第74話 正義と悪と
朝日が差し込む庭園からは、小鳥のさえずりと水のせせらぎが聞こえる。
そこには、ボクがいま感じている緊張とは無縁の世界が広がっている。
彼の部屋を訪ねるのをとりやめて、ミナミといっしょに庭に降りてウフフアハハと遊ぶことだってできる。
しかし、それでは何も前に進まない。
……彼の部屋までの廊下の長さは、永遠にも感じられた。
実際には数十秒の距離だったけど。
「バル様、起きてますか」
「マコか。ククク、ふすま越しの声もカワイイな」
「……入りますよ?」
「おう──って、小娘。オマエもいるのか……」
「はっ、なにさ。まったく失礼しちゃうよねぇ、オジサン」
彼の個室は一人で泊まるには広めの、特別な客の為に用意された位の高い部屋だ。
改めて室内を見渡すと、壺や掛け軸など備え付けの調度品はどれも高級感があり、うっすらと輝いてすら見える。
それらは全て、フウメイさんが集めたものなのだろう。
バル様は上着や荷物を無造作に投げっぱなしにしているし、白い布団は畳むというより隅に押しやられており、この部屋の主の振る舞いにしては少々がさつだ。
「ハァ~……」
彼は座椅子の上で、物憂げな眼差しを窓へ向けていた。
ボクが机の向かい側に腰掛けると、ミナミが隣にくっついてずいっと座ってきた。
「……オジサン、ため息なんてつくんだねぇ。なんか意外だな」
「小娘、オマエは俺をなんだと思ってるんだ」
「煉獄の魔王、バルフラム・ルージュ……でしょ。人間たちからは、ずいぶん恐れられてるみたいだけど?」
「ほう、名前を覚えていたとは意外だなァ。ミナミ」
「うわッ。キモッ!」
「……ハァ~、やめてくれ。今の俺はなァ、ヘコんでいるのだ」
バル様はやれやれと両手をあげて、座椅子にぎしりと背中を預けた。
彼の顔が天井を仰ぐと、ちらりと黒い首輪が見える。ひびは広がってなさそうだ……。
「バル様、気を落とさないでください。昨日はボクの事を護ってくれて……嬉しかったです」
「そっ、そうかァ! 言ったろう、オマエの事は必ず護ると……クク、クハハ!」
バル様の空元気に対して、ミナミは眉間にしわを寄せた。
「なんだオジサン、いまヘコんでるって言ったばかりなのに、もう立ち直ったの? 単純だね」
「見くびるな、小娘。マコの前では悩みの種を忘れられるだけだ」
「へぇ。そりゃ羨ましい話だ」
ミナミは、首に巻いたタオルの内側をぽりぽりと掻いた。
今にもその下の噛み痕が見えてしまうんじゃないかと、ボクは気が気じゃなかった。
「……俺はなァ、マコ。がらにもなく自信がなくなってしまったのだ」
「昨日のことで、ですよね……。でも、ボクは大した怪我はなかったし、うまく脱出できたのはバル様のおかげだと思ってますよ。ほんとです」
「そのことではない。ノージェのことでな」
「……ノージェさん?」
「やつは、魔人と獣人と、人間が手を取り合えるように努力の姿勢を見せていただろう」
「そうですね、立派だと……思います」
「立派……。そうだよなァ。……だが俺は、どうだ。いつまでも過去のことをグチグチと……ハァ、情けなくなってきた」
バル様は腕を組んで、机に目を落とした。
彼にだけ見える色々な悩みが机の上にずらりと並べられて、それと睨めっこしているかのようだ。
「ノージェさんが特別なんだと思いますよ。人間の中にも、まだ過去を引きずっている方はいました。……どんなことがあったかまでは、深くわかりませんけど……」
「それも、過去を覚えているやつが居るうちだけだろう。そのうち人間たちは世代交代して、魔人との対立はもはや”記憶”ではなく、ただの”歴史”になる。蒸し返す過去は、ヤツら個人個人の中からは無くなるのだ」
「……たしかに、身に覚えのないことで対立するなんて、おかしいですもんね」
ボクは、瞳の能力で錯乱して自らのトラウマを吐露していたヘイムダールさんのことを思い出していた。
恨みや対立の原因は、人間や魔人というくくりではなく、元はと言えばそれぞれの中にあるはずだ。
バル様が、遠い目でボソリと呟いた。
「”過去ばかりみていては、時の流れに囚われた亡霊になる”、かァ……」
「何かの格言ですか」
「……リリニアが以前、魔王城からの去り際に吐き捨てていった言葉だ。当時の俺には理解できなかったが……。今になってわかったのだ。マコ、オマエのおかげでな」
「ボクの、おかげ……?」
「オマエが”天弓の巫女”だとわかった時、俺は……気付かされた。そんなものはただの肩書きにしか過ぎないのだと」
「そんなものって……。ボクにとっては一大事ですよ」
「いいや。……魔人、獣人、人間。これもただの記号に過ぎない。全部同じだ。本質は、そこではない」
「本質って……。少し、飛躍しすぎでは?」
彼はぐいっと身を起こして、熱っぽい視線を送ってきた。
「いいや、マコ。俺がオマエの事を気にかけるのは……魔人だからではない。巫女だからでもない。オマエが、マコだからなのだ」
「ばっ……ばるさま──」
もっと、目を合わせていたい。彼の気持ちを、受け止めたい。
だけど……彼と見つめ合うほど、ミナミのじっとりとした視線がぐさりぐさりと側面から肌を刺してくる。
ボクは目の遣り場を失って、首を反対側にひねった。
「……だからなァ、ヤツらのことを人間人間と、ひとくくりに考えるのは愚かなことだった。ああ、認めるとも」
横から、つっけんどんな声が飛んだ。
「はん。気づくの遅いっつーんだよ、オジサン」
「……ミナミ。俺は、オマエの事を人間だからと言って嫌う感情はない。むしろ、マコの為にはオマエを必要な存在だと思っている」
「うわ! うーわっ、キモッ!? なんだよ、やめろよ、調子狂うだろ!」
「クックック──」
バル様は、上を向いてぷかぷかと煙を吐いた。
最近わかったことだけど、これは彼が考え事をしている時の仕草だ。
煙の色が黒に近いほど、機嫌が悪い証……。
いま吐いたのは、透明に限りなく近い白色だ。
「──だが、一方で……”人間”に対する今までの感情をすぐに全て捨てれるほど、俺は器用ではないんだよなァ……」
「あんたは器用とは無縁そうだよね」
ミナミが野次を飛ばした。
「……このまま時代の変化に取り残されていては、俺はただのわからず屋の悪者だ」
「ねえ、なんか言い返しなよ。ホントにどうしちゃったの?」
「考えたのだ。マコがノージェの考えに賛同するなら、俺は……それを止めるつもりはない」
彼が、発言を促すようにこちらを向いた。
しかしボクが返事をするよりも早く、ミナミが机にバンと手をついた。
「──そんなの、魔王らしくない! オジ、あぁっと……バル──フラム! もっと好き勝手言って、我を通したらいいだろ! "魔王"は廃業だってわけ?」
「……なんなんだ、オマエは。俺が偶にしおらしくしようが、俺の勝手だろうが」
「あんたがいつまでもウジウジしてるせいで一番迷惑してたのは、わたしなんだよ!」
「あァ? 意味がわからんぞ……。オマエになんの関係がある」
眉をひそめるバル様を責めたてるように、ミナミはとうとう立ち上がった。
「あるよ、大アリだ! 祭壇を起動されたくないなら、問答無用でマコをかっ攫って、どっかに隠れちゃえば……よかったじゃんか……!」
「……本気で言ってるのか?」
「わかんないよ……。……バカ」
ボクがミナミの腕を引っ張ると、彼女は火が消えたようにすとんと座り直した。
……確かにボクだって、バル様が「祭壇を起動したくない。一緒に魔王城に帰るぞ」と言ったら二つ返事で喜んでついていったかもしれない。
豊富に火の魔素がある火山に籠城すれば、人間たちがどんなに攻めてこようがバル様はビクともしないのだろう。
だけど、そんなことをしたら──。
「……それこそ間違いだ。また新たに種族間の対立を生むことになる。俺はもう散々悪者をやって疲れたし、四六時中人間たちとドンパチやるなんてごめんだなァ。そんな……終わりが見えないことはな」
「さっきから、悪者、悪者ってさ。そんなにいけないわけ? 自分の望み通りにやることがさぁ」
「手を取り合い融和をうたうノージェこそが”正義”であり、大義を持つ者として担がれるだろう。そしてそれが、正しい」
「正しいって、なにさ。数が多ければ正しいとでも言うつもり? あんたって、そんなこと気にするヤツだったの?」
「後ろめたさや、煮え切らないものを抱えたままにするのは性に合わん。……ただ、一番最初に俺に名前をくれたヤツのことを思い出した……というのもある」
──バル様は服の内側から、お護りのように畳まれた小さな紙を大事そうに取り出した。
昨日、ノージェさんがバル様に手渡していた古びた封筒だ。
古くなった紙は、一晩のうちにいっそうシワが増えてくちゃくちゃになっていた。
「……なに、このボロっちい紙は」
「先代の巫女、”マリア・ルージュ”からの手紙だ。彼女は俺に、手紙を遺していたんだ」
「ルージュ? それって……」
ミナミがその苗字を口にすると、バル様の表情が手紙と同じようにくしゃっと歪んだ。
大きな愛おしさが、そのまま悲しみに変わってしまったような。
失った痛みを、隠しきれない……。
普段の彼なら絶対に見せない顔だった。
次回「第75話 回顧」は8/3更新予定です。




