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異聞〈千代の巻〉


 これぞ昔の物語り。語り手は、冬柴千代様に御座います。


 うら若き乙女でありながら、旅芸人から、盗人、乞食、巫女に遊女、女中に密偵、何でも御座れのこの御方。実を結ばぬ仇な花とも申しましょうか。

 擦って擦られて擦り切れて、それでも失せぬ美しさ。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。昔語りに花語り、毒婦にも五分の魂。さてはて、どんな話になりますことか。



 千代、千代、千代と五月蝿うるさいね。


 あたしの若い頃の話だって? なんだそりゃ、もう若くないみたいじゃないか。失礼なことを言うと口を閉じるよ。


 まあ、そう言わずって。なんだ、調子の良い奴だな。

 おっと、気をつけな。

 つぐのはいいが、そんな手付きじゃ酒が零れるじゃないか。その手の動き稲妻の如しなんて、ただの冗談かい?

 少佐にもらった貴重な洋酒なんだ。女性と一緒、丁寧に扱いな。そんなことだからもてないんだよ、お前は。こないだもお前……


 ん、なんだい。そんな話はいいって言うのか。そうかい、話を変えようと思ったんだが、なかなかさといじゃないか。そうだねぇ。別に隠す謂れもないし、話してやるか。といって、それほど面白い話でもないよ。


 あたしの本名が千代じゃないのは知ってるよねぇ。これまで何度も名前を変えてきたから、千代で何代目か、あたしにも分からん。


 これは、あたしがまだ本名で呼ばれていた頃の話だ。何て名前だったかって? いいんだよ、んなことは。とにかく、あたしがまだ乳臭い娘だった頃の話だ。


 当時は山間やまあいの小さな村に住んでいて、家は庄屋というか豪農というか、村一番の良いとこの御嬢様だったわけだ。


 なんだいその目は?

 疑ってんのかい? 違う? はあ、そうかい。まあ、あたしが今のあたしに言われても、そうそう信じないかもねぇ。

 だが、こいつは本当の話だ。

 蝶よ花よと育てられってね。何とか小町なんて言われたり、ちやほやされて生きてたし、それを疑問に思うこともなかった。すくすくと育って、やがて花には虫が付きってところ。


 いま思うと、いわゆる家の格が違っていたわけだけど、幼馴染のいい男がいてね。弥治郎って名前なんだが、ヤジ、ヤジって呼んでたよ。

 あたしは、ヤジと一緒になるもんだと勝手に思い込んでた。でもね、御一新からこっち、恋愛なんてものが入ってきたけど、あの頃はまだまだ流行ってなくてさ。

 田舎の村じゃなおさらだ。江戸時代よろしく、家同士の結婚の時代だったんだよ。


 ヤジと一緒になれないと分かった時、あたしがどう思ったか、あんたに分かるかい? まあ、分かると言われても、この野郎と言うところだがね。あたしも初心うぶだったからねぇ、思いつめて思いつめて、一緒に死のうとさえ思ったよ。


 でも、死ぬくらいなら逃げればいい。ヤジも一緒に逃げると言ってくれたっけ。あたしは嬉しくってねぇ。

 よせばいいのに、逃げ出す前の日、ついつい同い年の女中の子に打ち明けちまったんだ。同じ女同士で、あたしは友達だと思ってた。こうこうこんなわけで明日には家を出る、会えなくなるけど心配は要らないってね。


 その子は話してないと言ってたけど、自分の親に話したか、他の誰かに話したか、いずれにせよ、ばれちまってさ。

 話したのは、逃げ出そうとしていたその日だったんだろうね。待ち合わせの場所へ行ったけどヤジは来なかった。村の衆に捕まって袋叩きにあってたらしいや。


 そんなこととは知らないで、あたしは一日ずっと待っていた。どうしたんだろう、どうしたんだろうと思いながらね。何かあったのか、心変わりしたのか、場所を間違えたのかって。


 待ち合わせていたのは、村の外れにあった小さな橋の下でね。ちょろちょろと流れる川を眺めながら、あたしの目からも涙の川だ。


 結局、夕暮れ時になって、探しに来た村の連中に連れ戻された。


 だがねぇ、それで参るようなあたしじゃないよ。ヤジと結婚できないなら死んでやるって、泣いて泣いて駄々をこねてこねて、こねまくってやった。

 父親も母親もそりゃあ困ったらしいが、何しろ蝶よ花よの一人娘の我がままだ。最後には折れて、村へ割り当てが来ていた新政府の徴兵にヤジが応じるなら、戻ってきてから結婚させてやるってな話になった。


 ヤジは一も二も無く応じてくれてねぇ。徴兵というのが何なのか、あたしもヤジもよく分かってなかったから、ただ無邪気に喜んだよ。

 親としちゃあ、三年の兵役の間に有耶無耶にしちまえと思ってたのか。ひょっとすると、戦でもあってヤジが死んじまえばいいって気持ちだったのかもしれないねぇ。


 ヤジが村を出る時には橋のたもとで別れを告げて、またこの橋へ戻ってきてねと。涙雨の降る中、見送ったよ。


 で、どうなったかって?


 大陸での戦があったろう。あの時さ。ヤジも死んじまった。それも戦死じゃなく病死だっていうじゃないか。栄養不足だったのかねぇ。

 当時、大陸の軍隊では脚気やコロリで死ぬ兵隊さんが多かったんだ。ヤジもコロリで死んだのかも知れないってことで、死体は向こうで焼かれちまった。戻ってきたのは紙切れと、ちょっとした身の回りの品だけさ。


 悲しいの悲しくないのってねぇ。

 あたしの我がままで殺したようなもんじゃないか。泣いて泣いて泣いて。毎日、橋の袂へ行ってはヤジが帰って来ないかって、気が違ったようになってたよ。


 だってねぇ、帰ってきたのは紙切れだよ。本当に死んだかどうか分からないじゃないか。死んだ、死んだ、あきらめろと周り中から言われてさ。それでも諦められなくて、あの紙切れは間違いでしたって、そんな連絡が来ないか、郵便配達夫を捕まえて、来る日も来る日も詰め寄ったよ。


 配達夫は若い男で、あたしの事情も知ってたから鞄を開けて中身を見せてくれた。当然、あたしが欲しいような手紙はない。悲しそうなあたしの顔を見て、毎日、申し訳なさそうにしていたよ。


 あたしは、悲しさと後悔とヤジ恋しさに食べるものも食べられず、日に日に痩せ衰えて衰弱して、それでも橋へ通うのは止めなかった。この頃になると両親も、忘れろとか死んだとか何も言わずに好きなようにさせてくれてたんだ。


 でもね、ある日、来たんだよ。


 何が来たって?

 なんだい察しが悪いね。春が来たなんて言うつもりじゃないだろうね。まあ、気持ちとしては春が来たと言っても良かったなぁ。


 もちろん、あの人からの手紙が来たのさ。


 大陸の住所が書いてあった。封を切るのももどかしく、手紙を取り出すと、夢中になって読んだ。


 そこには連絡できなくて悪かったこと、部隊にコロリが蔓延して戦友が次々に死んでいったこと、何としても生き延びようと部隊を脱走したこと、逃げた先で自分もコロリを発症したこと、そのまま死に掛けたところを現地の人に助けられて生き延びたことが書いてあった。


 あたしは、もう、そりゃあ嬉しくってさ。郵便配達夫に抱きついて泣き笑いだった。


 手紙には脱走兵は罰せられること、係累にも罪が及ぶかもしれないこと、だから、このことは誰にも言うなとも書いてあった。親兄弟にも伝えていないが、折を見て自分から伝えると。


 誰よりも、あたしに最初に伝えてくれたのは嬉しかったね。素直に、その通り、あたしは誰にも言わなかった。いつか帰ってくるんだって、ただそう信じたさ。


 あたしからも手紙を出し、また返事が来る。遠い大陸とのこと、2,3ヶ月に1回、あの人と手紙でやりとりして。


 あたしは、相変わらず、毎日毎日橋の袂へ通った。いつ来るかいつ来るかってね。もしかしたら、手紙みたいにひょっこり帰ってくるかもしれないだろう?

 橋通いは気にしてたけど、両親も、あたしが元気になったことを喜んでくれてたよ。


 ところが、秘密の文通を続けて1年が経ったころ、ヤジの家に軍人さんが訪ねてきた。


 その人から、ヤジが、コロリで亡くなる間際まであたしのことを気にしていたと伝えられたんだ。ヤジが書いた遺書とやらも渡された。大陸での転戦の中で紛れていたものが、やっと出てきたのだと。


 あたしは、何が何だか分からなかった。


 だって、そうだろう。その遺書は、ヤジからの手紙を受け取るより、ずっと前の日付だったんだから。


 遺書には、ちゃんとあたしの本名が書いてあって、自分のことは気にせず良い人と一緒になって幸せになってくださいと書いてあった。


 嘘だ、嘘だと叫んで、あたしは軍人さんに掴みかかった。


 でも、その軍人さんは、がんとして嘘だと認めない。自分が看取って埋葬したと言うんだ。懐から御守りを取り出して、こう言うじゃないか。人違いをしちゃならないことだから、ヤジが身に着けていた御守りを遺書と一緒に包んであったのだと。

 それは確かにあたしがあげた御守りだった。

 不意に、その御守りが憎たらしくなってね。なんだい、こんなもの!って、放り捨ててやった。あの人を守ってくれなかったじゃないか。


 だけどさ、それで、あたしもあの人が死んだんじゃないかって思ってしまった。


 本当のところは分からないよねぇ。

 軍人さんの勘違いかもしれない。死ぬと思って預けた遺書で、本当は死ななかったのかもしれない。死んだ振りをして脱走したのかもしれないじゃあないか。ただ、あたしの中でヤジは死にかけていた。


 死ぬってのはさ、二度と会えないってことだろう? じゃあ、遠く離れてしまえば、長い間ずっと会えずにいたら、そのまま二度と会うことがなければ、それは死んだってことじゃないのかい。


 あたしは疑った。そう、疑っちまったんだ。


 手紙のやりとりをしていた相手はヤジじゃないのかもしれないって。日に日にやせ衰えて気狂いみたいになっていくあたしを見て心配した誰かが、ヤジの代わりに手紙を寄越していたんじゃないかしらん。

 女中の子だろうか、郵便配達夫だろうか、父か母か、誰かに頼まれた誰かか。何度も書き直しながら、あたしは手紙に書いた。


 本当に貴方なのか、もう死んでいるんじゃないのかってね。


 それっきり、返事はなかった。


 今でも誰が書いていたのかわからないよ。もしかして、生き延びていたヤジ本人だったかもしれない。あるいは、あの世からの手紙だったかもしれないよ。


 世の中、わからないことだらけさ。


 でも、手紙が嘘でもまことでも、そのおかげであたしが元気を取り戻したことは本当だ。だから迷信だって何だって、ないよりはある方が面白い、あたしはそう思ってる。


 え? その後かい?


 その後は一年待って返事が無くて、親は縁談を勧めてくるけど、ヤジのことが忘れられなくてのらりくらりかわしているうちに世の中の流れも変わって我が家も左前。婚期を逃したあたしは花柳界かりゅうかいに入ってあれやこれや。手紙の住所を頼りに大陸へも行ったが、それはまた別の話だ。


 今日のところは、このくらいだね。


 やれやれ、この酒は上等だがきつい。ついつい、ぺらぺら喋っちまったよ。普段から寡黙で控えめなあたしとしては喋りすぎだ。

 ん? なんだい、なんか文句があるのかい。いつも喋りすぎだっていうのかい? 違う? ああ、なんだ。あたしの話が本当かどうかだって? ふふん、よく気付いたね。そりゃあ、嘘か真か、誰にわかろうさ。


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