第35話 触れる背中に
「マコさん。あたいは、お金を払いたい……」
「は──はい?」
ボクはソニアさんにひとしきりしっぽを引っ張られた後、身体がムズムズする感覚に耐えながら椅子に座りなおした。
「あんなにデリシャスな魔素を頂いたのは初めてで……。すごい調子よくなったよー!」
「あ、はは。よかったです……」
「これは風精特有の感覚なんだろうけど、全身が舌になったみたいでさー。身体中で魔素を味わう感じで、マコさんの魔素はなんというかまろやかでー、瑞々《みずみず》しさの中にやさしい後味でー、とにかくもう最高で──」
今の体験がいかに素晴らしいものだったかを熱弁するソニアさんからは、心からの興奮と喜びが漲っていた。
ボクのしっぽに、そんなチカラが──?
とはいえ、何度も使うのは避けたい。デリケートな部分だし……。
「ソニア。そのへんにしてやれ」
「ほおい……ともかく、なにかお礼させてよー、マコさん」
ソニアさんは椅子から飛び降りて、戸棚を開いて何やらガサゴソと探しはじめた。
その隙を見てか、バル様が顔を寄せて耳打ちした。
「マコ……。その、魔素を分け与える能力だがなァ。あまり多用はしないほうがいいぞ」
「です、よね……」
ボクは頷きながらも、間近で彼の体温の暖かさを感じて、身体を逸らすべきかどうか迷った。
「ああ。集めた魔素を与えるならまだしも、自分の体内の魔素を渡すのはリスクがある。それに、その能力自体、扱える者は稀少だ」
「えっ、リリニアさんもできるみたいでしたけど……」
「アイツはな……。ああ見えて器用だし、自分に出来ない事があると我慢ならない性質だからなァ」
「褒めますねぇ」
「──フン。ヤツとは付き合いが少々長いだけだ」
彼は、鼻を鳴らして腕組みをした。
ソニアさんは残念そうな顔で戻ってきて、透明な袋に入った緑色の塊をドチャリと机の上に置いた。
「──うーん、すまねえー。いまちょっと持ち合わせがないわー。代わりと言っちゃ申し訳ないんだけど、これで勘弁してくれー」
てらてらと淡く光るその塊は、まるで光るメロンみたいだった。
「なんです? コレ」
「けけけ、あたいの抜け殻ー」
彼女はぺろりと舌を出した。
「えぇ……」
「いやいや。これね、なかなか質の高い魔力を帯びた素材だってんで、すんごい高く売れるんだよー。あたいは金欠になったら時々コレを売りさばいてんのさー」
ソニアさんは、おっきなかさぶたを人に自慢するかのように、照れながらも何だか誇らしげだ。
「ああ、確かに貴重な代物だな、これは。だがオマエなァ……もっとなんかこう──あるだろ。ヒトとして大事な何かが」
バル様は呆れ顔で、若干ひいている。
「んなもんは知らーん。使えるモノはなんでも使うんだよー、あたいは」
「──まあ、オマエがいいなら俺は何も言わん。そうだな、これは突き返すには惜しいモノだし……貰っておくか」
「でしょー。金貨二十枚ぶんは保証するよーん。けけけ」
「そんなに価値があるものなんですか……。恐縮です」
「こちらこそだよ、マコさん。あたいの抜け殻も、あんたの力も、等しく"新しい身体の特権"だろ? 利用しないと、勿体無いじゃん」
「そう──ですかね。……あのう、ソニアさん。こういうこと聞いてもいいかわからないんですけど……ソニアさんが転生する前と後で一番変わったと思うことって、なんですか?」
「んん? そうさなぁ。いちばんは空を飛べることだと思うけどー。なんかもう、忘れちゃったよー。前世のことなんて」
「わ、忘れますか?」
「そうさー。今のあたいは、風精のソニア。前世で覚えてた言葉や魔法は役に立ったけど、いらないもんは捨てちゃったのさー」
ソニアさんは、薄翅を広げてふわふわと宙に浮いた。
その仕草からは、彼女が前世でどんな姿をしていたのか想像する余地は全くなかった。
「あはは、いいですね。そういう風に──考えられたら。答えてくださって、ありがとうございます」
ボクは立ち上がって、お礼を言おうとした──が、席を立った途端、急に立ちくらみのような感覚に見舞われた。
「む、どうした?」
「あれ──すみません、なんかふらふらしちゃって」
頭がぼうっとして……まっすぐ立てない。
「あらら。あたい、魔素を貰いすぎちゃったかな……? ごめんね、マコさん」
「いえ……。ボクこそ、加減がわからなくて……」
水晶宮殿で初めてリリニアさんと対峙した時の感覚と近い。
もしかしてこれは、魔素欠乏ってやつなのでは……?
「マコ、オマエ短期間で二回も魔素を渡しているだろう。少し休んだほうがいい」
「うう、わかりました……」
二人には悪いけど、少し安静にしたい気分だ。
「ソニア。俺たちは失礼する。何かあれば呼んでくれ」
「わかったー。何か──あっ!」
ソニアさんは、思い出したように声を出した。
「ばるさま、そういえばあったよー。"何か"」
「何だ?」
「いま、王国でウワサになってるんだ。”天弓の巫女”が現れたらしいって」
「なん……だと?」
バル様は口を開けて、拳を握りしめた。ボクにもわかるくらい、動揺の色が見てとれる。
「あたいも詳しくはわからないんだけどー、どうも情報の出所は王宮らしいんだよねー」
「そうか……。それは──いや、わかった。礼を言う」
天弓の巫女。
三角大陸の中心に位置する、天弓の祭壇を起動できるという唯一の存在。
ロゼッタさんの話だと、百年以上現れていないらしいけど……。バル様は、その存在を疎ましく思っているようだった。
……ボクは、嫌な事が起こりませんように、と祈った。
* * * * * * *
「マコ、歩けそうか?」
「なんとか……」
ソニアさんの居室を出たボクはおぼつかない足をよろよろと動かし、手すりにもたれながら階段を降りた。
──やっぱり、頭がぼうっとする。あの時ほどじゃないので気を失ったりはしないだろうけど。
「ああもう……見てられん。マコ、俺の背に乗れ」
「ええ!?」
バル様はボクの前にしゃがんで、大きな背中を差し出した。
「で、でも──申し訳ないです」
「俺が乗れと言ってるんだ。乗れ」
「はい……」
命令口調で言われたら、逆らえない。ボクはおそるおそるバル様の肩に掴まった。
彼の体温を、直に肌で感じる。あたたかい……。しかし、いいんでしょうか。こんなに密着して──。
「よっと。よし、行くぞ。今日は俺の顔馴染みがいる旅館に世話になるつもりなんだ」
バル様は、ボクが背中にしっかりおぶさったのを確認すると、立ち上がった。
景色が高くなって、道がよく見渡せる。
「王国にも、お知り合いがいらっしゃるんですね」
「そうだ。元は俺の部下だが……いまは引退してな。王国で家庭を築いているんだ」
「ということは──人間の方ですか?」
「いいや、獣人だ。獣人と人間が婚姻することは珍しいことだがなァ」
「へえ~……」
後ろからでは彼の表情を伺えないけど、その声からは素直な尊重の気持ちが感じられた。
「──マコ、気分はどうだ?」
「はい……大丈夫、です」
「そうか」
不思議な気分だ。仮にも、魔王と呼ばれる人物におぶさって運んでもらってるなんて……。
バル様は、誰にでもこうして優しくしてくれるんだろうか。
ソニアさんや、他の転生者にも定期的に会っているみたいだけど。
彼の歩みから伝わる、定期的な振動がなんだか心地よい。いいにおいも、するし──。
ボクは少し眠くなってきて……つい、力を抜いて身体をそっとバル様の背中に預けた。
──ふにっ。
あっ……!
身体を預けたまま、静かに我に返る。
これ、ボクの──おっぱ……胸が、バル様の背中に当たっちゃってる──。
「……。」
黙ったまま、自分の顔から汗が吹き出るのを感じた。
彼も、何も言わない。気付いているんだろうか……どうしよう。今さら姿勢を直すのも、変だし……。
……まあ、いいか。当てちゃえば、いいんだ。
だって……バル様が言わないのが、わるいんだから。
ボクはそのまま、旅館に到着するまで身体を預け、うとうとさせてもらった。
その間、彼が一言も喋らなかったのは……たぶん、ボクが眠ったと思ったからだろう。




