異聞〈少佐の巻〉
今宵の語り手は、普段は寡黙な少佐殿で御座います。重い口を酒で湿らせて滑らせようと図るのは冬柴千代殿で。はてさて、文明開化の明治の夜に、どんな話が飛び出すことか。
なに? 明石との因縁だと?
そんなことを聞いてどうするのだ。ふむ、ただの興味本位でか。相変わらず、素直でずけずけと来るやつだな。まあ、それがお前の良いところでもある。
酒のつまみにするのも何だが、こんな夜は、よくあいつのことを思い出す。供養と思って話してみるか。
当時、御一新の最中のことだ。
元号が明治と改められて日も経っていたが、元号ひとつで世の中がガラリと変わるわけじゃなし、まだまだ変わり続けている頃のこと。
私もまだ若く、斬った斬られたの延長で、ずいぶんと荒っぽいこともしたし、またされてもきた。自然、周りの連中もそんな奴らばかり。みな腕は立つが身も心も荒んでいたな。話したいのは、そんな連中のことじゃない。
御一新がなって、目的を見失ったような気持ちで私自身も荒んでいたが、不思議と、そんな気持ちを忘れて故郷に居た頃のように腹を割って付き合える男がいた。
土御門家の血縁で、土御門光雄という。
土御門と言えば、最後の陰陽頭を務めた土御門晴雄が思い出されよう。なに? 知らんだと? 我々の仕事は……。
まあ良い。土御門晴雄は、陰陽頭在位中の明治ニ年に亡くなり、翌年に陰陽寮自体が廃止されて最後の陰陽頭となったのだ。
この人物、ただの飾りではない。
維新のどさくさに紛れて、天文方から暦に係る権限を奪い返し、太陽暦への改暦を求める西洋派の連中の機先を制して、太陰暦を元にしたままでの改暦を提唱する目端の良さといい、ただの学者ではなかった。
だが、その能力の高さが却って不幸を招いたと言えなくもない。結局、土御門晴雄の悲願は成就せず、死去の翌年、明治三年には陰陽寮は解体、明治五年には太陽暦が導入されることとなった。土の下で、さぞ無念であったろう。
まあ、私の親友となった土御門光雄は、土御門家でも傍流の傍流、そうしたこととは無縁で、この明治の世に陰陽師などいらんと笑いながら話していたな。
飄々とした男だったよ。
上背もなく腕力もなく、胆力とてない。芯のない男だ。さりとて、芯がない故に捉えどころもない。人に優しく情にもろい。当時の私とは間逆の人物だった。だが、妙に気が合ったな。
光雄と出会った夜のことは、いまでも鮮明に覚えている。
金もない身で吉原の遊郭を冷やかしに行ったときのことだ。華やかながら影のある街よ。維新後の混乱期とあって、江戸市中には有象無象が溢れていた。
通りがかった路地裏から、何やら揉め事の気配。男衆と女が一人、もめている雰囲気だったが、そんなことは、当時、日常茶飯事。首を突っ込むつもりもなかった。私自身、何事も、どうでもいいような気分だったしな。
女の助けを呼ぶ声を横目に、通り過ぎようとした。
ところが、ちらりと目をやった時、その揉め事の向こう、木塀のわずかな破れ目から遊郭の中が見えた。と言って色事の覗き穴というわけじゃない。
ただ、一人の花魁が、木塀の向こうで華やかな光を半身に浴びて庭に立っている姿が見えたのよ。はっきり見えたわけでもないが、妙に心惹かれて立ち止まったのだ。
すると、そんな私を面白そうに見ながら、一人の優男が私を押しのけて揉め事の方へ突っ込んでいった。それが光雄だった。
暗い路地裏、木塀の前では、絡まれた女を助けに行った光雄が返り討ちにあって、容赦なく痛めつけられている。
その騒ぎは木塀の向こうにも聞こえていたはずだが、花魁はこちらに目をやるでもなく気付いた様子もない。木塀の此方と彼方では音も通じないかのようだった。私が花魁に見蕩れている間にも、光雄は散々に殴られ蹴られ、息も絶え絶え。
それは分かっていたが、当時は見も知らぬ男のこと、さして気にもならなかった。それより、じっと見つめる私の視線が彼方へ通じたのか、花魁がふいと此方を見た。一瞬、目が合ったと思うと、私の魂が縛られ、奪い取られたように思えた。
それは、この世のものではない危うい美しさで、そのまま見詰め合っていれば私はその場で死んでいたかもしれない。
しかし、有難いことにと言うか、迷惑なことにと言うか、光雄を痛めつけていた連中も、そばでぼうっと立っている私を薄気味悪く思ったようで、柄悪く絡んできたのだ。
私は激怒した。
女を囲んだり、光雄を殴ったりしたことなどにではない。もちろん、私と花魁との間に割って入ってきたことにだ。気付いたら全員を叩きのめし、地べたに転がしていた。
顔を上げた時にはもう花魁の姿はなく、私は泣きたい気持ちだった。
助けた女は近くの飯屋の娘で、しきりに御礼を言っていたが、耳に入っては来なかった。
ただ、我を取り戻して光雄を助け起こしてやったところが、腫れあがった面でにやりとしながら開口一番、
「危うい花魁に惑わされていたねぇ」
と来たのには驚いた。
御礼の言葉からくると思っていただけに、ちょいとばかり不快で、手を離してもう一度地べたに転がしてやったが、まあ面白いやつだと思って、それから光雄との付き合いが始まった。
光雄が言うには、例の破れ目は、巷では狐穴と呼ばれていると。
当時、吉原にいた格式の高い遊女の一人、後に玉藻大夫と呼ばれることとなる花魁が、外を覗くために開けた穴だった。
当たり前の話だが、此方が覗く時には彼方も覗いているわけだ。狐穴から花魁の姿を見て、多くの男が骨抜きにされたらしい。幸か不幸かすぐに破れ目は塞がれ、それ以降、玉藻大夫を見ることはなかった。
狐穴はなくなったが、取り持たれた光雄との縁は続いた。
助けた飯屋の女の店へ、光雄と一緒に何度も通い、その度に私は路地裏の破れ目を探したが、もう二度とあの夜のようなことは起こらなかった。狐に化かされたのかもしれないな。
飯を食いながら、光雄と色々な話をした。
今に繋がるところもあるが、最後の正式な陰陽師の一人と言える男だったから、なかなか面白い話も多かった。
呪いや化け物は飯の種。完全に消し去ったら、おまんまの食い上げだ。
などと冗談とも本気ともつかない話をしていたな。そうした馬鹿話をしながら、私の荒んだ気持ちも和らいでいくようだったよ。
一方で、光雄と飯屋の女が良い仲になり、それが私との関係に、少し、ほんの少しだけ変化をもたらした。
むろん、その女に惹かれていたわけではなく、光雄との仲が悪くなったわけでもなかったが、私の中では、なぜ助けた女があの花魁ではなかったのかという愚問の上の愚問が生じてきていたのだ。
愚の骨頂とはまさにこのこと。光雄にも飯屋の女にも何の罪もない。
理屈ではなく、光雄と飯屋の女との仲睦まじい様子を見るにつけ、愚かな思いが浮かんでくるのだ。私はそんな自分が許せず、光雄と少し距離をとるようになった。
光雄が死んだのは、そんな折も折のこと。
さっき話したが、土御門晴雄が死に、太陽暦が導入されての続きの話だ。
何かが変わろうとする時には、必ず反発がある。陰陽寮の廃止、太陰暦の廃止、いずれも土御門家にとっては死活問題だ。表面上はともかく、様々な駆け引き、せめぎあいがあったろう。その流れで、何の因果か、荒事の標的に光雄の名前が挙がっていることを知った。
明治の世になって、突然、太平の世になったわけじゃない。戦争も混乱も暗殺も、まだまだ大手を振って横行していた時代だ。理由や経緯は問題にならない。
とにかくも、光雄が殺されるかもしれないと知りえたのだ。その時、ほんの数秒のこと。足が前へ出なかった。
なぜあの時助けたのがあの花魁ではなかったのか。飯屋の女と光雄の仲を取り持つために、なぜあの時、花魁との見詰め合いを断ち切られてしまったのか。
そんな、不満ともいえない不満。
誰に責があるわけでもない腐った泡のような思いが、一瞬、私の足を止めたのだ。実際には、結果に関係なかったかもしれない。だが、関係が、あったかもしれない。
私が駆けつけたとき、ちょうど明石吉之助が光雄の息の根を止めたところだった。その体はまだ温かく、あと一歩で間に合っていたのではないかと思えた。我知らぬ妬みの思いが、光雄を死に追いやったのではないかと思えた。
八つ当たり気味に明石に斬りかかったが、当時の自分ではまるで敵わず。やつの気紛れで、半殺しで捨て置かれた。
だいぶん時間が経って、深夜、血溜まりでなんとか身を起こすと、光雄の死体をそのままに、もう一度、例の木塀を見に行った。
前に穴が開いていた辺りに見当をつけて、刀で木塀を毀ち、そこから中を覗いたが、真っ暗でなにも見えなかったよ。
その後、血まみれのまま飯屋へ寄って、光雄が死んだことを伝えた。飯屋の女は散々に泣き喚き、それを聞くのが辛くて辛くて。
私自身も、悔しいのか悲しいのか腹立たしいのか、何の涙か分からなかったが、泣きながら一人住まいの長屋へ戻った。布団が血だらけになるなと思いながら万年床に倒れこみ、深く深く眠った。
丸一日眠り続け、目覚めた時には血も涙も乾いていた。へばりつく布団を引き剥がして身を起こし、光雄が死んだことを思い出したが、もう涙は出なかった。
ただ、狐穴はもうなかったなと、ただただ自分のことだけを考えていた。浅ましい、浅ましいものだ、人間は。
今でも光雄のことを忘れはしない。
しかし、あの時の言いがたい気持ちばかりは、冷たい酒でごうごうと流したくなる。ああそうだ。もう二度と、御免だよ。




