第85話 尸山に立つ王
旅館・宵星の門の外。
いつもなら、自ら生垣の手入れをするフウメイさんと、顔なじみの獣人さんや近所の子供たちが挨拶を交わす光景が見られる時間だ。
周辺は、何かを察知したかのように異様な静けさに包まれている。
うっすらと霧が立ち込めて、ひんやりと張り詰めた空気。
思わず身震いしてしまうのは、肌寒さからか、それとも緊張からか──。
バル様は腕を組んで仁王立ちで待ち構えた。
ボクは彼のすぐ隣に立ち、ミナミは背後に控えている。
それから、まもなく。
「……お出ましかァ」
彼の声と同時に、すうっと霧の奥から浮き上がるように人間の一団が現れた。
先頭のすらりと華奢なシルエットは、ノージェさん。
その後ろには老魔術師のヘイムダールさんと、護衛の騎士ジュリアスの姿がある。
更には、何十人もの鎧に身を包んだ兵士たちが脇を固めて、通りの端から端まで埋めつくさんばかりだ。
「……やあ、ごきげんよう。私を待っていてくれたのかな」
ノージェさんの第一声は、相変わらず凛としてよく通る。
静けさも相まって、辺り一帯に響き渡るようだ。
「獣人が多く住む西地区まで皇子自ら足を運ぶとは、なかなか見上げたものだなァ」
バル様は腕を組んだまま微動だにせず睨み返した。
ノージェさんの背後の兵士たちは主から一定の距離を置いて、近づいてこようとしない。
その光景に、ボクはまさに”見えない壁”を感じた。
「ハハ。恐れ入るよ。そちらこそ魔王城からはるばる来てくれているじゃないか」
「俺は別にオマエの為に来てるわけじゃァない。お忍びというやつだ。オマエと違って兵を物々しく連れ歩いたりする必要もない」
「私は護衛など不要だと言ったのだけどね。皆がどうしても言うから、私としても無下にするわけにはいかないのさ」
後ろの兵士たちの表情は固く、緊張と警戒の一色だ。
今にも魔法の弾丸が飛んでくるのではないかと、こちらを恐れている。
ボクは意を決して、一歩前に進み出た。
「……ノージェさん。先日は挨拶もせず帰ってしまい、すみませんでした」
「はは、気にすることはないさ。私の持て成しはお気に召さなかったのかい、マコくん」
ノージェさんは涼しげな顔だ。全てが自分の計算通りに回っているとでも言わんばかりに。
ペースに巻き込まれないよう、息を整えなければ──。
「不安になったんです。もしも話し合っても分かり合えなかったらと思うと……。枷をつけられて、言いなりにされちゃうんじゃないかって」
「……はは。キミは聡い子だね」
「ひとつ、聞かせてください。どうしてあの時、ボクを部屋に閉じ込めたんですか?」
「どうか誤解しないでほしい。王族たちは一枚岩ではない。私が魔人を匿っていると報せを受けたら、過激な輩がキミに危害を加えに来ないとも限らなかったんだ。大きな魔力はそれだけで人間を恐怖させるからね」
「そうだったん、ですか……?」
隣でバル様が灰色の煙を吐いた。
「騙されるなマコ、欺瞞だ。あの屋敷内の気配はそう多くはなかった。コイツは相手をやりこめようと、あたかもそれらしい事を次々でっち上げているに過ぎない」
「えっ、えっ。そうなんです……?」
ボクはきょろきょろと首を振って、必死に二人を観察した。
「人聞きの悪いことを言うのはよしておくれよ。私がそんなことをする人間に見えるのかい?」
「目を見ればわかる。ノージェ、オマエは……嘘に嘘を塗り固めた、虚像のような人間だ」
──ざわ、ざわ……。
兵士たちの中に、かすかにどよめきが広がった。
迷いと疑念。こちらへの警戒心が方向を見失いはじめている。
側近の老魔術師と騎士だけは、緊張を崩していない。
「……ハハハッ。何を言い出すかと思えば、バルフラムさん。貴方もリリニアさんと同じなんだね。他人の瞳を覗いただけで何でもわかった気になってしまうようだ。実に哀しいよ」
バル様の口から吐かれる煙の色は、だんだんと濃くなっていった。
「失い、別れ、裏切り……俺はこれまで多くの悲しみを押し付けられた。……もう沢山だ。他者に期待を抱くくらいならば、最初から関わらないほうが幾分マシというものだ」
──つうっ……。
ノージェさんの頬をつたい、ひとすじの涙が流れた。
「ああ、哀しいなあ──。本当は優しいお人なんだね、バルフラムさん」
「……あァ?」
ボクは目を疑った。
こちらを見つめる皇子の瞳の色は、石のように冷たく閉ざされて、その奥を読み取ることができない。
「我々は、何ひとつ失わずに前に進むことなど不可能だ。……新たな時代を拓く為に。新たな価値観へ辿り着く為に。”犠牲”なくしては、何も成し得ない。貴方はそれに耐えることができなかったんだね」
「……オマエの独善を押し付けるな! 犠牲だと? そんなモノを払うくらいなら、新たな時代など要らん!」
皇子の背後で、ヘイムダールさんがハッとして顔をあげた。
目を見開いて、視線を自らの主君からバル様へと移している。
ノージェさんはなおも怯まず、超然と言い立てた。
「貴方はそれでいいのかもしれない。だが、多くの国民を抱える私にとっては違う。……誰かが決断しなければならない。痛みを伴う変化だとしても、私が成し遂げなければならないんだ」
瞬間、確信した。
ノージェさんは、たしかに立派かもしれない。
ある集団から見れば、崇高で、正しい。
だけど、ボクは声なき声を知っている。
ずっと大陸の端で苦しみ続けてきた、彼のことを。
「ノージェさん、聞いてください……! あなたが言う”痛み”は、きっと人間の尺度で測ったものです。この気持ちを本当に理解するには……魔人の立場になるしかありません」
「……マコくん。そんな事は不可能だ。だからこそ我々は、言葉を交わすんじゃないか。遠巻きに瞳の色を伺っているだけじゃあ、わかりあうことなんて永遠にできないよ」
「だとしても、あなたは一国の皇子です。あなたの頼みを断れる国民なんて、そうはいないでしょう。……ボクは、試合の最中に闘技場から避難していった人たちを見て思いました。彼らに、ボクたち魔人と仲良くしてくれなんて……無理にお願いすることなんて……したくないって」
そう言いながらも、ボクの声はだんだんと涙で掠れていった。
泣いちゃだめだ。気持ちで負けてはいけない──!
「マコくん、キミの苦しみは最もなことだと思うよ。国民たちは……今は理解できなくとも、いずれは分かってくれるだろう。納得してもらうのは後からだっていい」
「ボクは、そんなのイヤです! みんなが納得できないまま、事を前に進めるなんて。それに何か、不吉な予感がするんです。申し訳ないですが、天弓の祭壇の起動は……お断りします」
一瞬の、沈黙。
「……そうか。残念だよ」
不気味な笑いだった。
ノージェさんは、その言葉とは裏腹に口角を吊り上げている。
異質な雰囲気を感じ取り、バル様と老魔術師が同時にピクリと反応した。
目の前に立っているのは、人間のはずだ。
男性とも女性ともつかない神秘的な人だけど……あくまでもヒトである。
しかし、そこに居る気配が、急に恐ろしい怪物の如く膨れあがっていく──。
「ノージェさん……?」
「──ああ、痛いよ。心が痛い。そう──キミの言う通り。我々が話し合って解決できる問題なら、そうするべきだった。……けれども。納得できずとも進まねばならないこともある。それが王としての責務だ。……ああ、ああ。痛恨の、極みだ……」
その瞳からは、ぼたぼたと涙が溢れている。
それとは逆に、口元は仮面を貼り付けたように笑っている。
路地に満ちた霧が、バル様が吐く黒い煙を巻き込みながらノージェさんのほうへ吸い込まれていった。
「フン、話し合いとは笑わせる。結局オマエは、オマエの望む結論へ俺たちを誘導しようとしただけだったなァ」
「……返す言葉もないよ、バルフラムさん。”したたかさも身につけなければ一国の王なんて務まらない”……全くその通りさ。綺麗事だけではままならない事もある。私は最後まで”綺麗”を諦めたくはなかったがね」
「なんだ? 何をするつもりだ?」
「これだけは使いたくなかった。だが、”王”は目的のために手段を選ばない。犠牲も嘘も、必要なら何でも利用しよう。石でも罵声でも、呪いだっていい──気の済むまで私に投げつけてくれ。評価は後世の誰かがしてくれるだろうから」
スゥッと──洗練された舞いのように、優雅に。
ノージェさんは、腕を高くあげた。
その動きに魅入って、ボクは身を守るのを忘れてしまった。
『逆流する屍山血河、罪を覆う偽りの踏み絵。引き金は我が手に、返り血は汝の手に。赦し給え──磔の操傀儡』
──ギュウゥン……ガクンッ!
「……っ!?」
一瞬の出来事だった。
ノージェさんの紫色の瞳が怪しく光って、迫ってくるのが見えて。
目を逸らせず、金縛りのように視線が強制的に固定され、意識が吸い込まれるのを感じた。
ボクの目の前は、突然真っ暗になった。
次回「第86話 黒」は9/13更新予定です。




