第89話 親友
ボクとミナミは、闇雲に南を目指して走った。
道を行く人々がこちらを振り向く間もないほど風のように走った。
だけど、リリニアさんの所へ行くと言っても……。
水晶宮殿までは空飛ぶ船でも数日かかる距離だ。
いくら筋力強化の魔法を使えたとしても、ボクがバル様とミナミを抱えて飛んで行くのは無理がありそうだ。
王国へ来る時に乗ってきた"星乗りの韋駄天号"は城壁の外に隠してあるけど、あれを使うにしてもミナミに運転を任せられるだろうか──。
うう、どうしよう。
ロゼッタさんに言われるまま飛び出したけど、はっきり言ってノープランだ。
「マコー、ミナミー! 待ってまってー! あたしあたしー!」
後ろから聞き覚えのある声がした。
振り向くと、ぴょこぴょこと揺れる長い耳が追いかけてきている。
「コニー、どうしたの!? 大会に行ったんじゃなかったの?」
急ブレーキで立ち止まると、コニーが息急き切って合流してきた。
「はっ、はっ……。だって、闘技場でウワサになってたよー! 皇子さまと鎧のひとたちがね、ぶっそうな感じでフウメイさんの宿をめざしてったって……。あたし、いてもたってもいられなかったんだよー!」
「でも、今日はコニーにとって大事な……本戦だったでしょう?」
「んふふ、やだなー! 友達と魔素合戦大会、どっちが大事かなんて考えるまでもないでしょー!」
「コニー……」
「もう、マコったら水くさいよー。そんな顔しないのっ!」
「……ごめんね、ありがとう。来てくれて嬉しいよ。大変なことに……なっちゃってさ」
すると、コニーはようやくボクが抱えている彼に目を移した。
「あれぇ……。バルさま、どしたの? ……ねむってるの?」
「ええと、何て言ったらいいか……」
彼が今どういう状態なのか、ボク自身もよくわからない。
いや、わかりたくなかった。
魂がなくなってしまった──?
そう考えることが、口に出すことが怖かった。
避けようのない現実を直視して、認めてしまうことになりそうで。
もごもごと言い淀むボクの代わりに、ミナミが口を開いた。
「コニー、あのね、バルフラムは……ちょっと、疲れて寝ちゃった……みたいでさ」
しかし、ボクたちが黙っている数秒のうちにコニーは何かを察したようだ。
「ミナミっ! あたしのこと、コドモだとおもってるでしょ?」
「えっ……」
「ふたりの顔、みたら……あたしだって……わかるよぉっ……」
コニーはバル様に近づいて顔を覗き込み、あっという間に瞳いっぱいに涙を貯めた。
それから、今は何もなくなった彼の首筋をふかふかの手でさすった。
「……ごめん」
「あたし、ママからきいてたもん。バルさまは、獣人のためにも、モンスターや魔人さんのためにも、たくさん……たくさん戦ってたって。こういう日が、とつぜんやってくるかもしれないって……!」
ボクはコニーの涙声に感情を引きずられそうになった。
だけど、今は強がるしかない。
「コニー……、ボクはまだ諦めてないよ。リリニアさんならバル様をどうにか、い──起こしてくれるかも知れないんだ」
「……ほん、と?」
「とにかく、行こう。三人なら、あの船をどうにか操縦できるかもしれないし」
諦めてない。
そう口に出し続けないと心が折れそうだった。
決して軽いとは言えない彼の身体を抱えているだけで、どうにかなってしまいそうだった。
誰かに、頭を撫でて欲しかった。
* * * * * * *
ようやく、ダムのように高い城壁の端にある関所まで辿り着いた。
……何やら雰囲気が慌ただしい。
番兵さんたちが落ち着かない様子でひそひそと言葉を交わすのが聞こえる。
「──応援はまだか? 宮廷魔術師殿に連絡はつかないのか?」
「それがウンともスンとも……。本来、彼ならここまで一瞬で飛んでこれるはずだ。お取り込み中なのでは? だとすれば、我々だけで対処する他ない」
「ですが、あの竜は現状こちらへ危害を加えてくる様子はありませんが……。武力で追い返してよいものでしょうか……」
……竜だって?
ボクは自然と駆け足になった。
「あっ。こら君、待ちなさい! その先は危な──わ、”銀彗星”!?」
番兵さんたちは、魔素合戦大会の新聞記事で見たのか、ボクのことを知っているらしかった。
好奇の視線がこちらを追ってくる。
彼らをかき分けて歩を進めると、巨大な体躯が地面に座しているのが見えた。
乳白色の鱗を持つ……大きな竜。
翼を短く畳んで、長い首を持ち上げて静かに何かを待ち続けている。
ボクはその姿に見覚えがあった。
「──クルルルゥ!!」
竜はこちらを視界に捉えると、"見つけた"と言わんばかりに大きく嘶いた。
「シャルアロさん!?」
そう、魔王城からニアルタの街付近までボクたちを背に乗せて運んでくれたことがある竜だ。
彼のことはバル様が古い友人だと言っていた。
「うわっ、おっきな竜! マコとコニーの知り合いなの?」
「うん……。バル様の友達で、以前ボクもお世話になったんだ。どうしてこんな所まで来たんだろう」
彼は長い首をしんなりと下げてきて──ボクの両腕に抱えられたバル様に頬ずりした。
その動きはとても繊細で、そっと触れるようで。
大きな竜の頭が迫ってもボクはバランスを崩さずに済んだ。
「キュウゥゥン……。クゥゥ……ン」
言葉にならない、竜の鳴き声。
お腹をすかせた子犬のように、切なくて、甘えた声。
だけど、それが深い深い悲しみを帯びていることは誰の耳にも明らかだった。
周りの番兵さんたちも、竜の嘆きを聴いてか胸が締め付けられたような顔をしている。
その感情の前では、ヒトも動物も関係ないように思えた。
「バル様の為に来てくれたん……でしょうか。こんな……王国領の奥まで?」
「キュ、キュイッ……クゥゥン……!」
ボクの言葉を聞いたシャルアロは、急に首を持ち上げてキリッとした表情を見せた。
翼をお腹に巻きつけて、一生懸命背伸びをしている。
「え、えっと……?」
「シャルアロさん、なにかを伝えようとしているんじゃないかなー」
コニーは、彼の背伸びに合わせてぴょんぴょんと跳ねた。
「な、なにかって言っても……?」
「キュイ、キュアァ……ッ!」
──ヒュウゥ……と、彼が口から冷気を含んだ息を吹いて、小さな氷の粒が降ってきた。
表情は相変わらずキリッとしたままで、どこか顔真似をしているようにも見える。
「……あっ。もしかして"リリニアさん"じゃないー?」
首を傾げながら声をあげたのは、コニーだ。
「えぇ、まさかぁ……?」
「──キュッ!! キュイ、キュアァッ!」
シャルアロは、頷くように首を下げた。
明らかにボクたちの言葉を理解しているみたいだ。
「どうして事情を知っているかはわからないけど……。あたしたちが困っているから、来てくれたとかー?」
「ええ? そんなことある?」
ミナミは怪訝な顔をして、まだ竜を警戒しているみたいだ。
「バル様だって、離れたところにいるリリニアさんを呼び寄せていたことがあったし……。ええと、リリニアさんに言われて来てくれたのかな、シャルアロさん?」
「……クルルゥ。……っ!」
シャルアロは短く鳴き、背中を低く伏せた。
間違いなく“乗れ”と促す動きだ。
「そっか……! 連れて行ってくれるのかな。じゃあ……お願いします。シャルアロさん」
「たすかるー! シャルアロさん、またよろしくね」
コニーがぴょんと飛び乗るのに続いて、ボクはバル様を取り落とさないよう丁寧に身体を運んだ。
三人分の体重が竜の背に乗るのを、ミナミが尻込みしながら見上げている。
「うええ。の、乗るの? 乗っていいの? 大丈夫?」
「うん、ボクとコニーは一度乗っけてもらったことがあるからね」
「で、でも……。落っこちない?」
「大丈夫だよ、ミナミ。シャルアロさんの滑空の巧さは保証できるから。万が一落っこちても……ボクが救けるよ」
ミナミがおそるおそる乗り込むと、シャルアロはすぐに飛び立った。
王国の城壁があっという間に小さくなって、遠ざかっていく──。
来る時はあんなにワクワクしていたのに。
今やその街並みは、色褪せた石垣のように見えた。
* * * * * * *
シャルアロが飛ぶスピードは、空飛ぶ帆船よりもずっと速かった。
乗り心地は……比較にならないけど。
魔法で風のバリアを張って対策すれば、辛うじて問題は無い。
南の空には、細長い塔のような建造物がそびえ立っているのが薄っすらと見える。
一度だけ、間近で見た天弓の祭壇だ。
ボクがあれを起動すれば、三角大陸に膨大な魔素をもたらすだなんて……今でも信じられない。
……流れて行く景色を見ながら、ボクはここまでの旅に思いを馳せた。
魔王城から北を目指して飛び立った日は、まさかこんな事になるなんて夢にも思わなかった。
あの頃は、ボクのツノはまだ短くて。
男の子に戻る方法、元の世界に帰る方法を探してた。
バル様に対しては、いきなり求婚してくる変な人だと思ってた。
彼のことを好きになるなんて、考えもしなかった。
いまのボクは、あの頃とは比べられないほど……女の子になった。
夢魔の衝動と向き合うことも覚えた。
魔法の扱いも、ずいぶん上手になれた。
全てとは言わないけど、あなたが居たからだったのに。
やっとボクは自分を好きになることができたのに──。
あんなに暖かかったバル様の身体は、徐々に冷たくなってきている。
彼の部屋で、そのぬくもりを感じた昨日の事が、今でも鮮明に思い出せるのに。
リリニアさんに会えたら、本当に彼は息を吹き返す?
もし、ダメだったら?
彼の魂のない"抜け殻"を眺めるほど、涙が溢れてくる。
彼が再び目を開けない限り、どうやっても喪失感を拭い去れない。
「マコ、だいじょうぶ? あたしにできることがあったら、言ってよ。そのために来たんだからね」
「……コニー。ごめんね、暗くしちゃって」
「ちがうよ、マコは暗くない! きじょうにふるまってる!」
「そ、そう? でも……」
小刻みに震えていたボクの腕を、ミナミが強く掴んだ。
「ねぇ、マコ! こいつの魂を取り戻すんでしょ? 絶対に取り戻すんでしょ? たとえリリニアさんで無理だったとして、そしたら諦めるの?」
「……やだよ、そんなの! ボクは諦めないよ。諦めちゃだめなんだ、何があっても」
「じゃあ、そんな顔しないで。今やるべきことに向かって進んでるなら、落ち込んでる場合じゃないはずでしょ。ほら、言って。ぼくはバルさまを取り戻すぞ、って」
「ボクは──」
そこまで言って、ふと気がついた。
ミナミの目尻が乱暴に擦ったみたいに赤く腫れているのを。
「どうしたの?」
「ミナミは、ええと。それでいいの?」
「……なにがよ」
トゲのある口調だった。
何か納得いかないことがあるみたいに。
「もしも、バル様が──」
──戻って来なかったら。
ボクは口に出そうとして、やめた。
そんなことは絶対あってはならない。
だけど、そうなったら……ミナミは。
彼女の考えを聞くのが怖かった。彼女がどうしたいのか。どうなりたいのか。
ミナミは、親友だから。
親友だけど。
ボクは彼女に甘え過ぎている。
この世界にまでボクを追いかけて来てくれた彼女に、いったい何を返せるだろう。
「──ううん。なんでもないよ」
「マコ。それは、なんでもなくない顔だよね?」
ミナミは頰を膨らませて、いっそう強くボクの腕を掴んだ。
痛いくらいに、胸の内の気持ちまで握りしめるように。
「……ミナミは、さ」
「うん?」
「諦めたくないって思った時、どうしてる?」
「わたしは……。挫けそうになっても、最後はきっとうまくいくって思うようにしてるよ」
「そっか。強いね、ミナミは」
「だって、わたしは勇者だもん。物語の結末はハッピーエンドって決まってるでしょ」
ミナミは無理やり口角を上げて笑い顔を作った。
「ミナミが"勇者"なら、"魔王"はバル様なの?」
「バルフラム? こいつは──」
「……」
ボクとミナミは、横たわるバル様の顔に視線を落とした。
その表情は安らかで、眠っているかのように見える。
「──"仲間"だよ。早くパーティに復帰してもらわないと、困っちゃうな」
「そっか。……ボクたちって、どこを目指してるパーティなんだろうね」
「……壁のない世界、かな」
ミナミは首を振って、進行方向にそびえる天弓の祭壇を睨みつけた。
その凛々しい眼差しは、まさしく本物の勇者のようにも見えた。
次回「第90話 慟哭と光明」は10/14更新予定です。




