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第8話 ハレノヒ


 左衛門橋での辻斬り事件から数日、新たな事件はなく、また新たな情報も無かった。事後処理に忙殺されていた佐藤警部補からこれまでの事を聞けたのは、ようやく昨日のことである。


 先日の件も含めて昨年末から五回、いずれも着物姿の辻斬りが目撃されている。唯一被害者を出していない三回目の事件では、舩坂少佐によって辻斬りの片腕が落とされた。


 発生は夕方から深夜早朝におよび、被害者についても、年端も行かない少女であるということ以外に共通点もない。少女を狙った無差別な襲撃であろうというのが警察の見解である。

 今のところ、事件が集中している神田川沿いから北、不忍池しのばずいけに至るまでの警戒を密にするくらいしか対策がないとのことだった。


 神田明神で春の大祭が開かれたのは、そんな折のこと。江戸っ子の気風によるのか、辻斬りくらいで祭りを中止にできるかという意見が押し通った。


 当時、盛んになっていたのが縁日や見世物の類で、浅草あたりでは、グロ物、エロ物、何でも御座れの見世物や興行が公園六区を中心に大賑わい。撃剣試合に生き人形の展示やら、ありとあらゆる娯楽が集まり、その客目当ての屋台が軒を連ねるといった風情だ。春の大祭ともなれば、稼ぎ時とばかりに、それら見世物や興行、屋台の連中も足を延ばしての営業である。

 

 陽気な雰囲気が広がる中、十五郎はひとり浮かぬ顔で市中を歩き回っていた。非番なのだが、辻斬りの件がひっかかって落ち着かない。万一の備えに軍刀を身に付け、ならば軍服もと、結局、出仕の日と変わらない格好である。


 何とはなしに練塀町ねりべいちょうの方へと足が向き、もう一度神尾の屋敷を見に行くかと思っていたところ、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。


「もし、十五郎様では御座いませんか」


 声の主は誰あろう、雪の日に出会った少女、神尾琴葉かみお ことはだ。女袴に桜色の着物、束ねた三つ編みにリボンと、まるで印象が違う。嬉しそうな表情を浮かべて小走りによってきた琴葉に、十五郎も明るく声をかける。


「十五郎様とは恐れ入ったね。呼び捨てにしてもらって構わない」


「呼び捨てなんて、そんな。私の方は琴葉と呼んでもらって構いませんが。せめて、さん付けで呼ばせてください」


「はは、様付けでなければそれでもいいよ。好きなように呼んでくれな」


「では、十五郎さん」


「なんだい、琴葉」


 呼ばれて頬を赤らめながら、着物を返しに十五郎の家へ行くところだったという。祭の日とあって、立ち話の脇を、琴葉とさして変わらぬ歳の子供らが元気よく駆け抜けていった。


「今日は、お祭りなのですね」


「ああ、神田の春祭だ。もう屋台も出揃っている頃か。琴葉は行かないのかい?」


 問われて、琴葉はぶんぶんと首を振った。その仕草がまた愛らしいが、本人は至って真剣な様子だ。


「お祭りには行ったことがありません。父も母も早くに亡くなって、厳格な祖母に育てられましたので」


「それは勿体もったいない。江戸に住んで、江戸の祭りを知らないなんて」


「祭りなど軽佻浮薄けいちょうふはくな輩の空騒ぎ。落ちぶれ果てても、神尾の子女が行くものではないと」


「軽佻浮薄か。あながち間違いじゃないが、元は神事で、それなりに意味のあることと思うがな。なんなら、ちょっと行ってみるかい?」


「え、いまからですか」


 驚きつつも喜色を隠せない様子だ。


「いろいろと物騒な今日この頃、琴葉だけでは危ういかもしれんが、俺と一緒なら問題ない。日が落ちる前に切り上げれば良かろう」


「では、お願いしてよろしいですか。本当は、ずっと行ってみたくて……」


 恥ずかしそうにうつむいて見せた。


 この頃の祭りでは、アヤメ団子やぶどうもち、飴細工に焼き鳥、昔ながらの水菓子、射的屋、くじ、玩具、花火に虫に飾り物、果ては植木や陶器も並べられ、たいへんな賑わい。さらに、その日限りの掛け小屋では、様々な見世物や出し物も。


 祭りとは、そもそもハレの日であり、平生とは異なる世界だ。その世界が初めてとくれば、琴葉でなくとも心動かされようというもの。


 最初のうちこそ、神尾の子女として貞淑に、おしとやかにと努めていたようだが、折り重なる屋台を回り、人ごみを二人で歩くうち、年相応はしゃぐ姿を見せてくれた。微笑ましく見守る十五郎の視線に気付いては、はにかむように下を向くが、祭りの場に身をおくことが嬉しくて仕方がない様子。


 琴葉にばかり目が行って、十五郎は気付いていなかったが、実は琴葉を見守る十五郎をさらに見守る二つの視線があった。


 正三と千代である。


 普通に祭りを楽しむような格好で、辻斬りの警戒にあたっていたのだ。といって特にあてもなく、うろうろと雰囲気を味わっていたところ、琴葉と十五郎を見つけ、出歯亀よろしく後をつけ始めた。


「ねぇ、もうやめましょうよ」と正三。


「何がだい? せっかく面白いのを見つけたんだ。いつ気付くか賭けようじゃないか」


「賭けませんよ。千代さんが負けても、絶対払わないし」


「ぐちぐちと五月蝿うるさいね。細かいことはいいんだよ。それより、ほら、今度は出し物のところだ。なになに、目隠し撃剣試合だって? なかなか面白そうじゃないか」


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