第63話 皇子と魔王
こんなのは、初めてだ。
ドレスというものは……歩くのに不便な服だと思う。
一歩進むごとに、前の裾を踏んづけそうになってしまう。
というより、実際に踏んでしまって何度も転びそうになった。
仕方ないから、スカートを軽く持ち上げて歩幅を小さくひたひたと歩くしかない。
裾が床と擦れて汚してしまわないよう、背筋も伸ばす。
この動きじゃ、本当にお嬢様みたいじゃ……?
どういうものかよく知らないけど。”ごきげんよう”とか、言ってそうな……。
残念ながら、ボクにはそのくらいの知識しかない。
「ははは。マコくん、本当にドレスを着るのが初めてだったんだね?」
「そう言ったじゃないですか……」
ノージェさんの後ろをついて、屋敷の廊下を歩く。
使用人さんたちはすれ違うたびに端に寄って、主人に頭を垂れている。
「私は王国の文化しか知らないからさ、キミがどうやって育ってきたのか知りたいな。魔人のコミュニティがどのように形成されているのか、とても興味深く思うよ」
「魔人の、コミュニティですか……? ううん、よく知らないです」
「おや……マコくん。だって、キミのご両親は魔人だろう?」
ノージェさんは歩きながら、不思議そうにこちらを振り返った。
「えっ──いえ。……違うんです。ボクは……元々は、人間だったんです」
「……なんと?」
「前の身体を失って……気がついたら、今の身体になってて。ですから、ボクには人間と魔人の文化の違いって、あまりピンと来なくて」
特に意識したわけではなく、ぽろりと口からこぼれた言葉だった。
ノージェさんが自分をさらけ出して過去を話してくれたからか、境遇に近しい部分を感じたからか──ついボクも、過去の事を喋りたくなったのかもしれない。
「まさかキミは……転生術で生まれたのかい!?」
「……はい、そうなんです」
「そうか……! いや、これは驚いたな。存在は聞いたことがあったが、実在したとは」
「ほんとですよね」
「ははは。これでますます、人間も魔人も同じ心を持っていることが証明されるわけだ。ただ身体という容れ物が違うだけなのに、どうして争ってしまうのだろうね……ああ、私は本当に嘆かわしいよ、三角大陸の現状が」
「ボクは……最近まで自分が魔人だって事、あんまり意識してこなかったです。違いなんて、そんなに無いんじゃないかと思います」
「……キミが魔人でありながら巫女に選ばれたのは、キミの中に人間の因子があるからかも知れないね」
「そうなんでしょうか……」
「しかし、皮肉なものだ。魔人になりたいなんて言う奴がいる一方で、気がついたら魔人になってたヒトもいるなんてさ」
──ギィィ……。
たどり着いた部屋の扉をノージェさんが開けると、そこは机を中心にソファが並んだ応接間だった。
片側のソファには、両腕に氷の枷を付けられたバル様が座っている。
反対側には、先ほど彼に枷の魔法を掛けた張本人が立っている。
老魔術師ヘイムダールと共にノージェさんの護衛として付いていた騎士風の男性だ。
「──マコッ……ゴ、ゴホン!」
バル様はこちらを見るなり、火が点いたように立ち上がった。
ボクがドレスを着ているのを見たからだろうか、彼は一瞬だけ表情を崩したけど……すぐに平静を装って口をギュッと結んだ。
「お待たせてしまい申し訳ない、バルフラムさん。──さあ、ジュリアス。彼の枷を外してくれるかい」
ノージェさんが、室内で待っていた護衛の男性に声をかけた。
「……殿下、よろしいのですか?」
「手錠をかけたまま対等な交渉なんて、成立するわけないだろう。ヘイムダールはここに居ないし、気にすることはない」
「はっ」
──パキキ……カシャン。
ジュリアスと呼ばれた騎士が手をかざすと、バル様の腕を固めていた氷はひび割れ、砕けてなくなった。
「……ククク、枷をかけたままのほうが却って対等だったかもしれんぞ?」
「はは、そうかもね。……さあ、そちらへどうぞ。マコくんっ」
──トンッ。
「あっ!?」
急に背中を押されて──ボクはドレスの裾を踏んづけ、バル様に向かって倒れ込んでしまった。
「……おわァ!!?」
ボクを受け止めた彼は、お腹を踏まれたかのような声をあげた。
暖かい胸板に顔が埋まって、いいにおいが……って、だめだめ!
「はっはっは」
「──オマッ! オマエこの! 何をしてくれやがってくれたァ!!」
「ば、バルさま落ち着いてください」
バル様は、ボク以上に動揺したみたいだ。
……心の中で、すこしだけノージェさんに感謝した。
「ふふ、マコくんが傍にいればあなたが武力で訴えてくることはないと思ったのさ。なんとなくね」
「何を企んでいる……マコに、こんな、こんなカワイイ服を着せてありが──違う! マコ、座れ。俺から少し……離れてくれ……」
「そ、そうですね。一旦冷静になりましょう」
机を挟んで、ノージェさんと向かい合って座った。
騎士ジュリアスはその背後に控え、物言わぬ岩のように佇んでいる。
ボクとバル様は横長のソファに座って、隣同士だ。
このソファ、柔らかいなぁ……。
「はは……想定以上に気に入ってくれたみたいで嬉しいよ」
ノージェさんは、こちらにウインクを飛ばしてきた。
もしかして、ボク自身を使ってバル様に揺さぶりをかけようとしている……!?
ううん、勘ぐりすぎだろうか。
「……先刻まで、俺は王国と事を構える事態になっても致し方なしと思っていたが……。まさか、アルカディアの皇子と椅子を並べて会談することになろうとはな」
「これは歴史に残る会談になるよ。記者を呼んでおけばよかったかな?」
「フン……そんなことをして、この国のヤツらの目にはどのように映る? 皇子は魔王に屈したか、然もなくば操られているとでも思われるのが関の山だろうなァ?」
「そうだね、その通りかもしれない。それほどまでに、アルカディアの民たちには魔人への恐怖が刷り込まれている。しかし、私はこの現状を変えたいんだ。人間も獣人も魔人も、手を取り合える国を創りたいんだ……! バルフラムさん、貴方にもその輪に加わって欲しい」
紫色の瞳が、まっすぐバル様を見つめる。
彼は目を細めて、ノージェさんに視線を返した。
「……本気でそう思っているのだなァ、オマエは。リリニアが何故停戦協定なんぞに応じたのか不思議で仕方なかったが……少し、納得した」
「私はいつだって、本気も本気さ」
「だが、ノージェ。オマエ一人がそう望んで何が変わる? オマエが王になり国民に和平を呼びかけた所で、全員がハイそうですねと言う事を聞くと思うのか?」
「努力に努力を重ねるさ。私が自ら一軒一軒回ってもいいし、納得できない者がいるならとことん話し合いたいんだ」
──バル様とノージェさんが、小難しいことを話しているけど……この国の事情に明るくないので、半分くらいしか理解できない。
それよりもボクは、たった今バル様と柔らかいソファに並んで座っているという状況に気が気じゃなかった。
彼の体温を感じるほど距離が近くて……不謹慎ながら、なぜかドキドキしてしまっている──。
「……とんだ理想論だなァ」
「まずは理想を掲げなきゃ、何も始まらないだろう?」
「ならば、まずはオマエが動いて実際に国を変えることだ。それが済んでから俺の城まで使者でも送って寄越せ」
「待ってくれたまえよ。これ以上長くいがみ合うのは本意じゃないんだ。ヘイムダールのような過激派が溝を広げてしまうかもしれないだろう。だからこそ今、マコくんの力を借りたいんだよ」
「……祭壇を起動するのか」
「そうとも。マコくんは天弓の巫女。王国では巫女は神格化された存在だ。彼女が巫女だったと公表すれば、少なからず魔人という存在への意識が変わるきっかけになるはずさ」
「どうだか。信用されるかどうか疑わしいなァ」
──ああ、二人の会話に集中できない。
さっきバル様は、ボクのドレス姿で喜んでいたよね。ドキッとしていたよね……?
早くノージェさんとの会話なんか終わらせて、もう一度こちらを向いて欲しい……。
いや……いや!? やっぱり、なにかおかしい。さっきから自分の感情をうまくコントロールできてないような──。
──パチン!
ノージェさんが指を軽快に鳴らし、ボクは我に返った。
あっ、何の話をしていたのかな……。
部屋の扉が開き、合図を受けた双子の使用人が入ってきた。
彼女らに押されて、車輪付きの台がコロコロと滑車をすべらせて登場した。
台の上には、なめらかな布で覆われた品が置かれている。なにか棒状の物みたいだ。
「……私に、考えがある。これはアルカディアの国宝、天弓の宝杖さ。選ばれし者が手にすれば神々しく光り輝き、正真正銘の巫女であることを裏付ける神器だ。これを持って国民の前に立てば、誰も文句は言えないさ」
──バサッ……。
布が滑るように取り払われて、その下から細長い杖が姿を現した。
末端部分から先端まで様々な模様が等間隔に刻まれた、古びた杖。
そこかしこに細かい瑕がついており、長い年月の経過を物語っている。
いつか遠目に見た塔のような建造物、天弓の祭壇をそのままミニチュア化したような見た目だ。
杖の頭の部分に丸い宝石が付いているのが特に目を引く。
「マリア……!」
バル様は杖をひと目みると、ボクにしか聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「……ええと。ずいぶん、古そうな杖ですね」
「ああ。この杖が最後に使われたのは、百年以上前。先代の天弓の巫女、”マリア・ルージュ”が祭壇を起動した時さ」
マリア・ルージュ──。
ノージェさんが口にしたその名は、不思議な響きだった。
隣に座ったバル様の髪が、かすかに燃えるようにざわつくのが見えた。
次回「第64話 熱にうかされて」は6/30更新予定です。




