第26話 二人の魔王
煉獄の魔王。ボクはあらためてその二つ名を思い起こした。彼は口から黒煙を吐き、鋭い眼光は視線だけで相手を焼き焦がすかのようだ。
「久しいねェ、バルフラム。元気そうで何よりだ」
涼しげな顔で返事をするリリニアさんの声は、先ほどまでよりも緊張感を含んでいる。
「マコ!」
魔王の視線が、こちらを捉える。
「バル様──!」
彼のほうへ駆け寄ろうとしたが──彼との中間に立つリリニアさんが、遮るように腕を振った。
──パキパキバキ……!
「あうっ!」
足元に冷気を感じて──床から細長いつららが無数にせり上がり、ボクは牢のように狭い空間に閉じ込められてしまった。
どうして──?
檻の内側から手を伸ばすも……彼には遠く、届かない。
煉獄の魔王が、灼熱に燃える目でリリニアさんを睨んだ。
「──貴様の質のわるい悪戯には心底うんざりだ……!」
「アハハ……アタシは遊んでただけだよ。そこにいるマコたちと、魔素合戦でねェ」
彼女は、バル様を揶揄うように笑っている。
「魔素合戦だと……? ふざけているのか」
「マコは本気で応えてくれたよォ? アタシに勝ったら、お前の元へ帰してやるって約束だったのさ」
「えっ!?」
──パキパキ……!
ボクは口を挟もうともう一度手を伸ばしたが、増えた氷に押し戻された。
「だがねェ、お前のかわいいマコは逢えなく敗北し──今はアタシの手の中だ」
「……何が望みだ?」
バル様は、威嚇するように煙を吐いている──今にも飛びかかりそうだ。
「久しぶりにさぁ……魔素合戦しようぜ、バルフラム。お前が勝ったらマコを返してやるよ。だが、アタシが勝った場合は……お前の"首輪"を頂こうかねェ?」
リリニアさんの声の調子は余裕を含んでいる。
──首輪? なんのことだろう。確かに彼は、黒く輝く首輪をずっとつけているけど……。
思い返せば……城に居た時も、街で変装していた時も、首輪を外した姿は一度も見たことが無い。
バル様は、黙っている。リリニアさんは、挑発するように続けた。
「どうした、怖いか? お前はアタシに勝ち越したことが無かったよねェ。そもそも属性の相性からしてお前は分が悪いよな、バルフラム。加えてここはアタシのホームグラウンドだ。アハハハ……」
──カツン。一歩、進みでる足音がした。彼の周りの空気が熱で揺らめいた。
「……いいだろう。魔素合戦、受けて立つ。マコを返してもらうぞ──リリニア」
「へェエ……?」
冥眼の魔王は、意外そうに笑った。
そしてこちらに振り返り、腕で合図した。
「……ミナミ、お前が持ってる的をアイツに渡してやってくれ。ベリオ、下がってな」
「え、あぁ……」
ミナミはビクッとして彼女に戸惑いながら返事をすると、バル様のほうへ歩み寄った。
一方、怯えるように事態を傍観していたベリオは、ボクが囚われている檻へそそくさと走り寄ってきて、後ろに隠れた。
「……オジサン、そんなにマコのこと大事に思ってんの?」
バル様に的を渡しながら、ミナミが質問する。
「……わからん。俺とマコはまだ、出会ってから間も無い」
「えぇ……?」
「最初は、小動物を愛でるかのような感情だった。次第に、成長が楽しみな部下のように思えてきた。今は──」
こちらを向いた彼は、かつてボクにカワイイと言っていた頃のちゃらけた顔ではなく、真剣な表情だった。
「──そうとも。マコ……俺は、オマエを失う事が怖い。今の俺には、オマエが必要なのだ」
心臓が、高鳴った。まっすぐな言葉は、心の奥で迷っていたボクの気持ちを、手繰り寄せるかのようで──。
「バル、様……」
自然と口から出た彼を呼ぶ声には、無意識のうちに熱が込められた。
「ふぅ……、さいですか。それじゃ、わたしも応援するしかないですかねぇ……」
ミナミは居心地が悪そうに首を振りながら、巻き添えを受けないように隅の壁のほうへ歩いて行った。
「がんばれよ、オジサン」
「無論だ、小娘」
──キィィン……。
三枚の紅く輝く的と蒼く輝く的が、ホールの中心を挟んで対峙する。
「マコ、合図をくれ」
リリニアさんの声だ。先ほどまでボクたちと話していた時とは打って変わり、氷のようだ。
「心配するな、マコ。そこで待っていろ」
対するバル様の声は、穏やかだ。
……ボクは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「それでは……バル様対リリニアさん……、闘唱!」
──ゴオオォッッ!! ──バキキィンッッ!!
合図と同時に、瞬きする間もなく左右から炎と氷が激突した。衝撃と水蒸気が立ち上り、ホール内が一瞬にして霧で覆われる。
「ハハッ! 懐かしいねェ!」
ビュンビュンと氷の柱が飛び交い、その上に乗って移動するリリニアさんが見えた。腕からは絶え間なく氷の矢が生み出され、床を白銀に染めていく──。
「俺は──お前に勝つ方法をずっと考えていたぞ、リリニアッ!」
床から壁から炎が竜巻のように吹き上げ、みるみる氷が溶けていく──。
的には、魔素合戦の参加者以外に魔法が当たるのを防ぐ機能があるけど……もしも、幾多の飛び交う炎と氷が的の制御下になかったなら、観戦しているボクたちはひとたまりもないだろう。
目の前を冷気と熱気が交互に飛び交い、こちらに当たらないとわかっていても身をすくめてしまう。
「お前が努力家だったとは、意外だねェ! 全然知らなかったよ!」
床から氷の壁が次々とせり出し──迷路のように高低差のある足場を作った。
「失敗と敗北こそが成長の糧だからなァ! オマエには礼をしたかった所だッ!」
無数の火球が、宙を舞う彼女を追いかけるように踊り──壁に当たって炸裂した。
「アッハッハッ! 皮肉かい? 珍しいね──バルフラムッ!」
大きな氷塊が出現し、煉獄の魔王の頭上に影を落とす。
──パキィン!
紅い的が、一つ光を失った。
「チッ、少しも衰えないな、オマエは──ッ!!」
ホールを両断するかのような、強烈な火炎放射が大きく横切る。
──パキィン!
蒼い的も、一つ光を失った。
「……ッ! 現役だからねェ──ママとして可愛い息子の遊び相手もできなきゃならんのさ」
彼女はそう言うと、まだ氷で覆われていない床に着地した。
「何……?」
聞き返す彼の声は、何を言ったのか理解できなかったという様子だった。
「ヒヒヒ……いくぞ」
急に、全身にヒヤリとするような悪寒を感じた。暗闇が彼女の足元から溢れ──広がる。音が地面に吸い込まれていく。
冥眼の魔王の詠唱は、まるでこの場に動くものが彼女しかいないかのように、静かに響いた。
『腐り落ちる泥の方舟……散華する氷の翼……月砕け、影叫ぶ──絶望の唄を聞け。"虚ろなる鉤爪"』
──ギ・ギ・ギィィ──……!
思わず耳を覆いたくなる、黒板を鉛で引っ掻くような不協和音が反響する。
ホール内に残っている氷柱、氷壁が捻れる音を奏でながら砕け散っていく──壁、床、天井、あらゆる方向から不可視の斬撃が閃き、虚空を飛び交っているようだ。
「ぐッッ……!」
彼は歯軋りしながら、見えない攻撃を避けて転がった。
──パキィン!
二つ目の紅い的が落ちた。残りは一つだ……!
「バル様っ!」
彼の口元がニヤリと笑った。その目は、光を失っていない。
「言っただろ、心配するなと。──俺の番だ、リリニア」
彼がゆらりと立ち上がると、立っている周りの氷がじゅうじゅうと音をたて、みるみるうちに形を失っていく。
床には炎が蛇のように履い集まる──蜃気楼の中で両の拳を握りしめ、煉獄の魔王が叫んだ。
『日輪よ、我が手に宿り牙となれ! 心魂焦がす、血潮の拳──"煉獄拳"ッッ!!』
──シュゴォォオッッ!!
両腕で炎の軌跡を描き、進路を遮るもの全てを溶かしながら、目にも止まらぬ速さで突進し──その手が冥眼の魔王に届くまでは、一瞬だった。
──パキキィン!
蒼い的が二つ、同時に光を失った。
──トトトッ。かつてサファイア色を宿していた三つの的は透明に戻り、床に落ちた。
バル様の紅く輝く的一つだけが、静かに宙に浮かんで残っている。
「なッ……! 二点同時だって!?」
リリニアさんは驚きを隠せない様子で仰け反った。
「ククク……勝負あったなァ、リリニア」
バル様は白い歯を見せて彼女に背を向け、自分の的を手に戻した。
「……そうか、的だけを精確に撃ち抜いたわけか──それも二点同時に。確かにそれなら無敵時間が発生しないが……思いついても普通やるか?」
「オマエが守りに入る前に勝負を決めるには、こうするしかないだろう?」
「へェ──やられたよ。今回はアタシの負けだな」
パチン、と指を鳴らす音がして──、
ボクを囚えていた氷柱は、砕けて消えた。




