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異聞〈小夜の巻〉


 これは、蛇女と呼ばれて見世物にされていた娘の語る話だ。よろしいか、決して楽しい話ではない。


 淡々と語るのは小高小夜。


 この名前もまた、もらいものである。語る相手とてなく墓前での問わず語り。願わくば、墓石となってお聞きあれ。




 懐かしいね。結局、お互い名前もわからずじまい。そもそも名前なんてなかったのかもしれないけれど。私は名前をもらったよ。

 もう何度も伝えた通り、小高小夜と言うんだ。飽き飽きしているだろうけど、聞いておくれよ。だって、名前をもらったってそんなことを自慢できるのは同じ名無しの御前ぐらいじゃないか。


 今日は暑いね。冷たい水をやるから、しっかり飲んでおくれな。


 あの頃は、水の一杯、茶の一杯をもらうにも命がけ。小屋主の機嫌次第ですぐに半殺しだ。御前はとうとう殺されちまったけどね。私みたいな者を庇ってさ。馬鹿だね。


 ……あの頃、私は文字も書けず、まともに話すこともできなかった。といって、本当の馬鹿ってわけじゃなく。自分がみじめな境遇にいることと、そこから抜け出すことができないことがよくわかっていた。

 名前はなく、幼い頃から、蛇、蛇、蛇女と呼ばれて、理由なく殴られたり裸にされたりした。私の体には、手の先と顔、首元を除いて、びっしりと蛇のような鱗があったからだ。どこで生まれたかもわからないが、酷く寒いところだったことは覚えている。


 村の外れ、山に入ったところの洞窟で、私は飼われていた。


 時々、食べ物を持ってきてくれる女がいたが、あれが母親だったのかどうか。好奇心で私を覗きにくる者がいても、蛇、蛇と呼ぶくらいで、私は、言葉というものを犬ころほどにも理解していなかった。


 たぶん十歳かそこらになったころ、見知らぬ男がやって来て私を洞窟から連れ出した。何が起きたのかわからなかったが、ただ餌をくれるその男について行った。


 男に売り飛ばされた先が、浅草六区、グロ物の見世物小屋だった。


 私はそこで言葉を覚えた。

 洞窟と違って、明るい場所で、私は体を晒した。ほとんど日の光を浴びたことのない肌は異常なほど白く、苔色のうろこを引き立て、観客からは、おお、おおと声が上がったものだ。

 その度に私は、意味もわからぬまま、たどたどしく口上を述べる。


 ごけんぶつのみなみなさま、わたくし、やしゃだきの蛇でござる。おひねりなしでのかんらんはぶちょうほう。のろわれたくなくば、ものおしみはなさらぬよう。


 そこで投げつけられるおひねりに痛みを感じながら場を下がる。


 わりかし、最初の頃は受けもよく、小屋主の機嫌も良かった。だが、それも一時のこと。客が一巡し、受けが悪くなってくると、途端に扱いも悪くなった。

 見世物としてはもちろん、小屋での下働きでも使われ、ちょっとでも間に合わないと、飯抜きの上、殴る蹴るの待遇。

 何とか勘弁してもらおうと、覚えたばかりの言葉で、蛇でござる、蛇でござると繰り返す私を、連中は面白がって眺めていた。


 そんな折、新たな見世物として人狼が入ってきた。私よりまだ年下の男の子で、人狼というような恐さはなかったが、体中が深い剛毛に覆われ、まさに狼のよう。

 小屋の連中は、イヌ、イヌと呼んでおり、私も同じように、イヌ、イヌと呼んで餌の世話をしていた。


 小屋の中で唯一、自分を殴らず餌をくれる私に、その子は本当の犬のように懐いてくれた。私にとっても、その子と過ごすことだけが救いだった。

 一緒に仲良く眠る私たちを見て、小屋の連中は、にやにやと、鱗と毛に覆われた子供が生まれたら面白いなぁなどと話していたが、当時の私には何のことかわからなかった。ただ、殴られないように笑顔を浮かべて、にこにこと黙って聞いていた。


 だが、そんな生活でも時は過ぎ、私の体も少しずつ成長していった。


 少女と言うべき歳になったころ、小屋主は、見世物として私を裸で踊らせることを思いついたらしく、風呂に入れて髪をき、それなりの着物をしつらえた。小屋の連中の目が、それまでとは少し違う目になっていた。


 誰も私の顔を殴らなくなった。それは、小屋主の優しさではなく企みからだったが。


 イヌは、綺麗になった私の顔と服を見て、警戒するような表情をしていたが、私が、相変わらず、イヌ、イヌと親しみ、一緒の布団で眠るので、すぐに元のようになった。


 苔色のうろこと白い肌をさらして裸で踊る見世物は男衆に受けがよく、連日、小屋を満員にした。しばらくは小屋主の機嫌もよく、私は大事に扱われた。

 やがて人気に翳りが見えてきた頃、見世物を終え、場を引き下がった私を小屋主が呼んだ。胡散臭い猫なで声で。この声のときは何かあると知っていたが、逆らうことはできなかった。


 呼び込まれた部屋には、年嵩の男が一人。


 小屋主は愛想良く男と話をして、立ち去り際、私に向かって恐い顔で、よく言うことを聞けと言い置いていった。私はなにもわからぬまま、男と二人、部屋に残された。


 男は私の着物を乱暴に剥ぎ取った。肌と鱗を人に晒すことは日常茶飯事だったので、特に何とも思わなかったが、男は体中をまさぐりはじめた。小屋主は、人気が翳り始めた私の処女を、物好きな男に高値で売りつけたのだ。

 当時の私には何が何だかわからず、ただひたすらに恐いだけだった。恐くて恐くて、イヌを呼んだ。イヌ、イヌと。助けて欲しかった。


 イヌは私の危機に敏感だった。


 部屋に飛び込むと男に飛びかかった。だが、ただの子供だ。男に殴られて、その場にひっくり返った。


 騒ぎを聞きつけた小屋主が顔色を変えて部屋に入ってくる。この馬鹿犬が、殺してやる。と言って、イヌを引きずっていく。

 ああ、イヌが殺されると思う私の口中に、何かが突っ込まれた。男が、その一物を口に捻じ込んできたのだ。


 不意に私は、物言わぬ怒りに包まれた。イヌを殴らせはしない。私を殴らせもしないと。


 私は、それを思いっきり噛んでやった。


 男が悲鳴を上げて私を突き放す。私は裸のまま部屋を飛び出し、驚く小屋主を突き飛ばしてイヌを立たせると、そのまま一緒に小屋から逃げ出した。なぜ、あれほどの力が出たのか今でもわからない。


 後先考えず、闇雲に走って走って。本能的に暗い方へ暗い方へと。私とイヌが辿り着いたのは、どこかの小さな山の中だった。


 たぶん初夏の頃だったと思うが、さすがに、夜、裸でいるのは辛かった。寒いし、虫はたかるし、腹は空けども食うものもない。震える私に、イヌは自分の服を脱いで着せてくれた。毛だらけで体中がチクチクしたが、どんな綺麗な服より嬉しかった。

 夜が明ければ、きっと小屋主に見つかって酷い目に遭わされる。望みのない夜に、それでも私は、イヌの毛に包まれて、いつか温かく眠りについていた。


 目が覚めたとき、まだ夜だった。


 月が出ていて、私たちが山だと思っていたのは、ただの小高い丘で、森と見えたのは、ただの薄い林に過ぎなかった。丘のふもとには、人々、私たちを見に来る人々、私たちを食べに来る人々の家が無数に並んでいた。

 私は、自分たちが絶対にそこへ行くことができないことを知っていた。


 朝など来なければ良いのに。


 月が動かないでいてくれれば良いのに。


 願い虚しく夜は深まり、月は容赦なく去ろうとする。やがて丘の麓から本物の犬の鳴き声と、苛立った男たちの声が響いてきた。


 私たちを見つけた小屋主は、かつてないほど腹を立てていた。私が身にまとっていた襤褸ぼろを剥ぎ取り、素っ裸にすると、腹でも顔でも関係なく私を殴り、蹴り飛ばした。庇おうとしたイヌも、他の連中にいいようにされていた。

 これが私の世界、犬呼ばわりのその子の世界。運が良ければ死に、運が悪ければ地獄の小屋へ逆戻りだ。


 小屋主が殴り疲れて手を止めた時、私は這いずって、倒れているイヌの手を握った。巻き込んだイヌに謝りたかったのだ。イヌは力強く私の手を握り返してきた。ぎりぎり、ぎりぎりと万力のような力で。


 私は悲鳴を上げた。


 イヌは、その男の子は、私の手を離すと、人間らしく二本の足で立ち。しかし、獣じみた咆哮を上げた。


 それは、鳴け、鳴けと鞭打たれていた見世物でも上げたことのない、本物の獣の叫びだった。小さな体が膨れ上がり、全身の毛が逆立って、月明かりの下で化け物が。


 狼のような人のような化け物は、小屋主の取り巻き連中に襲い掛かり、爪や牙で無残に殺し尽くした。

 最後に残った小屋主は、這いつくばる私を抱き上げて。人質にでもしたつもりだろうが、今のイヌに意味があるのか。果たしてイヌは、躊躇いなく、ずんずんと向かってくる。


 顎を大きく開いて、小屋主に盾にされた私の肩に激しく噛み付いた。だが、そこには鱗があるのだ。呪わしい鱗が私を死なせてはくれなかった。イヌは、今度は鱗のない首元に噛み付こうとした。そこに……


 どこから現れたか、黒ずんだ人影ひとつ。


 人影は、身も世もなく助けを求める小屋主を一瞥し、ずいと前へ出た。


 もう戻れんなぁと悲しそうに呟くと、刀を一閃し、イヌの首を斬り落とした。イヌは毛むくじゃらの顔を歪めて、泣いているような、笑っているような顔をしていた。


 これで助かったと人影に縋りついた小屋主だったが、汚い手で触るなという声とともに、刀一閃。縋りついた腕を断ち切られていた。

 逃げ出そうとしたところを背中から貫かれ、地べたに縫い付けられる。しばらく蜥蜴とかげのように手足をばたつかせていたが、やがて静かになった。人影が刀を引き抜く。


 ああ死神なのだろうか。私も殺してくれるのだろうかという期待に反して、人影は、私に外套を着せ掛けると、イヌの首を拾い上げた。

 その首が目を見開いて長く尾を引く遠吠えを上げたかと思うと、口から黒い煙を吐き、それが見たこともない奇妙な蟲に変わった。

 人影は、それを手にとって、躊躇ためらうことなくごくりと飲み込む。


 私の視線に気付いて言う。


 これがこの子の呪いの元だ。呪いによって見える形は違うが、根本は同じ。

 私は退魔師の端くれ。呪いを、この身に取り込んで浄化する。師匠は、大きすぎる慈悲は身を滅ぼすと言っていたが、私は、この子や御前のような子を、これ以上見たくないのだ。

 喰って喰って喰いまくって、呪いも化け物もこの世から消し去ってやる。御前が死ねば、その呪い、必ず喰って浄化してやろう。


 私は明石吉之助という。娘、名前は?


 私は名前がないことを恥じた。

 黙ったままの私に、明石が夜空を見上げながら呟く。名前がないのは不便だな。小高い丘の上での小さな夜、こうして出会ったのも縁であろう。今日から御前は小高小夜だ。


 こうして私は名前をもらった。イヌのおかげだよ。あの時、助けに来てくれてありがとう。


 でも、最近、明石様の様子がおかしいんだ。今日に至るまで、私同様、明石様に救われた者たちも、ひとりまたひとりと死んでいった。残るのはもう私だけだ。

 仲間が死んでいく時、いつも明石様は、悲しそうな顔で魂鎮めを歌っていたのに。最近は、悲しみながらも笑っているような顔で。何より歌ってくれなくなってしまった。


 私には相談する人はいない。不安だよ。


 私が死んだ時、明石様は悲しんでくれるだろうか。歌を聞かせてくれるだろうか。あと何回、御前にこの歌を聞かせてやれるのだろう。


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