を経てお主は五体満足の体に戻る。ここにはわししかおらぬでな。その快感に思う様身を委ねるがよい)


 好意で言ってもらってるとは思うんだがな、なんというか……。エロい言い方にしかきこえんぞ、ご老体。


 ――ふああ。こ、これは本格的に我慢が……。


「そろそろお主の耳の機能も正常化する頃合いじゃろう。わしの肉声も聞こえるはずじゃ」


 あ、ああ。聞こえる。まだ俺の方は声を出せないがな。


「マジカルスキンじゃ。元通りとまではいかぬが、お主を五体満足に戻せるマジックアイテムじゃぞ」


 く、くすぐったいのが気になるが。

 すんげえ高価なアイテムじゃないのか、それ。

 元気になっても払うあてがないぞ。


「何を言うか。孫の恩人から金をとったりするものか」


 あれは偶然というか、成り行きみたいなものだったんだがな。


「孫を見捨てて逃げれば、お主は助かったかもしれん。そうしたところで、わしらはお主を責めたりはできぬ。じゃが、お主は逃げなかった。孫に向かっていたコカトリスの注意をその身に向けてくれた。心からの感謝に値する」


 そういうことなら。

 ありがたいけど、やっぱりくすぐったいぞ。


「あひゃっ。んあっ。あ、声出た。……って、なんか高いな」


 しばらく石にされてたから、第一声はもっとこう、嗄れたような声が出るかと思ったんだが。


「まだ立ち上がるのは無理じゃろう。上半身だけなら起こせそうかね?」

「ん、くっ。まだくすぐったい感じが残ってるが、痛みはないな。だが、力が入らん」


 そうだ、さっき決意したんだ。

 独りでなんでもするのではない。頼れる仲間を作るんだ、と。

 助けてもらったついでに、もう少しだけご老体に甘えるとしよう。


「悪い、ご老体。上体を起こすのを手伝ってもらえないだろうか」

「おお、喜んで」


 手と背を支えてもらい、上体を起こした。

 瞼を開くと、こちらを覗きこむご老体と目があった。

 確かにお歳を召してはいるようだが、口調よりはずっと若々しく矍鑠とした様子のエルフがそこにいた。人間で言えば老境にさしかかる手前の中年男性というところか。

 エルフは長生きだからな。二百歳くらいだろうか。


「よくわかったのう。わしが生まれて、今年でちょうど二百年じゃ」

「うげ。そういや俺、ずっと心を読まれてたんだった」

「ほっほ。この魔法が使えるのは、わが集落ではわしだけじゃ。これをやると、エルフでさえ嫌がるでな。もう使わんよ」

「こっちがしゃべれない間は便利だったから別にいいよ。それにしてもこの声――」


 そこではらりと毛布がめくれた。


 な?


 ん?


 だ?


 視線を下に落とす。

 前に戻す。

 再び下に。

 なんだよ、この膨らみ。

 恐る恐る、胸に手を当てる。

 ふに。

 わーやわらかーい。

 しかもこれ、俺んだ。


「俺の……おっぱい?」

「そうじゃが」

「いや、俺、男なんだが」

「マジカルスキンは失った欠損部位を再生してくれる優れものじゃが、たまに。たまーに」


 やめろ続きは聞きたくねえ。


「もともと無かったものを作り出すこともあるのじゃ」

「わーわー! 信じねえぞ信じねえぞ!」


 ごそごそと下の方を探る。

 さーっと血の気が引いた。


「その様子だとついてないようじゃな。というか、別のものに変わっておるのじゃろ」


 なんでだよなんなんだよ。


「完全女性化。このアイテムを人間の体に使うのはわしの長い生涯でも初めてじゃが、こんなことが起きるとはな。なかなか興味深い」

「てんめえ、じじい。俺の体に、いったい何を塗り付けたぁっ!?」


 感謝を忘れ、絶叫した。

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