第1話 ボク、求婚される
「完ッッ璧だァ……!」
恍惚とした男性の声を聞いて、ボクは目を覚ました。
……頭がガンガンする。
さっきまで何をしていたのか、うまく思い出せない。
「完ッ璧な、美少女だぞ……おい見ろ、ロゼッタァ!」
薄く目を開けると、遠くのほうに天井が見えた。
見覚えのない、広くて薄暗い部屋。
……ボクは、ベッドのような台の上に寝ていたみたいだ。
視界に入ってきたのは、燃えるような髪の毛の男性。緑色の瞳でこちらを見下ろしている。
「ああ、ああ……! 眼をひらいたぞ、この美しい……麗しい……あァッ!」
さっきから喋っていたのは、どうやら彼らしい。
ツヤめく褐色肌の上に、胸元が開いたシャツを着た男の人だ。
何がそんなに嬉しいのかわからないけど、今にも踊り出しそうな様子だ。
「陛下、興奮しすぎです……」
後ろから、女性の返事が聞こえた。目の前の彼とは対照的に、呆れた声だ。
……ここは、どこだろう。
どうして、こんな所にいるんだっけ……?
「──おい、オマエ! 気分はどうだ? 名はなんという?」
燃える髪の男性は、ボクに話しかけているようだ。
……名。名前?
ええと──そうだ。ボクの名前は、マコト。
音無マコト。ごく普通の男子高校生だ。
ここがどこで、彼が誰なのかはわからないけど、とりあえず、答えないと。
「……、マ……」
──しかし、なぜだか口からうまく声が出ない。
「マ……? なんだ、聞こえなかったぞ、おい! ゆっくりでいいぞ!」
うう。身体に力が入らない。頭もぐるぐる回っている。
それでもなんとか、声を絞り出した。
「マコ──……」
しかし、それ以上は出てこなかった。
何か、身体の様子が変だ……。痛みはないけど、自分の身体じゃないみたいだ。
「マコ……! オマエはマコと言うのかァ! ああ、いい名だ、いい名だ! 覚えたぞ! そして、声もカワイイ!!」
「陛下、この子……ちょっと苦しそうな顔をしてますよ」
頭上の会話が、耳にひびく。
ああ、苦しい……。苦しい……!? そうだ──。
脳内に、ふと記憶が蘇ってきた。
今朝、ボクは……思い出した。幼馴染と一緒に学校へ行く途中だったんだ。
たしか、人通りが多く車がひんぱんに行き交う交差点だった。
歩行者用の信号が青になって、道路を渡ろうとした瞬間──猛スピードで突っ込んでくる車が見えて──。
正面衝突だ。ボクは宙を舞って、地面に激突した。
とてつもない苦しみと痛み。一瞬の暗転。それから、いつもと違う形になっている自分の腕が見えた。
ボクの、腕が──!
──我に返って、腕を動かす。
顔の前に、小さな手のひらがやってきた。
グー、パー、と力を込めると、小さな手が、閉じて、開いた。
「身体は問題なく動くようじゃないかァ?」
「陛下ったら。この前そう仰って、結局は定着しきってなかったじゃないですか~」
ボクがショッキングな記憶を辿っているのをよそに、目の前の二人は会話を続けている。
「何を言う、ロゼッタ。今度の錬成は完ッ璧だったぞ。間違いなど、あるわけがァない! ……おい、マコ。声は出せそうか。気分はどうだ?」
男の人が意気揚々《いきようよう》と話しかけてきた。
マコ……? たぶん、ボクのことだ。本当はマコトって名前なのに……。
「あの……はい。痛みとかは、ないです。腕がちゃんとついてて……、安心しまし──た?」
ようやく意識がハッキリしてきて、今度はちゃんと声がでた……けど。なんだかおかしい。
いつもの自分の声より、高い声になっているような?
「クハハ、それは上々だなァ! やはり完ッ璧だ! あァ、しかしマコ、オマエ……カワイイなァ!! カワ……ああっふ!」
さっきから彼は、天井に頭をぶつけそうなくらいテンションが高い。
でも……かわいいだって? ボクは、男なのに!
そりゃ、以前から童顔だって言われてたし、背も平均よりちょっと低かったし……女の子に間違えられることは……よくあったけど。
だけど、ボクはれっきとした男だ!
おまけに名前も間違えられているし!
抗議する気持ちで、寝台から起き上がろうとした。
「あのっ! ボクは、おと……、──!!??」
その瞬間、胸のあたりにふわっとした不思議な重さを感じた。
身体の違和感の正体はこれか……いや、それだけじゃない。
視線を下にやると、首から下のボクの身体は……毎日見慣れていた男子高校生のそれではなく、細く華奢で、まるで女の子みたいで──。
──いや、違う。女の子の身体だ!?
「ひッ……! えぇっ!!?」
弱々しく、高い声が──ボクの口から出た。
目の前の光景に現実感がない。こ──これは、夢なのでは……?
「戸惑うのも無理ないですよ~。え~……マコちゃん、でいいかしら?」
今度は、女の人が声をかけてきた。
ワイン色のタイトドレスに、丸いメガネ。金色の瞳は、優しいまなざしをこちらに向けている。
「あなたは……?」
「あっ、申し遅れました。私は陛下の専属秘書、”ロゼッタ”よ。以後、お見知りおきを~」
彼女を見て、思わず目を見開いた。額の左右、黒髪の間から牛のようなツノが飛び出ている。
コスプレとかではなく、本物のツノみたいだ。普通、女の人にツノは生えていないはず……ですよね。
でも、そんな事を聞いたら失礼に当たる気がする。
ボクは、ひとまず簡単そうな質問から返すことにした。
「えっと……。よろしくお願いします、ロゼッタさん。ここは、どこなんでしょうか?」
「──よくぞ! 聞いてくれたァーーッ! マコ!!」
彼女が返事をする前に、燃える髪の男性が嬉しそうに叫んだ。
ツノが生えているロゼッタさんもそうだけど、彼もおよそ普通じゃない見た目をしている。
どういう仕組みなのか、頭髪は燃えるようにゆらゆらと輝いている。頭の上で焚き火でもしているんだろうか。おそらく違うけど。
顔立ちは男のボクでも惚れ惚れするくらい整っていて、勿体無いくらいだ。
首元には金属のような宝石のような、黒い首輪をつけている。
「ここは魔王城! この俺、煉獄の魔王! バルフラム・ルージュ様の根城だァーー!!」
彼は、誇らしげに親指で自分を指しながら叫んだ。ドーン、と効果音が聞こえてくるかのようだ。
「魔王……城?」
なにを言っているんだろう。日本で魔王城なんて場所は聞いたことがない。
いや、そもそもここは……日本なんだろうか?
ツノの生えた女性と、堂々と魔王なんて名乗る人がいるような場所は、地球のどこにも思い当たらない。
「そうだそうだ、まだ名乗っていなかったなァ、マコ! 俺がこの城の主、魔王バルフラム様だ! 親しみを込めて、”バル様”とッ呼ぶがいいぞ! ──いや、呼べ!」
ボクは混乱しつつも、バルフラムと名乗る魔王にとりあえずの返事をした。
「ええと。バル……様、ですか?」
「はぁッう──かわっ! 美少女が俺の名前を呼んだ! かわー!!」
「陛下、興奮しすぎです……。ごめんなさいね、マコちゃん。陛下は黙ってれば男前なんだけど、口を開くと変態だから……」
「誰がッ変態だ! まあ否定はしない!」
ロゼッタさんと魔王は、まるでいつも通りといった慣れた調子だ。
なかなか会話が進まないけど、ひとまず名前を訂正しないと。
「それでその、バル様、ボク──」
「んッふぅ!!」
バル様と呼ばれた魔王は、また身悶えした。
声をかけるたびにこれでは、会話どころじゃない……。
「あ、あのう……」
「すまん、マコ……! 仕方ない、ここはアレだ。非常ォーーに残念だが、俺が耐えられないので……さっきのはナシで、バルフラム、さん……と呼んでくれ……」
何が仕方ないんだろう……。
謎の妥協をする魔王に対して、ロゼッタさんがツッコミをいれた。
「ずいぶんと他人行儀ですね~」
「それくらいから慣らしていかないと、俺の中身が出ちゃうだろ!」
「出ちゃうも何も、もう既に丸出しではないでしょうか」
「俺は丸出しじゃない!!」
……二人の応酬に口を挟むのは骨が折れそうだ。
ボクは既に”バル様”と覚えてしまったが、ひとまず言われた通りに呼びなおしたほうがよさそうだ。
「ええと、バルフラムさん。あの──」
「ククク、そう! そうだ、俺がバルフラム様だ! はァ……カワイイがすぎる! ──もう! 俺は決めたぞ、マコ!」
また何か言う前に、遮られてしまった。
もう、彼に先に喋ってもらったほうがいいのかもしれない。
「な、なんでしょうか」
「マコ、この俺と……! 結婚してくれ!!」
「──へっ??」
けっ……こん……??
いま置かれた状況からは、一ミリも縁のなさそうな言葉。
ボクはただ、唖然とすることしかできなかった。