異聞〈佐奈と正三の巻〉
今宵、かどうかは分かりませんが、そこは気分の問題で。今宵の語り手は、山中佐奈様と風間正三様です。
明治の初め頃、諸外国との交流が深まるにつれ、多種多様な異国のものが日本に入って参りました。ですが、中には歓迎すべからざるものもあるわけで。
そのひとつが流行り病に御座います。
船に付き、あるいは異人に付き、病も輸入されてしまいました。
佐奈様も正三様も、それぞれ自分があるいは家族が病に倒れてしまい。と、その先は、それぞれに語っていただきましょう。
〈佐奈〉
うちは、生まれつき目が見えへんわけやなかったんよ。
十をいくつか過ぎた頃やったか、異国の病が流行ってな。薬を飲めば治ったはずやけど、まあそれも異国の薬や。そんな安いもんやない。裕福な家やなかったから、薬も買えず、可愛い一人娘、うちのことやけど、病気で衰弱していく一方や。
そんなとき、万病に効く霊験あらたかな薬を安く売ったるいう話が入ってきた。
もちろん、そんな旨い話があるわけがない。ただのインチキ薬や。うちの親もそれはわかっとったんやろな。それでも、まともな薬が買えず、そのままやったら娘が死ぬ。そんなら何かに縋りたくなるやんか。
あんたやったら、どうする?
〈正三〉
兄弟姉妹はいません。母も。父は息災ですが、あまり会うこともないですね。
僕は迷信の類いが嫌いです。人がなすべきことを惑わすからです。たしかに人の手では、どうにもならないことはあるでしょう。
でも、そういった時こそ、きちんと判断して動くべきじゃないでしょうか。事実を事実として受け止める覚悟が必要だと思います。
まだ子供の頃、僕に妹ができました。
母のお腹の中で元気に動いていたのを憶えています。弟だったかもしれませんが、勝手に妹と思い、名前も付けて生まれてくるのを楽しみにしていたんです。
でも、ある時、身重の母が病気になりました。高熱が出て何日も下がらず、やがて母とお腹の妹と、ともに亡くなったのです。
もちろん、病気ですから仕方のないことです。人はいつか死にます。生病老死、如何ともし難いこと。ただ、母と妹を殺したのは迷信でした。迷信は時として人を殺す。
僕は、迷信の類いが嫌いです。
〈佐奈〉
うちの親も、インチキやと思いながらも、その霊薬を買って飲ませてくれた。
実のところ、それが効いたとは思えへん。薬を売っとった連中は、後ほど詐欺で捕まっとったからな。そやけど、ええ薬や、絶対治ると言われて飲んだでやろか。うちは何とか一命を取りとめたんや。
その代わり、目が見えやんようになってもうた。薬のおかげで助かったんか、薬のせいで目が潰れたんか、因果関係いうんか、そいつはようわからんわ。まあ助かって良かったっちゅうところかいな。
ところが、これで終わりやない。
ほんまの薬ほど高くないとは言うても、詐欺師の連中も足元を見てな。うちの親が借り集められるだけの金と引き換えにしよった。娘は助かっても、家には金がない。ないどころか、後に残ったんは目が見えやんようになった娘と多額の借金や。親もまあ困ってな。その日の飯にも事欠くゆう感じやった。
あくどい借金取りの中には、生き残ったうちを連れて行こうとする者もおった。ほら、うち綺麗やし。
ほんでも、せっかく生き残った娘をヤクザみたいな連中に連れて行かれたらかなわんわな。そないして困っておったら、捨てる神あればまた捨てる神ありや。今度は、修行で目明きにしたるいう霊媒師にひっかかった。
ヤクザよりはましやったかもしれんけど、ほんまにうちも不幸な生まれやで。
〈正三〉
母は優しい人でしたけど、無学な育ちで迷信の類いを大切にしていました。
村の鎮守さんや道祖神、何を祀っているのかもわからない小さな祠にお稲荷さんまで丁寧に頭を下げて回っていました。
生意気盛りの僕が鎮守さんの御神体を暴いて、母さんが頭を下げているのはただの石ころやぞと得意げに言いつけた時には、ちょっと悲しそうにして、何にというわけじゃない、日々に感謝することが大事ですよと諭すように言っていました。
まあ、それはわかります。
でも、石ころに感謝することはないでしょう? 母には悪いけど、それが分別ある行動とは僕には思えません。
そんな母でしたが、ある時、村に死病が流行った。一度かかったら最後、もう治らない。もしかしたら東京には薬があったかもしれないけれど、田舎の村にはそんなものはない。医者すらいなかった。
むしろ、迷信深く、昔ながらの祈祷や呪い、言い伝えを良く知る母に村の連中が頼ってきたのです。身重の母は無理をして外へ出て、祈祷や呪いをして回りましたが、それで助かるわけもない。
かえって、母も病にかかってしまいました。
〈佐奈〉
うちは、わけもわからんまま、目明きにしたるいう霊媒師に連れて行かれた。んで、霊媒師として修行を積んで、というわけやなかった。
言うたとおり、こいつは、ただの詐欺師やった。重い借金で首が回らんうちの親に、親切ごかしに近付いて、うちを連れ去って売り飛ばそうとしとったんや。
まあ、うちが綺麗な子やったんが不幸の元やわな。自分で言うのもなんやけど。堪忍な、話の流れ上、仕方ないんや。うちは相当な別嬪さんやったさかい、その詐欺師も味見しとうなったんやろな。
連れて行く途中、日も暮れて峠で休んでおるときに、うちに飛び掛ってきた。
その頃はうちも初心な生娘や。なんかわからんけど恐ろしうなって、詐欺師に噛み付いて、ひっかいて、蹴り飛ばして逃げ出した。
暗い山の中を無我夢中で逃げて、逃げて、逃げて。先も見えへんし、詐欺師が追いかけてきとるかどうかもわからん。案の定、うちは足を滑らして崖から落っこちたんや。
そやけど、今度こそ、捨てる神あれば拾う神ありや。
〈正三〉
母は、別段、金を取るようなこともなく、頼まれて祈祷や呪いをして回って、あげく自分も流行病にかかってしまいました。
こうなると村の連中も冷たいもので、誰一人として見舞いに来る者もない。そもそも母の呪いで助かるような病気でもなく、村では、病気にかかっていた者がばたばたと死んでいった。
そんな折です。
山伏のような格好をした胡散臭い男が現れ、病避けの札とやらを、家々に売りつけて回り始めたのです。
〈佐奈〉
山中で倒れていたうちを拾ってくれたのが鍵吉じいちゃんやった。
場所も場所、時刻も時刻で、物の怪の類いかと思って、ちょっと恐かったって内緒で教えてくれたわ。山中で修行中、山の化が自分を誘惑しに来たのかと思ったんやって。
自分の剣の腕前も物の怪を引き寄せるほどになったかと、恐いやら嬉しいやらの気持ちで近付いてみると、まあただの娘っ子や。
闇雲に走り回って崖から落ちて、あちこち怪我もしとるし、これは大変と連れて帰ってくれた。それから、うちはじいちゃんの孫や。
ゆっくり養生させてもらって、うちの家のことも調べてくれた。両親は、うちを詐欺師に託してから首をくくって死んでしもたらしいわ。
不幸な話と言えばそうやろな。
せやけど、うちの親は自分らを犠牲にしてでもできる限りのことをしてくれたんや。むしろ、うちのせいで親を死なせてしもたんかもしれん。迷信でも何でも、子を救いたい一心やったんやなぁ。
薬のことでも、うちを連れて行かれたことでも、詐欺師に騙されたんかもしれんけど、すべてうちのためにやってくれたことや。最後には鍵吉じいちゃんに会わせてくれた。
山の神さんか、詐欺師のおかげか、亡き親心によるものかわからへんけど、うちは感謝しとるよ。誰に言うたらええんかわからんけど、ほんまに、おおきにな。
〈正三〉
病避けの札というのは、言ってみれば鍾馗の札のようなもの。病をもたらす鬼を家の中に入れないというものです。当時、子供心にもそんなものが効くわけがないと思っていました。
しかし、母の祈祷も効果がなく、医者もいない、そんな村では仕方ないのかもしれませんが、みな争って札を買い、家の表に貼り付けたのです。
我が家でも、父がなけなしの金を叩いて、おかしな動物のような絵と、もっともらしい呪文のようなものが書かれた札を買い、有り難そうに、朝夕、拝んでおりました。
当然、効果などあるわけもなく、母は、お腹の子と一緒に、この世を去りました。
そちこちの病人が死んだ頃には、札を売った男はどこぞへ雲隠れ。文句を言う先もありません。むろん、文句を言ったところで母が帰ってくるものでもなく。
僕は父を罵倒して、札を破り捨てました。
胸が苦しくて苦しくて、こんな物が効くわけがないと思っていたのに、もしかしたら効くかもしれないと心のどこかで思っていた自分が情けなく、許せませんでした。
なんとか、もしかして、あんなものに頼っていなければ、もっと別の方法を考えることができたのではないかと。
僕は、人を惑わす迷信が嫌いです。迷信に惑わされた自分が嫌いです。
〈?〉
同じ流行病による二つの物語り。生病老死、人の避けられぬ定めではありますな。
いずれも、何ともならぬ命を何とか救おうという一念では御座いませんか。この世の何事をも思い通りになるならば、迷信など不要とも言えましょう。そうでなければ?
……そうでなければ、足元の奈落を見つめる覚悟は、有りや無しや?




