第32話 開花
──サァァ……。
あたたかいシャワーが、ボクの身体に降り注ぐ。
ここは、船内にひとつだけあるシャワールーム。いまはボクの順番で使わせてもらっている。
髪の毛を洗っていると、どうにも髪留めが引っかかる。ここには誰もいないし……一旦、外しても大丈夫だよね。
──パチン。
一日中ヘアピンで挟んでいた部分の髪の毛が傷んでないか気になって、丁寧に撫でる。
シャワールームの鏡の中に、”ボク”が映っている。
水気を含んだ銀髪が肩に張り付いて、頭の横から突起状に生えたツノは濡れて光っている。物憂げな紅い瞳は、目力たっぷりだ。
……この身体にも、だいぶ慣れてきた気がする。
一人で居る時に限れば、もはや服を脱いで裸になってもドギマギしたりしないし、自分の身体なんだから抵抗なく洗えるし、さわれる。
さすがに、浴場のような他人がいる場所には慣れるのはまだまだ先だろうけれど。
頭の中で、いつかミナミが言った言葉が反響した。
『マコにも、”戻って欲しくない”』
『このまま、女の子になっちゃえばいいじゃん、マコ。きっと楽しいよ……ね?』
あの時、ボクは答えた。
『ミナミ──! 落ち着いて。ボクは……男だよ!』
いまでも彼女に、同じ言葉を返せるだろうか。
いや、ボクは──もう。
──ドクン。
「……ッ?」
急に──身体の奥が熱くなった。
「はぁっ……」
おかしい……。なんだか、身体が……火照って……。いますぐここを、出たい──。
急いで、鏡の前に置いていた封魔の髪留めを付けなおした。
──パチン。
……息を整えると、身体の疼きはおさまった。
「バル様……」
無意識に口をついて出たのは、彼の名前。
──ハッとした。
自分の声で、目が覚めたような衝撃。
ボクは、もう──
女の子なの?
* * * * * * *
そそくさと着替えて、シャワールームを後にした。
世界がさっきまでと違って見えるような気がするのは、気のせいだろうか。
「シャワー、上がりました……次どうぞ」
「あら、マコちゃん。顔色がすぐれないみたいだけど、大丈夫?」
「え、はい……なんとも──ないです」
ロゼッタさんはいつも鋭いなぁ……。
ボクのまわりは、勘がいい人ばっかりだ──コニー以外。
軽く魔素を練って、手から熱風を出した。
──ブォォ……。
さながら、人間ドライヤーだ。濡れた髪を指で梳かしながら、寝室に向かう。
寝室に入ると、ミナミが寝そべっていた。目は開けているので、起きているみたいだ。
彼女はこちらに気付くと少し姿勢を正した。
「ミナミ、どうしよう」
「なに、どしたの」
「ボク、へんたいかもしんない……」
「──げッほ!? げほ!」
ミナミはむせ込んだ。
「はぁ……。話してごらんなさい、マコちゃんさま。おねーさんが聞いてあげましょう?」
「なにそれ……」
「ごめん、今のナシで」
ミナミは時々こうやっておどけるけど、いまだにノリについていけないことがある。
ボクは自分の布団の上に座り、まだ混乱から冷めない頭で言葉を選んだ。
「……それでね?」
「はい」
「これはボクの知り合いの話なんだけど──」
「……うん?」
「男なのに、男のひとのことが気になっちゃうらしいんだ」
「……マコぉ」
ミナミはジト目でこちらを見て、何もかもお見通しだという顔だ……。
「ごめん、ウソついちゃった……」
「ふぅ~~。やーっと認める気になった? マコちゃんよぅ」
「うう……」
ミナミは、すぅ、はぁと深呼吸し、布団の上に座り直した。
「マコはさ……男の子なの?」
「いや──うん……うん? う~~ん……」
彼女の問いの答えが、わからない──ボクは、唸ることしかできない。
男の子とか、女の子とか──いまのボクには、難しい問題だ。
少なくとも……身体が女の子であることは、もはや疑う余地のない事実だけど。
"ボク"の、心は?
「じゃ、質問を変えようか。どうしたいの?」
「……ばるさまを……」
「……を?」
顔がかーっと熱くなって、枕に顔を突っ込む。
「やっぱり、へんなんだ、ボクは……」
しっぽが動いて、ぱたん、ぱたんと布団をはたいた。
ミナミは、ゆっくりと言い聞かせるように返事した。
「あのねぇ、マコの話は置いといても──男性同士とか、女性同士とかのカップルなんて、ぜんぜん。山ほどいるよ。……たぶん、そういう視点を持ってないと気がつかないだけ。わたしはその……そういう悩みがあったから、ちょっとは知ってるつもりだけどさ」
「そうなの? ボク……へんじゃ、ないのかな?」
「まあ、そういう人は少数派ではあるけど……でも、マコの場合はちょっと違うでしょ。わたしからしてみればあなたは──女の子にしか見えないよ?」
ミナミの言い分は、もっともだ。
どうやらボクは、いつのまにか、女の子として彼に焦がれているみたいで──。でも。
元々は、男の子だったはずで。
その事実が、過去が、ボクのことを鎖のように縛る。
“ボク”を縛っているのは、”理性”だ。縛られているのは、”本能”だ。
「──記憶なんて、なかったらいいのに」
その声は、抱きしめた枕に吸い込まれて小さくなった。
「今度はなに、難しい話?」
……根気よく話に付き合ってくれるミナミには、本当に頭が上がらない。
「”音無マコト”は、さ。男の子だから……」
「……あなたは、マコトなの? それとも、マコ?」
「そんなの……。どっちも、だよ」
「はぁ……悩める乙女だねぇ、マコちゃん」
もしかすると、答えはとっくに出ているのかもしれない。
でも、いまのボクにこの鎖を断ち切るすべは、ない。
「存分に悩んだらいいと思うよ、マコ。わたしはできる範囲で応援するよ」
「ミナミ……応援して、くれるの?」
「わたしはさ、元々……えっと、マコとはどうこうなると思ってなかったしさ。……普通に、頼ってよ。女友達として」
「それ、なんか複雑だよ……」
「へへへ、ほんとだよね」
短い沈黙のあと、ミナミがポツリと言った。
「……でもさ。好きになっちゃったなら、しょうがなくない?」
「まだ、好きだとは……。気になるん、だよ」
「ゼロとイチじゃ、大違いだよ。そのイチは、これから百まで膨らむかもしれないじゃん。でも……ゼロには、何を掛けてもゼロだよ」
「……どうしよう。膨らんじゃったら」
ボクは、怖い。変わっていく自分の心が、自分が望んだものなのか、わからない。
「それは、その時に考えたらいいんじゃない? ……へへ、でもマコとこんな恋バナすることになるなんてねー。なんか、楽しいな」
「恋バナて。ううん……」
──恋。これは、恋なんだろうか。
そう認めてしまったら、どんどん坂道を転がり落ちて、止まらなくなってしまうんじゃないか。
「とりあえず、”霊水”を手に入れてこのヘアピンを正式に貰わないと……落ち着いて"恋"のことなんか、考えられないよ」
「……そりゃまぁ、誰にも彼にも言い寄られてちゃ、それどころじゃないもんね」
「ごっ、ごめんね。そういうつもりじゃなくて──」
「はは、わかってるって。……もう寝よっか。電気、消すよ」
──カチャン。
ミナミがそばに置いてある光の魔素製のランプ触れると、部屋は暗くなった。
「おやすみ、マコ」
「おやすみ、ミナミ──ありがとう」
「……へへ」
……布団に潜ると、暗闇に脳内を蹴っ飛ばされる感じがした。ああ──眠れない。
夢の中で会った小悪魔の少女の言葉が、ボクの中でもう一度響いた。
『アナタは、いまに”ワタシ”に頼りたくなるわ』
──はぁ、泣きたくなってきた……。
自分のしっぽを抱えて、手のひらできゅっと包むように握る。
せつない──初めて自覚する、気持ちだ。
男の子だった時には無かった……知らない、感覚だ。
「本当、なんなのさ、キミは──」
ボクは誰にも聞こえないように、どこにもぶつけたくない気持ちを口に出した。