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異聞〈明石の巻〉


 時は明治、場所は江戸、いやさ東京。

 と紋切り型の口上から始まった本編は完結し、外伝としての短編も、これで最後となりました。語り手は、本編での敵役かたきやく、明石吉之助で御座います。




 そろそろ君ともお別れだね。


 もう残るは小夜だけになってしまうよ。時流に乗って呪いの撒き手を斬り捨ててきたは良いが、こうなると寂しくもある。人というのは勝手なものだ。笑ってくれ。


 ああ、波の音が聞こえる。潮騒というのは良い言葉だね。


 なんだい? ああ、涙を拭いてくれるのか。君は最期まで優しい。私はね、潮騒が聞こえてくると涙が出てくるのさ。駄目だね。君を見送るのに、笑顔でいようと思っているのに。潮騒と寂しさが涙を引きずり出す。


 なぜ涙が出てくるのか聞きたいのかい?

 そうだね。他ならぬ、去り行く君の頼みだ。話してあげよう。私の母の話だ。


 母は、私同様、穢れを身に受ける力を持った人だった。苦しむ人々から呪いを引き受け、浄化するのだ。

 と言っても、正直、母は穏やかで、優しすぎて、引き受けた呪いを滅するだけの気力がなく、いつも苦しそうだった。

 片田舎で地の人々を相手に、ほそぼそと依頼に応じていた。高い金を取るでもなく、貧しい生活だったが、母と二人、平和な暮らしだった。海辺のあばら家で、日々潮騒に包まれて眠り、また目を覚まし。


 だが、ある時、土御門家の免状を受けているという男があばら家を訪ねてきた。

 明らかに軽蔑した目で、母を見、私を見た。そして、免状もなく勝手な商売は許さんと母を責め立てたのだ。

 散々、母に頭を下げさせて、結局のところ金を寄越せと。さもなくば依代としての子供、つまり私を道具として使わせろと言うのだ。貧しい家に余分な金があるわけもない。私は、しばらくそいつに使われることになった。


 まさに道具扱い。


 思い出したくもない日々だったが、母のために我慢したよ。私を酷使したその男は、たしかに穢れを祓う力を持っていたが、高い金を取り、すぐに祓えるものでも、わざと時間をかけて金を搾り取ることだけを考えていたな。

 なかでも私が嫌だったのは、祓った呪いをそのまま野放しにすることだった。

 

 ある時、豪商の娘を苦しめていた障りを祓った。外見には病に見え、息ができなくなるのか、娘は喉をかきむしって首元を血だらけにしていた。それを、私の身を餌に呪いの元を誘き寄せて捕らえるのだ。

 呪いは様々な形をとって現れる。生き物の時もあれば、無機物である時もある。その時、それはヤモリのような姿で現れた。捕まえて滅っしようした私を、男が罵倒とともに乱暴に制止してきた。


 男が言うには、こいつらは飯の種だと。要は、呪いも障りもほどほどに残しておけというのだ。陰陽師の使命は、人々を苦しめる目に見えぬ悪鬼、呪いの類を滅することだ。

 だが、この世から呪いも障りもすべてなくなったらどうなる?

 化物退治で飯を食ってる連中は飯の食い上げだ。陰陽師はもちろん、声聞師しょうもじも山伏も、歩き巫女も、呪いや障りがなくなれば食ってはいけない。だから、すべては滅するな。ほどほどに残しておけ。おまえの母親も食っていけなくなるぞ。


 他の誰かが苦しむであろうことを知りながら、男の言葉と脅しに負けて、私はその呪い蟲を見逃した。次は誰に憑くのかと、申し訳ないような、しかし、それも業と運によるものと半ば諦めて。


 男は行く先々で荒稼ぎすると、満足したのか、もったいぶりながら申し訳程度の給金を私に投げつけて去って行った。


 恥辱を忘れて金を拾い集めると母の下へ急いだ。男の言うがまま、旅から旅へ何ヶ月も流離さすらい、ずっと帰ることもできなかったのだ。わずかとは言え、手に入れた金を握り締めて懐かしいあばら家へ帰った。


 母は亡くなっていたよ。


 誰に看取られるでもなく、ひとりで。腐臭が漂う家の外からは、いつもと変わらぬ潮騒が響いていた。母は喉元を掻きむしるようにして死んでいた。私が近付くと、苦しげに開いた母の口から、ヤモリのような呪い蟲が顔を出した。


 私が見逃した呪い蟲だった。


 なぜ、それが母の下へ来たのか。

 理由などない。偶然に過ぎなかった。逃げ出した蟲が辿り着いた先が地元の住民で、それを祓おうとした母を喰い殺したに過ぎなかった。

 私は私を呪ったよ。

 いくばくかの金と生業のために、男への恐れと欺瞞のために母を差し出したのだ。その時、私は誓った。この世から、呪いも障りも、すべてなくしてやると。それをせず、見逃して育て、自分の食い扶持を得ようする輩もだ。


 私は、母を弔うと、例の男の跡を追った。


 そいつを追い詰めて殺した時、男は命乞いをしながら言ったよ。自分の意思ではないと。土御門の免状をもらった時から、そうするように指示されたのだと。あるいは、呪い蟲は上がばら撒いているとも。


 死に際の言葉だけに嘘とも思えず、それからの私の半生は、君たちのような呪われた者を救い、蟲を滅しながら、またそれを撒いている輩を裁くことに明け暮れた。いつか呪われながら死ぬだろう。だが、決してやつらを許さん。


 ああ、すまなかった。

 穏やかに逝くべき時に、こんな話を。声と心を静めれば、潮騒が心地よく響いてくる。歌を、母から聞いた魂鎮めの歌を。


 あまり上手くないが許してくれよ。せめて、少しでも穏やかに。うん、見つめられると照れるな。目を瞑って聞いてくれ。


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